あの衝撃の解散宣言から20年──
芸術性と破壊性の狭間を行き来した不世出のバンドが辿り着いた“φ”の境地
今年9月に発表された初のオールタイム・ベスト『THIS BOφWY DRASTIC』『THIS BOφWY DRAMATIC』が2枚合わせて50万枚に迫る驚異的なセールスを記録し、未だに絶大なる支持を得ていることを実証した日本のロック史上最高峰のバンド、BOφWY。人気絶頂のさなかに渋谷公会堂(当時)で放たれた衝撃の解散宣言から丁度20周年を迎える今年のクリスマス・イヴの日、革新性と普遍性が共存した彼らの音楽を愛してやまないファンにはアートの女神より賜りし至上の贈り物が届けられることになる。バンドの真髄とも言えるエポックメイキングなGIGの数々を収録した8枚組DVD BOX『“GIGS”BOX』、“BOφWYのレパートリー全てを演奏する”というコンセプトのもとに行なわれた伝説的GIGのセットリストを完全に再現した3枚組CD『“GIGS”CASE OF BOφWY COMPLETE』、そして『MORAL』から『PSYCHOPATH』までの全オリジナル作品と関連作品10タイトルの紙ジャケット仕様CD──以上3つの作品群がそれだ。解散から20年を経たメモリアル・デイにこれだけヴォリュームのあるアイテムを世に問う意義と意図、“φ”=“何処にも属さない、誰にも似ていない”姿勢とカットアウトの美学を最後まで貫いたバンドの矜持について、現役時代にマネージャーとしてメンバーと苦楽を共にし、“5人目のBOφWY”として知られる土屋 浩(EARTH ROOF FACTORY/B to Y Music 代表取締役)に“EMI room 102”で話を訊いた。(interview:椎名宗之)
現役時代と変わらぬ作品至上主義
──まず、今回発表される8枚組DVD『“GIGS”BOX』の企画意図から訊かせて頂けますか。
土屋:具体的な形になってきたのはここ半年の話なんだけど、解散から20年というところでひとつの区切りみたいなものを付けたかったんですよ。BOφWYが解散した後も、これまでに様々なタイミングでリリース・アイテムがあったけれど、この20周年の節目でBOφWYに関しては最後のリリースにしたいとEMIにもお願いをしていたんです。今回こうしてDVD BOXという形態を取ったのは、BOφWYが現役の頃からずっと支持してきてくれた古くからのファンと解散後に彼らの音楽に出会った新しいファン、それとこの先BOφWYを始めとする様々なロックを知っていく未来のファンが同じ時間軸の中で等しく楽しめるパッケージにしたかったからなんですよ。それが一番のテーマでしたね。『MORAL』や『INSTANT LOVE』といった初期の頃はレコードが廃盤になって店頭で売られていない状況で、BOφWYの音楽を伝達する手段がなかったんです。まこっちゃん(高橋まこと)も『スネア』という自叙伝に書いているけど、ファンがカセット・テープでライヴ録音するのを黙認せざるを得ない側面も確かにあったし、そういったライヴ音源や廃盤になったレコードをダビングしたテープがファンの間で出回ることでBOφWYの音楽が全国に波及していった部分は否めない。もちろん、そのテープ・トレードに売り買いをするという不純な動機は一切なくて、あくまでもBOφWYの音楽を大切な仲間達に伝えたいというファンのピュアな気持ちから発したものだった。ただ、その後BOφWYが驚異的な売れ方をしたがゆえに、そうしたテープが非合法に流通してしまったこともあったけれども、それはメンバーがファンに対して見せたり聴かせたりしたいものでは決してなかった。そういうものではなく、メンバーが「これはいい、これは出そうよ」と認めたものをきちんと本人やマネージメントと打ち合わせを重ねた上で、オフィシャルとしては「これがBOφWYの全てです」と言い切れる作品を発表したかったんです。
──9月に発表された2枚のベスト・アルバム然りですが、今回の映像作品の内容に関してもファンからの賛否両論が多々あったのでは?
