すばらしいこの世界にGood morning!
すべてのPunk Loversに捧げる至上のロックンロール!
昨年、めでたく結成10周年を迎えたブージー・クラクションが遂に動き出した。堂々と自らのバンド名を冠したブージー史上最高傑作の発表から早2年と3ヶ月、『Good morning, Punk Lovers』と題されたしなやかで逞しいオリジナル・アルバムが満を持してリリースされる。怒髪天の増子直純が主宰する“Northern Blossom Records”からの第1弾アイテムとなる本作は、メンバーが表現と対峙するモチベーションとバンド本来の資質を徹底的に見極め、七転八倒した末に確固たるアイデンティティを真の意味で獲得した初のアルバムだと言える。だからこそ、確信に充ち満ちたその力強いビートとメロディは煌々と輝きを放って聴き手の感受性に突き刺さる。もう迷いなんて吹っ切れたとは言わないし、とても言えない。むしろその迷走っぷりは加速の度合いを増す一方である。でも、その迷走を手玉に取って仲良く付き合って行こうじゃないか
。そんなささやかな希望に手を伸ばそうとする意志が本作には確かに通底しているのだ。今日もブルーにこんがらがったまま、相変わらず神様は留守のままで我々は中だるみした日常を往く。時には天を仰いで唾したり、泥濘に足を取られて自暴自棄になったりするかもしれない。そんな時は迷わずにこの『Good morning, Punk Lovers』を聴けばいい。まるで傷だらけのガラス玉のような歌々がそっと優しく寄り添ってくれるはずだから。そしてその歌はこう語り掛ける。どれだけしょぼくれたって精一杯カッコつけていれば何とかなるもんだよ、大丈夫、と。(interview:椎名宗之)
pix:平沼久奈
もっとオープンに、いろんなことに挑戦したかった
──2007年はバンド結成10周年を迎えた記念すべき年でしたが、ライヴもリリースも大きな動きがありませんでしたよね。これには何か意図があったんでしょうか。
鈴木:できればそういう動きもしたかったんですけど、それができる状態じゃなかったと言うか。今回のアルバムを作る準備をしていた時期だったし、単に10周年ということだけでライヴを切るのはどうかと思うところがあって。次にちゃんとした展望を考えた上でライヴもリリースもしたかったんですよ。まずはその態勢を整えるのが第一だったんです。
笈川:最初のうちは10周年に絡めたライヴをやろうという話もあったんですけど、その前にまずは10周年という節目に“これだ!”と思えるアルバムを作って出そうと。まぁ、結局は間に合わなかったんですけど(笑)。
──新曲はコンスタントに出来上がっていたんですよね?
笈川:ええ。曲は作り続けていて、いつでもレコーディングに入れる状況だったんです。そうこうしているうちにツアーで怒髪天と回って、その時に増子さんが新しくレーベルを始めるという話を聞いて、有り難いことに声を掛けてもらって。そんな話もありつつだったので、ヘンに急いで年内に出すよりも、ちゃんと準備をしてから年明けにいいものが出せればいいんじゃないかという流れに落ち着いたんです。
──今回、増子さんの主宰する“Northern Blossom Records”から新作を発表するのは、
笈川さんが今仰ったように去年の春のツアーで増子さんがブージーのライヴを観たのがきっかけだったそうですね。同じ北海道出身で、以前から交流はあったんですか?
鈴木:怒髪天は大先輩だし、地元にいた時期がズレているんですよ。直接会って話すようになったのは東京に出てきてからですね。初めてお会いした時、増子さんは顔が真っ赤っかでしたけど(笑)。
──去年の春以前に、怒髪天とライヴの共演は余りなかったんでしたっけ?
鈴木:去年が初めてだったんですよ。増子さんは一度話すと凄く近しく感じる人なので、何となく共演していた気にはなっていましたけどね(笑)。
笈川:後輩としては畏れ多いところもありますからね。増子さんはそれだけのパワーを持った人だし、人間的にも憧れますよね。ああいうふうに誰にでも優しく接することができるのを見ると。
──レーベルとマネージメントを兼ねた“ZubRockA RECORDS”自体は機能を停止したわけではないんですよね?
