the GOLDENBELLCITY
音楽で奏でられる世界で一番新しい御伽噺、その最終章
今、万感の想いを込めて鳴らす黄金の鐘
真実の想いは何よりも美しい──。そんな普遍的な真理を込めた理想郷“the GOLDENBELLCITY”をテーマに、音楽で奏でられる世界で一番新しい御伽噺を三部作にわたって紡いできたGood Dog Happy Men。三部作の最終作であり、バンドとして初のフル・アルバムでもある『the GOLDENBELLCITY』は、これまで発表されてきた『〜ep1』と『〜ep2』の随所で顔を覗かせていた登場人物や情景が巧みに盛り込まれ、物語の妙味を引き立たせるための相互作用として機能している。また前2作同様、楽曲ごとに録音の手法に工夫を凝らし、時空を超えた街の歴史を音像化している点も至極ユニークで、聴き応えは十二分にある。聴き手が五感をフル稼働させれば、それぞれに思い描く“the GOLDENBELLCITY”がまるで万華鏡の如く美しく色付き、煌びやかに精彩を放つことだろう。そして、寓話という体裁を取りながらもその歌々に刻み込まれた現実社会の暗部や生きる上での道理に気付かされ、音楽という表現の限りない可能性に身震いするはずだ。近年発表されたポピュラー音楽の中でも稀に見る高いポテンシャルと精度を誇る本作は、メンバー自身の手による温かみのあるアートワークやPVを含めて表現としての純度が凄まじく濃密な作品である。表現と対峙する真摯な姿勢と溢れんばかりの熱意、そして自らの音楽性に対する絶対的な矜持。Good Dog Happy Menは、音楽至上主義を貫く表現者集団の中で今一番信頼するに足るバンドだと僕は思う。(interview:椎名宗之)
設計図を無視して一筆書きで仕上げた
──前作『the GOLDENBELLCITY ep2』のインタビューで、門田さんが本作の曲作りに際して「手が震えて歌詞が書けない」と仰っていましたが、これだけのヴォリュームとクォリティの高さを考えるとそれもよく理解できますね。
門田匡陽(vo, g):あの時はちょうど曲作りの詰めの段階で、この一連のプロジェクトに一文字一文字終わりを付けようとしていたんですよ。その時はいろんな感情が交錯していて、プロジェクトが終息を迎えるにあたって“この言葉でいいのだろうか?”という思いが歌詞を書きながらずっとあった。このフル・アルバムには15曲が入っていて、『〜ep1』と『〜ep2』にはそれぞれ4曲ずつ入っているから、三部作には全部で23曲を収めたことになるんだけど、自分としては作った曲の半分くらいしか入れられなかったんですよ。それと、バンドとして初のアルバムという意味では、Good Dog Happy Menの全部を出しきった作品ではないんです。Good Dog Happy Menを3年間やってきて、その間に縫い上げてこしらえた袋があるとすると、この三部作を作り上げてその袋全部に風を通したかったんですよね。風を通すことでGood Dog Happy Menの袋を空っぽにして、次の作品作りに向かいたかった。確かに空っぽにする作業はできたけれど、収録曲はこれですべてというわけではないんです。
──この三部作を生み出そうとする当初の思惑と比べて、すべてを作り上げた後の心境はだいぶ変化があったのでは?
