ギター バックナンバー

BOφWY('07年9月号)

BOφWY

ここから始まった全ての事達へ──
解散から20年を経て発表される“DRASTIC”で“DRAMATIC”なパーフェクト・ベストに見る楽曲の革新性と普遍性

“φ”(空集合)=“何処にも属さない”“誰にも似たくない”姿勢を最後まで貫いた日本のロック史上最高峰のバンド、BOφWY。1987年12月24日、渋谷公会堂(当時)で放たれた衝撃の解散宣言から20周年を迎える今年、全力疾走で駆け抜けた7年間の軌跡を凝縮した2枚のベスト・アルバムが発表される。『THIS BOφWY DRASTIC』『THIS BOφWY DRAMATIC』と題された本作、『〜DRASTIC』はビートの効いたハードな楽曲を中心に、『〜DRAMATIC』は芳醇なメロディに溢れた楽曲を中心にそれぞれ構成され、レーベルの垣根を超えて選曲された初のパーフェクト・ベストであることも注目に値する。各盤には新たに編集されたPVやライヴ映像が収録されており、楽曲同様にヴィジュアル面での鮮度も全く古びていないことに驚く。そして、どちらの盤でもエンディングを飾る「DREAMIN'」に込められたポジティヴなメッセージは2007年の今なおリアルに僕達の胸を打つ。まるで差し込む光によって表情を変える水面の如く、新たな発見を提示し続けるBOφWYの歌の力──革新性と普遍性が共存したその魅力について、元メンバーである松井常松と高橋まことにそれぞれ話を訊いた。(interview:椎名宗之)




BOφWY時代に培われていった音楽性の土壌

──あの解散宣言から20年が経過した現在の心境から聞かせて下さい。

松井:BOφWYとしての活動期間は、オリジナル・アルバムを僅か6枚しか発表しなかった短い時間だったわけでしょう? その後に発表してきたソロ・アルバムのほうが作品の数は多いし、キャリアも当然のことながら長い。でも、不思議なことに余りそういう実感が湧かないんですよ。それがBOφWYの重みなのかなと思う。自分にとっても凄く多感な時期でしたからね。

──BOφWYのメンバーとして過ごした7年間は、松井さんにとってまるでスポンジの如くあらゆる物事を吸収するような時期でしたか。

松井:それもありましたね。自分で曲は作っていなかったから、布袋(寅泰)君が作ってくる曲を吸収していた感じはあった。布袋君は曲を作るペースが凄く早くて、いろんなタイプの曲を持ってくるんだけど、デモの段階で8割以上は完成しているんですよ。それをみんなで再現していく形が多かった。ベースのリフもそのデモの段階ですでに完成していて、“自分ならこう弾くのに”なんて思う余地が全くないほどでね。そういった曲作りを通して、自分の音楽性の土壌が培われていった部分はありますよね。だから、自然と布袋君のコード感が身に付いているんだろうし、今思えば音楽的な基礎となる部分をBOφWYから吸収していたんだと思う。

──ARBやアナーキー、ルースターズなど、BOφWYと同時期に新宿ロフトをホームグラウンドとして活動していたバンドは多々いましたが、何故BOφWYだけが短期間のうちに渋谷公会堂から日本武道館、果ては東京ドームまで登り詰めることができたのだと思いますか。

松井:一番違うところは、ロフトが最終地点だと最初から考えていなかったからでしょうね。もちろん、初めてロフトに出た時は凄く嬉しかったけど、ロフトでずっとライヴをやれたら幸せとは思っていなかった。ロックに対する解釈は人それぞれで、一生ライヴハウスでライヴをやり続けることがロックだという人もいれば、売れること自体がロックじゃないという人もいる。ただ、BOφWYはそういう解釈をしていなかった。もちろん、どちらの解釈が正しいということではなくね。ロフトで思い出すのは…あの市松模様の床と楽屋の汚い落書き。僕達も諸先輩方の隣りに落書きできたのは嬉しかったですけどね。ロフトでやっていた頃のライヴは凄い熱気に包まれていて、何が起こるか判らない怖さ、ちょっと大袈裟に言えば決死の覚悟みたいなものがいつもありましたね。他のメンバーは判らないけど、僕はそう感じていた。この一本のライヴで何かを掴まなくちゃいけないという意識を氷室(京介)君も布袋君も常に抱いていたんじゃないかな。

──解散から20年を経た今でもBOφWYがこれだけ絶大な支持を集めている理由はあまたありますが、楽曲の持つ力に因る部分が凄く大きいと思うんです。そのことを今回発表される2枚のベスト・アルバムを聴いて改めて感じたんですよね。