鈴木:ブージー=ZubRockAみたいなものなので、基本的にメンバー4人でやっているスタンスは変わりません。ただ、レーベルが2つあると受け手が混乱してしまうだろうし、レーベルのほうはしばらく休もうという感じなんです。
──“Northern Blossom Records”というレーベル名を聞いた時はどう思いましたか。
鈴木:ド直球だな、と(笑)。ここまで思い切り“北”と言っちゃっていいのかなって(笑)。
笈川:俺達としては嬉しいですけど、北海道出身じゃないバンドの作品をリリースする時にどうするんだろう? と(笑)。
──今回発表される『Good morning, Punk Lovers』は、“Northern Blossom Records”からリリースすることを前提に制作に入ったんですか。
鈴木:レコーディングはそうですね。次のアルバムを出すにあたって、去年の初めの頃から曲は作り溜めしていたんですよ。音楽環境も、作っていく曲も、それまでは偏らせて作っていたところがあったんですけど、それを一度やめてみたんです。もっとオープンに、いろんなことに挑戦してもいいんじゃないかと思ったし、メンバーの思惑を越えたところで第三者の意見を聞きながら作品作りをしたかったんですよね。そんな時に増子さんが声を掛けてくれて、凄くいいタイミングだし、増子さんなら是非にと思ったんです。増子さんと一緒にいるスタッフも信頼できると思えたし、この環境なら凄くいいんじゃないかと。
──2005年に“ZubRockA RECORDS”から発表した『BUGY CRAXONE』は、特にコンセプトを設けずに曲単位のクォリティを上げることに腐心した高い完成度を誇る作品でしたが、あのアルバムを聴いた時にバンドがようやく自分達のペースで納得の行く作品作りができる環境を得たように感じたんですよ。だからその後はコンスタントにリリースが続くのかなと思ったんですが。
鈴木:『BUGY CRAXONE』を発表した後のツアーは、丁寧に回りたかったので2、3周したんですよ。その過程で自分達の考え方が進んでいったことも関係していますね。
笈川:前作を完成できたことで、バンドに対して大きな自信を持てるようになったんです。それならもう少し活動自体の間口を広げても軸はブレないんじゃないかと思ったんですよね。
──一昨年の10月に発表したライヴ・アルバム『THE BGC SESSIONS』を聴くと、『BUGY CRAXONE』で得た自信が確信に変わったのが如実に窺える力強いプレイに充ち満ちていますよね。
鈴木:ああ、あのライヴ(2006年4月15日、下北沢シェルター)は良かったですね。自分達がライヴ盤を出すなんて思ってなかったですけど。私自身がライヴ盤を買うようなリスナーではなかったので。
中立の立場が一番自分らしくいられる
──『Good morning, Punk Lovers』の収録曲は、結果的にこれまでになく長いタームで練り上げたものが多いわけですよね。
鈴木:そうですね。怒髪天と回っていたツアーで既にやっていた曲もあるし、その前の年に新宿ロフトのワンマンでやった曲もあるし。
──前作同様、1曲ごとの精度を上げることに特化したアルバムと言えますよね。そのアプローチをよりラフに、よりストレートに打ち出したと言うか。演奏もいい具合に肩の力が抜けた感じで、それが好作用していると思うんです。
鈴木:肩の力が抜けたと言うよりかは、自分の中で有りか無しかで無しにしていたことに挑戦してみたかったんですよ。これは無しだな、と決め付けて狭めていた幅を有りにして広げたかったんですよね。それは理由が2つあって、ひとつはバンドとしてライヴに一定の自信を持てるようになったこと。もうひとつは全く逆で、一個人としては“もう降参”って言うか…。これまでは偏らせなければいけないっていう感覚が自分の中に凄くあったんです。ラモーンズで言えば8ビートの曲しかやらない、本当は他の曲もできるけどやらない、というような。自分でもそう在るべきだと思っていたんですけど、私はそういう音楽の突き詰め方ではないのかもしれないと考え始めたと言うか…薄々気付いていたけど、“いやいや、まだまだ!”と突っぱねていたところがあった。でも、もっと自分らしいところをいい加減直視してもいいんじゃないかと思うようになったんですよね。
──いつの間にかブージー・クラクションの鈴木由紀子を必要以上に演じるようになっていた、ということですか?
