祝・ルーフトップ&新宿ロフト31周年記念イヴェント開催!
人気コラム連載陣“BIG 3”がルーフトップにモノ申す!!
谷口 健(ビヨンズ)の『砂の上のダンス』とブラッドサースティ・ブッチャーズの『裏のスジの突き当り』の連載コラムがルーフトップで始まったのは、2002年3月号のことである。僕がルーフトップの編集に参画して2冊目の号だった。同年1月、何の因果かロフトプロジェクトに拾われてルーフトップ編集部に配属となった僕は、個人的に愛してやまないバンドの連載を持ちたいと真っ先に企て、当時の編集長に直訴したのだ。両者とも下北沢シェルターを基盤としたライヴを定期的に行なっていたし、スプリット・アルバムも出したことのある両者のディープすぎる関係性(特に谷口と吉村)もよく理解していたからだ。一方、増子直純(怒髪天)の『ZOOMYの眼』は2004年6月号から始まった。その前号に掲載された『リズム&ビートニク』のインタビューをした時に、増子から「俺もルーフトップで連載をやりたいな」と言われたのが事のきっかけだったと思う。
この3組による連載コラムの見開きページは、ルーフトップをルーフトップたらしめている大切な要素のひとつであり、大袈裟に言えば僕個人のアイデンティティのようなものである。少なくとも、僕が本誌の編集に携わる以上は今後もずっと続けてもらうつもりだ。そんなわけで、本誌の創刊31周年を記念して新宿ロフトで行なうライヴにこの3組が揃うことは非常に感慨深く、とても意義深いことなのである。このページは通常その3組によるコラム枠だが、今月は特別に谷口、吉村、増子の“本誌BIG 3”(と、勝手に命名)にルーフトップを巡って存分に語り倒してもらうことにした。(interview:椎名宗之)
初めてルーフトップを手にしたのは…
──皆さん、ルーフトップを最初に手にして読んだのはいつ頃か覚えていますか。
増子:あれだよ、矢野顕子が表紙のヤツでしょ?(笑)
──それは1976年10月の創刊号ですよ(笑)。増子さんがまだ10歳の時ですから。
増子:ウソつくなって(笑)。正確に言えば、東京に出てきた17年くらい前にまだペラ紙状態のを読んでたよ。
吉村:今よりももっと薄かった頃だよね。まだ手書きで書いてるような時期。俺達よりも、東京にいた健ちゃんのほうが読んでたのは古いんじゃない?
谷口:うーん、実は全然記憶にないんですよね(笑)。まだ小滝橋通りにロフトがあった時に、スケジュールが掲載されたのはもらってたんでしょうけど。アナーキーを観るためにロフトには毎月通ってましたからね。アルバムで言えば『READY STEADY GO』と『ANARCHISM』の間の中学生の頃でしたけど。その頃にルーフトップはすでにあったんですよね?
増子:全然あったよ。大判の紙にスケジュールが載ってて、折り畳める感じだったよね。
──よくご存知で(笑)。
増子:俺、それをまだ札幌にいた頃に見たことがあったよ。多分、友達が東京に行った時にロフトでもらってきたんじゃないかな?
──健さんがバンドを組んだのは、アナーキーをロフトで観ていた頃ですか。
谷口:いや、それから1、2年経った高校の時ですね。ポップ・グループとパブリック・イメージ・リミテッドとアナーキーとマスターベーションをコピーするようなバンドをやってました。
増子:それを全部足すと今のビヨンズになるから(笑)。
谷口:(笑)旧ロフトはとにかく、あの地下に降りて行くのが怖いなと思いましたね。
増子:あと、楽屋のゴキブリの多さね。札幌はゴキブリが出ないから、あれにはビックリしたよね。
吉村:それと下水の匂いだね。東京の建物はどこもそう感じたよ。羽田空港に降りた時点でまず臭いんだから(笑)。
──札幌時代、東京に出てきてロフトにライヴを観に行くようなことは?
