ギター バックナンバー

URCHIN FARM('07年10月号)

URCHIN FARM

反比例しない初期衝動と共に響き渡る『存在音』

バンド結成から8年半、初の本格的な音源である『RainbowL』の発表から4年を経て、URCHIN FARMが満を持してメジャー・カンパニーへ移籍することになった。移籍第1弾となるシングル『存在音』には、彼らの最大の武器である極上のメロディを極限まで引き出した至上の楽曲が収められている。
タイトル・トラックの「存在音」(ハドソンDSゲームソフト『絶対音感オトダマスター』のイメージ・ソング)は、彼らが模索し続けてきた“日本語によるパワーポップ”の現時点での最高峰であり、「これぞURCHIN FARMの真髄!」と快哉を叫びたくなるようなスタンダード性の高い作品だ。カップリング曲の「a drop」は流麗なコーラス・ワークを駆使したダンサブルなナンバーで、「いつものLOVE」は如何にも彼ららしいハートフルなバラード。この3曲は、URCHIN FARMが生み出す総天然色サウンドの雛型と言うべきものであり、近い将来発表されるであろうフル・アルバムの手応えを十二分に感じさせる出来となっている。
特に「存在音」は、偉大なるアマチュアリズムと天性のポップ・センスで高水準のポップ・ソングを量産してきた彼らが、初めて強い確信を持って取り組んだ“自分達にしか唄えない歌”である。インディーズ時代から彼らを見守ってきた立場としては、バンドの存在証明とも呼べるこんな骨太な歌を彼らが生み出したことがとても嬉しく、何だか誇らしくもある。
反比例しない初期衝動と止まらない表現欲求を携えたまま、URCHIN FARMの第2章はここから始まる。お楽しみはこれからだ。(interview:椎名宗之)



シンプルさをこだわり抜くことが今の理想

──何はともあれ、メジャー進出おめでとうございます。

一同:ありがとうございます!

──環境がガラッと変わったわけではないと思いますけど、意識的な変化は何かありましたか。

MORO(g, cho):特に変わったところはないですね。ただ、バンドに関わるスタッフが増えたので、より責任感が増した部分はありますけど。

SOTA(vo, g):メジャーに移っても、いい曲を作る、いいライヴをやるっていうバンドの根幹は変わらないので、それを新たな環境で今まで以上に活性化していきたいですね。

SHITTY(b, cho):曲作りやライヴにより専念できる環境が整ったんだなとは思いますね。あとはただ頑張るのみですよ。

TETSUYA(ds, cho):どこかでプレッシャーは感じつつも、今この瞬間にやるべきことをしっかりとやっていけば大丈夫かなと思ってるところですね。

──今回発表されるシングル『存在音』はメジャー第1弾作品として相応しいもので、URCHIN FARMの新たな代表曲としての風格がすでに感じられますよね。

MORO:「存在音」はスタンダード性の高い曲になりましたね。ここ数年、バンドの内部も外部も目まぐるしく変化を続けていく中で、ポロッとスタンダード曲が降りてきた感じなんです。最初は『絶対音感オトダマスター』っていうゲームソフトのイメージ・ソングの依頼を受けたところから曲作りが始まったんですけど、どんな曲にしようかとあれこれ考えを巡らせたわけでもなく、期せずして生まれたというか。歌詞もメロディも、極々ストレートに出したら自ずとこんな形になったんですよ。

──ゲームソフトのイメージ・ソングを出発点としながらも、“自分達が存在する証となる音を響かせよう”という、URCHIN FARMの決意表明とも取れるスケールの大きい歌に仕上がりましたね。

MORO:そうなんですよね。『POWER POP MANIA』の時は、曲の世界観を共有するために歌詞を4人で共作したりしたんですけど、今回のシングルは自分が中心になって書いた曲がたまたま多く入ってるんです。「存在音」は僕とSHITTYがああでもない、こうでもないと歌詞を書き上げた曲ですね。メジャーに移ったり、ゲームソフトのイメージ・ソングになったりと、バンドの外的状況が重なり合う中で書いた曲が、他のどの曲よりも自分達の根底にあったものを図らずも表現していたというのが不思議ではありますね。

SOTA:“今のURCHIN FARMはこうなんだ”っていう4人の総意が歌詞に表れてますよね。ゲームソフトのイメージにも巧くリンクしてると思うし。これだけ深い内容の歌詞をどう唄うかというのが僕にとっては大きな課題で、自分としてはサウンド作りよりも歌に集中して臨みました。

──SHITTYさんが「存在音」の歌詞を書くにあたって気を留めた点というのは?