土屋:賛否両論あるのは当然だし、それだけ大きな反響があるのはむしろ嬉しいくらいの話ですよ。このDVDに関しては、古いファンが見ても新しいファンが見ても「これがBOφWYです」と堂々と胸の張れるものを僕達は作りたかったし、それもバラ売りではなく、一遍に見られるヴォリューム感のあるものにしたかったんです。その結果、8枚にわたるDVDに加えて『HYSTERIA』という今や貴重なイメージ・ブックを特典として封入したパッケージになった。この8枚のDVDに収められた10時間弱の映像をティーンエイジャーから40代の同世代まで何十万人もの人達が年末年始に日本中で見てくれるとしたら、僕はただそれだけで幸せですよ。その思いはメンバーもきっと同じだと思うし。
──DVDに収録したGIGの数々は、BOφWYの歴史においてどれも決して外せないものという観点から選ばれたのですか。
土屋:そうですね。当時の映像も音もアナログで保存されているので、劣化している部分もあるんですよ。BOφWYが活躍していた頃の時代背景を言えば、音源はCDではなくレコードやカセットだったし、録音できるウォークマンやホーム・ビデオが出始めた頃であり、ロックがビジネスになる発想がまだ定着していなかったんです。アイドルの人達はテレビに出て売れているから、当時の映像をお金を掛けて残しているんだけど、BOφWYの場合はたとえば僕達でお金を出し合って買ったビデオ・カメラで撮ったものとか、そういった類のものしか残っていないんです。それはあくまで“データ”であって、“作品”ではないんですよ。作品のクォリティとして考えた時に、1枚のDVDの中でその“データ”を1時間半見せるわけにはいかない。DISC-8の場合は特にそういう意図が大きく作用していますね。たとえば古くからのファンは「あの時のライヴの全部が見たい」と思うかもしれないけど、現実的にテープが劣化していたり、作品としてのクォリティに達していなかったり、メンバー自身が「No」と言う場合も当たり前に多い。だから僕達としては、メンバーが「Yes」と判断した部分を更なる高みに持って行く作業に時間と気力を注いだわけですよ。
──そうした作品至上主義は、BOφWYが一貫して体現し続けていたものですよね。
土屋:うん。それでこそオフィシャルだと僕は思うし、メンバーが良しとした素材をスタッフとしてより優れたものにして、それをメンバーにぶつけて、メンバーから返って来たものを更に練り上げて行く…そのキャッチボールのせめぎ合いの中で生まれたものをファンに届けることが僕達の使命であり本懐であると考えているんです。
セットリストを完全再現した『CASE OF BOφWY』
──せっかくの機会なので1枚ずつDVDの内容を検証していきたいのですが、まずはDISC-1〜3から。“BOφWYのレパートリー全てを演奏する”というコンセプトのもとに行なわれた伝説的GIG『“GIGS”CASE OF BOφWY』は、1987年に発表された作品に未収録だった11曲を新たに加えた全39曲が収められた、まさにコンプリートな内容になっていますね。
土屋:『CASE OF BOφWY』は一番最初にVHSを4本に分けて出して、2001年にはマスタリングを施したDVDとCDを出したんです。今回も当時の編集にほとんど手を加えていないんですよ。『CASE OF BOφWY』というのは、バンドが解散することをメンバーが暗黙のうちに了解していたからこそ当時の凄まじいスケジュールの中で単独のイヴェントとして敢行したんだけれども、当時、作品となる映像に対してメンバー自身によるチェックは当然あったものの、時間が掛かり過ぎるがために限られた完璧を目指したことは否めないかもしれない。それは収録する曲目であったり、パッケージの在り方であったり様々なんですけどね。とにかく当時はメンバーも僕達スタッフも殺人的なタイム・テーブルの中にいましたからね。だから今、解散から20周年を迎えた最後のリリースというところで、劣化していたオリジナル・テープをクリーンナップした上で未収録だった11曲を入れたコンプリートなものにしようと思ったんですよね。
