様々な角度からのラブソングを綴った三部作の第二章、
『the GOLDENBELLCITY ep2』
世の中に「ラブソング」と呼ばれるものは数え切れないぐらいにあるが、その中で“愛は素晴らしいものではない”と歌ったラブソングはなかなか見つけることが出来ない。Good Dog Happy Menがお届けする三部作の第二章『the GOLDENBELLCITY ep2』では、どれも素敵な「愛についての音楽」が歌われているが、ただ優しいだけのラブソングはない。
「愛というツールでは決定的な答えを共有できるとは思っていない」と門田匡陽(Vo/G)が言われているように、ソングライターである門田が初めて表現する純愛、愛欲、性愛、偏愛と、様々な角度から綴ったラブソング。現代における一番リアリティーのあるラブソングが誕生した。(interview:椎名宗之+やまだともこ / text:やまだともこ)
ラブソングの答えはひとつではない
──ep1のテーマが「生きること」だったのに対して、ep2のテーマは「愛」ということですが、Good Dog Happy Menがやる以上は、一筋縄ではいかない「愛」の表現がなされていますね。
門田:実は「愛」というのは当たり前のことを当たり前に感じる上での「愛」っていうツールだと思うんです。愛至上主義じゃないですけど、愛は絶対に素晴らしいものという感覚の上でラブソングは成り立っていると思うんです。でも、所謂商業音楽というのは惚れた腫れたでしかラブソングが存在してないんですよね。俺はそこに対する違和感をすごく感じているんです。今の音楽シーンに始まったことではないんですけど、俺にとって当たり前の事って惚れた腫れたとかじゃなくて、例えばやれるかやれないか。これを愛と言うなら愛かもしれないけれど、細分化していくと愛って言葉にもいろんな要素が入っていると思うんです。そのひとつひとつの要素に焦点を絞りたかった。だから『Natural Born Queen』(M-2)とか『吐息達の棲み家』(M-3)は、ラブソングのカテゴリの中にこういうものも入れちゃっていいの?っていう感じにはなってますけどね(笑)。
──世の中に溢れかえっているラブソングからはリアリティーを感じないということですね。
門田:例えば「あなたを守りたい」という詞があったとして、「守る」ってどんな意味なんだろうって考えると難しすぎるんです。「守る」っていう感覚を歌にするときに、どうすればいいんだろうって思っちゃうし、リアルではないというかわからないんです。好きだっていう感覚を表現すると、『Natural Born Queen』とか『吐息達の棲み家』のほうが俺にとってわかりやすい。
──光と影があるとしたら、影を見ざるを得ないフォーカスの絞り方ですよね。
門田:そうですね。例えばプラトニックな恋愛があるのかと言ったら絶対にないですよね。プラトニックな恋愛なんて見たことないし、存在するとも思ってない。これが普通だと思うんです。世間一般のラブソングを聴いて胸をときめかせている男の子や女の子がSEXしないのかと言えば絶対してる。はっきり言って、俺たちの方がぜんぜんやさしく歌ってると思いますよ。
──「守る」と言っても、世の中のラブソングが歌っているような綺麗なものばかりではないですからね。
門田:具体的に、日常生活を続けていくことが守るという行為なのか、それとも銃弾が飛んできたら守るということなのか、簡単にそんな言葉を使うなよって思うんです。だから「愛」という言葉を自分たちなりに正したい思いがあるんです。『Twice Birds' Singing』(M-1)と『Groria streetから愛を込めて#2』(M-4)だったら、「愛」のいい面を歌っているのが『Twice Birds' Singing』で、悲惨な面を歌っているのが『Groria streetから愛を込めて#2』って捉えられるかもしれないけど、俺としてはどっちも価値は一緒。『Twice Birds' Singing』で歌ってる「愛」が素晴らしいことではないんですよ。
