ギター 編集無頼帖

極私的“20080405”

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 週末土曜日は朝っぱらから爆音ハードコア。麗らかな春の陽射しと穏やかな空気の中で取材用に聴くU.G MANとidea of a joke(笑)、これが意外とよく合う。しかしidea of a jokeはやっぱり素晴らしく格好イイ。陽光パンクの最高峰だと勝手に認定。調子づいて冷蔵庫からキリキリに冷えた缶ビールをグイッと呑む。ビールはやっぱり世間的休日の午前中に限るです。

 そんな極めて個人的な20th Ann.from broken、私生活も仕事絡みでbroken(←全然うまいこと言ってない)。
 まずは午後一に渋谷で打ち合わせを済ませて、新国立劇場・中劇場で吉川晃司さん主演のミュージカル『SEMPO』を観劇。ミュージカルを観ること自体初めてだし、媒体の肩書きとしては場違いも甚だしかったのだが、これが非常に面白かった。
 その昔、まだ毒のあった頃のタモリさんが『テレホンショッキング』の中でしきりにミュージカルに対して否定的な発言を繰り返していた。あのタモさんの発言でミュージカルを敬遠するようになった人が結構いる気がするのだが、かく言う僕もその一人。
 だがしかーし。この『SEMPO』、題材が個人的にも以前から関心のある“日本のシンドラー”と呼ばれた杉原千畝(ちうね、“SEMPO”とはその音読み)さんであること、吉川さんにとってキャリア初となるミュージカルであることから開演前から俄然興味が湧いていた。そして結果、これが思っていた以上に楽しめたのである。第1部の最後に吉川さんが堂々と唄い上げる『光と影』には心底身震いしたし、神学校の幼い生徒300人を救いたいと日本のビザ給付を求める教師の演技と、リトアニアを離れてベルリンに発つ直前まで杉原が駅のホームで“命のビザ”にサインをする場面には涙腺が激しく緩んだ。やはり生の舞台は完膚なきまでにスリリングなり。
 それにしても。あの戦時下において母国もドイツもソビエトも敵に回して、一説には6000人以上と言われるユダヤ人の尊い命を救うという気骨ある日本人がいたことに今更ながら感動する。僕は保阪正康さんの昭和史に関する本を読むのが好きなのだが、やっぱりまた一から昭和の歴史を勉強してみたいと思った。歴史が我々に教えてくれることは、とどのつまり日常を生きる上での叡智である。人類の大先輩は数多くの生きるヒントを教えてくれるし、我々はそれを存分に活用すべきだと思う。
 あと思ったのは、杉原千畝その人は吉川さんにとってもう一人の“Tarzan”なのではないか、ということ。金や権力を物差しにすることなく己の“義”を貫くことの大切さをダンサブルなサウンドに乗せて伝えているのが『Tarzan』という歌であり、その姿勢を体現していた一人が杉原千畝さんだったように僕は思う。つまりこの『SEMPO』というミュージカルは、フォーマットは違えど『Tarzan』のスピンオフ的作品と言えるのではないだろうか。

 そんなことをつらつらと考えつつ、エイッと頭を切り替えてO-nestへ向かい、Less than TV絡みのバンドが大挙出演するイベントを観る。上のラウンジで水割りを1杯呑んで喉を潤す。あー、やっぱりこっちがホームグラウンド(笑)。
 PANICSMILEを観られなかったのは残念だったが、accidents〜もyounGSoundsもデラシネもバッキバキの変態パンクで異常なまでに格好良く、満足。ちょっとした福岡県人会的イベントで、確かに今は札幌よりも福岡のアンダーグラウンド・シーンのほうが活気があって面白いのかもしれない。
 その後楽屋でyounGSoundsのタニグチさんとモリカワさんに取材。終電を気にしていたタニグチさんは「嫁と子供が待ってるから」と話の途中で強引に退席。相変わらず自由な人だ(笑)。代わりにNaht/GOD'S GUTSのタカヒロさんが優しくフォローしてくれたけど。
 そんなタカヒロさんと元ロフト勤務のアカセ女史(現在はフリー・カメラマン)とで阿佐ヶ谷ロフトAに移動して始発まで痛飲。なぜアカセに男が出来ないのか、ウイスキーを片手に我々オッサン2人が懇切丁寧にレクチャーして差し上げた。他人のことは無責任ながら割とイイことが言えるんだけどなー。ははは。