門田:設計図を緻密に作ったんだけれど、結局はその設計図を無視して一筆書きで仕上げたんですよ。当初の構想が膨らんだというよりは、補足しきれなかったという感が強いですね。でも、それは敢えてそうしたんです。つまり、自分の頭の中で描いた設計図を忠実に再現したいのならば、この4人で細部にわたって話し合わなければならない。でも俺はその作業を敢えてしたくなかったし、Good Dog Happy Menはファンタジーの部分をファンタジーのまま残しておかないと、聴き手がその音楽を面白がれないんです。聴き手の想像力を介在させる隙間を作っておきたかったから、出来上がった作品は最初に作った設計図とは全く違うものになりましたね。
──『〜ep1』と『〜ep2』を制作する過程で物語に生命の息吹が込められるようになって、門田さんの意図とは裏腹に登場人物が自由に行動するような部分もあったんじゃないですか。
門田:そうですね。漫画でも、物語の中盤に差し掛かると主人公の顔付きが変わってくると作者の人がよく話していますよね。主人公が作者の意図と反して勝手に動き出すというか。それに似たところがこの三部作にもあって、“the GOLDENBELLCITY”という街にはっきりとした景色が徐々に描出されるようになったんです。最初はもっと血が通っていない無機質な感じでしたからね。
──他にも収めるべき楽曲の候補が多々あったということは、本作に収められた15曲は厳選に厳選を重ねたものなわけですね。
門田:『the GOLDENBELLCITY』は今の世界の映し鏡であるというコンセプトがあったので、今の自分達だけのことを唄っている曲はすべて外しました。リアリティを追求した結果、自分達の中だけで通用するリアリティに基づいて作った曲は排除したというか。後は曲と曲の相互関係がうまく行かなかった曲ですね。1曲単位で見ると凄く完成度が高くても、他の曲とのバランスが悪ければ外すことにしたんですよ。
──登場人物や街の中でで繰り広げられるエピソードの数々が複数の曲にまたがって描写される面白さは、フル・アルバムならではですよね。「Apple star storyS」に出てくるヨーヨー売りのチンピラがオス猫の眼の「B D H M」だったり、「ハートのJUNKY」にある“この世界は張りぼてで仕切られている”という訓話を「廃墟の子供達 -黒い羊水-」に出てくる血走った眼のミュージシャンが喚いていたり。
門田:うん。それはこのアルバムに限らず、これまでの『〜ep1』『〜ep2』でも言えることだし、この三部作の醍醐味のひとつですよね。
街のリアリティを持たせるために年代設定は不可欠
──「ANDANTINO -museの楽団-」なら1959年、「Groria Streetから愛を込めて#3 -嬉しくて哀しい事-」なら1981年と、楽曲ごとに録音年代を設定して、アナログ時代の1920年代から現代のプロトゥールスまで音質、空間、湿度にこだわったレコーディングの手法はこの三部作で一貫していますが、1枚のアルバムとして聴くとその効果がはっきりと窺えますね。
門田:この街は突如こうなったわけではないし、今現在の街の景色を表現するために、今に行き着くまでの過去を逐一表現しなければ駄目だと思ったんですよ。街のリアリティを持たせるための年代設定はとても大事なことで、俺達は音楽でそれを表現しているわけだから、現代に至るまでの音楽をその都度再現することは必要不可欠だったんです。
──そのための苦労は各人のパートで多々あったんじゃないですか。
伊藤大地(per, ds):門田の世界観を作り込んだ曲ではあるけれど、4人の場に降りてきてからはそれほど神経質にはならなかったですね。ライヴっぽく一発録りをして勢いを出した曲も多いし。『Most beautiful in the world』がプロトゥールスでのレコーディングだったのに対して今回は全面的にアナログで録ったから、凄く生々しい表現になっていると思う。求めていたサウンドを上手く形にできた気がしますね。
韮沢雄希(b):楽曲の世界観と雰囲気に近づけることを突き詰めていきましたよね。このアルバムのためにウッド・ベースをちゃんと弾けるようにして取り組んだし。20年代の曲はマイク1本でベース、ギター、ドラムと音の小さい順にマイクに近付いて録る手法を採り入れたり、それによって曲の持つ細かいニュアンスを表現できたと思います。
内田武瑠(ds):20年代に比べたら録音技術はだいぶ進歩しているけれど、今はその当時の音を再現するのがこんなに大変だとは思わなかったですね。今ニラが言ったような手法を昔のミュージシャンは当たり前に試みていたわけだけど、自分達が今それをやろうとすると、その手法ができる高いスタジオに入らなくちゃいけない。現代のほうが万能なはずなのに、何だか不思議な感じでしたね。