──そういう姿勢があるから歌詞もストーリー性を重んじて、暗喩的な表現を敢えてするのかもしれないですね。ところで、『Twice Birds' Singing』は、日常的な愛が歌われた歌ですよね。
門田:そうなんです。そう思ってもらえたら嬉しいですけどね。やさしい歌っていうわけではないんです。
──街の港の方から視界が開けてきて壮大なストーリーが始まるのかと思ったら、ハッピーとは言えない2羽のつがいの鳥のお話で、捉えようによっては重い曲だと思ったんですよ。
門田:この鳥は今もつがいで存在しているのか、それとも過去につがいとして存在していて喪失した1羽の追憶の歌なのかで捉え方が違うと思うんです。俺は、愛というツールでは決定的な答えを共有できるとは思っていないから、答えはどちらでもいいんです。聴く人の答えがないとただの原理主義になっちゃう。俺の答え以外のものが存在しないとラブソングではない。ラブソングで答えを作ってしまったら、それはただのエゴだと思うんです。それは公共の場でやることではないと思う。前回のインタビューで「伝承されてく音楽をやりたい」っていう話をしたんだけど、伝承されているものって筋書きはあっても答えは絶対にないんですよ。グリム童話は筋書きはあっても、それで何を得るかは読んでる人次第。
──起承転結の“起承転 ”までで、“結”は受け手次第であると。
門田:だけど、今世の中に溢れている音楽には“結”しかないんですよ。音楽に限らず、どの文化もそう。題名だけで話が全部終わってるものばかりでしょ。だからこれは“結”の文化に対するアンチテーゼなんです。
──『the GOLDENBELLCITY』は聴き手が想像力を働かせて聴くべき曲が集まっていますし、そういう意図の元に制作されていますからね。
門田:変な言い方かもしれないけど、俺は考えない人には聴いてもらわなくていいと思ってるんです。
──続く『Natural Born Queen』にはいろんな楽器が詰め込まれていて、情報量の高い楽曲で相当な音数がありますね。
門田:そうなんですよ。音がいっぱい入っていて、詞は肉感的なことを歌っているんです。「俺は君とやりたいんだけど」って。その成功率を高めるためにいろんな言葉を使う(笑)。そういった事を表現するときに、ロックンロールのリズムはすごく便利なんです。
──“礼儀正しく犯行声明”という言い回しがとりわけ耳に残りますね。
門田:それ、大地(Dr.)も言ってました。昔読んだ本に「男はタフじゃないと生きられない、優しくないと生きる資格はない」って言葉があって、素敵な表現だなって思っていたんです。だから俺は君とやりたいっていうことも礼儀正しくアプローチをしたいっていう思いがあったんだけど、この曲では善悪がどうでもよくなってくるんですよね。公共の場にスプレーで好きな人の名前を書くとかって世間一般ではいけないことだし、この詞に出てくる女の子が現実逃避のためにプロパンガスを吸っているとか、俺はいけないと言われていることに興味があるんです。
──いけないことについ吸い込まれる力ってありますよね。
門田:ミュージシャンは人間の模範じゃなくていいと思っているんですよ。やりたいって思うことは普通じゃないですか。でも、なんでやりたいのかということを歌ったのが『吐息達の棲み家』なんです。『Natural Born Queen』だけじゃ、俺のやりたいは説明しきれないんです。好きになった人を独占したいんじゃなくて、その人が、どんな声になるのかとか服で隠している所の色とか匂いとか秘密を知りたいんです。だから思春期も性に全然興味がなくて、今もそんなにないから風俗に行く気も起こらない。ただ、その人と仲良くなってそれ以上のことを知りたくなったらすごくやりたくなる。
──本質が隠れているものの中にあるからそういう欲求が生まれるんじゃないですか? 秘密を知りたいっていうほうがよっぽどエロティックですからね。これは、『the GOLDENBELLCITY』で言うとどんな場所にあるような棲み家なんですか?
