どうしようもなくクソったれでどうしようもなく素晴らしい世界。
バンジージャンプフェスティバルの解散から2年。ソロとして活動し、ついに初のフルアルバムをリリースすることとなった町田直隆。タイトルは『栄光なき兵士達に捧ぐ』。バンド時代を経てソロとなってから作られた楽曲達は、町田直隆というパーソナルに焦点を絞り、よりリアルな言葉となって伝えられている。また、10年という時を過ごして手に入れた大切な仲間達の協力もあり、多くの人の魂が込められているように思う。今回のインタビューに参加して頂いたエンジニア高原さんや、サポートベース横山さんの言葉も含め、この作品に携わった誰もが自分の作品のように愛し、情熱を注いだんだと、彼らの言葉の端々から感じ取ることができた。全ての奇跡が重なり合い、それは必然としてこれほどの素晴らしい作品になったのではないだろうか。他誌では読むことができない町田のストレートな感情を受け止めて頂きたい。(interview:やまだともこ)
立ち止まることなく駆け抜けてきた10年
──音楽活動10周年を迎えましたけど、これまでを振り返ってみてどうですか?
町田:長いようで短くて…。帰り道でいろいろと思い出してみることはありますけど、10年が経ったという実感は全然ないですね。
──バンジージャンプフェスティバルで8年活動して、ソロで2年。
町田:バンジーで8年やった実感がないんです。ソロをやり始めて2年経つのかなって不思議な感じもしますね。もっとやってた気もするし、もっとやってない気もする。駆け抜けてきたから、立ち止まってゆっくり考える時間がなくて…。気が付いたら10年って感じですね。
──それは立ち止まらないようにしていたということですか?
町田:そうですね。休んで考えることが増えるとどんどんネガティブになっちゃうから、考えるヒマがないぐらい動いていた方がいいんです。解散して間をあけてたら精神的に落ちちゃってたかもしれないな。バンジーで活動してた時からソロもやっていたけど、解散してソロでやろうという発想はなかったんですよ。でも、解散の次の日にライブに誘ってくれる人がいたりとか、解散を発表していてもソロでの出演依頼があって、こういう選択肢もあるなって思えて、そのおかげで今もやれてる感じはしますね。
──ソロでやっていても、いつかはバンドでやりたいという気持ちはありました?
町田:ありましたよ。もともとバンド育ちだし、音楽をやろうと思ったきっかけが「バンドをやりたい」だったから、今は町田直隆&PK BATTLESというソロ名義のバンドで活動しているけど、ソロ名義じゃないバンドをやりたくなったらやるかもしれないですね。
──バンジーの時代を経て、ソロで活動していく中で気付いた事ってありますか?
町田:いろいろあります。ライブのブッキングも、スケジュール管理もお金の計算も、全部自分がやることになりますからね。ライブに対する緊張感もバンドとは違って、大変だなって最初は思いましたよ。でも、ソロにしかできないことがあるから、そういう楽しさは見つけられて良かった。曲順とかバンドだとバッチリ決めて意思疎通してやらないとならなかったけど、突然曲順を変えたり、突然曲調を変えたり、1人だと好きなようにできる。
──町田直隆&PK BATTLESでは、ソロの時と同じぐらいに自由にやれてる気がしますが…。
町田:ソロを経て、バンドでもそれができたらすごい面白いんじゃないかって。そういうスリルがバンドにも欲しい。僕が見る側だったら予定調和でこう来るんだって想像できるライブより、次どう来るんだろう、今日はどういう演奏なんだろうって1曲1曲ライブによって変わるのが面白いと思う。PK BATTLESは、そういうハプニング的なことを含めてライブを楽しみたい人達だからすごい気が合う。すごい楽しいんです。
──PK BATTLESのメンバーはどう決めたんですか?