──1987年7月31日に神戸ワールド記念ホールで行なわれた初日、同年8月7日に横浜文化体育館で行なわれた2日目の両日の映像と音をミックスした上での“コンプリート”なんですよね。
土屋:それはさっき話した理由と同じことで、作品のクォリティを第一に考慮した結果なんですよ。神戸と横浜の映像と音を足して、演奏した全ての曲を3枚のDVDに収める形が僕達はベストだと判断したわけです。そういった意味で、“完全版”ではなく“コンプリート”ですよね。あくまでメンバーの意思が反映した上であの“コンプリート”の形になっているんですよ。
──それにしても、全39曲に及ぶあの壮大なライヴを敢行するには、余程のリハーサルを積み重ねなければならなかったと思うのですが…。
土屋:もちろんリハーサルはしていたけど、ホームグラウンドだった新宿ロフトでやっていた頃のライヴにおいて彼らは圧倒的な基礎体力を身に付けていたし、4人がそれぞれ信頼し合っていたから、リハーサルのためのリハーサルは敢えてしていなかったですね。EMIに移籍してからは特に、リハーサルは凄く短い時間で終えていましたから。『CASE OF BOφWY』の時もそうだったし、実際問題としてそれだけの時間が取れなかった。もちろん、やっつけ仕事はひとつもありませんけどね。『LAST GIGS』の時だって、初日が終わった後に彼らは徹夜でセットを組み替えてリハーサルに臨んだし、音楽をやっている瞬間のみが生き甲斐であり心の底から楽しめることだったんでしょうね。彼らがBOφWYとして過ごした時間は、そういう思いが濃縮した6年間だったんじゃないかな。今思えば、有り得ないスケジュールだったと思いますよ。ツアーから帰って来てレコーディング・スタジオに行って、そこでの作業の合間に雑誌の取材を受けて、翌朝撮影に出掛けて、氷室と布袋は並行して曲作りをしながらそのデモを各メンバーに渡して、リハーサル・スタジオに入ってライヴの曲順を決めて…とにかく尋常じゃない忙しさだった。それを彼らが安心して臨めた環境というのは、子安(次郎)さんを始めとするEMIのスタッフの方達がそれまでのBOφWYに足りなかった部分をしっかりとフォローして下さったからこそですけどね。
──そもそも『CASE OF BOφWY』は、土屋さんによる発案だったんですよね?
土屋:うん。凄くヘンな言い方になるけど、僕もBOφWYの大ファンでしたからね。当時は『MORAL』や『INSTANT LOVE』の収録曲をほとんど演奏していなかったし、解散するということはもう二度と彼らのライヴを見られないわけだし、それは凄く惜しいと。僕自身がそう考えるということはファンのみんなも同じように考えるはずだと思って、これまでのレパートリーを詰め込んだ『CASE OF BOφWY』、“BOφWYの場合”という名のライヴをメンバーに提案してみたんですよ。今回、このDVDと同時に『“GIGS”CASE OF BOφWY COMPLETE』として最新の技術を駆使して音質を向上させたCD 3枚組もリリースするんです。これだけ配信が全盛の時代になっているからこそCDというフォーマットとしてもリリースしたかったし、形として残る音楽を世に問う資格がBOφWYにはあると僕は信じているから、そこにはこだわりましたよね。
──ちなみに、『CASE OF〜』という文言は何処からヒントを得たんですか。
土屋:インスパイアされたものがあるとすれば、『JUAT A HERO』というアルバムですね。それは氷室が考えたタイトルで、大上段に構えるわけでもなく“俺達はちょっとしたヒーローだよ”という意味合いが込められている。だから『CASE OF BOφWY』も“これはBOφWYというバンドの場合だよ”というニュアンスなんですよ。音楽に対して真摯に打ち込むのはどのバンドも一緒なわけで、BOφWYの場合はたまたまこんな感じだよ、っていう。