増子:そんな金あるわけないじゃん(笑)。時間はたんまりあっても金がないんだから、遊びになんて来られないよ。でも、19歳で国を守るために埼玉に出てきた俺と違って(笑)、ヨーちゃんは一回東京に住んでたからね。
吉村:うん。18、19の頃、友達と一緒にちょっとの間ね。
──ブッチャーズの前身バンドが終わった後ですよね。
吉村:そうそう。よく覚えてないけど、その頃にロフトでパイディアとかを観たような気がする。
増子:トランス・レコードの全盛期だよね。まァ、俺も札幌で有頂天と間違えられたことがあるけどね(笑)。怒髪天と有頂天、“天”しか合ってねェだろっていう(笑)。俺は“健康”じゃなくて不健康だよっていうさ(笑)。
吉村:で、札幌に帰って来てすぐに、おまえ(増子)に「バンドやれよ!」って言われたんだよ。俺は家もないし、何の用意もないのにどうすりゃイイんだよ!? って思って(笑)。それで、確か1ヶ月くらいでブッチャーズを始めたんだよ。
増子:そうだっけ? 全然覚えてないよ(笑)。まァ、俺もちょっとは役に立ってるじゃん(笑)。俺が上京してきたのは25歳の時で、ヨーちゃんなんかよりも早かったんだよね。東京に行く先陣を切ったのはゴッツ・ガッツの谷口(順)だったんだけどさ。最初は部屋も借りてなくて、俺は谷口の家に転がり込んだんだよ。
吉村:俺もだよ。みんな東京に行っちゃって、“そして誰もいなくなった…”ちゅって俺達とイースタンユースが最後に行ったんだよね。谷口の家か、真二(増子真二、DMBQ)の家か、小磯(小磯卓也、現在は札幌にある『BAR十蘭堂』主人)の家かの“塾”に行くしかなかったわけ。
──ん? “塾”っていうのは?
増子:コミュニティみたいなもんだね。松下政経塾みたいなさ。真二の家には吉野(吉野 寿、イースタンユース)がしばらく住んでたからね。
吉村:真二の家は面白かったよ。吉野、田森(田森篤哉、イースタンユース)、射守矢(射守矢 雄、ブッチャーズ)っていう顔触れで。ほのぼの系っていうかさ(笑)。
増子:それぞれのコミュニティに分かれてたわけ。やっぱり、バンドの同じメンバーとは住みづらかったんだよね。
活字とインターネットの原稿の違い
──上京前にも、ブッチャーズと怒髪天は東京でライヴをやっていたんですよね。
増子:ちょこちょこ来てたからね。俺達が初めてロフトに出たのは“札幌ナイトの逆襲”(1990年5月11日)だね。客としてロフトに行ったのは上京してからで、確かブッチャーズのレコ発だったかな。ブッチャーズとイースタンは『STRAIGHT AHEAD II』に参加して、俺達よりも先にロフトでやってたじゃない? で、宝島から出てた『ロック名鑑』にブッチャーズとイースタンが東京で高い評価を得ているって書いてあるのを見て、凄く嬉しかったのを覚えてる。自分がイイと思うバンドは東京の人もイイと感じるんだなって思ったよ。
──過去のルーフトップを見ると、ブッチャーズのロフト初登場は1988年4月17日の“スマイル・パーティ 〜東西南北酸欠ギグ〜”ですね。ガーリック・ボーイズやニューロティカなどと共演しています。
吉村:そう、その頃だね。同郷で、先に東京に来てたネェちゃん(音楽ライターの中込智子)に呼ばれたんだよ。
谷口:僕が谷口君と出会ったのはロフトの前で、ヨーちゃんに紹介してもらったんですよ。ヨーちゃんがちゃんと上京してきてすぐの頃で、それは劇的に覚えてますね。
増子:俺は谷口に「ビヨンズっていう凄く良いバンドがいるんですよ」って健ちゃんを紹介してもらったんだよ。それは三軒茶屋のヘヴンズ・ドアだったね。
吉村:あの時代はヘヴンズか20000Vしかなかったもんね。
谷口:うん。シェルターとは、どういうわけか縁がなかったんですよね。
増子:シェルターが出来た頃のことは覚えてるよ。最初は“やっぱりロフトだよな”なんて思ってたけど、今やこんなに独自の歩みをするとはね。全国レヴェルで見てもシェルターは凄く重要なライヴハウスだし、あそこをホームにして出てきたバンドは問答無用に格好イイ。あと、何たってシェルターはヨーちゃんの住み処だからさ(笑)。
谷口:ファウルの時はシェルターに凄くお世話になりましたけどね。イースタンユースが“極東最前線”をシェルターで定期的にやっていて、そろそろ暖簾分けしようということで“砂上の楼閣”を始めたんです。
──『砂の上のダンス』と『裏のスジの突き当り』が始まったのは、この2002年3月号からなんですよ(と、冊子を見せる)。
増子:うわッ、まだこんなに薄かったんだね! 紙質も全然違うじゃん。健ちゃんとブッチャーズのコラムを最初に読んだ時、イイ連載が始まったなと思ったよ。こりゃ完全に趣味のページだなって(笑)。これを見た時に、誰が作ってるかすぐに判ったもん(笑)。でも、このページだけは終わらせちゃいけないと思うよ。
吉村:ルーフトップで最初に取材したのは誰なの?
