ギター バックナンバー

BORIS('08年3月号)

BORIS

“音楽”を超えて新たな“経験”となるロックの果てにあるもの

text:Muneyuki Shiina / editor in chief pix:Miki Matsushima



何のメッセージもないことがメッセージ


大文字名義の“BORIS”による2年振りのフル・アルバムは、ストレートに一言、『Smile』と題されている。 ロックの向こう側を突き抜けんとする強靱な意思の下に、常に先鋭的な作品を提示し続ける彼らのことだ。チャールズ・チャップリンの往年のヒット・ナンバーじゃあるまいし、文字通りの“微笑み”であろうはずがない。少なくとも満面の笑みではなく、口の端だけが上がるような不敵の笑みを意図しているのではないか? そういう穿った見方は活字稼業の悲しい性なのかもしれないが、まず直感でそう思った。 ところが、Atsuo(ds, per & vo)から返ってきた言葉はこちらが拍子抜けするほどに率直で簡潔なものだった。

「『PINK』を発表して以降、ずっとレコーディングを続けているし、それに乗じて海外ツアーも凄く増えてきて、メンバー全員が精神的にも体力的にも疲弊してきたわけですよ。そんな状況に置かれた中でも、最終的には笑顔になれればいいなと言うか…そんなニュアンスなんです。発表する作品にはいつも、その時々のドキュメンタリー的な要素がどうしても含まれてしまうんですよね」

アルバム冒頭の「メッセージ」という曲に“笑ってる 笑ってる 笑ってる ラリルリラルラ/ただ 笑っているんだ”という歌詞があるが、不安定なTakeshi(vo, ba & gt)の歌声も相俟って、何処かせせら笑っている冷徹さを感じる。疲弊しきった末の冷笑なのか? 苦境に立たされても笑みを絶やさないでいたいということか? それが彼らの“メッセージ”ということなのだろうか?

「『メッセージ』というタイトルの割には何のメッセージもないというのがメッセージなんですよ。“Smile”という笑顔の中身もカラッカラで何もなくなって、枯れ果てている感じですね。困難な状況の中でも笑みを絶やさないでいたいと言うよりも、そうであればいいな、っていう軽いものなんです」

なんだ、またこちらの深読みか。
いや、まだ油断は禁物だ。“ただ 笑っているんだ”と唄っておきながら、2曲目の「BUZZ-IN」は赤ん坊の泣き声で幕を開けるのだから、やはり一筋縄では行かない。 しかしよくよく考えてみれば、笑ったかと思えばすぐ泣くだなんて、まるでBORISの音楽性そのものじゃないか。泣いたかと思えば今度は耳潰しの大轟音とあばらに響くたまらない振動だ。 既存の概念を破壊し、自らの価値観や信じられるものを構築する。そして、それをまたいともたやすく破壊する。 あるいは、見ているアングルをほんの少しばかり変えてみる。それだけで日常が非日常に、モノクロがカラーに、カラーがモノクロにもなる。絡み付く固定観念の紐を解くことで心が疼く。弛緩した日常を一撃するスイッチが押されるか否かは、ほんの気の持ちようだ。己の内なる暗部に横たわる破壊欲がふと疼いた時、僕達は不用意にも勢い良くそのスイッチを押すのだ。そうすることで、間違いなく世界は変わる。 『Heavy Metal Me』というスリリングな映像作品集が目に映るものを通して“見えないもの”を見せることに意識を集中させる意図があったように、価値の転換を図ることで己の意識を覚醒させる作用がBORISの音楽性にはある。その覚醒の手段となる音の構築を彼らはこれまで一貫して追求してきた。 そうした志向性が本作『Smile』においてかなり突き詰められたのは、盟友・石原 洋(ex.White Heaven、The Stars)にプロデュースを委ねたことが大きい。石原の手によって、メンバーだけでは獲得し得ない新たな音像が表出したのである。