ロックの市場が確立されていない手探りの時代
──DISC-4の熊本県グリーンピア南阿蘇アスペクタで行なわれた『BEAT CHILD』(1987年8月22〜23日)は、台風が直撃する中でバンドが奮起して掛け値なしに素晴らしいライヴを展開しています。この映像は、BOφWYが生粋のライヴ・バンドであったことの何よりの証左に感じますね。
土屋:今の『FUJI ROCK FESTIVAL』ほどの設備も警備もままならない状況だったし、野外のあんな山奥でよくやれたなと思いますよね。何があってもオーディエンスの安全を考えて万全を期すと言っても、その“何があっても”の事例が判っていない手探りの時代だったんですよ。今見ると客席の照明も暗いし、前例となるデータがないんです。そこへ来てあの台風ですから。でも、そういった全ての悪条件を跳ね返すように優れたライヴ・パフォーマンスをやっていますね。あのイヴェントは第三者が用意したロックの土俵だったし、他のバンドには絶対に勝つんだという気迫が彼らの根底にあったからこそでしょうね。そのメンタリティは新宿ロフトで活動していた頃と全く同じですよ。これは決して贔屓目で見ているわけじゃなくて、あれだけ劣悪な環境の中であんなに演奏がしっかりしたバンドは他にいませんよ。唄うことや弾く叩くといったアナログな行為よりも、アンプやカメラ、照明といったエレクトロのほうが豪雨という悪条件に負けてしまっている。実際、『BEAT CHILD』は布袋(寅泰)サイドのカメラが雨で故障してしまって、他の映像と比べてカメラ割りが少なく感じるんです。だから布袋の絵が少ないんですよ。
──DISC-5の都有3号地(現・東京都庁)で行なわれた『ロックステージ イン 新宿』(1986年8月4日)のように、44 MAGNUMのポールさん、山下久美子さん、吉川晃司さん、大沢誉志幸さんといった豪華ゲスト陣を迎えたパーティー色の強いイヴェントは、BOφWYの歴史において極めて珍しいケースですよね。
土屋:うん、なかなかないイヴェントでしたね。東京ロッカーズと呼ばれたバンド達が新宿ロフトでやっていたパーティーっぽいライヴにはずっと憧れがあったし、BOφWYはそれを東京都庁が出来るまでの更地という刹那的な場所で刹那的な時期に具現化したわけです。ゲストの人選を意外に感じる若いファンもいるかもしれないけど、彼らが迎えたのは、ジャンルは違えど分母にしっかりとロックを置いたアーティストばかりだったんですよ。
──その豪華ゲスト陣の映像は未収録ですが、『BEAT CHILD』同様にメンバーは直撃する台風をものともせず、沸点の高いフレキシブルなライヴを繰り広げていますね。
土屋:バンド単体の映像をセグメント化することで、作品としてのクォリティを上げたかったんです。豪雨が降り注ぐ逆境の中で「負けるもんか!」という心持ちで演奏しているし、決して頭でっかちではない優れたプレイヤーとしての力量がああいう場面で深く垣間見られると思いますよ。この都有3号地でのイヴェントはもちろん、後々の時代に向けて色々な広がりとなっていくイヴェントの萌芽がこの8枚のDVDには収められていますね。ひとつのバンドの演奏を軸にいろんなヴォーカリストがライヴを行なうという意味では、この『ロックステージ イン 新宿』は小林武史さん達がやっていらっしゃる『ap bank fes』とコンセプトが似ているかもしれませんよね。ロックがビジネスとして確立していく中で、ロックを世に広めて紹介しきった時点でBOφWYは解散したと思うんですよ。だから、'86〜'87年に彼らが繰り広げたライヴというのは、自分達のやってきたことを同じメンタリティを持った仲間達と証明するものでもあったと思うんです。それを証明しきった瞬間にBOφWYは完結したんですよ。
──DISC-6に収められた『FINAL伝説』は2001年にNHKで放映された番組で、PAの森山朝雄さん、デザイナーの三宅克徳さん、舞台監督の江坂俊彦さんなどBOφWYに縁の深い関係者の証言を交えた秀逸なドキュメンタリーですね。