門田:だからかなり贅沢なレコーディングをさせてもらいましたよ。宅録でもできるようなことをこだわってスタジオでやらせてもらったわけだから。
内田:そう、宅録ではなくこれだけの規模で取り組むことに意義があったんです。そこまでこだわったからこそ、人力ゆえの血の通った感じが音の細部にわたってよく出ていると思うんですよ。
門田:そうやってレコーディングを徹底することによって、たとえば俺のギターで言えば左手がどう押さえているのか、右手がどんな動きをしているのかが鮮明ではなくともちゃんと出るんですよね。そういう作り手の意志が反映されたアルバムが最近は少ないと思うんです。
──各曲の年代設定はどのように決まるんですか。
門田:曲作りをする時に“だいたいこの辺りかな”とある程度想定するんです。だけど前後しますよね。エンジニアの人と話し合うと、「この機材を使ってそういう録り方をするなら、その時代じゃないよね」という話にもなるんですよ。こっちは1968年くらいかなと思っている曲でも、それが1975年だったりする。そうなると2つに1つで、1968年に近付けるか1975年に近付けるかなんです。ただ、それはテクノロジーだけの話で、自分の中の空気感としては1968年だとしたらそれに見合う録り方を模索する。俺達が時代を近年に設定して、そこから時代が古くなることは絶対にないんですけどね。
──たとえば内田さんがヴォーカルを取った「勇敢な指揮者〜大行進」は如何にも1920年代風なマーチング調の楽曲で、「鍛冶屋 花火師 ピエロ」のサウンドは1950年らしくエルヴィス・プレスリーやバディ・ホリーを彷彿とさせる創成期のロックンロール。サウンドは微に入り細にわたって起伏に富んだアレンジが施されていて純粋に楽しめるし、そこに相互作用のあるストーリーを孕んだ歌詞が門田さんの記名性の高い歌声で唄われるのだから、音の総合格闘技としてはかなり最強の部類に入りますよね。
門田:そうですね。格闘技に喩えるなら俺達は禁じ手が一切ないバーリトゥードみたいなもので、リングの上で何をやってもいいんですよ。だから、あらゆる概念を乗り越えて何でもやってみたい。空手が好きで格闘技を始めたわけじゃないんです。つまり、ロックが好きでバンドを始めたわけじゃないですから。
──あくまで歌を真ん中に置いた音楽を志向しているということですか。
門田:いや、歌を真ん中に置いている感覚も自分ではそれほどないですね。純粋に音楽が好きなんですよ。演奏すること自体が好きだし、それがロックではなくても別に構わないんです。そういう4人が集まっているのがGood Dog Happy Menなんですよ。
物語の終幕は希望しかなかった
──それにしても、ジグソー・パズルの最後のパーツが揃って三部作が完結して、ようやく溜飲が下がった思いですね。
門田:うん、これで良かったんだなと思っています。仮に入れたかった曲をすべて収めた2枚組にしたら、入口を狭めたものになっただろうし。全体のバランスの中で精選した15曲だし、作品としてのクォリティは凄く高いと自分でも思うから、結果的にはベターだったと思います。
内田:“the GOLDENBELLCITY”という寓話を表現しきる上で曲を削ぎ落としたことが功を奏していると思うんですよ。ふんだんに曲を詰め込むことが目的ではなかったし、あくまでこの街の全貌と現在・過去・未来を表現することが第一義だったから。
──とりわけ感動的だと思ったのは、14曲目の「黄金の鐘」で明日への希望が描写されていることですね。ポジティヴで力強くて、『the GOLDENBELLCITY』の結末としてこれほど相応しい終幕はないと思ったんですよ。
門田:この終わり方は一番最初に決めていたんですよ。この物語は世界の映し鏡なんだけれども、必ず“めでたし、めでたし”を約束されたものであると。物語が機上に乗って打ち上がる時に、その離陸先は希望しかなかったんです。まぁ、音楽をやっていて大変だったとか頑張ったとは余り自分では言いたくないんだけど、うまく着地できて良かったなとは思いますね。ただ、物語を単純に希望だけで終わらせることが「Yes」なのか「No」なのか、自分の中ではずっと葛藤があったんです。
──でも、この「黄金の鐘」は命の儚さを前提とした上で唄われている希望だから、示唆に富んだものになっていると思いますけどね。
門田:含みのある「Yes」も厭だったし、だとしてもこの希望というものを押し曲げてしまえば『the GOLDENBELLCITY』のすべてが音を立てて崩れてしまう。そういう本当にデリケートな問題に直面していたので、手が震えて歌詞が書けなかったんです。“黄金の鐘”は“the GOLDENBELLCITY”のシンボルですからね。だから最初は、この曲を入れない案もあったんです。最終的には入れることにして、歌詞を全面的に書き直したんですよ。
──「黄金の鐘」を入れるのと入れないのとでは、印象ががらりと変わりますよね。