「石原さんには完全に丸投げしました。オーヴァー・ダビングや歌入れまで一通り自分達でやって、その後は石原さんに任せたきりだったんですよ。そういうケースは今回が初めてです。石原さんが卓の前に立ってフェーダーをいじりながらミックスをしたんですけど、ほとんどのチャンネルの音量はゼロだった。削ぎ落として削ぎ落とした結果、逆に表面的な部分だけしか残らなかったりとか、自分達では到底考えも付かないミックスでしたね。それが約半分。後は僕らがツアーに出ている間にミックスしてもらったんですけど、どういう訳か石原さんが凄く真面目にやってくれちゃったんですよ。『あの時はどうかしてた』とか言いながら全曲やり直してくれたんですけど、僕らの録った音をトリートメントしてくれちゃったと言うか、石原さんの作品にもなっていなかった。やっぱり、一緒にミックスをやった時のムチャクチャさが凄く良かったんですよ。だから、そのムチャクチャなところと真面目なところの両方から良い部分を集めて形にしていったんです」

今の自分達にとって一番新しいロック


ロックの中心に向けた作品の際には大文字の“BORIS”、ロックの外側に向けた音像の探究を試みる作品の際には小文字の“boris”と、ここ数年の彼らはその都度名称を使い分けてきたが、本作は“BORIS”と“boris”の最も良質な部分が有機的に溶け合った至上の作品だと言える。 徹底的にロックの中心を貫き通す一方で、微に入り細にわたって起伏に富んだノイズが随所に顔を出す。そのバランスがとにかく絶妙なのだ。 こうした相反する二物の要素を孕んでいるからこそBORISの音楽はスリリングの度合いを増し、我々を魅了し続けてきた。表記の選別はあくまで便宜的なものでしかなく、現在の彼らが志向する先は更なる高みにあるのだ。

「基本的に表記自体はどうでもいいんですよね。『PINK』の頃まではロック然とした感覚の作品を発表する時に大文字にしていたんですけど、今はそれよりも新しいロックというものを模索している段階なので。表向きには大文字と小文字の違いが徐々に認識されてきたし、それなら大文字でこういう作品を出してみようとか、新しい動きができるようになったのは良かったですけどね。表記云々を超えたところで、今の自分達にとって一番新しいロックとはこんな感じです、と言うか」

今の自分達にとって一番新しいロック──。
そう、『PINK』の発表前後からBORISはその地平に向けて自らの精度を上げることに腐心してきたように感じる。
その“今の自分達にとって一番新しいロック”を具体的に言うならば、
「消費され尽くされているロックの記号的な部分と、僕らが音を出す時にまだ言葉にもなっていないような感覚を持つ音像という相反するものを融合させて提示すること」であると、『PINK』発表時の本誌のインタビュー(2005年11月号)でAtsuo自身が答えている。
ただ、そうした“新しいロック”を志向する一方で、PYG(ピッグ)の「花・太陽・雨」という日本のロックのクラシック・ナンバーと呼ぶべき楽曲のカヴァーが本作に収められているのは興味深い。
今更説明する必要もないだろうが、PYGとはザ・スパイダースの井上堯之と大野克夫、ザ・テンプターズの萩原健一と大口広司、ザ・タイガースの沢田研二と岸部一徳(当時は岸部修三)というグループ・サウンズの黄金期を築いた精鋭達によって1971年に結成されたロック・バンドだ。当時はショーケン(萩原健一)とジュリー(沢田研二)という2大スターがツイン・ヴォーカルを取るスーパー・バンドとして大きな話題を呼んだが、結成の翌年にはなし崩し的に消滅した。
岸部が作詞、井上が作曲を担当したPYGのデビュー曲「花・太陽・雨」は、何処か哲学めいた詞と独特なサウンドで支持を集めた名曲で、あの『帰ってきたウルトラマン』の第34話「許されざるいのち」で挿入歌としても使用された。
Atsuo自身、この「花・太陽・雨」が単純に好きだったから取り上げたということだが、その背景にはバンドのオリジナリティと呼ばれるものを捨ててしまいたいという思いがあったようだ。