町田:最初にNANANINEのpeco(PK/Drums)がなんかのライブで一緒になって、「いつか一緒にやれたらいいね」みたいな話をしたままになっていたんだけど、ある日「町田君、ヒマやったら俺と一緒にやらんと?」って突然電話がかかってきて。その時は例え2人とはいえバンドをやるのは疲れていたから、そこまでノリ気じゃなかったんだけど、試しにリハに入ってみたらすごい面白くて一緒にやっていこうよって。それからどんどん欲が出てきて、キーボードとかベースが入ったらもっと面白いんじゃないのって今の形になった。吉澤さん(Key)はバンジーの時からお世話になっていて、弾き語りでやってるときもピアノがいることは自分の中で“あり”だったんです。吉澤さんと2人でやってるときもありましたから。
現実に苦しみながら生きている人達へ
──バンジー時代からソロになった時は変わったという感じがしましたけど、ソロからと今のバンドでやってる町田さんは変わったという感じはないですね。
町田:バンジーは、曲順もちゃんと決めて何回もリハをやっていて、それはそれの面白さと緊張感があって、ヒリヒリとしたスリリングなライブだったと思うんですよ。で、ソロになったら違うライブの楽しみ方をしたくて自然にこうなったんです。音楽に長く関わってくるに連れて、ライブも音楽も楽しくやりたいよねって。バンジーの時が楽しくなかったわけじゃなくて、もうちょっとリラックスして音楽を楽しもうって思ったんです。歌の世界はバンジーの時代から変わってないですからね。
──『拝啓ロックンロール』も、かなり尖ってますよね。
町田:僕にとってソロの活動はバンジーをやってきた上でさらに自分の可能性を広げたものなんです。ヒリヒリの部分はもっとヒリヒリさせて、楽しいところはもっと楽しくさせて。
──曲の作り方は変わりました?
町田:バンジーの時は、メンバーの癖も含めて一番合うのはどういう楽曲かを考えながらやっていたところがあったけど、ソロになったら自分が作りたい曲を作ればいいんじゃないかってパーソナルに近いものを作るようになりましたね。
──今回、アレンジはPK BATTLESのメンバーと一緒に考えたそうですが…。
町田:僕、アレンジ能力がないんですよ、全然(笑)。それに各パートが、それぞれの解釈でやったほうが気が楽だし楽しいんです。基本的には楽しくやりたくて集まってくれてるから、みんなが「こうしたほうがいいんじゃない?」っていうほうが曲が面白い方向に行くんですよ。本当はハードロックの曲を書いてきたのに、バンドで合わせたらテクノになりましたとかだったらさすがにちょっと違いますねって言うけど、最終的に全然違う楽曲になってもこれはこれで楽しめると思ってます。
──そうやって全然変わった曲ってあります?
町田:『絶望ファンクラブ』は最初に作った時より全然違う感じになりましたね。弾き語りの時はもうちょっとゆるい曲だった。
──私、アルバムの中でこの曲が1番好きでした。
町田:ホント? 僕も好き。この曲も俺がアレンジしたっていうよりは、バンドでアレンジしたっていう感じ。pecoがアレンジするのが好きで主導権を握ってくれた曲が多い。
──あと、全曲キーボードもきれいに響いてましたね。
町田:吉澤さんにはイメージしか伝えてなくて、きれいなのとか切なくなるのとかしか言わないけど、それで解釈してやってくれた音がまさに! だったりするから。
──『打倒運命』はのキーボードはキラキラした音になってましたね。
町田:まさかそういうピアノを弾いてくれると思わなくてビックリしましたよ。こういう感じだろうって言うのができちゃうからすごい。今回のアルバムは吉澤さんのピアノはかなりポイントですね。吉澤さんに関しては絶大なる信頼感があって、何も言わなかったとしても自分が想像してる通りに弾いてくれることはわかっているから。吉澤さんがいなかったらできなかった。みんないなかったらできないんだけど。
──アルバムタイトル『栄光なき兵士達に捧ぐ』も気になるところでしたが。
町田:2003年ぐらいに、友部正人さんが定期的にやっているポエトリーリーディングのライブに参加させてもらったんですけど、その時に朗読した詞に「栄光なき兵士達に捧ぐ」っていう言葉があるんです。その詞を書いた時に、これをタイトルにしてアルバムを作りたいと思ったんです。その時にバンジーで活動していたけど、バンジーのアルバムタイトルとは違うんだよなって。栄光なき兵士は、戦わなきゃいけなくて死んでいく兵士たちと、いろいろ夢があって一生懸命生きていて、でも現実に苦しみながら生きている人達へ捧ぐ。昔から一貫して思っていることで、僕の歌のテーマがそこにあるんです。アルバム通して聴くと頷けると思うんですよ。
──町田さんってみんなでワイワイしてるイメージはないし、そういうイメージだから“らしいな”っていう感じがしましたよ。
町田:みんなとワイワイすることはないですね(笑)。
──どういうときに一番気持ちがワクワクします?