鈴木:いや、ロックを突き詰めようと躍起になっていたとでも言うんですかね。歌詞の面で言えば、基本的に弱音を吐かないというのがずっとあったんです。泣き言を歌詞にしないと言うか。でも、自分はやっぱり中間の人間なんだと思って。今までは右か左かどちらかに振り切らなければいけないと考えていたんですけど、右に行っても左に行っても居心地が凄く悪かった。じゃあ、もういいやと。常に中立でいよう、それが一番自分らしいなと。そう思えるようになって、歌詞でもそこをちゃんと書こうとしたんです。3曲目の「Good day」に“「yeah!」なんて僕に言うな 僕は全部知ってるんだ”という歌詞があって、そんな負け惜しみを言葉にするなんて以前なら考えられなかったことなんですよ。
──そうした境地に達したのは、何がきっかけだったんでしょう。
鈴木:何年もバンドをやってきていろいろと気付くことがあったし、もっと伸び伸びと歌を唄おうと思ったんです。前作のツアーを回っている時に、「もっと歌の響くアルバムを作りたい」ってメンバーと話していたんですよ。ただ、そこもやっぱり中間で、誰が聴いてもいいメロディなんてどんなものかはっきりと判らないし、かと言って凄くサウンド寄りになるわけでもない。1曲の構成でも、ギター・フレーズの比重が少しでも多くなれば歌がそっちに寄るだろうし、その中間のちょうどいいバランスを探すのがブージーのオリジナルなんだなと気付いたんですよね。
──そういう意味での中間、中立というスタンスは、己の資質に忠実であろうという真摯な姿勢の表れと言えますよね。
鈴木:まぁ、ひとまず安心はしていますね。そんなスタンスで曲が出来て歌詞が出来て、自分で聴き直しても素直にいいと思えたし、いろんな意味で理想的なものが作れたからホッとしています。
──「今回のアルバムを作るにあたって、笈川節がとても重要になると思っていた」と
鈴木さんが本作の資料で言及していましたが、この“笈川節”とは具体的に言うとどんなものなんでしょうか。
鈴木:それも前作のツアーの時から思っていたんですけど、ヘンだと判らないヘンさがあるって言うか。突飛なたとえですけど、昼間に街中を裸で歩いていたらヘンじゃないですか? それが笈川君の場合、普通の格好をして歩いているのにどこかヘンなんですよ(笑)。ストリングスを入れて、如何にも“泣かせます”という感じにしない泣きの曲を作ると言うか。じんわり来るタイプの曲でも、どこか懐かしくて知ってる肌触りがあるんですね。そういう笈川君の作るメロディや雰囲気を主軸に置いたアルバムにしたかった。バンドのアレンジは常に笈川君が中心となっているから、そのアレンジ力を最大限活かしたかったんです。
──笈川さん自身は“笈川節”をどう捉えていますか。
笈川:どうなんでしょうね、別に極端なことをするわけでもないし…。前作の時は4人の個性が横並びになったアルバムを作りたかったんですよ。だからジャケットも4人が均等に並んだものにしたし、歌もひとつの楽器として存在していたんです。今作は由紀ちゃんの歌なり、詞なり、メロディをもっと真ん中に引き寄せたかったんですよね。4人全員が同じ背丈じゃなくてもいいバランスって言うか、そこを今もちょっとずつ見つけ出している感じですね。
喜怒哀楽のどの感情からも微妙に距離を置く
──そうした意識の変化は、2、3周したツアーで培った成果なんでしょうね。
鈴木:そうですね。私の場合、ヴォーカルというポジションから逃げていたなと思って。やっぱり真ん中にいるわけだし、ちゃんとヴォーカルというポジションを背負わないとダメだなと。
──その決意の表れが本作ではヴォーカルに如実に出ていると思いますけどね。潔く堂々と“クソったれ!”と吐き出していると言うか。