松井:そうかもしれない。たとえて言うなら、安くて美味しい定食屋から最高級のフランス料理店までを熟知したようなバランス感覚が氷室君にも布袋君にもあったんです。そのバランス感覚を養いつつ、BOφWYは目まぐるしいスピードで成長していったんですよ。初期の頃は早いパンク調の曲をやるのが精一杯だったけど、そこに特化することなく新しい要素を貪欲に採り入れて、音楽的な進化を遂げていった。フロントの2人には常に終着点がなかったんです。いつも高い理想を持ち続けていて、何かひとつ目標を達成したら、次の日にはまた違う目標に向けて走り出す。そういう志の高さがバンドのスタイルと楽曲の着実な進化を促進させていった。根底にある変わらないものは、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムという必要最小限の編成で、そこがバンドの骨太な部分を形作っていたと思いますね。レコーディングでどれだけ最新のテクノロジーを使えても、この4人にできないことには手を出さない。基本は必ず4人の生演奏だったんです。そういう不動な芯の部分があったからこそ、音楽的な変化にも柔軟に対応ができた。

──たとえば、メロディに重きを置いたナンバーが収録された『THIS BOφWY DRAMATIC』を聴いても、サウンドの変遷はありながらも核となるメロディの秀逸さは一貫しているのがよく判りますね。

松井:個人的にはアレンジの部分が凄く重要だったと思うけれど、メロディの良さに徹することの重要性を氷室君も布袋君も早い段階で気が付いていたんじゃないかな。

──『〜DRASTIC』と『〜DRAMATIC』はどちらもお聴きになりましたか。

松井:2枚ともザッと聴かせてもらったけど、『〜DRASTIC』の中で言えば初期の頃はULTRAVOXとか海外のバンドからの影響が窺える中で、「DOWN TOWN SHUFFLE」では完全にオリジナリティを確立していると思った。僕自身、ベーシストとしてやりたいことがあの時点でちゃんとできていたんだと思ったし、他の何物でもない、徹頭徹尾BOφWYの音楽だなという高い完成度を感じましたね。BOφWYはここまで行けたんだなと。ベーシストとしては、その後に発表した自分のアルバムも含めて「DOWN TOWN SHUFFLE」を超えている曲はないとすら思った。こんな曲が『BEAT EMOTION』の段階で出来ていたわけだから解散してもおかしくないと思ったし、『BEAT EMOTION』でBOφWYサウンドの基本型が確立された気がする。きっとあの後は何枚もオリジナル・アルバムを作っていけたはずだし、いろんなことにトライできたはずですよ。でも、BOφWYは敢えてその選択をしなかったし、変な言い方になるけれど、バンドがちゃんと終われていたんだなと今は思いますね。


仲間と遊んでいる延長線上にBOφWYはあった

──当時、松井さんのようなスタイルのベーシストは他にいませんでしたよね。

松井:僕はコンコン鳴る硬い音が好きで、弦のテンションもこの上なく強くして、一番硬い音が出るブリッジ寄りで弾いていたんです。普通の人なら、余り左手を動かせないようなテンションだった。だから、他の人が僕と同じフレーズを弾いても手強さが全然違うと思う。あと、早い8ビートをダウンピッキングでルート弾きするのが僕の代表的なスタイルだと捉えられているけど、そうじゃない曲も結構あるんですよ。8分音符をずっとダウンで刻むのは、陸上競技で言えば800メートル走みたいなものかもしれない。でも、僕が弾いていて面白かったのは、800メートル・ハードル走みたいな障害物のあるものでしたね。それが「DOWN TOWN SHUFFLE」だったりするんですよ。一番やりたかったのはああいうプレイで、それがかなりの精度でできている。そんなふうに言うとその後のキャリアで胡座をかいているように受け止められかねないけど、ベーシストとしての松井常松があの時点で確立されていたのは確かですね。

──ファースト・アルバムの『MORAL』からラスト・アルバムの『PSYCHOPATH』まで僅か5年半、短期間のうちに飛躍的な成長を遂げたあのスピード感たるや凄まじいものがありますよね。

松井:あのスピード感は、布袋君独自のものなんですよ。あのスピード感が核となって強力な磁石のように周囲を引き寄せて、優秀なスタッフが集まっていろんな物事が次々とリンクしていった。時代の潮流と符号したのもラッキーだったと思うし。とにかく僕は、布袋君の作ってくる曲やアレンジを凄く面白く感じていて、その曲をみんなで一緒に演奏することが楽しくて仕方なかったんですよ。ただそれだけですよね。その場に彼らといられること自体が楽しくて仕方なかった。でも、今冷静になって振り返ると、あのスピード感に付いていくのが精一杯なところがあったんだと思う。ソロになってからの僕の活動ペースは、まず自分でちゃんと理解してから物事を進めていく感じだけど、BOφWYの頃は、一度ジェットコースターに乗ってしまったら最後までしがみ付いているしかないような感覚だった。