──増子さんとあぶらだこの長谷川裕倫さんの対談ですね(2002年2月号)。吉祥寺のルノアールでインタビューをやったんです。健さんとブッチャーズのコラムはもう5年半、それぞれ67回を数えるんですよね。ロフト席亭・平野 悠の『おじさんの眼』、カタルさん(ニューロティカ)の『今夜はトゥナイト』に継ぐ長寿連載なんです。
増子:カタルはあの凄まじい文字数の原稿を手書きで送って来るんでしょ? 打ち込むほうも大変だよね(笑)。
吉村:へェ。まァ、手書きも今や貴重だよね。
──健さんからは未だにワープロで打った原稿をFAXで頂いてますけどね。
谷口:メールに添付して送れないんですよ。鴎外っていうワープロを未だに愛用しているんです。
──“砂上の楼閣”の打ち上げの席で健さんに初めて原稿を依頼した時、「ルーフトップは全体的に誤植が多いから、原稿は椎名さんが責任を持って打ち込みして欲しい」と言われたのを覚えてますよ(笑)。
谷口:随分と偉そうなことを言ったんですね(笑)。全然覚えてませんよ。
増子:ブッチャーズのコラムは射守矢の回が特に面白いよね。あれは本にして欲しいくらいだよ。
吉村:そう、ルーフトップは自分達のコーナーをまず見て、射守矢が書いてると結構嬉しいんだよ(笑)。俺は酔っぱらって調子に乗って書くと文字数が多くなるんだよね。思い当たることはたくさんあるから、書こうと思えば幾らでも書けるよ。ただ、インターネットが普及してからは余りヘンなことを書けないようになったよね。一時期、意識的に句読点や“てにをは”を間違えたり、わざとメチャクチャな文章をネット上で書いてたんだけど、いろんな誤解や擦れ違いが生じるから書くのをやめたんだよ。こう見えて、そういうのは今でも意識して原稿を書いてるからね。
フリーペーパーは内輪ノリで終わるな!
──でも、ネット上に載る文章と誌面に掲載されるそれとは、執筆の向き合い方が随分と変わってくるんじゃないですか。
増子:そうだね。紙に載る活字は検索に引っ掛からないからね。
吉村:あと、文字を読む集中度が全然違うよ。
増子:前に椎名君が「『ズミ眼』はネットに載せたくなかった、できれば冊子で読んで欲しい」って言ってたじゃない? 俺はその気持ちが凄くよく判るよ。紙のほうがじっくり読み込む楽しさがあるし、掲載を誌面限定にすることで雑誌の需要が高まって、発行部数も拡大していけるだろうからね。でも、そこを時代と譲歩してネットでも読めるようにしてるのはちゃんと目配せができてるんじゃないかな。
──有難う御座います。そんな『ZOOMYの眼』も早3年、気が付けば40回ですからね。
増子:もうそんなに経つんだねェ。ぼちぼち一冊の本にしてもらわないとね。俺はルーフトップが数あるフリーペーパーの中で一番好きだから『ズミ眼』をやってるんだよ。今ルーフトップ以外で連載をやってるのは、なぜか『web 女性自身』(『怒髪天・増子直純の男子たるもの!!』)だけだからね(笑)。もうさ、この3組のコラムをまとめて本にしようよ! それでプラスワンで合同サイン会をやろうよ!(笑)
──イイですねェ。一冊の本になるだけの原稿は溜まってきましたからね。ところで、ルーフトップに限らず音楽系フリーペーパーは普段からよくご覧になりますか。
吉村:ライヴハウスに行ったらやっぱり読むよ。ルーフトップもそんな感じだね。
谷口:僕も、ルーフトップはライヴハウスでよく拝見してますね。
増子:ルーフトップもそうだけど、これからのフリーペーパーに大事なのは内輪ノリにならないことだね。誰が初めて読んでも面白いものでないといけない。ライヴハウスで配布されてるフリーペーパーは、とかく内輪ノリに終始してるものが多いからね。コラムでも、“オマエ、誰やねん?”っちゅうようなヤツの先週起こった話を読んでも面白くも何ともないからさ。