門田:どうなんでしょうね。 『the GOLDENBELLCITY』のep1とep2は定点観測だから、全部街の同じところにある。だから、自分の中では『Natural Born Queen』でやりたい盛りの奴らがいて、『吐息達の棲み家』のような奴もいてっていう風に分けてもいいと思う。でも説明しきれない性の“畏怖”を表現している2曲です。
行間に込められた歌の隠し味
──『Groria streetから愛を込めて#2』は『Groria streetから愛を込めて#1』に比べてこんなに変わったのかっていう驚きがありましたよ。
門田:そうですね。最初、#2は#1で歌っている視点の大人になった姿を歌おうと思って作っていたんだけど、やめたんです(笑)。#1の未来形としての#2だと現実感は増すけれど、#1のロマンシチズムが失われてしまったんですよね。だから定点観測にしてしまおうと思ったんです。#1で「さようなら。人間は独りだから」っていう素敵な別れがある風景の中で、隣の家ではこういうことがあっても良いなっていう。テーマとしては何かに関しての決別を歌っているから矛盾はないんですけどね。
──#1の続きとしての#2だったら、物語の起承転結の“結”を言ってしまう無粋さがありますよね。
門田:#2で物語をThe EndにすることはNOだなと思ったんです。
──歌詞はグサッと来るフレーズもありクスッと笑うところもあり、曲調はどたばたコメディーチック。
門田:音楽にユーモアを取り戻したかったんですよ。なぜニューオリンズの曲はあんなに陽気なのか。なぜ90年代以降の音楽は杜撰なのか、悲哀性を含んでないといけないのか。それは時代のせいかもしれないけれど、表現したいことに音楽を寄り添わす努力をしていないだけだと思う。音楽って茶道とか書道とかと一緒で「道」がつくものだと思っているんです。だから一生かけて極めたいと思ってる。自分のできない範囲のことをいっぱいやっていきたい。それを成功させないといけないんだけど、自分が表現したいことを「しらけ」で完結させたくないんですよ、絶対に。正直メロディーがどうこうじゃなくて、表現したい曲がそれだからそういう曲調になるんです。
──詩を読ませたければ詩集を出せばいいわけですからね。さっきニューオリンズの曲がなんで明るいかって言われてましたけど、それは絶望の裏返しなのかもしれないですね。表面だけなら陽気で楽しい曲だけど、その裏に何があるかが大事で、演者と受け手のイマジネーションのキャッチボールみたいなものなんじゃないかなって。
門田:『聖者の行進』を演奏してアフリカン系のアメリカ人が喜んでいるとしたらば、ニーナ・シモンが女性としての歌を歌う時は、絶対にそこには壮絶なドラマがあるんです。行間に込められている部分が歌の隠し味になっているんですよ。今、コミュニケーションの取り方に関して言うと、一番悲惨な世の中だから俺たちは表現の中に全てを込めているんです。
──正解はないけれど、考えるヒントを与えてくれる力が音楽にはありますからね。
門田:答えは出せないけれどきっかけにはなりますから。
──#2はサウンドの録り方が面白いですね。
門田:俺たち自体は適当に考えてやってるんだけど、適当な精神状態に持っていくまでのフィーリングを掴む努力はしているんですよ。『Natural Born Queen』で言ったら、ロックンロールのフィーリングをどういうふうに自分たちなりに解釈できるか。そこまでに時間をかけていて、録り自体は適当にやって終わり方も決めてなかった。だけど、その適当さ加減と言ったらものすごくレベルが高いんです。もちろんシビアな表現をしないといけない時は逆です。『ハイ・ストレンジネス』(the GOLDENBELLCITY ep1)は全然違ったし、曲ごとで取り組むフィーリングに関しての焦点をみんなに要求するんです。『Natural Born Queen』のリハをやろうって決めたときは、スタジオに行く前の日から適当な雰囲気を作るためにどんな会話をしたらいいだろうっていうことをずっと考えている。狂気の沙汰だと思いますよ。音に関係していないところでシビアになりすぎているんですよ。でも音楽って、音楽に関係ないことが音になりますからね。
当たり前のことを当たり前に表現しているだけ
──『Groria streetから愛を込めて#2』は音のメリハリとかボーカルのイコライザーの使い方とか、すごく計算しつくされてあの形になっているんですよね。
門田:エンジニアの松本さんがすごくアイディアマンだから、俺は初めてやることをすごくたくさんやらせてもらったんです。ボーカルはギター練習用のミニアンプで流してマイクで拾って録っているんです。マイクのキャップを全部はずして、むき出しになったマイクのコンデンサーに布を被せて叫びながら歌っています。ロータリースピーカーみたいな雰囲気が出ましたね。
──今回、アナログ機材面での試みは?