「『PINK』を出した辺りから、オリジナリティなんてもうどうでもいいなと思ったんですよね。そういうのがあるのだとしたら、どんどん捨てていこうと。このアルバムも、曲は全部誰かに書いてもらおうというアイディアが最初はあったんですよ。アルバムの1曲目が誰かのカヴァーだったら面白いなと思って。とにかく、どんどん捨てたいと思った。これだけツアーをやり続けてレコーディングを繰り返してきても、何をやっても結局自分達になってしまうんですよ。それがなんだか気持ち悪く思えて、そういうものからもっともっと離れたかったし、もっともっとスピードを上げたかった。その一環としてカヴァーをやってみようと。何の感情移入もなく“青春”を唄ってみたいと思ったりもしたし」

決まりきったあらゆる単位を捨て去りたい


全部が他人の曲というわけにはいかなかったものの、1曲だけそのアイディアは残った。第三者との共作はBORISにとって初の試みである。 壮大なスロー・ナンバー「君は傘をさしていた」(薄い膜の向こうで聴こえる前半のドラムは、まるで気怠い時間を刻む秒針のようだ)は、朝生 愛とのコラボレーションの末に生まれた、とてつもない叙情性と鈍い曇天色が交差する大作だ。朝生 愛という第三者の血が混ざることによって、崇高さすら感じる瑞々しい透明感を曲に宿すことに成功している。BORIS単体ならもっと視界不良で濁った透明感になっただろう。
朝生 愛は、Wata(gt, echo & vo)とのスプリット・シングル『SHE'S SO HEAVY』を昨年リリースし、この『Smile』同様にプロデュース:石原 洋/エンジニア:中村宗一郎という布陣で自作を発表している気鋭のソロ・シンガー。ゆらゆら帝国のシングル『美しい』とアルバム『空洞です』にもゲスト参加している。 本作には他にも、Boris with Michio Kurihara名義で『Rainbow』を発表してBORISと共に5週間にも及ぶ全米ツアーに参加した栗原ミチオ(The Stars、Ghost)、狂気の問題作として名高い『ALTAR』でBORISとコラボレーションを果たしたSunn O)))のスティーヴン・オマリーをゲスト・ギターに迎えるなど、近年の活発な異種交配が本作にフィードバックした内容となっている。
そうしてバンド以外の血流を意図的に体内に巡らせることによって、BORISはその高い記名性すらも放棄しようとした。

「『君は傘をさしていた』は、まず朝生さんから弾き語りのデモを頂いて、そこから広げていったんです。誰の曲なんだか自分でも判らないですね。それこそが狙いだったし、一番行きたかったところなんですよ。BORISらしさなんてまるでない、名前さえあればそれでいい、って言うか」

その「君は傘をさしていた」の後には、19分にも及ぶナンバー「      」が続く。「君は傘をさしていた」と連なるように始まり、まどろむ夢の中で浮遊するような幻想的なサウンドだ。終盤には地獄の断末魔のようなノイズ・ギターが延々と鼓膜に突き刺さる。その深い残響はまるで厭世観を強いるかの如き凶暴性に充ち満ちている。苦悶と音像がこの上なく“同化してる”、まさに“どうかしてる”。タイトルの表記がないことも含めて、やはり“どうかしてる”のだ。

「『      』はシークレット・トラックではなく、単にタイトルがないだけなんです。19分という曲の単位なんてどうでもいいし、アルバムという単位すらも、もうどうでもいいんですよ。そういう決まった単位をまず捨て去りたかった。『君は傘をさしていた』と『      』の間に挟んだ“曲中曲”みたいなものがあって、それは全く別のアルバムから持ってきているんです。アルバムのジャケットも、最初は『HEAVY ROCKS』と全く同じでもいいかな、なんて考えていたんですよ。新しいアルバムなのに、ジャケットは前に出たアルバムと全く一緒だっていう。ジャケットという単位もナシにしたいと思うんですよね」