土屋:一度放映されたものだからパッケージするかどうか迷ったんですけど、作品としてDVD BOXに組み込むだけのクォリティがあるとプロジェクト全体が判断したんですよね。「他にもあの人の証言があればいいのに」とか、そういうことを挙げればキリがないんだけど、活字でもなく、モバイルでもなく、映像としてBOφWYが辿った軌跡のエッセンスを新しいファンに向けて伝えていきたいと思ったんです。これからBOφWYの音楽に触れんとするファンには格好の内容だと思いますよ。
芸術性を保てないのならば燃え尽きるしかない
──DISC-7の『A BIG MOUSE PARTY』と『ROCK'N ROLL OLYMPIC』でも、生粋のライヴ・バンドとしての面目を保っているのが如実に窺えるテンションの高いライヴを繰り広げていますね。
土屋:『A BIG MOUSE PARTY』は、後々『RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO』を立ち上げるWESSの山本博之さんが北海道でオリジナリティのある野外イヴェントを作り上げたいという趣旨のもとに主催したイヴェントで、言うなれば『RISING SUN〜』の原形ですよね。『ROCK'N ROLL OLYMPIC』は歴史のある仙台のイヴェントで、BOφWYが東北ツアーでお世話になったフライングハウスの斉藤 良さんという方が仲間内の手弁当で作り上げていたものなんです。BOφWYは『ROCK'N ROLL OLYMPIC』にずっと呼んで頂いて、解散する年もオファーを貰っていたんだけど、スケジュール調整がギリギリまで困難だったんですよ。でも、僕達スタッフを含めて斉藤さんには並々ならぬお世話になったから、何としてもその意気に応えたくて出演したんです。ただ、告知が間に合わなくてシークレットという形になってしまったんですけどね。あの花道のあるステージも凄く格好いいし、花道の途中で氷室と布袋が向き合ってアクションを決める様も見応えがあると思います。
──音楽文化ライターの佐伯 明さんのセレクションによるDISC-8の『Artform? or Burnout! 〜EMI room 102〜』は、新宿ロフト時代のライヴやベルリンでのプライヴェート・フィルム、ロンドンのマーキークラブでのライヴと、レア映像が盛り沢山の内容ですね。
土屋:メンバーからNGが出た素材を外してそれを組み替える時に、凄く無責任に聞こえるかもしれないけど、僕自身が選びきれなくなってしまったんです。素晴らしい素材の数々をどう繋げれば良いのか、クォリティの高い作品としてどうアウトプットすれば良いか判断に迷ってしまった。佐伯さんはBOφWYのライヴハウス時代から解散後の各自のソロ活動に至るまでずっと見続けてきた方で、「BOφWYは発明品である」という名キャッチコピーを生み出した彼に委ねてみることにしたんですよ。タイトルの『Artform? or Burnout!』というのは“芸術性を保てないのならば燃え尽きるしかない”といった意味で、このDVDは『FINAL伝説』とはまた違った、終息に向かうバンドのもうひとつのヒストリー・ドキュメントになっていると思います。随所に挿入されるメンバーへのインタビューは'87年の2月にこの部屋(EMI room 102)で撮影したもので、その年の『FILM GIG』で上映するためのものだったんです。そもそもここは、BOφWYが初めてEMIでミーティングをした場所なんですよ。その部屋の名前を僕がサブタイトルとして付けました。新宿ロフトでのライヴから『ROCK'N'ROLL CIRCUS』ツアーでの「ONLY YOU」までの貴重な映像の間に4人の発言が入ることで、4人でいることの意味合いと個に戻って行くメンタリティとの葛藤が垣間見られる興味深い内容になっていると思います。
──芸術性に向かうのか、燃え尽きることを良しとするのか。それはつまり想像と破壊を絶えず繰り返したBOφWYというバンドの在り方そのものと言えますね。