SHITTY:『〜オトダマスター』っていうゲームは、DS本体のマイクから取り込んだ音によってオトダマ(音の精霊)を集めて遊ぶRPGなんですよ。音を出すことで遊ぶゲームと、バンドとして自分達の音を出していこうぜっていうところをリンクさせて、自分達がバンドをやっている意味にまでテーマを広げていったんです。歌詞を書くことによって、いつの間にか失いかけていたバンドを始めた意義や初期衝動みたいなものを再認識したというか、なぜバンドで音を出すのか、なせこのステージに立っているのかを改めて深く考えましたね。

──『オレマニア』の揺り戻しで整合性の取れた『POWER POP MANIA』でのサウンドが、今回のシングルではより精度が高まったと思うんです。不純物が一切削ぎ落とされたブレのない音をしているし、それが「存在音」での凛とした佇まいに繋がっているというか。

MORO:そうですね。『オレマニア』でキーボード主体の電子音を大胆に導入したり、様々な音楽的変遷を経てきた末に辿り着いたのが『POWER POP MANIA』だったんです。そこである程度サウンドの差し引きのバランスが掴めたので、そこからどう進んでいけばいいのかは自分達でも理解していたんですよ。やっぱり、ごちゃごちゃやってきた中でのシンプルさっていうか、そこに特化したいと思って。ただ、そうなると今度はシンプルにすることの難しさっていう新たな壁にもぶつかったんですけど、そこを乗り越えた時に本当にやりたいことが見えてくるんですよね。変化球を投げてオリジナリティを暴発させる時って、やってる最中は難しいんですけど、いざ作り終えてみると“案外パッとできたかな?”と思ったりもするんです。でも、シンプルに作ることは最後の最後の最後までこだわってやらないと、右から左へすり抜けていくようなサウンドになってしまう。「存在音」はそこが凄く難しかったですね。シンプルだからこそ一発勝負みたいなところがあるので。変化球なら、どこかに引っ掛かればいいってところで100発打てば何発かは当たるんですけどね。「存在音」は決め打ち一発の感覚だったから、感性がどこまでも研ぎ澄まされていないとダメだったんです。でも、そこをこだわり抜くことが今のURCHIN FARMが進むべき道だと思ってるから、今回のシングルもいい経験ができたと思いますね。


キャッチャーのサイン通りにボールを投げた感覚

──前回のインタビュー(2007年3月号)の際、「今作ってるのは“これこそURCHIN FARMの真髄だ!”っていう感じの曲」とMOROさんが発言されていましたけど、この「存在音」はその言葉通り、バンドの本質にかなり肉迫できた作品だと思いますよ。

MORO:いつもなら“このアレンジはここまで行っちゃおうよ!”みたいな感覚で作ってたんですけど、今回はシンプルさを追い求めて、身動きが取れない中でどこまで聴き所を作るかっていうのが凄く難しかったですね。でも、この4人でそれがちゃんとできたから自信にも繋がったし、次に向かうべきベクトルも見えてきたから、ここから屈折しないで真っ直ぐ進んで行けると思います。

──たとえば「CANDY」や「MONOchrome」といった初期の名曲は、天性の感覚だけでポップな道筋に辿り着いたところもあるんじゃないかと思うんです。それに比べてこの「存在音」は、ちゃんと照準が絞れた上で確信的にURCHIN流のパワーポップに取り組んでいる気がするんですよね。そこは『RainbowL』から4年を経て着実に成長した証じゃないですか?

MORO:仰る通りです。キャッチャーにサインを出されて、そのままのボールを投げてストライクを取った感覚に「存在音」は近いんじゃないですかね。伝えたいメッセージが核としてあった上で、ライヴでこの曲をやる時の映像が頭にも浮かんでたし、CDを聴いてる人の表情や心の震え具合までを思い浮かべて作ったからこそ、“この辺でこの言葉を入れたほうが絶対印象に残るだろうな”っていう狙いができるようになったんだと思います。「存在音」はネタとしては前からあって、最初はバラード用に作ってた曲なんですよ。「Replay」みたいに、SOTAが一人で弾き語りでやってもいいくらいに思ってて。それを一度早いリズムでやってみたら手応えを感じたんです。だから、熟成させるだけの時間はそれほどなかったけど、ちゃんと噛み砕けた感はありますね。

──せっかくの機会なのでカップリング曲についても訊いてみたいんですけど、如何にもURCHIN FARMらしいハーモニーの美しさが光る「a drop」は、過不足なく鍵盤が寄り添うアレンジが見事ですね。これも『POWER POP MANIA』以降のシンプルさを追求する志向の表れなんでしょうか。