あらゆる単位を捨て去ろうとする一方で、彼らが細心の注意を払ったのは曲間である。
収録された全8曲はそれぞれ独立していながらも、組曲の如き連なりを随所に配した本作では曲と曲を繋ぐ“間”の取り方にとりわけデリケートだったようだ。 曲間、それは文章で言えば行間である。小説、映画、演劇、絵画、彫刻、舞踏、そして音楽。あらゆる創造表現において行間は重視されるべきだ。外見ばかりにとらわれれば、奥行きのない平々凡々とした表現に堕するしかなくなる。行間を重んじればこそ、緊張と緩和が激しく交錯する芳醇な表現が生まれるのだ。

「最初は『花・太陽・雨』でアルバムを始めようと考えていたんですけど、『メッセージ』のミックスが終わった時に“ああ、これだな”と。それで曲順が変わっていったんです。アルバムの流れはいつも早い段階でほぼ決まっているんですよ。でも、曲順よりも曲間のほうが凄く重要なんですよね。曲間を作ると、そこでもう作品の全体像が見えてくる。曲の雰囲気すべてを台無しにしてくれるSEとか、そういうのは歌入れの前から入っているんです。逆に、『放て!』は『BUZZ-IN』が終わらないうちに始まっているんですけどね」

ニセモノであることが自分達のアイデンティティ


そのイントロから不意を衝かれ、従来のBORISサウンドと懸け離れた無機質なビートが終始刻まれる「メッセージ」、ノイジーかつ性急なギターが耳をつんざく「BUZZ-IN」、凄まじい音圧とささくれ立った轟音が天衣無縫に炸裂する「放て!」と、アルバムは畳み掛けるように一息に聴き手の体温をグッと上げる。「放て!」のエンディングでは脈打つ鼓動の向こうから穏やかに爪弾かれるアコースティック・ギターの音色がこだまし、「花・太陽・雨」がある種の神秘的な世界を醸し出す。
そして、歪なこと極まりないギター・ノイズを背に流麗で清々しいメロディが奏でられる「となりのサターン」という異色なナンバーがアルバムの中盤に据えられる。誤解を恐れずに言えば、BORIS meets YMOとでも言うべきポップさに溢れた楽曲だ。

「TakeshiはYMOが大好きですけど、特に意識したわけではないです。ただ、敢えて言えばドラムがループを使っているからそう感じるのかもしれませんね。今回はそういうテクノロジーも積極的に使っているんですよ。生バンドの演奏である必要もないと思ったし、生バンドという単位すらも飛び越えてみたかったんですよね」

けたたましく轟くヘヴィなアンサンブルと、それをまるで意に介さない涼しげなヴォーカルが共存する「枯れ果てた先」のような曲もある。唄われるメロディが胸を締め付ける哀切に彩られているのも、二律背反を身上とするBORISならではの妙技である。それは、疲弊していながらも微笑んでいられたらというアルバム・タイトルにも通ずるのかもしれない。

「常に相反するものが同時に在ることを意識していると言うか。それは僕自身の性格なのか、自然とそうなってしまうんです。凄く醒めている部分とサディスティックな部分がいつも同時に在るんですよ。スイッチが入る感じではなく、常に共存しているんです」

毎回物欲を掻き立てられるこだわりのアートワークだが、今回はアルバムの内容と同様…いや、それ以上にかなり常軌を逸した仕様となっている。 ケースは透明イエローのヴィニール素材で、その内側にあるウレタンをハート型にくり抜いてある。更に、封入される歌詞カードは黄色いトレーシング・ペーパーにするという徹底ぶりにはいつもながらに感服だ。感服は感服なのだが、日本のヘヴィ・ロックを背負って立つ強面バンドのアルバム・ジャケットが、よりによってチープ極まりない“ハート型”なのである。やはりこれは“同化してる”し、“どうかしてる”としか言い様がない。こうしたユーモア感覚はバンドが本来持ち得た側面ではあるのだが、ここでも彼らは自分達にまとわりつく従来の匂いを払拭しているように思える。

「イメージとしては、買うのをはばかるようなモノにしたかったんですよね。普通の人はBORISなんて知らないだろうから、パッと見て可愛く感じてくれる人もいるだろうし、BORISと意図的に距離を置いている人は絶対に買えないアイテムでしょうね。逆に、BORISのことを本当に好きな人にはとても喜んでもらえると思いますよ。いろんな意味で踏み絵となる作品ですよね。自分はどうしても突き付けてしまう性格と言うか、いつも相手に対して覚悟を求めてしまうんです」

