東風の如く爽やかで清々しい音の歳時記
麗らかな春の陽光を思わせる光彩陸離な作品集である。the courtが『HELLOWAYS』以来約1年半振りに発表する音源であり、初のフル・アルバムとなる『リクノコトウ』。特筆すべきは、その平易な言葉で綴られた物語性の高い歌詞と、心の原風景を想起させる郷愁感に満ちたメロディが更なる高みに達したことである。幼少の頃に読んだ絵本や童話を思わせる彼らの歌は瑞々しく躍動感に溢れた口当たりの良いものだが、独自のシニカルな視点というほろ苦さもさりげなくまぶされている。それは決して甘さだけに流されない多層的な表現を彼らが為し得た何よりの証左であり、ツクシやコゴミ、タラの芽といった春の山菜のほろ苦さが冬の間に溜まった寒さの毒を浄化する様にも似ている。ビターな妙味が効いたことで本来の瑞々しさがグッと増した旬の山菜の如き本作について、ヴォーカル&ギターの鴇崎智史に話を訊いた。(interview:椎名宗之)
ベクトルが内側から外側へと変化した
──1stミニ・アルバム『HELLOWAYS』の発表以降、着実にバンドの認知度も上がってきましたよね。
鴇崎:ライヴの動員が目に見えて増えたし、僕らの曲を覚えてくれる人も増えましたね。ただ、自分達の中で一番変わったと感じるのは、ライヴの向き合い方ですね。ベクトルが内側から外側になってきたと言うか、それまでは自分達さえ楽しければそれでいいと考えていたんですけど、徐々にオーディエンスを巻き込めるようになったんです。まぁ、それは『HELLOWAYS』のリリース直後と言うよりも、もっと最近の話なんですけど。ここのところライヴは凄くいい感じでやれているんですよ。
──ライヴを重ねることで、『HELLOWAYS』の収録曲が熟成されてきたことも関係しているんじゃないですか。
鴇崎:それもありますよね。DVDにもなった『STUDIO VANQUISH TOUR』の頃にはもう、外側に向かうことを意識し始めていましたね。一時期、どんなライヴをやればいいのか判らなくなって、凄く悩んでいたことがあったんですよ。それでPAさんやスタッフと話をしつつ、最近になってようやく朧気ながらどうやればいいかが判ってきたんです。何かきっかけがあったわけじゃなく、ライヴを重ねるごとに実践的に身体が覚えていった感じですね。
──ヘンに肩肘張ることなく、極々ありのままの姿をステージ上で出すようになった結果なんでしょうか。
鴇崎:そうですね。素の状態でいられるようになったことがいいライヴに繋がっている気がします。
──ということは、今回発表される『リクノコトウ』はオーディエンスとの距離感を掴みかけてきたバンドの変動期に制作された作品なわけですね。
鴇崎:そうなんです。だからなのか、自分の中だけかもしれないけど、歌詞も前作より随分と前を向いている気がするんですよ。
──「サクラと春、キミと僕」や「春風」といった楽曲が収録されているせいか、図らずも“春”という今のこの季節をテーマにした作品のようにも感じられますよね。春の訪れを感じさせるように軽快で瑞々しい曲調のものが多いですし。
鴇崎:特に意識したつもりはないんですけど、何となくそんなニュアンスもありますね。出来てきた曲がどういう訳か春の歌が多かったんですよ。「annie laurie」という曲も、元のタイトルは「小春日和」でしたからね。
──収録曲は、以前からストックとしてあったものも多いんですか。
鴇崎:多いですね。「524」「未来のウタ」「二人」は凄く古い曲で、ライヴではもう3、4年やっているんです。「ワンシーン」も古い部類かな。「二人」は前作の収録候補曲でもあったんですよ。
──最初のほうに従来のthe courtらしい清々しい楽曲を並べて、中盤にアコースティック・スタイルの小品と呼べるような曲を挟み、最後のほうにバンド・アンサンブルの妙が存分に楽しめるクオリティの高い楽曲を配して大団円を迎えるという、緩急の付いた構成も見事ですよね。とりわけ最後の3曲は今後のバンドの方向性が窺えるような今までにないタイプの曲で、非常に聴き応えがあると思います。
鴇崎:「春風」は特に今までになかった感じの曲ですね。自分としてもかなり思い切ったと思いますよ。デモを持っていった時に、メンバーも「新しいね!」ってテンションが上がってましたから(笑)。「二人」のアンサンブルが固まっているのは、古い曲でいじりようがなかったこともあると思いますけどね。ちゃんと形になっていたので、レコーディングも余り苦労しませんでしたし。逆に苦労したのが「524」や「未来のウタ」なんです。古くからあって形が出来すぎていて、新たにアレンジを膨らませる余地がなかったんですよ。ギターの重ね方も全然アイディアが浮かばなくて。
──新しい作品として発表する上で、当時の形そのままで出すのは潔くないと?