土屋:4人で今以上のものを創造することができないと判断したからBOφWYは燃え尽きる選択肢を選んで、佐伯さんの言葉を借りれば“星になった”わけだけれども、あの8枚目のDVDを見てくれた古いファンにも新しいファンにも、『Artform? or Burnout!』という問い掛けがその人のネクストに向かう上で何らかのきっかけになれば嬉しいですよね。4人の発言の真意を僕がここであれこれ話すよりも、見てくれた人達がどう感じるかが大事ですから。
──こうして8枚のDVDを通して見て痛感するのは、BOφWYの真髄はライヴ・パフォーマンスにこそあるという揺るぎない事実ですよね。ステージにこそBOφWYの語るべき真実があったというか。
土屋:仰る通りです。だから作品としてきちんと伝えられる断片的な素材をDISC-8にまとめて、それ以外のものは時間軸や価値を含めてパッケージできるものを全て詰め込んだんですよ。オフィシャルとして発表できるものはこれで全て出し切ったと思う。ファンのリクエストに対して万遍なく100%はきっと応えられないけれど、僕達としては120%を出し切っていますから。
──解散から既に20年という年月が経過したにも関わらず、BOφWYの楽曲も視覚的な要素も全く古びていないのは何故だと思いますか。
土屋:初期の6人編成の頃はニューロマンティックの要素もあったり、刹那的な流行りに傾倒していたがゆえに古くさく感じる部分もあったかもしれない。だけど、4人だけのシンプルな音楽を志向するようになって、確固たるこだわりがある上でシンプルであることが結果的に普遍性へと繋がったんじゃないかな。何も足さない、何も引かない。でも、そこには時代と寝過ぎることのない、考え抜かれた自分達だけのシンプルなセンスがあった。そんな姿勢がファッションにも表れていたと思う。シンプルと言っても、決してTシャツにジーパンではない美学とこだわりがそこにはありましたから。もちろん、そうしたシンプルさは彼らの音楽そのものにも言えることですけどね。そのシンプルさを突き詰めたバンドが、こうして今も数多くの人達から熱狂的な支持を得ていることは彼らに携わった人間として純粋に誇らしいことだし、次の20年後がどんな世の中になっているか判らないけれど、その時にもBOφWYの音楽がロックという文化としてそのままの形で残っていて欲しい。どの時間軸においても、BOφWYがシンプルで普遍性のある音楽として受け容れられていたら嬉しいですよね。
【BOφWYの皆さんから素敵なプレゼントがあります!】
“GIGS”BOX
◇『“GIGS”CASE OF BOφWY COMPLETE』『BEAT CHILD』を含む、BOφWYの歴史を語る上で欠かせないGIGを収録した初DVD化映像集。1985年に限定発刊されたイメージ・ブック『HYSTERIA』をこのBOXのために復刻し、特別付録としてBOX内に収納。
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EMI Music Japan:TOBF-5555/32,000yen (tax in)
完全生産限定/豪華BOX仕様/デジパック仕様のDVD 8枚組
特別付録:限定発刊『HYSTERIA』復刻版(BOX内に収納)
購入先着特典:『BOφWY BE AMBITIOUS TOUR』復刻版ポスター(B2サイズ) *数量限定
収録内容
◇DISC-1〜3/“GIGS”CASE OF BOφWY:“BOφWYのレパートリー全てを演奏する”というコンセプトのもと、1987年7月31日神戸、8月7日横浜で行なわれたGIG。
◇DISC-4/BEAT CHILD:1987年8月22〜23日、南阿蘇アスペクタで台風直撃の中行なわれた伝説的野外イヴェント。
◇DISC-5/ロックステージ イン 新宿(都有3号地):1986年8月4日、都有3号地(現・東京都庁)にて行なわれた豪雨の中でのGIG。