前作『PINK』のジャケットは毒々しい極彩ピンクだったが、本作は煌びやかな蛍光イエロー。「メッセージ」の歌詞にも“結露したのか 蛍光イエロー”というフレーズがあるが、この歌詞が出来上がる前から本作のジャケットはイエローにしようとAtsuoは考えていたようだ。

「海外でツアーをしていると、自分達が日本人だということを改めて強く感じるんですよ。いわゆる日本人観ではないんですけどね。僕らの場合、音楽にしても映画にしても、ニセモノばかりを聴いて見て育った世代だと思うんです。物心がついた時にはもう、ニセモノばかりに周りを埋め尽くされていた。で、自分達もそうなんだなと思って。ニセモノばかりを聴いて見てきた自分達を思いきり前に出すことで、海外のバンドと初めて対等でいられるんじゃないかと。ニセモノであることが僕らのアイデンティティになってきていると言うか、そんな日本人を象徴している色はイエローだろうと。頭のてっぺんから爪先まで日本人ですよ、と」

音楽なんて何処にもない、音なんてなくてもいい


この最新作のアートワークには使用されていないが、最近使われているBORISのロゴはサンフランシスコのブラックメタル・バンド、VONのロゴを模倣したもので、Atsuoが定規を使って20分ほどで作り上げたシロモノだという。Atsuoいわく、VONとは「音もジャケットも凄くしょぼくて最悪なバンド」なのだそうだ。

「一言で言えば、酷いです。コード・チェンジも自分が納得しているだけだし、素人中の素人なんですよ。演奏力に関しては僕らも素人なんで、人のことは言えないんですけど。でも、そういうナシなものが今は自分の中でグッとくるんです。格好いいロックなんてもうどうでも良くて、一般的に見てもナシなものに惹かれる傾向にありますね。今まで多種多様の音楽を聴き続けてきて、自分で音源を出してツアーもやって、スマートなロックにはもう飽き飽きなんですよね。逆に全くナシなくらいのものじゃないと目新しさを感じない」

Atsuoの言う“ナシなもの”というのは、たとえば中古レコード・ショップの“エサ箱”で十把一絡げにされて埋もれているような音楽を指す。一度は隆盛を極めたものの、すぐに飽きられ今や忘れられ、目を背けられている類のものだ。 時代の徒花と揶揄されたニューロマンティックと呼ばれる音楽が巡り巡って近年再評価を受けたりしたが、その種のものではない。敢えて挙げるならば、同じ日本人による音楽がやはり一番生々しい。たとえば、80年代末期から90年代初頭にかけて一時代を築いたいわゆるバンド・ブームの中で、大衆路線をひた走った末に消耗されたバンドを想像してもらえれば判りやすいだろう。
その手の音楽に今改めて触れて“ナシだよな、これ”と感じたり、思わず凍て付いてしまうあの感じ──それこそが本作『Smile』のキャッチコピーである“寒気がする”に通ずるものなのだ。「格好悪い」と口にするのもはばかられて、ただただ見入ってしまうしかない感覚とでも言えばいいのだろうか。本作に収められた幾つかの楽曲やアートワークは、“ああ、やっちゃったな”というニュアンスが多分に込められているのである。
とは言え、そういった制作サイドの意図や背景はさておき、収録された楽曲はどれもヴィヴィッドで尖鋭性は失われておらず、理屈抜きに楽しめるものだ。現代における一番新しいロックのひとつの在り方として聴き手の五感を十二分に刺激するものであり、“ああ、やっちゃったな”どころか、むしろ“よくぞやってくれた!”と快哉を叫びたいくらいの出来なのだ。「自分達と世間との間に認識のズレが起こってるんでしょうね」とAtsuoは笑うが、どれだけ控えめに言っても傑作であることだけは間違いない。
ただし、“ナシだよな、これ”と言ってもバンドがこだわりを捨て去ったと取るのは早合点であり、今なお徹底して自身の音楽性にこだわって突き詰めていったがゆえに“ナシだよな、これ”という境地に達したのではないかと僕は思う。
自分達の中で徹底してナシなものを作っていったら、世間は諸手を挙げてアリだと迎えたのだ。評価の面でもまた、相反するものの共存という彼らの常が見え隠れする。