鴇崎:まぁ、結局はそのままの形になってしまったんですけどね(笑)。「春風」や「イルカと見た夢」は新たに書き下ろした曲で、形が定まっていないぶん、いろんなアイディアが思い浮かんだんですよ。とは言え、殊更に何か新しいチャレンジをしてみようと思ったわけでもないんです。気に留めたことと言えば曲の精度を上げることくらいでしたけど、どの曲もいつの間にか出来上がっていた感じでしたからね。
子供の頃に読んだ絵本の世界に惹かれる
──レコーディングで気に留めた部分というのは?
鴇崎:歌ですね。前作の反省点としてあったのは、丁寧に唄いすぎたことなんですよ。音源だと歌が綺麗すぎてしまって、ライヴと全然違うという意見を多々頂きまして(笑)。確かに譜面通りに唄うのも面白くないよなと思って、そこは今回凄く意識しましたね。スタジオの電気を消して真っ暗な状態で、思い切り顔で唄ったりしましたよ(笑)。個人的には「イルカと見た夢」が今回のレコーディングで歌もサウンドも一番良く録れたと思っているんですけど、僕らは3人編成なので、この曲もかなり地道に重ねの作業をしたんですよ。だからライヴでは音源通りに演奏できなくて、ライヴならではの良さを別に出さなきゃなという自分に対する強迫観念みたいなものがあるんですよね(笑)。やっぱり、音源には負けたくないですから。
──「カナリア」のように直情的なバラードの大作には、綺麗に唄いすぎたという前作での反省点をクリアしてこその生々しい表現力が備わっているように思いますけれども。
鴇崎:「カナリア」は大変でしたよ。何度も唄って、喉がガラガラになりましたからね。でも、今までなら甘さに流れてしまうような部分も、甘さだけではなくほろ苦さまでも絶妙な隠し味としてまぶせるようになった気がします。
──「524」や「朝」のようにアコースティック・ギターが主体となる曲は、その歌がより際立つという意味で余計に歌唱力が問われますよね。
鴇崎:そうですね。「朝」はソロ・ライヴでもやっていた曲なので形にしやすかったし、ヴァイオリンの味付けも上手くいったと思いますよ。
──味付けと言えば、「ワンシーン」ではシンセが小気味良いアクセントになっていますよね。
鴇崎:あれはシンセではなく、ギターの音なんですよ。ただ指で弾いているだけで、イントロから何のエフェクターも踏んでいないんです。チキン・ピッキングという奏法で、AC/DCとかもよくやっているんですよね。シンセっぽい音をギターでできればと思ったんです。
──「ワンシーン」の軽快さから一転、「524」の哀切に満ちた世界は表現力の増した歌があってこそのものだと思いますが。
鴇崎:「524」は難航しましたね。元々アコギを使うつもりはなくて、一度は普通にバンド・サウンドで録ったんですよ。でもどこかしっくり来なくて、エンジニアの人と話して急遽あのアレンジでやることにしたんです。直感と言うか衝動と言うか、後先を考えずに物事を進めることが僕は多いんですよね。曲作りもそんな感じなんです。
──余りそういうふうには見えませんよね。歌詞も精選に精選を重ねて言葉を紡いでいる印象があるし。
鴇崎:ああ、そうですか。曲にもよるんですけどね。曲によっては歌詞やメロディを書いた過程を覚えていないものもあるんですよ。今回のアルバムで言えば「annie laurie」や「ホタル」、「ワンシーン」はそんな感じですね。「イルカと見た夢」もそうかな。練って練って生み出したという感じではないんですよ。自分の嗅覚と言うか、本能を信じている部分がどこかにあるんでしょうね。「イルカと見た夢」の場合で言うと、まずパッとイルカのイメージが頭に浮かんで、歌詞もメロディもいつの間にか出来ていた感じなんです。根拠はないけど、イルカが凄く重要なキーワードだったんですよ。「annie laurie」も、“小春日和”という言葉をテーマにした途端にすぐ出来たんです。ちなみに「annie laurie」というのは代表的なスコットランド民謡のタイトルなんですけどね。それが自分の中でリンクしたので、そのまま付けたんですよ。
──平易な言葉で唄われる民謡や童謡の世界は、the courtの音楽性と相通ずるものがありますよね。
鴇崎:凄く共感できますね。そこから派生して、小さい頃に読んだ絵本の絵がよく頭に浮かぶんです。今回のジャケットもそういう昔の絵本をイメージしたものだし、心の原風景として誰しもが持っているものだと思うんですよ。
いろんな想像力を掻き立てる曲作りがしたい
──歌詞を作る時も、そういった絵本の世界からインスパイアされることが多いですか。
鴇崎:曲にもよりますけど、「イルカと見た夢」は完全にそうですね。