鈴木:そうですか?(笑) 昔のほうが“クソったれ!”と思っていたかもしれない。今は余りその渦中にはいないかもしれませんね。喜怒哀楽のどの感情からも微妙に距離を置いていると言うか、激しく怒ったり激しく笑ったりすることを今は好まないかもしれないです。1曲目の「Come on」の中にある“言いたい事全部話すって 楽らしいけどちょっと苦手さ”という歌詞はホントにそうで、本来はそんなことを敢えて口にしなくてもいいわけじゃないですか? そういう気持ちを歌の真ん中にした曲があってもいいし、そういうことを唄うバンドがいてもいいよなって言うよりは、もうしょうがないって言うか、そうするしかない。それがさっき言った“降参”なんですよ。言いたいことがないとも言えないし、言いたいことがあるとも言えない。基本的に消去法的発想なんですよ。これでもない、あれでもない、じゃあ何? って言われて、うーん、と考える。“こんな感じ”っていう選択肢はあるにはあるんだけど、それは言葉として主張にすらならない。そういうところを音楽にしているんです。
──主張にすらならないけど、日常生活の中で誰しもがふと思うことを平たい言葉で歌詞にしているから、凄くリアルで説得力があるんじゃないですかね。
鈴木:それはあるかもしれませんね。生きるとか死ぬとか極端なことを歌詞にするよりは、生きたいのか死にたいのかわかんないって書いたほうが私は凄くホッとするんです。
──札幌にいた頃を思い出して書かれたという「FAST」の中に“やっぱりまたここか”という歌詞がありますけど、誰もが抱える日常の閉塞感、行き場のない堂々巡りを端的に言い表していると思いますよ。
鈴木:東京に出てきてバンド中心の生活を始めて、いろんなことに挑戦して、考え方も日々変わっていって、いろんなものを築き上げてきたのに、やっぱりまだここにいるんだ、結局また同じことなんだ…そんなことを、このアルバムを作る前に強く感じていたんですよ。自分は成長した気でいたけど、結局何も変わっていないじゃないかっていう。愕然としましたけど、その思いを曲にできて良かったと思っています。
笈川:由紀ちゃんの書く歌詞には、単館でやっているフランスの短編映画っぽいところがあると言うか、じわじわ来る感じがどの曲にもあると思いますよ。
──その歌詞を活かすサウンドのアンサンブルは有機的に溶け合って、躍動感に充ち満ちていますよね。笈川さんのギター・プレイが冴え渡っているのは言うまでもなく、今回特筆すべきはボトムを支える旭さん(旭 司、b)とモンチさん(ds)の確かな演奏力だと思うんです。
笈川:2人とも特訓していましたからね(笑)。前作を作り終えた後に自分のプレイについて各々思うところがあったと思うし、それを自覚して行動に移し始めることができたんじゃないですかね。前作のレコーディングの時は、旭君が大袈裟に言えば“化けた”んですよ。その意味で今回はモンチが“化け”て、ひとつ山を越した気がするんです。
──硬質なリフでグイグイと引っ張っていく「How are you?」や「Hello」といったシンプルでストレートな楽曲では特に、ベースとドラムの堅実なプレイが光っていますよね。
鈴木:確かに、モンチは最近凄く頼もしいんですよ。
笈川:みんな少しずつ、でも着実に進歩していますから。「くたばれ センチメンタル」は旭君が持ってきたフレーズを中心にアレンジを固めたんですけど、そんなケースは初めてでしたからね。初めて持ってきた曲だから歪なところはいっぱいあるんだけど、その歪さが面白いんですよ。自分では絶対にそういう曲は書けないですし。
──モンチさんが曲を持ち寄ることはまだないですか?
