ギター 編集無頼帖

kocoroココニ在アラズ

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 立て込みまくった取材やら社内外の各種打ち合わせやら不意のプロモーションやら知人の来訪やら台割の調整やら取材の下調べやら取材原稿のまとめやら諸々の雑務やらで常に心ここに在らずな状態が続いている。少数精鋭で月刊誌に携わる以上、月の半ばは毎月そんなものだ。
 働くという生活基盤を一度でも雇用者から絶縁された人間にとって、忙しいのはとても有り難いことだし、忙しない合間を縫って親しい仲間と杯を酌み交わして適度にストレスを発散してはいるものの、趣味で読む雑誌の文字の羅列が単なる記号にしか見えないほど今現在へのピントが合わない。要するに心にゆとりがないのだろう。
 それに輪を掛けるように、誌面の組み立てには思いも寄らぬハプニングや事態が二転三転することがいつも多々ある。今月も既に数件あった。毎月不測の事態が起こらないことのほうが少ないくらいだし、順調に事が運ぶとむしろ勘ぐりたくなるのだからつくづく悲しい性分だ。
 いずれにしても、山積みの仕事もトラブルもこちらに猶予を与えてくれはしない。
 そんな時はひとまず深呼吸をして、今できそうなことから少しずつ片付けるに限る。小さなことからコツコツと…とは、不世出の芸人である相方を己の保身の為だけに切り捨てた関西の某大物芸人の物言いだが、急がば回れという真理に相通ずるものである。一見、回り道に思えることが実はゴールへの最短コースであることに気付く瞬間というのは、きっと皆さんの日常生活においてもままあるのではないだろうか。
 何かを成し遂げようと決意してから厄介なのは、不測の事態に自分が巻き込まれることよりも自分自身の焦りから来る仮想恐怖だったりする。最悪の結末を勝手に想像して勝手にペシミストを気取る。気取れるうちはまだいいが、自分で生み出した悲観的な妄想に自分自身が呑み込まれる。誰が悪いわけでもない。受動的にトラブルに巻き込まれようがマイナスをプラスに転じさせるのは自分の力量次第だし、そのチャンスの糸口は必ずどこかにある。いつだって乗り越えるべき最後の敵は自分自身なのだ。

 この余りに目まぐるしい情報消耗社会の中で、僕たちは日々様々な場面において瞬時にジャッジを下し続けなければならない。スーツの色やランチのメニュー、カーテンの柄に至るまで、衣食住においても多種多様のチョイスを日々絶えずしているものだ。
 また、あらゆる物事の二者択一を意識的にも無意識のうちにも次から次へとし続けてもいる。右か左か。陰か陽か。東か西か。白か黒か。一か八か。
 忙しないと自分でも厄介だと思うのは、人の資質に対してもうっかり二者択一の烙印を押してしまうことだ。優しいか、冷たいか。思いやりがあるか、自分のことしか考えていないか。仕事においては使えるか、使えないかという二者択一もある。
 他者の資質を身勝手かつ一方的に決め付けるなどおこがましいにも程があるし、自分がそんなことをされれば腹立たしいに決まっているのに、ついやってしまう。まぁ、初対面の人の場合はそうしておかないとその人の印象が霞んでしまうという理由があるにはあるのだけれど。

 ビートたけしさんの名言の中で僕が好きなもののひとつが“振り子の法則”というやつだ。
 支軸を中心にして重りは左右対照に揺れる。その揺れの高さを人の善悪になぞられて、散々やんちゃしてきた奴は人の痛みを知るぶんだけ実はとてつもなく優しい、というような意味である。たけしさんの本意はそうじゃないのかもしれないが、僕はそう解釈している。
 僕は恐らく人並み以上に人の好き嫌いが激しい。激しいからこそ、闇雲にその人がどんな人かというジャッジにはいつも余白を残すことにしている。
 よく言われることだが、100%の善人も悪人も世の中にはいない。差し込む陽の光の角度によって海の水面の表情が変わるように、その人の距離感によってAさんに対する評価は変わる。10人いれば10通りのAさんの評価があるだろう。僕のことを誰にでも良い顔をする調子のいい奴と思う人もいれば、救いようのない悲観主義者と思う人もいるように。また、僕にとってはその人が最悪の印象でも、“振り子の法則”に従えば最良のポテンシャルはあるわけだ。決め付けはよろしくない。

 何だか話が無駄に長くなってしまったが、要するに忙しない時ほど誰かに対する認識には慎重にしなければならない、ということだ。一時の感情で安直に判断を下さないことである。この人にはこんな側面もあるんだ、くらいに思えばいい。自分だって聖人君子のような人格者ではないのだから。
 心ここに在らずの時は冷静さを欠いてマイナスの血が逆流する。その逆流の余波で、せっかく末永く良好な関係を結べる距離を簡単にぶち壊すこともあるのだ。それは余りに惜しいことだし、第一悲しい。

 以上、自戒の意味を込めてダラダラと書き連ねてみたが、どうも辛気くさくていけない。ここは酒の肴に旬のものでも食べて気持ちを鼓舞せねば。今ならやっぱり若竹とかの筍料理か、魚ならカツオ やタイか? 春を食すのは日本人としてとても大切なことである。
 ま、その前に今日はこれから某親方バンドマンと千葉県野田市にある某食堂に潜入取材して大盛メニューの数々を食らわにゃならんのだけど…ははは。

 あと、気分転換には噺家さんのCDが意外と効力あり。先日サンプルを頂いた桂米助師匠と三遊亭小遊三師匠のCD、イイオトナがヨイヨイとくだらないダジャレに興じていて最高。男子はいくつになってもかくありたい。(しいな)
posted by Rooftop at 12:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 編集無頼帖
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