MORO:そうですね。今回からサポートのキーボードが替わって、彼はピアノの音色が好きなんです。この曲もピアノを押していこうと最初から思ってて、それは彼との出会いがあってこその方向性なんですよ。それも「存在音」同様に期せずしてっていう感じなんです。何というか、このバンドは結構柔軟なんだなと改めて思ったんですよね。たとえば、失恋を経験すれば聴き手の情感に訴えかける歌詞が書けるように、外部からの影響を受けて表現に繋がるのをバンドの理想としていたところがあるので。そういう影響されやすい部分は人間っぽくていいと思うんですよ。

──キーボードが変わったのと同時に、ライヴではSOTAさんとMOROさんの立ち位置が入れ替わりましたよね。それまで真ん中だったSOTAさんが上手側に、MOROさんが真ん中になって。

MORO:ええ。SOTAと僕の2ヴォーカルみたいな感じにしたんです。音のバランスもしっくり来るようになったし、ようやく理想的な位置になった気がしますね。

SOTA:僕はモニターも特に要らないし、立ち位置は余り気にしないほうなんですよ。それよりも見かけと外の音のほうがライヴは大事だと思うし、自分達がやりやすい云々は二の次なのかな、と。ドラムの隣りで唄うのが一番やりやすいと思っても、絵的にそういうわけにはいかないじゃないですか? 外に向けてバンドが立った時にしっくり来るのがお客さんにとって心地よく聴こえる形だと思うし、それを模索した最善の結果が今の立ち位置なんですよ。この間のツアーのワンマンの時に気づいたんですけど、曲を引っ張っていくリード・フレーズが全部キーボードのほうから聴こえてたから、上手後方にいるキーボードの前に僕が立つことで歌に広がりが出ると思ったんですよね。それで、僕からみんなに提案してみたんです。

MORO:だから、これはバンドがキーボードをありきとして考えてるという意志表示でもあるんですよ。まぁ、まだCDも出していない頃、4人だけでライヴをやってた時はSHITTYが真ん中だったこともあったし、今までかなり試行錯誤してきたんですよね。確か、4、5パターンは変えたんじゃないかな。

SHITTY:まぁ、僕はまたいつか真ん中に立ちたいと思ってますけどね(笑)。

MORO:真ん中になって、ビール・ケースの上に立って演奏するとかね(笑)。



最新シングルに込められたバンドの3本柱

──もうひとつのカップリング曲である「いつものLOVE」は、URCHIN流“小さな恋のメロディ”といった趣きの温かいバラードですね。

MORO:SOTAが書く詞は心情の深い部分を衝いてくるんですけど、僕はそういうふうに心象風景を細かく描写するよりも、日常で起こる他愛のない出来事を普遍的なテーマにまで持って行きたいタイプなんです。「いつものLOVE」もそういう歌で、誰もが持ち得る何気ない愛を世界中の人が大事にすれば、きっと平和な未来が訪れるはずだということを表現したかったんですよ。どれだけ稚拙な表現でも、そういうことを今から少しずつ唄っていけば世界は変わるんじゃないかと思って。だから、どちらかと言えばコンセプトから入ったような曲ですね。

──一人一人がそばにいる大切な人を守ろうとする気持ちがあれば、大きな意味で言えば戦争なんて絶対に起こるはずがないという。

MORO:その通りです。そういった普遍的なメッセージこそ、僕らみたいな平穏に生活している人間が発信できることなのかなと思うんですよ。壇上に登らない感じで大きなことを唄いたかったんです。壇上に登ると、何だか押しつけがましくなるからイヤなんですよね。僕らの周りで起こってることと聴き手の周りで起こってることに大差はないし、互いが互いを大事にしていけば幸せだと感じることはきっと長く続くはずだよ、っていう。

──曲の終わりのほうには、『〜オトダマスター』の効果音らしき電子音が入っていますね。

MORO:そこはゲームと連動していて、あの音をマイクで取り込むとレア・キャラがゲットできるんです。でも、それだけをCDに入れても面白くないから、ちゃんと曲にしてみたんですよ。そうすれば、『オレマニア』と『POWER POP MANIA』で試みたピコピコ系のサウンドとポップなサウンドが融合したURCHINらしさが出ると思って。

──なるほど。そんな話を伺っていると、今回のシングルは「存在音」、「a drop」、「いつものLOVE」と3曲ながらもヴァラエティに富んだ、とてもバランスの良い作品だと言えますね。