笈川:持ってこようとしていますよ。家からギターを持ってきましたから。まぁ、まだ当分掛かりそうですね(笑)。でも、個人的に凄く楽しみにしていますよ。
──素朴な疑問なんですが、「Come on」や「How are you?」では“あたし”、「Good day」「くたばれ センチメンタル」「グリンゲーブルス」「DA・DA・DA」では“僕”と、歌詞の一人称を書き分けていますよね。これは鈴木さんの中にある女性っぽい部分と男性っぽい部分がそれぞれ表出する度合いに応じて分けているんですか。
鈴木:いや、完全に曲に準じています。どっちを使ったほうが人間くさくなるかな? というのが判断基準なんです。性別に関係なく1人の人間であるというところを表現したいので、男っぽく見えるのも女っぽく見えるのも避けているんですよね。
同郷の大先輩からの有益なアドヴァイス
──なるほど、その意味でも“中立”なのかもしれませんね。ちなみに、レーベルのオーナーはどれくらい本作に関与されているんですか?(笑)
鈴木:レコーディングには割と頻繁に足を運んでくれて、「イイじゃん! イイじゃん!」と(笑)。
笈川:増子さんは褒めるのが上手いんですよ。そういうところも憧れるんです。人の良いところを瞬時に見抜いて、ズバッと言い切りますからね。あれは凄い。
──歌に関してアドヴァイスをしてくれたりとかは?
鈴木:そういう直接的なことよりも、2、3テイクある中からどれが一番良かったかを言ってもらったりとかですね。「この部分はこっちのほうが良くない?」とか、そういう意見を伺いました。でも、結構こっちの我を通してしまったんですけど(笑)。「その部分はこっちを使うと泣きに聴こえるのでイヤです」とか(笑)。
笈川:増子さんは歌入れの時に結構来てくれて、バックの時は(上原子)友康さんがほぼ毎日来てくれたんですよ。友康さんは楽器の置き所や音色の持って行き方とか、細かいことを教えてくれましたね。ヘンな話なんですけど、友康さんに「笈川君、あのギター・ソロはないよねぇ」って言われる夢を見たことがあって(笑)、その次の日にトラック・ダウンをしている時に友康さんが「このギター・ソロ、イイよねぇ」って言ってくれたんですよ。夢でダメ出しされたギター・ソロを褒めてもらったので、凄くホッとしたんですよね(笑)。あれはびっくりしました。
鈴木:コーラスをいろいろ試して録ってみたんですけど、結局要らなくてエンジニアの方に手間と時間を取らせてしまったことがあったんですよ。その話を友康さんにしたら、「コーラスが要らないのは、その役割をギターがちゃんと果たしているからなんだよ」って音楽理論に則った解説をしてくれて、かなり衝撃的だったんです。私はコーラスが余り好きじゃなくて、自分の好みで歌一本に執着しているんだろうなとずっと思っていたから、友康さんにそう言ってもらってちょっとホッとしたんですよ(笑)。
笈川:由紀ちゃんの声を重ねたのもほとんどなくて、ライヴでやっているのと同じ感じと言うか。いろいろ試してはみたんですが、一番しっくり来るのはやっぱりシンプルな形だったんですよね。
──歌もサウンドも、極限までシンプルに削ぎ落とすことがひとつのテーマだったんですか。
鈴木:いや、せっかくレーベルも移籍したことだし、いろいろやってみようという気持ちは最初に凄くあったんですよ。コーラスもそうだし、ピアノを被せてみたりとか。でも、結果的にはそういうのも要らなかったんですよね。やる気はあったのに、愕然としましたよ(笑)。(笈川に向かって)鍵盤は“しゃらくさい!”って感じだったよね?
笈川:うん。頭の中ではハマっていたんですけど、いざ鍵盤を入れてみたら全然要らないな…と思って。
──大らかでメロディアスなクリスマス・ナンバー「No.9 Punk Lover」で鍵盤を合わせてみようと思ったんですか。
鈴木:そうです。
──やっぱり。鍵盤とは相性が凄く良さそうな曲ですけどね。
鈴木:ええ。でも、やるなら思い切りゴージャスにやらないとダメだなと思って。凄く中途半端だったのでやめました。
──「No.9 Punk Lover」の“No.9”は9曲目ということもあるんでしょうけど、歌詞に出てくる「第九」(ベートーヴェンの「交響曲第9番」)と掛けているんですよね。9という数字は、鈴木さんにとってラッキー・ナンバーなんですか?