町田:1人で森に行って昆虫を探してる時。今テンション高いわ!って思う(笑)。昆虫を心から好きで、昆虫に対する思いが俺と同じぐらいあるヤツだったら2人でもいいけど。
──(笑)アルバムトータルで孤独を匂わせる感じですが、だからと言って曲が全面的に悲哀を感じるかと言ったらそうではないんですよね。
町田:それが、音楽の良いところだと思うんですよ。歌に込める想いは基本的に悲しいものだとしても、音楽になった瞬間にポジティブなものになる。だから音楽が好きなんだろうなって思いますよ。
──『東京ファック』だって詞だけ読んだら相当ネガティブだけど、曲になってみると全然そんな気持ちにならないですしね。
町田:そういうことができるのって僕の選択肢の中には音楽しかなくて、だから音楽やってるんだろうと思うし。音楽にしてる時点でポジティブなんですよ。
バンドブームからの影響
──『武蔵野ブレイクダウン』はかなりBOφWYを意識して…。
町田:(笑)バンジーの時にBOφWYやりたいって言っても通るわけないから、今回は自分の引き出しにあっても敢えて挑戦しなかったことに挑戦したんです。歌い方もそうだし、その曲は完璧にその時代の人たちへのオマージュですよ。
──詞の中にある語尾の「サ」の使い方もね(笑)。
町田:そうそう(笑)。完璧に、83〜85年のJ-ROCKの…。
──その時代ってまだ幼稚園とかですよね?
町田:でも自分にとって懐メロなんですよ。俺が小さい時に親戚の人がロックにはまっていて、BOφWYとか聴かせてくれたりしたんです。あと3つ上のアニキがBOφWYやBUCK-TICKが好きだったから自然と影響されているというか…。
──『歌舞伎町へようこそ』(M-6)も。
町田:これはモロロカビリーの曲を作りたいと思ったんだけど、バンドでやったらそんなにロカビリーっぽくもなくなった(笑)。元々はバンドブーム時代にいたロカビリーバンドへのオマージュです。
──町田さんのお客さんって若い人が多いから、わかるのかなって思いますけど。
町田:いや、わかんないからいいの。わかる人は笑ってくれればいいし、BOφWYも尾崎(豊)も知らない人には斬新だと思う。それが狙いなんです。
──別に尾崎とかBOφWYのファンに向けてるわけでは…?
町田:全然(笑)。このアルバムを通して僕はこういう音楽を聴いてきたんですよって知ってもらいたいんです。特に意識してないですね。
──今まで影響を受けたバンドというのは?
町田:当時のバンドブームのバンドはかなり影響受けてますよ。
──自分がその時代を過ごしたかったと思います?
町田:思いますよ。その時に聴いていたバンドってすごくかっこよく思えたし、それから音楽を聴いていくようになると感じ方は変わってきたけど、自分にとってはそれがロックだし、その人達がロックスターだし、日本で一番ロックンロールがイキイキしていた時代なんじゃないかな。ロックンローラーがロックンローラーしてた。ロックバンドというと最高にキザでかっこつけてて、マイクとか斜めに持っちゃって、やたらアツくてっていうことだと思っているんですけど。かっこつけたくて目立ちたくて、野心もすごくあったんだと思う。それですごくモテて(笑)。
──その時の人に影響を受けて、バンドをやってモテました(笑)?