◇DISC-6/FINAL伝説:2001年にNHKで放映されたBOφWYのドキュメンタリー番組。
◇DISC-7/野外イヴェント集:1987年7月26日に札幌真駒内オープン・スタジアムで行なわれた“HOKKAIDO ROCK CIRCUIT '87「A BIG MOUSE PARTY」”、1986年8月10日と1987年8月9日にスポーツランドSUGOで行なわれた“ROCK'N ROLL OLYMPIC '86 / '87”でのGIG。
◇DISC-8/Artform? or Burnout! 〜EMI room 102〜:音楽文化ライター・佐伯 明氏の監修のもと、レア映像で構成されたもうひとつのBOφWYヒストリー集。
“GIGS”CASE OF BOφWY COMPLETE
◇1987年7月31日の神戸ポートピア・ワールド記念ホールと、8月7日の横浜文化体育館での2日間行なわれたGIGから39曲を収録(前作には収録されなかった11曲を追加)。セットリストを再現した正にコンプリートな内容。
★amazonで購入する
EMI Music Japan:TOCT-26490/3,800yen (tax in)
初回生産限定スペシャルBOX仕様/紙ジャケット仕様のCD 3枚セット
初回封入特典:『“GIGS”CASE OF BOφWY ツアー・パンフレット』復刻版(CDブックレット・サイズ)/『“GIGS”CASE OF BOφWY ツアー・パンフレット』完全復刻版(B3サイズ)プレゼント応募ハガキ(当選100名様予定)
紙ジャケット・シリーズ
◇BOφWYオリジナル・アルバム、そしてBOφWY関連アルバム全10タイトルを紙ジャケット化、期間生産限定盤としてリリース(EMI/ビクター/徳間ジャパン/フォーライフ共同企画)。
各 2,600yen (tax in) /期間生産限定商品(2008年5月末日まで)
全10タイトル購入・応募者全員にスペシャル・プレゼント:[1]スペシャル・コレクターズBOX(全タイトル収納可能)[2]『BAD FEELING』12インチ・シングル復刻紙ジャケットCD[3]BOφWYシングル・ステッカーセット *以上3つをまとめた『20th ANNIVERSARY FROM BROKEN スペシャル・セット』
◇EMI Music Japan:BOφWY(TOCT-26493)/JUST A HERO(TOCT-26494)/BEAT EMOTION(TOCT-26495)/PSYCHOPATH(TOCT-26496)/SINGLES(TOCT-26497)/ORCHESTRATION BOφWY(TOCT-26498)◇ビクター:MORAL(VICL-62670)◇徳間ジャパン:INSTANT LOVE(TKCA-73288)◇フォーライフ:BOφWY Tribute(FLCF-4210)/BOφWY Respect(FLCF-4211)
Live info.
“GIGS”CASE OF FUNK LφVE 1221『高橋まこと BOφWY解禁ライブ』
2007年12月21日(金)川崎クラブチッタ
出演:高橋まこと/佐久間正英/土屋 浩/etc...
開場:17:30/開演:18:00
チケット:前売発売:¥3,500/当日発売:¥4,000(全席指定、ドリンク代別)
info.:CASE OF FUNK LφVE 事務局 03-5437-1030
◇5組のBOφWYコピー・バンドによるトリビュート・ライブの他、“5人目のBOφWY”と呼ばれた男、土屋 浩の“ビート・ディスカション”と題する豪華ゲストとのトーク・ライブ、そしてスペシャル・バンドを引っ提げての高橋まことによる“BOφWY解禁ライブ”と、解散から20年経った今もBOφWYを愛してやまない全ての人達への最高のクリスマス・プレゼントとなるプログラム。
BOφWY official website:BOφWY HUNT
http://www.emimusic.jp/boowy/