パソコンや携帯電話から手軽に音楽がダウンロードできる昨今は、まさに配信全盛の時代である。そんなことを今更声高に言わなくても極々当たり前の世の中になった。 しかし、そんな現代と逆行するようにパッケージの意義にこだわり、音作りと同等のテンションで(時にはそれ以上に)徹底して緻密なアートワークを構築しようとする彼らに対して、僕は深く激しい共鳴を覚える。
彼らが手掛ける秀逸なパッケージは我々の物欲を大いに掻き立てるものだし、国内外にBORISの熱心なコレクターが数多く存在するのも至極納得できるのだ。

「海外で広く受け入れられているのはよく判りますよ。彼らは車がないと生活ができない不便な場所に住んでいるし、ライヴへ行くにも3、4時間掛けてドライヴして行く。自分が身をもって“経験”することが日々当たり前のようにあるんですよね。それに比べて、日本人は基本的に不便さを知らない。便利さに囲まれて漫然と暮らしているから、音楽を聴くといっても、ただ音を確認するだけなんです。
パッケージを作るのはいつも純粋に面白いし、リスナーの“経験”のきっかけを作っている感覚ですね。今はあらゆる情報がネットで得られますけど、データを確認するのが音楽を聴くことじゃない。誤解を恐れずに言えば、音楽を聴く行為は音楽そのものを聴いているわけじゃなくて、音を聴くことでいろんな“経験”をしているに過ぎないんです。コレクターと呼ばれる人達は収集することが目的で、音楽を好きで聴いているわけじゃないし、そういう“経験”が好きなだけなんですよ。そう考えると、音楽なんて何処にもないんじゃないかと思うんですよね。突き詰めて言うと、音なんてなくてもいいんじゃないかと今は思います。音源の入っていない作品を作ってみるのも面白いと思うし。ライヴでも、ステージにメンバーが立って何も演奏しないで帰るとかね。でも、ちゃんとセッティングしてサウンド・チェックはするんですよ」

ロックや音楽をもっとメチャクチャにしてやりたい


「音楽なんて何処にもない」と言いつつ、彼らが音楽に対して否定的なわけでは決してない。
厳密に言うならば、否定することで愛するのだ。彼らにとって、徹底的に否定して最後に残ったものが音楽なのである。
自戒を込めて書くが、音楽に対するリスナーの求心力が低下していることは確かに否めない昨今である。僕自身、部屋で音楽を聴くのは音量を低くしたテレビでニュースを見ながらが多かったりするし、会社でもiTunesで音楽を聴きながら仕事をする。移動の合間には携帯型デジタル音楽プレイヤーを重宝する。歌詞カードを手にしてステレオから流れる音楽とじっくり対峙する機会が、十代の頃に比べれば格段に減ったことは確かだ。
ただ、そういったじっくりと対峙したくなる音楽とは、昔に比べて向き合う時間も馳せる思いもより深くなったように感じる。何事も差し置いて集中したいと感じる音楽だからこそ、もっと大切にしたいという思いがはたらくのだろう。
BORISの最新作『Smile』には、それと同じ思いを呼び起こす強い力がある。
多感な思春期にロックに刻まれた時のピュアな思いや、見てはいけないものを見た時に脈拍が早まる感覚、体中が熱くなって居ても立ってもいられない焦燥感。もしくは、“こんなムチャなことをやってもいいんだな”と感じて知覚の扉が開かれる瞬間。 『Smile』という作品に接する時、そんな感情が僕の中で鮮やかに蘇る。それはきっと、目に見えない音と目に見えるパッケージの総合力によるものなのだと思う。
活字を生業にしている身として“ナシだよな、これ”という言葉を敢えて使うが、ドキドキワクワクしてしまうのだ。 少なくとも、この『Smile』には収録時間である1時間強をこの作品のためだけに過ごしたいと思える強い占有力がある。