門田:『Natural Born Queen』に関してはギター・ボーカル・ドラム・ベース・コーラス全部アナログで録ってモノラルなんですけど、パフッとギュイーンという音だけステレオになってるんです。だからこの2つだけ異常にデカイ(笑)。
──コミックソングじゃないんだから(笑)。
門田:そうそう(笑)。そういう感覚でしたね。面白いことは何でもやってみようって。
──サウンドの実験性と愛というヘビーな内容を歌った絶妙なバランスの4曲が揃いましたね。
門田:愛というテーマで取り組んだ4曲のわりには愛至上主義ではない、愛は素晴らしいものではないという愛をテーマにしたCDなので、その部分をみんなに感じてもらえたらと思います。
──さっき“畏怖”とおっしゃいましたけど、愛はいろんなものを犠牲にしなければならない怖さがありますよね。
門田:何かに対してのイエスは何かに対してのノーですから、そう考えると愛は素晴らしいんだよって主張してしまうことはネガティブなんですよ。僕らは自分のCDを売りたいだけで音楽をやっているわけではなくて、聴き手が理解してくれるまで伝えなくてはならないんです。
──全部のピースはまだ揃ってないですけど、だいぶ『the GOLDENBELLCITY』の輪郭が定まってきましたね。
門田:実は、答えを出さない表現をするということに困っているんです。完成度の低さだとは思って欲しくないけれど誤解もされるし、はっきりしてないじゃんって言われるけど、物事ってはっきりしてないものなんですよ。そういった意味ですごく困っているんです。Good Dog Happy Menをやり始めてからずっと。その覚悟はしているんだけど、他の人たちが答えをはっきり言うから、その人達と比較をされて評論家の人と話をしていると、ものすごく困るんです。
──聴き手が予定調和に慣れちゃってるんでしょうね。
門田:麻痺しちゃってるんですよ。表現に携わる人間はそれは致命的なんです。
──音楽に良し悪しはないけど、“結”の部分を自分で想像しないのは絶対的な“悪”ですね。
門田:そうなんです。音楽云々ではなく、“結”を自分で持てないのは悪だと思う。『Twice Birds' Singing』も「何百回目のキスをしたね」って繰り返してるけど、聴きようによっては「それでどうしたの?」って感じなんですよ(笑)。でも、俺にとってその一言が愛の全てなんです。だから、そういう答えなら俺にははっきりある。
──今Good Dog Happy Menがやろうとしていることは、グレイゾーンの魅力だと思いますよ。
門田:グレイゾーンっていう言葉を聞いて思ったんですけど、イエスかノーかをはっきり持てるんであれば、宗教は世の中にないと思う。音楽っていうのは宗教の真逆にあるものだと思ってます。宗教は合理的なもので、救済というものを求めるでしょ。で、非科学的なことに救済を求めて、その救済で自分の中にイエスを作る。そこに俺は絶対的な疑いを持つことが表現だと思っているんです。事実というのは、驚くことなんです。なぜそういうことが起こるんだろうって、“なぜ”を探したいんです。答えがないことが多いから。表現は絶対なくならないだろうし。
──答えが欲しかったら禅問答に行けばいいわけですからね。
門田:俺が言ってることは禅問答とは絶対違うんだけどそう捉えられやすい。ものすごく当たり前のことを当たり前に表現しているだけなんです。だからGood Dog Happy Menは変化球だと思ってしまう日本の音楽シーンはおかしいなと思うんです。
“間”に魅了される感覚
──ところで、10月12日には新宿ロフトでワンマンがありますが、これは『the GOLDENBELLCITY ep1』、『the GOLDENBELLCITY ep2』の収録曲をメインにやられる感じですか?
門田:ep1、ep2をやることによってGood Dog Happy Menで表現していることはないんだなということをはっきり表現させたい。俺たちは世の中の混沌を鏡として表現しているから、『Most beautiful in the world』だけではそれが伝わらないんです。ep1、ep2を並べた時に何も考えてないんだなとか、プロモーション的なことを気にしてこうしているわけではないということを感じてもらえたら嬉しいですね。
──表現者の表現者たるべき姿ですよね。こんなに彩り豊かに行間を歌えてるバンドってなかなかいないですから、ライブは五感をフル回転させないともったいないですよね。
門田:行間が教えてくれる大切さを表現したいですね。ライブではすごく出しやすいですから。“間”に魅了される感覚っていうのを音楽で魅せたいですね。
──CDで想像させる楽曲の世界があって、ライブでは聴覚も視覚も楽しませてくれるんですけど、演奏している側はどんなことを考えてステージに立ってるんですか?