──“汗っかきのお月様”や“せっかちの夏の海”という描写は確かに絵本っぽいですよね。ただ、絵本の世界観が色濃い割には、“お互いのミツを吸っていた”という官能的な表現もありますね。
鴇崎:そこ、意外と初めて言われたかもしれないです(笑)。そういうつもりで書いたんですよ。
──“小舟が二匹浮かんでた”と唄われる「524」も、絵本の世界観を踏襲した情景が目に浮かびますね。
鴇崎:「524」は実家に帰った時に作った曲で、タイトルは単にこの曲を書いた日付なんです(笑)。考えてみると、今回のアルバムは実家の歌が多いのかもしれない。
──実家の歌、ですか(笑)。
鴇崎:「春風」も「ホタル」も地元に帰って書いたんですよ。この2曲はどちらも地元にある土手をモチーフにしているんです。「ホタル」は、高校の時に初めて付き合った女の子とその土手沿いをよく歩いていたことを思い出して書いたんですよ。「春風」なんて、その土手に直接行って書きましたからね(笑)。兄貴の結婚式で地元に帰った時、アコギを持って土手で曲を作ったんです。地元に帰ると曲は出来やすいですね。環境を変えると曲が生まれやすいんだと思いますよ。
──本作でモチーフになっていることの多い“春”は、とかく環境が変わる季節ですよね。
鴇崎:確かに。春の歌で言えば、一番の自信作は「サクラと春、キミと僕」なんですけどね。暖かい春の歌ではないですけど。口当たりのいいサウンドだけど歌詞がちょっと物悲しかったり、そういう表現は意識していますね。全員が全員同じイメージを持ってしまうような曲は余り作りたくなくて、聴く人がいろんな想像力を掻き立てる曲作りをいつも意識しているんですよね。
──感情の起伏をストレートに表現することは余り好まないですか。
鴇崎:好まないと言うか…これでもかなり出ているほうなんですけどね(笑)。元々の性格がそうなんですよ。人から心配されたりするのが苦手だし、自分の弱い部分を人に見せたくないところがあるんです。すべてを言い切らないことを今は表現する上での美学としているのかもしれませんね。
──でも、聴く側に妄想の余地があるからこそ音楽は面白いものだし、鴇崎さんの美学にはとても共感が持てますよ。
鴇崎:まぁ、それもこの先変わっていくかもしれないですけどね。以前に比べて直接的な表現も増えてきたし、無理に限定することなくいろんなことをやってみたいし。元々英語で唄っていたバンドで、以前は歌詞にそれほど執着がなかったんですよ。歌詞を日本語にしてみて、言葉がメロディに溶け込んだ時の面白さも判るようになりましたからね。自分に対する説得力も格段に増したし。だから、音楽に関しては常にいろんな約束事から自由でありたいんですよ。
──最後に通り一遍のことを伺いますが、『リクノコトウ』というタイトルにはどんな意味が込められているんですか。
鴇崎:これも直感なんですよね。単純に言葉の響きが気に入ったのと、周りと一緒にされたくないという思いがあったんですね。小さい頃から自分だけは特別だと思っているところがあるので(笑)。
──仮に“リクノコトウ”に隔離されて、そこに携帯プレイヤーとCDしかなかったら、ただ愚直にその音楽と向き合うしかないじゃないですか。そういう感じでこのアルバムを聴いて欲しいという気持ちが込められていたりとかは?
鴇崎:ああ、それいいですね。そういうことにしておいて下さい(笑)。
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first full album
リクノコトウ
K-PLAN HKP-015
2,100yen (tax in)
2008.4.02 IN STORES
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Live info.
“リクノコトウ”RELEASE TOUR
4月26日(土)山梨 甲府KAZOO HALL(ONE-MAN)
5月9日(金)熊谷HEAVEN'S ROCK
5月10日(土)横浜F.A.D
5月11日(日)沼津WAVE
5月16日(金)仙台MACANA
5月17日(土)盛岡CLUB CHANGE WAVE
5月18日(日)宇都宮HEAVEN'S ROCK
5月24日(土)長野J
5月25日(日)新潟JUNK BOX
6月11日(水)京都MOJO
6月12日(木)高松DIME
6月14日(土)岡山CRAZY MAMA 2nd ROOM
6月15日(日)大阪 難波ROCKETS
6月21日(土)名古屋APOLLO THEATER
“リクノコトウ”RELEASE TOUR FINAL
7月4日(金)東京 渋谷O-WEST(ONE-MAN)
the court official website
http://www.thecourt.org