 そんなわけで4月5日はかなりバタバタした1日だったので、翌日、運動がてら表参道から野方まで2時間半かけて徒歩帰宅してから20年前のドーム・コンプリート映像を堪能。演奏もメンバーの容姿も全く古びていない新鮮さに改めて驚嘆する。クオリティの高い楽曲の普遍性やズバ抜けたバンドの資質がその最たる理由だと思うが、未だに数多くのリスナーから圧倒的な支持を得ているのは、この不世出のバンドのブランド性をしっかりと守り続けてきた方の尽力があってこそだと思うのだ。
 たとえば、僕にとって大切なバンドであるルースターズには、解散後にその儚い物語を潤沢に語り継いでくれるメンバーと身近な第三者がいなかった。バンドの意志と歴史を正しく伝えてくれる橋渡しとなる翻訳者がいなかったから、ルースターズは未だに一部の愛好家から熱烈な支持を受けるというカルト的人気の域を出ない側面が残念ながらある(そこがまた良いのだが)。
 どんなに素材が良くても、その素材の良さを的確に伝える語り部の存在がいなければ素材の魅力は半減する。
 すでにこの世に存在しないバンドのイメージを20年もの長きにわたって守り抜くことの大変さは、やはり並大抵のものではなかったはずだ。ある意味で現存するバンドのほうがブランドの維持は余程ラクなのかもしれない。現存していれば如何様にも今この瞬間を変えていけるが、20年前に解散してしまったバンドには今この瞬間を変えることはできないのだから。ましてそのバンドが日本のロックを真の意味で大衆化させ、破格の成功を収めたのだから尚のことブランド維持は困難だ。
 そして何よりも心を動かされるのは、この傑出したバンドの稀有なる物語を今に伝える語り部が20年経った今なおメンバー4人の防波堤となって彼らを必死に守り続けていることだ。語り部にも今為すべきことが他に多々あるにも関わらず、である。
 その余りに強固な友情がこの20年後の映像にも随所から窺える。だから湿度が幾分低い演奏の「CLOUDY HEART」でも、やっぱり僕はいつも通り泣いてしまうのだ。
 BOφWYとBOφWYを支え続けてきた男の美しく儚い友情物語。それこそが僕にとって最も惹かれる部分なのかもしれない。(しいな)

 追記:ミュージカル『SEMPO』は4/4〜4/22が東京:新国立劇場中劇場(20公演)、4/26〜4/27が名古屋:名鉄ホール(3公演)、5/2〜5/8が神戸:新神戸オリエンタルホール(7公演)でそれぞれ開催。詳しくは下記サイトまで。
 http://www.rise-produce.com/sempo/
posted by Rooftop at 13:37 | Comment(2) | TrackBack(0) | 編集無頼帖
この記事へのコメント
映画『シンドラーのリスト』が上映されて、話題になっていたときに、とある新聞に杉原さんの遺族の方の訴えが掲載されていたことを覚えています。

当時、映画ではシンドラーの行いを美化しすぎているとの批判の声も出ており、安い賃金でユダヤ人を働かせていた・・・と言う解釈もされていたが、実際に杉原氏に助けられて生き残った方のコメントに、杉原さんのほうが、より多くのユダヤ人を救ってくれた・・・と記載されていたと思います

この時、和製シンドラー 杉原 の存在を初めて知りました

第二次世界大戦と言う、世界的な狂気の時代に、一人の誇り高き日本人がいたことを、より多くの日本人に、伝えてくれそうな・・・

そんな気がします
Posted by cap at 2008年04月11日 23:27
capさん、書き込みどうも有難う御座います。

あの悪夢の大戦下に、杉原さんのような気高い日本人がいたことを誇りに思いますよね。
あれだけのユダヤ人の尊い命を救いながらも、本人は戦後一切口をつぐんでいたというのも感動します。
今は影を落とす世界にいても、己の信念を貫けばいずれ光の射すほうへ状況が好転するんだと思います。
もちろん、一切の妥協をせずに信念を貫くことは生半可なことでは成し遂げられないですけどね。

杉原千畝の生き方には今も学ぶべき点が多々あると、『SEMPO』を観て改めて思いました。
Posted by しいな at 2008年04月12日 16:17
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