MORO:URCHIN FARMの3本柱っていうのは、「存在音」みたいなエッジは立ってるけどメロディアスな曲、「a drop」みたいなポップで跳ねてる感じの曲、それと「いつものLOVE」みたいなバラードだと思うんです。そういうバンドの核となる3つの方向性をこのシングルで出しておきたかったんですよね。それが次のフル・アルバムで広がっていけばいいな、と。まぁ、結果的にこの3曲が揃ったのも期せずしてなんですけどね。

──URCHIN FARMのディスコグラフィを振り返ると、この『存在音』に至るまでに発表されたどの作品も必要不可欠で、然るべき道程を経て『存在音』まで辿り着いたことがよく判りますよね。

MORO:そうなんですね。活きのいい荒々しい感じの『RainbowL』から始まって、プロデューサーの佐久間正英さんと出会ったことで無駄なところを一度全部削いでみようとして『MONOchrome』、『I.D. (Illustrator's Decoration)』、『One minute SNOW』までがあって。でも、ちょっと削ぎすぎたんじゃないか? という思いから、今度は逆に無駄なことばかりをやってみようと考えて『オレマニア』があって、その中で自分達が無駄だと思ったところだけを削ごうとしたのが『POWER POP MANIA』だった。その削ぎ落とし方が研ぎ澄まされてきて生まれたのが『存在音』なんです。

──気が付けば佐久間さんの手を離れて、今やしっかりセルフ・プロデュースできるようになったわけだから、着実にバンドが進化し続けているのが窺えますね。

MORO:そうですね、そう考えると。今思うと、一度無駄なところを全部削いじゃったことで、そこから戻るのがかなり難しかったんですよね。あるアイディアが浮かんでも“これはやりすぎじゃないか?”っていう考えが邪魔をして、なかなかアイディアが出てこなくなってしまったんです。どれだけ曲を作っても面白味を感じられない時期がしばらくあって、その状況を打破するためにも『オレマニア』という作品がどうしても必要だったんです。それ以前はアイデンティティを幾分喪失気味なところがあったのは否めないんですけど、その時期に作った曲も凄くいいんですよ。ただ、今の自分達がライヴでその曲を演奏するほうが当時よりも絶対に格好いいと思います。

──それはつまり、取捨選択をちゃんと学べた成果なんでしょうね。

MORO:ええ。そこを通って来られて良かったと思いますよ。何ひとつ無駄なことはなかったと断言できるし。

──『POWER POP MANIA』に収録された「近未来少年」でURCHIN FARM独自のデジタル・パワーポップを遂に確立できたと当時は思いましたけど、それすらも凌駕した確固たるオリジナリティが「存在音」という曲には間違いなくありますよ。

MORO:今思い出したんですけど、『オレマニア』をリリースした後にとあるバンドマンから「お前らは凄く器用だよね」って言われたことがあったんですよ。向こうは否定的なニュアンスで言ったわけじゃないんだろうけど、余りいい気分がしなかったんですよね。でも、なぜいい気分がしなかったかと言えば、もの凄く図星だったからなんです。僕は器用に何でもできるバンドのほうがいいとずっと思ってたんですけど、そこにしっかりとした芯と筋がなければただの器用貧乏で終わってしまうんですよね。流行りのファッションが旬を過ぎていくみたいに、そのバンドが出す音も単なる消耗品にしかならないというか。それじゃダメだと思って、自分達のやりたい音楽の方向性はどこなのか、URCHIN FARMらしさとは何なのかっていうのを真剣に考えるようになったんです。その果てに生まれたのが「存在音」なんですよ。“自分達の出したい音はこれなんだ!”っていう意志をようやく楽曲として昇華することができたんです。

──じゃあ、そのバンドマンには御礼を言わないとね(笑)。

MORO:「ありがとうございます!」ですね(笑)。でも、そのお陰で発奮できたわけだから感謝してますよ。


バンドのフィルターを通せばURCHIN FARMの音になる

──そう考えると、ようやくいろんな状況が整ってきて、真の意味でバンドの快進撃が始まるのはまさにこれからですね。

MORO:そうですね。ここからが勝負だし、望むところですね。

SOTA:URCHIN FARMがずっと探し求めていた到達点にやっと手が届いた感じですね。器用なだけで終わってしまう部分が取れて、芯の通った器用さを兼ね備えるようになったわけで。その器用さはバンドにとって大きな武器だと思うし、それを得たことで自由度も高くなりましたからね。自分達のポリシーを曲げなくても、ちゃんと周囲を説得して今までとは違うアプローチができるようになったというか。