門田:ライブはいつも自信がないです。いつも自分が正しいことをやっているという感覚を持てなくて、いつも揺らいでるんです。その揺らぎっていうのを共有しようで誤魔化さないんです。ブライアン・セッツァーのライブを見るのとCDで聴くのは全然違って、存在の巨像が大きくなれば大きくなるだけギャップがあるんです。エルヴィス・プレスリーは俺にとってロマンチックな存在だけど、ライブ映像を見てるとそうじゃないんです。自分が一人で音楽を聴いている瞬間と、会場で感じる誤差を自分でもすごく感じているんです。そこに関して、ライブならではのことをしたくないって思っているんです。俺は物事を共有しようぜって生きてきたわけじゃないから、ライブでそれをやるのは難しいんですよ。だけど共有したくなってしまうときがあるんです。それは誠実でいたいと思いますね。ライブは単純に楽しもうって思っていて、そこの部分が感動になってくれればそれだけでいいな。感動の持ち方が100通りあるだけで、それぞれ感動はできるから、俺たちの場合は揺らいでもがいている自分をポーズとして出すのではなくて、どっかで出ていたらそれはそれでいいなって。
──そういう部分は自ずと滲み出ますからね。
門田:ライブって難しいですよ。曲を作ってるときとパフォーマンスをしてる時って同じ感覚では出来ないですもん。俺は曲を作ってるときに世の中に俺しかいないって状況じゃないと作れないです。電話も違う部屋に置いて絶音状態にして、それってすごく反対の方向にありますからね。
──曲作りの最中にライブが入るとしんどいですよね。
門田:しんどいですね…(苦笑)。
──今はもう『the GOLDENBELLCITY』第三章の曲作りにも入っているんですか?
門田:はい。でも、手が震えちゃって詞が書けなくなるんです。出てきたと思ったことがはっきりと自分の中にあるのに、それが書けなくてどうしたらいいんだろうって。家で歌の練習をしていても、ある一点でどうしても歌えなくなっちゃって、それがレコーディングで歌えるのかっていうのがすごく心配。声が震えて歌えなくなっちゃうんです。そんなことは初めてだから。
──のっかるべき言葉が、その言葉じゃないんですかね。
門田:“結”の部分にさしかかっちゃうんじゃないかっていう恐怖感。俺って言う存在に“結”をつけてしまうんじゃないかっていう恐怖感があって、それ以後生きていけるんだろうかという恐怖感と毎日戦っています。だけど、創作・表現ってギリギリのところまで言ったらすごく気持ちよくて、この中毒になってしまったら俺はバンドをやれなくなっちゃう。自分の精神状態ギリギリのところでやりたくないですね(苦笑)。その感覚になってダメになる人っていっぱいいると思うんです。だから、自分は曲を作っているっていうモードに入らないほうが良いのかもしれないですね。パフォーマーの部分って1人で制作活動をしているとどうしても忘れてしまいますからね。でも、次のCDの曲はアイディアがいっぱい浮かんできているんですよ。第三章も楽しみにしていて下さい。
the GOLDENBELLCITY ep2
TBCD-1982 / 1,500yen(tax in)
tearbridge production
9.05 IN STORES
★amazonで購入する
Live info.
9.02(Sun)大阪・泉大津フェニックス ※ RUSH BALL
『Selfishness of Queen vol.1』
9.17(Mon)名古屋APOLLO THEATER w)つばき / BAZRA
9.21(Fri)京都MOJO w)つばき / asphalt frustration
9.22(Sat)神戸VARIT w)つばき / BAZRA
10.12(Fri)新宿LOFT
Good Dog Happy Men独演会〜Moonlight Medicine〜
10.28(Sun)MINAMI WHEEL 2007
Good Dog Happy Men OFFICIAL WEB SITE
http://www.gooddoghappymen.com/