鈴木:いえ、全然。“ナイン”っていう響きは好きですけどね。「第九」という言葉が凄く好きで、曲自体も好きなんです。この1年ほど、この「第九」とかクラシック音楽を自分が好んで聴いているのに気付きましたね。普段からごくごく自然に頭の中で鳴っていますし。
──“Punk”という言葉をストレートに用いるのも、これまでには見られなかったことですよね。
笈川:そう、だから最初は“いいのかな?”って思いましたよ。自分はパンクに対して思い入れが凄く強いし、クラッシュやモッズとかが音楽体験の入口としてありましたから。でも、アルバムが完成してから“Punk”という言葉を出してもいいなとようやく自分の中で判断できたんです。その言葉を使えた嬉しさも素直にありますね。
──パンクの洗礼を受けた思春期ならともかく、真正面から対峙するのに少々気後れする言葉ではありますよね。
鈴木:確かに。自分がパンク・ロッカーだとは全然思ってないし、パンクが好きで憧れているというポジションが心地好いという感じですね。
──パンクの精神性を身に宿しているというニュアンスなんでしょうね。そんなアティテュードがなければ、“モラルキチガイ”なんて言葉(「DA・DA・DA」の歌詞)は出てこないでしょうし(笑)。
鈴木:それは、知り合いの人が笈川君づてに私のことを評した言葉なんですよ。
笈川:由紀ちゃんのことをその人に話していたら、「その人、“モラルキチガイ”だね」と(笑)。
鈴木:その言葉を聞いて、凄く言えてるなと思って。私、自分でもイヤになるくらいのモラリストなんですよ。人様に迷惑を掛けたくないんです、絶対に。
“諦め”は心地好くて優しい言葉
──それは社会のマナーを遵守するということですか? それとも、法的にどうあれ自分だけが見定めたルールに準じて行動しているとか?
鈴木:それもありますけど、たとえばゴミはちゃんと捨てるとか。道に落ちているゴミは必ず拾うタイプなんです。でも、余りに拾い過ぎると前に進めなくなるから、ルールを決めたんですよ。自分の目の前に落ちているものは拾うようにしよう、っていう。自分の歩幅からズレたものは、仕方なく無視することにしました(笑)。
──ただ、「DA・DA・DA」の中で唄われる“モラルキチガイ”というのは、“モラルキチガイ”で何が悪いんだ!? という反語的な意味も含まれているんじゃないですか。
鈴木:そうかもしれませんけど…いつもガミガミガミガミうるさくて、自分がイヤになる時があるんですよ(笑)。もうちょっと広い気持ちでいられたらいいなと思うんですけどね。だから、自分を嘲笑っていると言ったほうが正しいですね。
──でも、嘲笑う対象である自分自身は“カッコつけるつもりなのさ”(「No.9 Punk Lover」)と時に痩せ我慢しながら一生懸命気取って見せている。カッコつけなきゃロックじゃないですからね。
鈴木:うん、ホントにそう思います。
──「グリンゲーブルス」にも“僕等いつでも 気取ってるのさ”というストレートな歌詞がありますし。この“グリンゲーブルス”とは何なんですか。
鈴木:それは『赤毛のアン』のアンが引き取られた家の屋号なんです。
──そう言えば、「Come on」にも“アン・シャーリー”(『赤毛のアン』の主人公)が出てきますよね。
鈴木:ええ。好きな本は何度も読む質なんです。『赤毛のアン』の世界も自分の身体に染み込んでいて、それがごく自然に出てくるんだと思います。「グリンゲーブルス」は最初にメロディを聴いた時の仮タイトルで、緑に囲まれて風がバーッと吹いているイメージが浮かんだんですよ。単純なメロディからの連想ですね。
──そんな爽やかな曲のイメージに“死刑台の朝食は 焼きたてのパンがいいな”という歌詞は似つかわしくないですよね。
鈴木:歌詞を書いていた時にイメージしていたのは、コロンバイン高校で起きた銃乱射事件なんです。それと、ブームタウン・ラッツの「I Don't Like Mondays」のモチーフにもなった16歳の少女による銃乱射事件。犯行理由を尋ねられた少女が「月曜日が嫌いだったから」って答えたというあの事件がふと頭に浮かんで。思春期独特のあのヘンな感じ…凄く偏っていますよね? 誤解を恐れずに言えば、その偏りさが私にも判ると言うか。ただ、私には何らかのストッパーがあるけど、ストッパーがなければあんな事件を引き起こしてしまうこともあるんだろうなと思ったんですよ。