──器用か不器用かで言えばURCHIN FARMは間違いなく前者でしょうけど、一貫してバンドの芯にあるのは常に極上のメロディを紡ぎ出すことなわけで、結成以来そのスタンスには何ら揺るぎがないと言えるんじゃないですか。

MORO:確かにバンドの姿勢は変わらないけど、URCHIN FARMという名のフィルターが出来たなとは思うんですよ。今まではヘンに自分達の色を気にしすぎてしまったというか、たとえばバラードを作るなら珠玉のバラードの域まで達するような寸分の隙のないやり方をしていたんです。でも、今はどんなタイプの曲を作ろうが、URCHINというフィルターを通すことで絶対的にURCHINの曲になるという音の確立ができたと実感してますから。以前なら激しい曲をやるならより激しく、ピコピコ系をやるならよりそっちの方向へとことん突き詰めていたけど、フィルターがなかったから全部ストレートな気持ちのままお届けしていた部分があって。それがフィルターが出来たことによって、どれだけ深い気持ちを注いでもURCHINの狙ってるサウンドに自ずと向かっていけるようになったんですよ。まぁ、要するにようやく吹っ切れたんでしょうね。その都度発表してきた作品がある程度の評価を受けていたにせよ、この先URCHINがどこへ向かうのかを考える立場としては、正直なところ不安で苦しい部分もあったんですよね。でも、この『存在音』が完成したことによってかなり先のほうまで視界が開けたんです。

──URCHIN FARMは表現する姿勢がどこまでもストイックだから、裏を返せばもの凄く不器用だったのかもしれないですね(笑)。

MORO:かもしれないですね(笑)。音が饒舌になるというよりは、伝えたい思いや歌の意味の部分で饒舌になるバンドだから、少し頭でっかちになってしまうところがあったんだと思いますよ。

──テクニックを増した各パートも今や充分饒舌になっていますよね。

MORO:ええ。「存在音」のイントロならTETSUYAの半端じゃないドラムがそうだし、「いつものLOVE」のSHITTYのベースはちゃんと主張してるし、絶妙のタイミングでフワッと入ってくるSOTAの音程にも同じことが言えますよね。

TETSUYA:そうやって各々のパートが主張することで、4人の立場がより明確になったんですよ。それと比例して、ライヴでどう表現していけばいいのかも明確になったし、今のライヴは数ヶ月前とは明らかに違うと思うんですよね。

SHITTY:今まで以上に周りの音に耳を傾けて、その上で4人全員が確信的に前に出るようになりましたからね。

MORO:今はそれぞれのパートが異常なまでの暑苦しさですから(笑)。でも、そこは僕としてはガッツ・ポーズなんですよ。その暑苦しさがバンドにエネルギーを与えて、安定にも繋がると思うし。レコーディングは内に閉じ籠もる作業で、ライヴは外に向けて発散していくものだと認識していたんですけど、レコーディングこそ外にブチ撒けるような感覚が大事だと思い始めたところなんです。そういうふうに真逆の発想で攻めていくのがバンドの今のキーワードなんじゃないですかね。

──そんな心持ちなら、来たるべきニュー・アルバムには相当な期待をしても良さそうですね。

MORO:もちろんですよ! この「存在音」からパズルを埋めていく感じになると思います。芯の通った真っ直ぐな歌を作りたいという姿勢は変わらずに、そこからまた新しいタイプの曲にもトライしたいですね。新しいんだけど、どう考えてもURCHINだよなと思わせる曲になるはずです。今のこの4人なら、もっとスケールの大きい曲もできるし、URCHINなりの多面的なポップも見せられると思うし、楽しみですよ。バンドにとっては、期待と不安が渦巻く大航海になるんじゃないかな。何事も不安やリスクを背負わないと面白くないですからね。


【URCHIN FARMの皆さんから素敵なプレゼントがあります!】



存在音

EMI Music Japan TOCT-40164
1,000yen (tax in)
1.存在音 2.a drop 3.いつものLOVE
2007.10.03 IN STORES
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Live info.

10月5日(金)渋谷O-CREST
10月8日(月)大阪club massive
10月9日(火)名古屋アポロシアター
10月23日(火)新宿LOFT
10月28日(日)大阪AtlantiQs 〜MINAMI WHEEL 2007〜
10月31日(水)新潟JUNK BOX

URCHIN FARM OFFICIAL WEB SITE
http://www.urchinfarm.com/

posted by Rooftop at 13:00 | TrackBack(0) | バックナンバー

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