門田:最初は含みのある「Yes」だったんですよ。希望だけなんて言い切っていなかった。
──2007年の社会情勢を顧みると、それはリアリティに則した表現ではありますけどね。
門田:確かに。映し鏡としてはリアルなんだけど、その映し鏡に対する自分の思惟を最後に込めたかったんですよね。それを言わざるを得なかった。
──『〜ep1』と『〜ep2』に比べると、本作は門田さんの思惟や哲学が歌詞に見え隠れする部分が多い気がしますね。たとえば「Groria Streetから愛を込めて#3 -嬉しくて哀しい事-」の“与えられた答えは とても退屈だから 頭悪くなる”とか、「Jewel Box」の“俺達もの凄く ドジだね/沢山の言葉で 薄めて 忘れて”とか、物語のフォーマットを借りつつも門田さんの考える物事の真理が巧みに綴られていると思うんです。
門田:それは、自分の個性や思惟を殊更出さないように考えているからこそ出てしまうんでしょうね。物事を考える基準としてあるのは、常に自分ではなくGood Dog Happy Menなんです。Good Dog Happy Menとしてはどうだろうかというのをまず第一に考える。だけど結局、それを突き詰めると俺自身になるんですよね。『the GOLDENBELLCITY』の物語を体現するにあたってなるべくフェアな姿勢で臨もうとしたし、飛び抜けて自分自身の個性が出た曲は外すようにしたんです。
──寓話という形を採りながらも、最終的にはやはり作り手の個性や主張が滲み出てしまうものなんでしょうね。
門田:『グリム童話』なんて完全にグリム兄弟による社会風刺ですからね。宮沢賢治のイーハトヴ童話にも同じことが言えるし、世界で一番新しい御伽噺を自分自身で作るにしても、最後はそうなるんだろうなという予感もありましたから。
内田:どんな表現であれ、作り手の思想が如実に出ることは絶対に避けては通れないことですよね。俺は今まで門田の作る曲をたくさん聴いてきたけど、詞に関しては門田なりに普遍性のある判りやすい表現をしていると思いますよ。門田が書く詞は本来もっと判りにくい難解なものだし、今回は門田と俺が喋るような話し言葉に近いものがある。
門田:『the GOLDENBELLCITY』で苦労した点と言えばそこだけだね。如何に判りやすく伝えるか。物語である以上、誰が聴いても判りやすく伝わるものでなければならない。俺達は音楽家であって劇作家ではないから、そこに一番苦心しましたね。身近なスタッフと詞の内容でやり取りをしていて、その人がこちらの意図とは全然違った解釈をしていた時は“ああ、この書き方じゃ伝わらないんだな”と思って愕然としましたからね。
これだけ純度の濃い表現は他にない自信がある
──余分なものを際限まで削ぎ落とした上で判りやすく、しかも言葉遣いに自分らしさを残そうとするわけですからね。
門田:本当に難しかったですよ。歌詞を書くのは割とたやすいほうだけど、物語を書くのは凄く難しい。
内田:最近、精神カウンセリングに関する本を読んで勉強しているんですけど、その中の書物にこんな話があったんです。イタリアのとある街に、何をされても全く怖がらない少年がいたと。街の人が幽霊が出るぞと吹聴したり、殺人鬼に襲わせたりしても、その少年は一向に怖がらない。でも、少年が帰宅して自分の影を見た途端に彼は怖がって死んでしまうんです。自分の内なる怪物に恐れを為すというか、俺にはその話が現代社会の暗部を如実に表していると思ったんですよ。国も言語も時代背景も全く違うのに、普遍性を持って自分自身の中で響くものがあった。『the GOLDENBELLCITY』にもそういう誰しもが共感する普遍性が内包されているし、2007年という今の時代にこの作品が世に問われることが凄く意義深いことだと思うんです。現代の在り方と『the GOLDENBELLCITY』の表現方法、現代社会との関係性や距離感がとても近しいものだと俺は思うんですよね。
──その内田さんの話を聞いて思い出したんですが、“Bad Drug Happy Men”と唄われる「B D H M」では、自分達のネーミングをもじって現代社会の暗部にフォーカスを当てていますよね。
門田:「B D H M」は現代人の依存性について言及したつもりなんですよ。恋愛だってドラッグだと思うしね。
──“Bad Drug”というのは、金や権威といった今や世の中の物差しになっているものも含めた総合名称ですよね。
門田:確かに。形が何であれ、依存性を増長させるのがこの現代社会だから、その歪んだ世の中が要求する依存性に対する皮肉でもあるんです。
──この三部作が『Most beautiful in the world』へとどう繋がるのかが非常に楽しみだったんですが、最後の「今、万感の想いを込めて」の“美しい事を 忘れないように”という最初の一行を聴いてなるほどなと思いましたよ。“物語がひとつ 始まりを伝える”というこの曲が『Most beautiful in the world』への架け橋の役割をしっかりと担っていますよね。