──犯罪者になるか否かは、ちょっとしたボタンの掛け違いですよね。誰しもが罪や法を犯す危険を孕んでいると思うし。
鈴木:そう思いますよ。だから、毎日冷や冷やしながら生きているところがどこかにありますね。事件の被害者ではなく加害者になるんじゃないか、って。その違いはほんのちょっとのことのような気がしてならないし、今の自分は平和に暮らしていると思っているけれど、その反面で不安を感じる部分が常にあるんです。
──でも、鈴木さんは歌を唄う表現の場があることで心の均衡を保てていますよね。
鈴木:そうですね。表現に向かうことがストッパーになっているのは救われていると自分でも思います。
──こうして全体の歌詞を見ると、ままならぬ現実に対する静かな諦念が本作には通底しているように感じますね。
鈴木:諦めという言葉は凄くマイナスのイメージがあるかもしれないけど、私にとっては心地好くて優しい言葉なんですよ。何かを諦めたことによって、自分が今ここにいる覚悟ができたと言うか。
──消去法の末に?
鈴木:はい(笑)。でも、「No.9 Punk Lover」の歌詞にもあるように“慌てることなど なにもないのさ”と思っている。この曲のイメージは、イギリスの労働者階級の街の片隅でならず者であるパンクス達が「第九」をみんなで唄っている感じなんですよ。
笈川:アイリッシュ・パブみたいな所で呑んで騒ぎながらね。
鈴木:そう。みんな神様なんていやしないと現実を諦めていて、でも、それでもいいじゃん、カッコつけて行こうよ、っていう。その情けない感じがいいと思って。
笈川:ちょっと『さらば青春の光』みたいな感じでしょ?
鈴木:そうそう。
──スティングが演じるエースというモッズの顔役も週末だけのヒーローで、普段はしがないベル・ボーイとしてこき使われていて、その姿を見た主人公のジミーはがっかりしてしまうという…。みんな口を糊してこの代わり映えのない日常を生きていて、どうにかこうにかあくせくしているというあの映画の世界観は「No.9 Punk Lover」の歌詞にも通ずるのかもしれませんね。
鈴木:私の持っている『さらば青春の光』のジャケットは、あの映画に出てくるモッズ達が横並びに写っているんです。「No.9 Punk Lover」はまさにあのイメージなんですよ。
何事も決め切れない自分こそが自分なんだ
──総じて言うと、今回の『Good morning, Punk Lovers』はバンドにとっても大きな節目となる作品に仕上がったと言えるんじゃないですか。
笈川:うん、そうですね。今までやらなかったこと、できないと思っていたことをできたアルバムですね。自分のギターで言えば、「Good day」での“ンジャッ、ンジャッ”という裏のリズムに挑戦してうまく形にできたのは大きいです。ロック・バンドがああいうリズムをやることは、物真似で終わるならできないと思っていたんですよ。自分がクラッシュを好きなだけに、余計に。でも、今回は心底納得できるものが出来たし、できればジョー(・ストラマー)にも聴いて欲しかったなぁ…という感じですね(笑)。凄くおこがましいですけど。
鈴木:考えてみると、ジョーの映画を2本(『VIVA JOE STRUMMER』、『LONDON CALLING 〜THE LIFE OF JOE STRUMMER〜』)観たこともこのアルバムを作る上で大きかったかもしれませんね。特に『VIVA JOE STRUMMER』は映画館で観てワンワン泣きましたから。ジョーのあの感じ…優しくて、懐が広いところが好きなんです。自分がジョーみたいになれるとは全然思わないけど、いつまでもジョーに憧れていたい気持ちはずっとありますね。
──ところで、笈川さんのブログを読むと早くも新曲が続々と出来ているそうですけど…。
笈川:去年はほとんどライヴもできなかったし、リリースもなかったから、今年はまずこのアルバムを出してからライヴもツアーもたくさんできたらいいなと思っているんです。新曲もいっぱい作って、またリリースをしたいですし。
──その勢いなら、クラッシュの『Sandinista!』のような3枚組大作も作れるんじゃないですか?