町田:全然ない(笑)。バンドやってなかったよりは、やってたほうがモテるのは間違いないけど、根本的の人間性が変わらない限りは、モテるキャパシティは今最大限でそれ以上はない。本当にモテるヤツは何やってもモテるんだよ。女心をひく才能と音楽の才能とは別ですよ(笑)。でも音楽やってないよりかはモテた(笑)。このインタビュー読むバンドマンもそこには希望を持って欲しい。もともとモテない人が音楽をやることによって多少はモテる(笑)。あとモテてたとしてもそれに気付かなかったりするから。僕も毎日ウハウハなぐらいモテてた時期があったのかもしれないけど、元々モテないからそれすら気付かない。
──(笑)ということは、町田君は純粋に音楽が好きで10年間突っ走ってきたと。
町田:そうそう、基本的には音楽が好きで自分をアピールするのが好き。それプラス、モテたらいいな(笑)。ただ+αのモテるは思ったよりなかったな(笑)。
1人で音楽やってるんじゃないんだなって1人になってみてわかった
<ここで高原さん(エンジニア)と横山さん(ベース:fromテルスター)が参加>
──アルバムの13曲は、ソロでやってた曲のバンドバージョンとアルバムのために作った曲ですよね。
町田:アルバムのために作った曲は『東京ファック』『武蔵野ブレイクダウン』『TEENAGE DISTRUCTION』の3曲だけですね。ファーストは集大成的な「これが町田直隆です」っていうものを作りたかったんです。
──『さらば××××ランド』は町田さんを象徴する曲だと思ったから、入るかと思ったんですが。
町田:シリアスな部分とシニカルな部分があると思いますけど、『少年』『拝啓ロックンロール』『オリオン座流星群』はとことんシリアスを突き詰めていって、シニカルな部分として『歌舞伎町へようこそ』『絶望ファンクラブ』。シニカルな部分の象徴が『さらば××××ランド』だから敢えて入れなかったんです。あと、権利関係で訴えられてもめんどくさいし(苦笑)。
──ソロの曲を改めてバンドで演奏してみていかがでした?
町田:全然違うのが楽しいですね。『少年』はバージョンが全然違うから、『少年』のデモCDを持ってる人も楽しめると思う。バンドになって全部化けたね。全然違う曲になった。『バイバイ若草荘』は一番古い曲だけど、レコーディングしている時はこうなるんだって自分でもビックリしたし。
──全体的にバンドサウンドに合う曲になりましたね。高原さんはけっこう大変でした?
高原:サウンド的にもほぼ順調にいって、そんなに悩まなかったかな。完全に根本からやり直したのは『バイバイ若草荘』だけだもんね。
──レコーディング期間が半年で、意外と時間をかけたのかなと思いましたが…。
高原:半年かかってるけど、スタジオに入ったのは全部で20日間しかないんです。メンバーそれぞれ別のバンドをやってるから、スタジオの交渉とメンバーのスケジュール調整が大変でしたね。
──レコーディングをしながらライブもやると、曲のイメージってどんどん変わっていくかと思いますけど。
町田:確かにそれはありましたね。膨らみ過ぎちゃうと言うか。本当だったら、もう少し短い期間でやったほうがぶれることはない。でも最終的には行き着くところに行き着いたから良かったですよ。
──町田さんにしたら何年ぶりのフルアルバムですか?
町田:2005年の夏にバンジーで『CRUITHNE』を出して以来ですね。大変だったけど、これから音楽を続けていく上ですごく勉強になりましたよ。チラシを作るということでも、今までは人頼みだったことが、最終的な責任は全部自分が負わなければいけない。やらなければいけないことがいっぱいあって、そういうことも含め、本当に1人で音楽やってるんじゃないんだなって1人になってみてわかった。たくさんの人が関わってくれて、1枚のCDができるし、1回のライブができるんだなって。10年目にして痛感しましたね。
横山:今回は仕事とか考えないで町田君の元に集まった人たちが1枚のCDが作り上げられたというのは感慨深いですね。そういう繋がりも音源から伝わってくるんじゃないかなと。
町田:CD作るなら協力するよって友達や仲間が集まってくれて、そういう人たちがいなかったら作れてなかった。だからすごく感謝してます。仲間がいてくれるのも、自分が音楽を続けていったからだと思うから、そこにも集大成が込められてますね。
──10年の歴史があるからですね。
横山:まあ、僕はバンジーの第一印象はすごく悪かったけど(笑)。
高原:僕も悪かった(笑)。バンジーの作品3枚作ったのに、3枚目を作り終わった時点でまだ嫌われてるなって思って、友達に相談したぐらいだもん。「今レコーディングしているバンドのボーカルにすごい嫌われてるんだけどどうしたらいいんだろう」って(笑)。
町田:(笑)何も考えてなかったんですよ。
アルバムは早く聴かせたい曲順
──ところで、『TEENAGE DISTRUCTION』は横山さんもボーカルに加わって、テルスターの曲みたいだなって思いました。
横山:僕も自分で聴いて思った(笑)。
町田:それだけ個性があるんだなって思いましたよ。書いてる人が違うのにテルスターになるんだなって。
──そうそうそうそう。
町田:曲もテルスターっぽく聴こえますよね。だから、テルスターファンにもぜひ聴いてもらいたいですね!