吉村:それは、小松(正宏、ブッチャーズ)の書く文章のことを言ってるのか?(笑)
増子:違うよ!(笑) あとさ、俺は健ちゃんの書く文章が好きなんだよ。やっぱり凄く巧いよね。この間のテッキンにミカンをもらった話なんて、山田洋次の映画を1本観たようなイイ気分に浸れたよ(笑)。俺は家のトイレにルーフトップを置いてあって、用を足しながらいつも隅々まで読んでるんだよね。4店舗のスケジュールも隅々まで読んでるから。
──増子さんは、プラスワン方面のサブカルチャーにも造詣が深いですからね。
増子:『ジュリエットやまだの“あ・き・す・と・ぜ・ね・こ”』までちゃんと読んでるからね(笑)。言ったら、『深入りコーヒー三杯目!!』も遡って読んでるから。もう何杯目なんだ!? っちゅうさ(笑)。
──有り難い限りですね(笑)。とにかくこのお三方の見開き連載に関しては、誌面刷新を重ねる中で何としてもカラーにするのが僕の中でひとつの野望だったんですよ。
吉村:それは素直に嬉しいことだよね。
谷口:確かに、連載を始めた頃に比べたらカラーも増えて、凄く豪華になりましたよね。
増子:欲を言えば、中綴じの部分に折り畳めるグラビアを付けて欲しいよね。グラビアには程遠いバンドマンを毎回ピンナップ扱いにしてさ(笑)。最初は是非、小松にやって欲しいけど(笑)。イイと思うんだけどなァ…。
──善処します(笑)。これまでルーフトップに掲載されたインタビュー記事で、特に印象に残っているものはありますか。
増子:ブッチャーズもビヨンズも、それぞれがアルバムを出した時のインタビューは必ずチェックするよ。
谷口:バンドのインタビューに混じって、鈴木邦男さんのような政治活動家の記事が載るのが凄いですよね。
吉村:俺はね、おまえ(増子)が岡本太郎さんの養女・敏子さんと対談した記事(2002年6月号)は羨ましいと思ったよ。
増子:ああ、敏子さんにはあの時お会いできて本当に良かったよ[編註:敏子さんは2005年4月20日に逝去]。個人的にも凄く感慨深い対談だったからね。
インタビューに馴れ合いは御法度
──僕はビヨンズのトリビュート・アルバム座談会(2002年6月号)やファウルの“砂上の楼閣”30回記念インタビュー(2004年3月号)、ブッチャーズとザ・バンド・アパートの料理対決(2005年11月号)、それと怒髪天を初めて表紙にできた号(2004年12月号)などがとりわけ印象深いですね。
増子:俺達を表紙にしてくれた時は凄く嬉しかったよ。裏表紙がブルー・ハーブで、偶然にも札幌繋がりでさ。裏のオシャレさと比べて俺達のベタベタさが凄まじかったよね(笑)。クールな佇まいと俺達の思いっきり肩に力の入った感じの対比がたまらないよ(笑)。まァ、ブッチャーズが新譜を出す時のインタビューはルーフトップが一番面白いと俺は思うよ。やっぱり、ヨーちゃんと椎名君の関係性があるからね。
──『banging the drum』をリリースした時のインタビュー記事は、吉村さんが「楽しく読めた」とわざわざメールをくれて、凄く嬉しかったですね。
吉村:そうそう、あの時はコロムビアで一対一でやったんだよね。持って来てくれた缶ビールを呑みながら(笑)。まァでも、椎名は友達っちゅうのもあるけど、そこを一回取り払ったところで喋りやすくさせようとするっていうかさ。それが結果として面白い記事になればイイよね。面白くなかったら単なる内輪ノリで終わって最悪だけど。