鈴木:それは多分…いや、絶対に有り得ないですね(笑)。
笈川:その労力を考えただけでおののいてしまいますから(笑)。
鈴木:1枚のアルバムを作るだけで凄く時間が掛かるんですよ。勢いでは作れないし、基本的に疑いを掛けながら曲作りをしていますからね。“このフレーズでいいのか? 本当にいいのか!?”ってその都度自分を問い詰めているし。
──深夜に書いたラヴ・レターは翌朝に必ず読み返すタイプですね(笑)。
鈴木:間違いなく(笑)。今までは自分の中に確固たるテーマがないとアルバムを作れなかったんですけど、今回はそういうのが特にない状態で取り組んだんです。ひとつ前のアルバムに対してダメ出しをすることで次のアルバムを作れていたんですよ、これまではずっと。でも、前作の『BUGY CRAXONE』にダメ出しをするところがひとつもなくて、凄く好きな作品を作れた達成感が未だにあって…歳のせいなんでしょうか(笑)。要するに、今回はアルバムを作る原動力が最初は全くなかったんですよね。だから、本当にアルバムが出来るんだろうか? という不安が絶えずあったし、出来るんだろうけど、いざ出来上がったところで作品として本当にいいと言い切れるだろうか? という気持ちが拭えなかったんです。でも、こうして凄く満足の行くアルバムを完成できたし、今は心から安堵しています。アルバムを作るにはひとつしか方法がないと決め付けていたなと思って、それも自分にとっては良い発見でした。
──表現に携わる人は皆そうなんでしょうけど、自分自身こそが一番手厳しい批評家であり最大の敵ですからね。
鈴木:ええ。“バカなこと言ってやがるな”と自分で思うし、“そこは矛盾してるでしょ?”という突っ込みもすぐに入りますしね。
笈川:歌詞を1曲書くのにノートを丸々1冊使うんでしょ?
鈴木:うん、普通に使う。
──今のブージーの歌詞には、矛盾している自分を許す寛大さがあるように思えますけど。
鈴木:そうですね。決め切れない自分こそが自分だし、臆することなくそのことを真正面から書こうと。結局はそこに辿り着くしかなかったと言うか…。
笈川:…やっぱり、歳のせいなのかな?(笑)
Good morning, Punk Lovers
Northern Blossom Records BNBR-0001
2,300yen (tax in)
2008.2.06 IN STORES
01. Come on
02. FAST
03. Good day
04. くたばれ センチメンタル
05. グリンゲーブルス
06. How are you?
07. Hello
08. DA・DA・DA
09. No.9 Punk Lover
★amazonで購入する
Live info.
wild gun crazy presents“Dynamite Heaven's Night”-special-
2月6日(水)渋谷O-EAST
with:hurdy gurdy / mercydo / The next! / and more...
【info.】O-EAST:03-5458-4681
Good morning, Punk Lovers tour
2月8日(金)京都MOJO
2月9日(土)大阪LIVE SQUARE 2nd LINE
2月16日(土)札幌HALL SPIRITUAL LOUNGE
2月17日(日)旭川CASINO DRIVE
2月20日(水)郡山CLUB #9
2月21日(木)仙台enn
3月13日(木)名古屋HUCKFINN
3月15日(土)大阪LIVE SQUARE 2nd LINE
3月19日(水)福岡DRUM SON
3月20日(木)岡山PEPPER LAND
3月23日(日)千葉LOOK
3月24日(月)高崎club FLEEZ
3月25日(火)宇都宮HEAVEN'S ROCK VJ-2
Good morning Punk Lovers tour final“COUNTERBLOW 018”
3月27日(木)下北沢SHELTER *guest有り
OPEN 19:00 / START 19:30
TICKET:advance-2,300yen (+1DRINK) / door-2,800yen (+1DRINK)
【info.】SOGO:03-3405-9999/SHELTER:03-3466-7430
http://bugycraxone.com/
Northern Blossom Records official website
http://northern-blossom-records.com/