門田:でも、この曲を最後にするつもりは最初になかったんですよ。この曲が出来た時は1曲目か最後かなとは思っていたんだけど、仰る通り最後に置いたほうが『Most beautiful in the world』に繋がるなと思って。それと、クライマックスで終わりたくなかったというか、「黄金の鐘」というクライマックスの後に“to be continued”の部分が欲しかった。“the end”で終わるよりも“to be continued”にしたかったんです。
──ただ、何というかこのままでは終わらないニュアンスも何処となく感じられるんですよね。
門田:そうなんですよ。次のアルバムでは全然違うことをやろうと考えているんですけど、たとえば5年後、10年後にもう一度この物語に取り組んでみたいと思っているんですよ。どうなるかは判らないけれど、同じやり方で同じ世界の映し鏡を構築してみたい。
──それをやるには、ある程度時間を置くことが必要なんですか。
門田:でしょうね。コンセプチュアルな音楽ばかりをやるバンドにはなりたくないし。この先は単純に余り意味のない音楽をやりたいんです。『the GOLDENBELLCITY』は意味ありきで始まったものだから、その真逆の音楽をやりたい。
──それは、『the GOLDENBELLCITY』のような緻密に構築された音楽を作り上げた反動なんでしょうか。
門田:まさにそうですね。“the GOLDENBELLCITY”にいる間はこの街から早く出たくて仕方なかったんですよ(笑)。それをずっと思い続けてきた8ヶ月間でしたから。曲を作るにしても、それが『the GOLDENBELLCITY』に関連しているか、もしくはそこに糸口がなければすべてを後回しにせざるを得なかったんですよ。だから今は凄くたくさんの曲を書き上げているんです。それまではすべての基準が『the GOLDENBELLCITY』からの定点観測で、それがどんなに良い曲でも今の自分達だけの内容ならば“やらない”という選択肢しかなくて凄く辛かった。とにかく、『the GOLDENBELLCITY』は聴き方を限定させるアルバムではありますよね。
──でも、それだけ聴き手が音楽と向き合うだけの時間を専有させる作品とも言えますよね。今やそういうアルバムも少なくなってきたし、1枚のCDに費やす熱量も稀薄になってきたじゃないですか。
門田:そうですね。音楽に限らず、何かを表現している人達には必ず突き刺さるものがある作品だと思うし、これだけ純度の濃い表現はちょっと他にないという自信はありますよ。一介のインディーズ・ミュージシャンがここまでできるわけだから、俺達と同じ音楽家には危機感を募らせて欲しいですよね。表現に懸ける熱意と音楽を愛する気持ちがあれば絶対に成し遂げられることだし、次の作品に向けての自分達に対するプレッシャーにもなりますからね。
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the GOLDENBELLCITY
tearbridge production TBCD-1981 / 2,800yen (tax in)
IN STORES NOW
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01. ANDANTINO -museの楽団-
02. 勇敢な指揮者〜大行進
03. Apple star storyS
04. Groria Streetから愛を込めて#3 -嬉しくて哀しい事-
05. Judgement ;
06. そして列車は行く
07. ハートのJUNKY
08. B D H M
09. VIVACE -TiTs-
10. 鍛冶屋 花火師 ピエロ
11. 廃墟の子供達 -黒い羊水-
12. 記憶と記録
13. Jewel Box
14. 黄金の鐘
15. 今、万感の想いを込めて
Live info.
Memory of the GOLDENBELLCITY
2月15日(金)名古屋 CLUB QUATTRO
2月16日(土)心斎橋 CLUB QUATTRO
3月8日(土)東京キネマ倶楽部
TRIPLE SCRATCH TOUR 07 EXTR@NAGOYA
12月4日(火)名古屋Heartland Studio
COUNTDOWN JAPAN 07/08
12月29日(土)幕張メッセ
THE FINAL OF 2007 第一部
12月31日(月)新宿LOFT
Good Dog Happy Men official website
http://www.gooddoghappymen.com/