増子:そうだね。あと、ヨーちゃんにしても健ちゃんにしても、他の雑誌なら答えてないだろうなっていう2人の言葉がルーフトップの記事にはあるからね。俺も、他の音楽誌だと余り真面目なことは喋れないからさ(笑)。
──増子さんは気配りの人だから、インタビュー初心者には凄く話しやすい対象だと思いますよ。
増子:うん、やりやすいと思うよ。“これは言っとかなきゃ”っていうのを3つくらい考えて話して、あとは世間話ばっかりだから(笑)。でも、初心者はそれ以上突っ込んでこないからね。やっぱり、話が広がるか否かはそのインタビューア次第だよ。
──有り難いことに皆さんとは公私共に親しくさせて頂いてますけど、インタビューで向き合う場面ではそういう関係性を一切排除して臨んでいるつもりなんですよ。お友達内閣ならぬお友達インタビューになると、結果的に記事が凄く生温くなってしまうので、僕は絶対に避けたいんです。
吉村:そうあるべきでしょ。読んでるほうも不快に感じることもあるだろうしね。まァ、他のバンドのインタビューに比べて楽しくやってると思うけど(笑)、抜き出すところも馴れ合いじゃなく巧くやってくれてると思うよ。
増子:ちゃんとシビアにやってくれるよね。あと、どの雑誌もそうだけど、活字になると凄く冷たく受け取られる場合があるし、誤解が生じることも往々にしてあるからちゃんと校正はさせてもらわないとね。そうじゃないと、自分でその発言に対して責任が持てないからね。
吉村:ギャグのつもりで言ったことが、そう取られないケースもあるからね。ストラングラーズの座談会の時(2007年3月号)もさ、ジャン・ジャック・バーネル自身が読んでるわけはないと思うんだけど、かなり細かくチェックしたんだよ。その場ではノリで話したことも、活字になると悪意が感じられることもあるからね。
増子:そうそう。最後に「(笑)」を付けないと、過剰に深刻に取られることもあるからさ。まァ、俺の場合は「(笑)」を付けすぎだって話があるけどね(笑)。
吉村:まァその前に、俺達の見開きページを見て“フン!”って思ってる人もいるかもしれないよね。“毎月毎月、なんでこんなコラムが続いてるんだろう?”って思ってる若い世代もいるだろうね(笑)。
増子:いるかもね。でも、俺達以上に面白いことができるんだったら名乗りを上げて出てこいや! って感じかな(笑)。若かろうが若くなかろうが一切関係ないよ。面白いか面白くないか、凄いか凄くないかだけだから。若くても凄いヤツは凄いんだよ。
いつかロフトでラーメン屋をやろう!
──皆さんの近況を伺いたいのですが、まずビヨンズはニュー・アルバムの制作を無事終えられて。
谷口:ええ。ヨーちゃんが紹介してくれたスタジオ(新大久保のフリーダム・スタジオ)でレコーディングしまして、今回はかなり激しめの曲が図らずも多くなりましたね。本当はビリー・ブラッグとウィルコが一緒にやった時の音楽とか、自分の年齢を考えればもっと落ち着いた感じの音楽を体現しなくちゃいけないと思ってたんですよ。歌も演奏も、ナイーヴさと優しい感じのソウルを感じさせるものというか。でもバンド編成だからなのか、ついつい激しくエモーショナルに唄ってしまうわけです(笑)。自分はそれで良いんだろうか? っていうのをここ2、3年ずっと考え続けているんですよね。
増子:いや、それでイイんだと思うよ。だって、全部正解なんだから。“ノリでやっちゃったかな?”って思うものまでもが全部正解だから。最近それは凄く思う。“これどうかなァ…?”なんて最早思わない。失敗なんかない! レコーディングしたデータが消えちゃったら失敗かもしれないけど、消えない限り失敗はない! 思ったことをそのまま言えばイイんだよ。ビヨンズはファウルに比べて大人になってると俺は思うしね。
谷口:ホントですか?