高原:今回コーラスをやってくれた人が、横ちんがいて、祐さん(新宿心音会板谷祐)がいて、山口君(30size / ex.OUTLAW)がいて、みんな個性のある人ばっかりで、メインを食っちゃうからコーラスをあげられないの。
町田:祐さんが歌えばCRAZEになるし、進君が歌えばOUTLAWになる。
横山:ところで、今回のアルバムでシングルカットをするんだったら『少年』かなとは思うけど町田君はどう?
町田:今回に限らず町田直隆っていう歌うたいを象徴するのは『少年』ですね。バンジー時代から繋がっていて、よりパーソナルに広がった曲。だから、他にも入れたい曲はあったけど、特に思い入れが強い曲を入れました。曲順もいろいろ考えた結果、聴いてほしい曲から。全部聴いてほしいけど、これが町田直隆ですよ!っていう早く聴かせたい曲から並べました。
──1曲目は…『東京ファック』これが最も聴かせたかったと?
町田:そう(笑)。自分がどういうところから来たのか。フォークシンガーが出発点ではなくて、元々はパンク少年。バンドに対する憧れがあってっていうのは聴いてても感じると思います。
──この曲はバンジーの『ギターを鳴らすだけなら誰にでもできる 』からの流れがあったから、違和感なく聴けましたよ。
町田:バンジー時代から聴いてる人はそうかもしれないね。でも、ソロになってからの人だとシャウトする人ではないと思ってるから、「ぶっちゃけこういうことです!」っていう名刺みたいなもんです(笑)。簡潔な言葉で短い曲のほうがいい。根本がここですから、僕は。態勢を作ったんです。次がハードコアアルバムでも、心構えができる。こういうのも表現したいんですよ。事務所もレコード会社も付いているわけではなくて、自由なんだから何やってもいいじゃんって。僕の立場じゃないとそういうことができないんだよね。
横山:そういう意味ではソロになってバンド時代を振り切れる、焦点がはっきりした音楽が増えてるなと思いましたよ。
高原:やりたいことをやりきったかどうかは別にして、今回は無茶なことを言われても頭から無理だと言うのは止めようって思ってましたもん。やってみないとわからないですからね。
町田:今回作ってみて、自分の知られざる引き出しを見つけられたと思いますね。
──ソロ名義なのに、アルバムの1曲目のイントロがベースっていうのがいいですよね。
町田:みんなアコギで来ると思うでしょ。それが思いっきりあんなにめちゃくちゃなテンションで来られたらね(笑)。
横山:ジャケット見てフォークが聴こえて来そうだけど、なんだこれってなるよね(笑)。でも、ソロアルバムの第1弾としては堂々とした作品だと思いますよ。バンドが解散してソロになるとアコギがポロリンって来るかと思いますけど。
町田:好きなアーティストがソロになってポロリンって来たら、結果的に好きになるけど最初はショックなんですよ。俺は、ソロになっても気持ち的に丸くなった気がしていなくて、例えアコギ1本でライブをやっていても自分はロッカーだと思っているんです。それをファーストアルバムで出したいと思ったし、内容もそういうものになったと思う。落ち着いて渋いアルバム作りましたっていうより、現役です! っていう方がかっこいい。だから、バンジーを知ってる人にも安心して聴いてほしい。
──町田君変わっちゃったとは思わないですよね。
高原:ソロの時はずっとアコギでやってたのに、アルバムの中では2曲しか弾いてないですからね。
横山:今までアコギでポロリンとしたのがあったから、ファーストでこういう形ができたのはすごいことのような気がするけど。
町田:最初は俺もポロリンの予定だったんだけど。
横山:集まったみんなもフォーキーな感じにはしないっていう意識で作っていたかもしれない。だから、僕も町田君の作品だから控えめに弾くっていうよりは、自分を出しても町田直隆になるだろうっていう確信があるから、こういう音になったんじゃないかな。pecoちゃんだって自分らしく叩いても気持ちが町田直隆になってるから、トータル的に町田直隆の音像になっているのは奇跡だなとは思いますね。
町田:本当に、たくさんの人に聴いてもらいたいですよ。
特攻隊長の1人として影響を与えていきたい
──12月26日の吉祥寺シアターでワンマンがありますが、これからも中央線を拠点に活動していくところは変わらずですか?