「『Smile』を聴いてくれる人が、その生活の中で“経験”する時間を少しでも持てたら嬉しいですよね。それは聴いてくれる人が僕らの作品に参加していることだと思うし、誰かが参加できる余地を残すためにも自分達のオリジナリティみたいなものはどんどん削除するべきなんですよ。そうやってどんどん捨てていきながら、最終的に残ったものを求めているんでしょうね。それで消えちゃうようなものならどんどん捨てるべきなんです。
ライヴでも、重要なのはオーディエンスに会いに行くというコミュニケーションの側面なんですよ。演奏の内容云々は余り関係ないのかもしれない。僕らがプレイしても、オーディエンスに聴こえているのはその人の記憶の中の音だったりするじゃないですか。それでも全然構わないと僕は思うし、同じ時間と空間を共有することが一番大事なんです」

アルバムの制作もライヴ活動も、すべてがコミュニケーション。 一見、そんな言葉の極北に居るように思える彼らが、こうして特異な音楽性と特異なスタンスで奔放に創作活動をしているのが僕は嬉しく、日本のロック・シーンもまだまだ捨てたもんじゃないと素直に感じる。

「ロックや音楽をもっともっとメチャクチャにしてやりたい。それが僕らなりの求め方なんですよ」

より良い世界を望むのなら、まずは自分から行動を起こしてみる。
より良い世界を望むために、彼らは愛してやまないロックという表現の在り方に容赦なく牙を剥く。際限まで牙を剥く。
この文章を読んでいるあなたも僕も、牙を剥かなければならない場面というのが様々な局面であるはずだ。
やがて牙が衰えて抜けてしまい、もはやこれまでかと観念する瞬間がいずれはあるのかもしれない。
その観念した瞬間の自分の表情が、微笑んでいられたらと思う。
抜けてしまった牙は二度と戻ってこないが、微笑むことで自分の内なる世界は確実に変わる。それが新たな“経験”となるのだ。
『Smile』とは、その新たな“経験”のささやかなきっかけを与えてくれる実り豊かな作品なのである。

【BORISの皆さんからWEB限定素敵なプレゼントがあります!】





New Album
Smile

DIWPHALANX Records/Daymare Recordings PX-173
3,000yen (tax in)
01. メッセージ
02. BUZZ-IN
03. 放て!
04. 花・太陽・雨
05. となりのサターン
06. 枯れ果てた先
07. 君は傘をさしていた
08.  
2008.3.07 IN STORES
プロデューサーに石原 洋(ex.WHITE HEAVEN/THE STARS)を迎えた、大文字名義の“BORIS”による2年振りのフル・アルバム。全世界に先駆けて日本先行発売。全世界で5万枚のセールスを記録した前作『PINK』(DIWPHALANX PX-135)に続き、バンド史上に残る衝撃的問題作にして最高傑作。

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Re-Mix 12inch Single

メッセージ/Floor Shaker
DIWPHALANX Records/Daymare Recordings PX-178
1,365yen (tax in) 限定1,000枚プレス
2008.3.07 IN STORES
『Smile』と同時発売となる限定1,000枚プレスの12インチ・シングル。『Smile』収録曲である「メッセージ」、海外で先行発売された7インチ・シングルのB面曲
「Floor Shaker」の両A面扱い。石原 洋の手による、ダンス・ミュージックの概念を根底から覆す驚愕のRe-Mix!! フロア激震!!

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7inch Single

Statement/Floor Shaker
Southern Lord Recordings (USA)
IN STORES NOW
『Smile』に先行してアメリカで発売された7インチ・シングル。日本国内でも一部輸入レコード店に入荷されている。収録曲はアルバムとは別ミックスの「メッセージ」と「Floor Shaker」の2曲。「Floor Shaker」はアルバムには未収録であるものの、バンド史上に残る問題作にしてキラー・チューン必至の名曲のため、必聴。
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BORIS official website
http://homepage1.nifty.com/boris/

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