増子:うん。一度フラットな状態に戻ってから“それでもこれをやろう!”っていう意志があるから。それは大人じゃないとできないよ。若気の至りっていうのは若い頃にしかできないけど、大人になってからの至りは熟考した上で至るわけだから、余計にタチが悪いんだよね(笑)。
──怒髪天はここ数年、良い意味で軽くなってきていますよね。
増子:意識してなるべく軽くしてるんだよ。辛気くさいのは普段の生活だけでイイんだわ。俺達もアルバムのレコーディングを終えたばかりなんだけど、今回はその作業の合間にツアーをガンガンに入れてたから死ぬかと思ったよ(笑)。今まではレコーディング作業に集中したくて、絶対にライヴを入れなかったからね。でも、今回はそれを敢えてやろうと。何か新しいものが見えてくるかもしれないから。確かに見えたよ、“地獄”がね(笑)。歌詞をまとめる時間がなかなかなかったからさ。まァ、毎回言ってることかもしれないけど、今回も凄くイイ作品ができたと思ってるよ。一言で言えば、軽くて深い。隠れてる意味は深いかもしれないけど、スタンスは凄く軽い。大人になったからと言って深みを感じさせないものがイイっていうのがモチーフだったからね。
──ブッチャーズは結成20周年イヤーが絶賛続行中ですね。
吉村:うん。来年もそれを続行していくけどね(笑)。
増子:もう20年も経つのかァ…。来年は俺達もシミ(清水泰而、怒髪天)が入って20周年なんだよ。なんでシミが入ってからの記念をしなくちゃいけないんだ!? っていうさ(笑)。
吉村:まァ、シミも俺達がいなかったら今頃はこの世界にいなかっただろうね(笑)。
増子:そうだよ。アル中で入院してるか、千歳でニヤニヤしてるかどっちかだっただろうね(笑)。
──まァとにかく、10月1日はルーフトップ主催でこの3組によるライヴをブッキングしたので、ひとつよろしくお願い致します。
増子:俺の中では椎名ナイト…略して“シーナイト”だからね(笑)。この3組が揃うのは貴重な機会だし、来ないと絶対に損すると思うよ!
吉村:この見開きコラムを読んでる人がどれだけいるかが当日判るんじゃないの? 次の号のこの見開きは、その日来てくれたお客さんの落書きにしよう!(笑)
──前向きに検討します(笑)。では最後に、オープン31周年を迎える新宿ロフトに向けて一言お願いできますか。
増子:ロフトでオリジナルのラーメン屋をやろうよ!(笑) ロフトには全国からいろんなバンドが集まって来るから、札幌の味噌味もあれば博多の豚骨味でも何でもあるっていう。そのメニューにそれぞれバンドの名前を付けるんだよ。
吉村:ああ、それイイね。俺もカレーライスとか料理を作りたいな。俺、コックやるよ(笑)。
谷口:じゃあ、僕はウェイターを(笑)。ウェイターっていうか、お客さんを迎える入口にいる人がイイですね。
増子:健ちゃんは『ビストロ・スマップ』で言うところの中居君だね。「オーダー!」って言う係(笑)。…まァ、そりゃどんなライヴハウスだよ!? って話だけどね(笑)。
Live info.
Rooftop & shinjuku LOFT 31st ANNIVERSARY 〜砂の上のスジの眼〜
2007年10月1日(月)新宿LOFT
bloodthirsty butchers / BEYONDS / 怒髪天
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKETS:advance-3,000yen (+1DRINK) / door-3,500yen (+1DRINK)
info.:shinjuku LOFT 03-5272-0382
【Rooftop & shinjuku LOFT 31st ANNIVERSARY 〜砂の上のスジの眼〜
出演者の皆さんから素敵なプレゼントがあります!】
怒髪天 OFFICIAL WEB SITE
http://www.dohatsuten.jp/
bloodthirsty butchers OFFICIAL WEB SITE
http://www.bloodthirsty-butchers.com/
BEYONDS OFFICIAL WEB SITE
http://www.beyonds.jp/