町田:基本は。アルバムがすげえ売れたらヒルズ族になりますけど(笑)。ヒルズ族になったら、俺は中央線が好きですよとか言いたくないですね。ヒルズ族としての音楽しかやらない(笑)。今はリアルに中央線沿線に住んでいて、そこが出発点だから。吉祥寺シアターは機材とか自分で持ち込まなきゃならないんだけど、敢えてやってみたかったんです。
高原:やってみないと失敗も成功もしないからね。
町田:特攻隊長でいいんです。おもしろいと思うことをやって、それに付いてきてくれる人がいて、同じ音楽を志してる若い人たちに多少なりとも影響力を与えられたら次の世代にも繋がりますからね。僕は先輩ミュージシャンがいろいろと苦労して試してくれたから今の世代が音楽をやれてると思っているんです。今俺たちが無難なことしかやらなかったら、後の人たちも無難なことしかできなくなると思うんです。僕は特攻隊長の1人として。1人しかいないなら1人でやる。それでいろんな人に影響を与えていきたいですね。
──今、町田さんの活動に魅力を感じてる人はたくさんいますよ。
高原:まわりに集まってる人が最初は町田君のためにやっていたんだけど、すでにそうではなくなっているというか、みんな自分のためにやっている。そこがバランスが取れたり取れなかったりだけど、お前のためにやってるわけじゃないからっていうところで、みんながバランスを取っていると思うんです。
──それでみんなが楽しいと思ったからこういう作品になったんですね。
町田:そうですね。
高原:単純にロックンロールかと言われたらそうではないと思う。ものすごくポップだし、歌ってることはネガティブだったり、前向きだったり、それを象徴して完全にロックンロールかと言われたらそれだけではない。
町田:音楽ジャンルで言っちゃうとね。でも、アティチュードはロックンローラーのつもりですよ。
高原:基礎がそこにあるからこういうのができて、でもロックンロールだけじゃない思えないと『拝啓ロックンロール』は書けないと思う。
──みんなフォークシンガーだと思ってるかもしれませんしね。
高原:九州で言われてたよね。
町田:化粧して出たから、ビジュアル系フォークシンガーって勘違いされました(笑)。でも、誤解されるのも面白いですよ。誤解されてても自分の中でぶれてないから。ビジュアル系だと思っている人はそれでいいし、客層もいろんな人が来るから面白いんですよ。ある意味本当に自由なんだと思う。アルバムを作ったことによって違った客層も入ってくるだろうし、町田直隆の歌が好きで集まってくれる人に指図する必要はないですからね。俺の人間性そのものがお客さんに反映されていると思いますよ。
栄光なき兵士達に捧ぐ
TRGR-001 / 2,300yen(tax in)
12月26日よりライブ会場&HPより通販で発売
1、東京ファック
2、少年
3、バイバイ若草荘
4、打倒運命
5、絶望ファンクラブ
6、歌舞伎町へようこそ
7、長距離走者の孤独
8、TEENAGE DISTRUCTION
9、武蔵野ブレイクダウン
10、青の残響音
11、拝啓ロックンロール
12、滑走路
13、オリオン座流星群
Live info.
12月2日(日)西荻窪WAVER
CASE OF MACHIDA番外編カヴァーリクエスト大会
12月7日(金)新宿LOFT
SET YOU FREE VOL.212 〜YEAR END SPECIAL 6DAYS
12月15日(土)新宿 LOFT
SET YOU FREE VOL.212 〜YEAR END SPECIAL 6DAYS
12月17日(月)新宿JAM
In The Pink〜第八幕〜
12月26日(水)吉祥寺シアター
「町田直隆音楽活動10周年記念&1stアルバム“栄光なき兵士たちに捧ぐ”レコ発記念ワンマンライブ CASE OF MACHIDA LAST GIGS」
OPEN 17:00 / START 18:00
チケット2,500yen
町田直隆BAND
※当日アルバム購入者に幻の未発表音源プレゼント!
12月31日(月)渋谷Lamama / 高円寺クラブライナー
町田直隆 official website
http://www.machidanaotaka.rash.jp/jackknife/