──そのスピード感のまま、ロフトから東京ドームまで一気に駆け上っていったんでしょうね。

松井:そうですね。ロフト時代のライヴから最後の東京ドームでの“LAST GIGS”までを観てくれたファンの視点に僕は近いと思いますよ。それは今だから客観視できるのかもしれない。バンドの中にいた時は冷静に見られていなかったですからね。僕が今やっているライヴに来てくれる人達と話をしていると、「自分の人生はBOφWYで変わった」という言葉を掛けてくれる人がいる。散々悪さをして自暴自棄だった10代の頃にBOφWYの音楽と出会って、夢を抱いて立ち直ったと言う。そういうことを目の前で聞くと、やっぱり真摯に向き合わざるを得ないですよ。僕はそこまで自覚してバンドに参加していたわけではなかったし、あのサウンドの中に自分がいるのが楽しくて仕方がなかっただけなんです。でも、人生で一番多感な時期にBOφWYを吸収した人達にとって、この先どんな音楽を聴いてもBOφWYにはかなわないんですよね。それは、僕が高校生の頃にエアロスミスが地元に来て、ライヴを観て余りの衝撃に一週間寝込んでしまったのと同じようなことじゃないかな。

──今のソロ・ライヴでは、「LIKE A CHILD」や「RAIN IN MY HEART」といったBOφWY時代のナンバーも披露されていますね。

松井:自分が詞を書いた曲でもあるし、今は好きな曲のひとつとしてアコースティック・スタイルで唄っていますね。BOφWYの曲をやればみんなが喜んでくれるという気持ちもないわけじゃないけれど、それよりも単純に自分が好きな曲だからやっている。

──今振り返ると、松井さんを含めたあの4人のパーソナリティが融合して起こったBOφWYの化学変化は奇跡にすら感じますね。

松井:僕は、アマチュアの頃からスタジオ・ミュージシャンとして生計を立てていこうと思ったことは一度もないんですよ。仲間と遊んでいることの延長がBOφWYだったと僕は思う。遊びのツールとしてバンドがあった気がしますね。その仲間の中でそれぞれ役割があって、そこで僕はベースを弾いていたに過ぎないんです。ただそれが楽しかった。今こうしてベスト・アルバムのラインナップを見て思うのは、あんな短い間によくこれだけいい曲をたくさん作れたなということ。この2枚には一般的に考えられている代表曲以外にも多彩な曲が収められているし、実はそんな曲にこそBOφWYの真骨頂があるのかもしれない。「DOWN TOWN SHUFFLE」のようにね。BOφWYにはこんな側面もあったんだなという新たな発見もきっとあると思うし、そういう聴き方をしてくれたらとても嬉しいですね。


松井常松 information
■9年振りとなるオリジナル・アルバム『Lullaby of the Moon』(SOLID SOUNDS SS-003/税込3,000円)、絶賛発売中。
■アコースティック・ライヴ“Lullaby of the Moon”、9月8日(土)AOYAMA 月見ル君想フにて開催(ゲスト:高橋まこと)。





「INTRODUCTION」を聴くとライヴ前の緊張が甦る

──今回、こうして新編成のベスト・アルバムがリリースされたり、BOφWYの熱狂的な支持者が未だに根強く存在することに対して、まことさん自身はどう感じていますか。

高橋:凄く有り難いことだよ。ただ俺はメンバーだったから、すでに実体のないバンドが何故今もこんなに支持されているのかは判らない。その原因が何なのかは高名な評論家先生にお任せするよ(笑)。まぁ、10年前に『THIS BOφWY』が出た時も時の流れの早さに驚いたものだけど、もうあれから20年も経つんだよね。そう思うと、月並みだけどやっぱり凄く早かった気がする。BOφWYが終わってDe+LAXに加入して、(榊原)秀樹と組んだGEENAがあり、BLUE CADILLAC ORCHESTRAやDAMNDOGがあり…その間にはソロ活動もあったけど、自分としては一貫してバンド人生にこだわって生きてきた自負があるよね。

──DRUMMERSやTHE AURIS (SUPER) BANDもありましたからね。この20年の間に渡り歩いた数々のバンドと比べても、やはりBOφWYはまことさんにとって別格のバンドですよね。

高橋:もちろん。De+LAXも長いけど所々休んでいるし、単純にBOφWYが一番活動期間が長かったからね。よくBOφWYは破格の成功を収めたと言われるけど、7年間の活動期間中でブレイクの兆しが見えてきたのは結成から4、5年経った頃…事務所がユイに移ってからなんだよ。BOφWYの現役時代を知らない若い人達は意外に思うだろうけど、バンドが頂点を極めたのは僅か数年に過ぎないんだ。だから俺がBOφWYのメンバーだった頃というのは、今の若いバンドマン達が足掻いている状況とそんなに違わない気がする。当時は今みたいにライヴハウスがいっぱいあったわけじゃないし、ロックの市場も今ほど確立されていなかった。そう考えると、よくぞそんな状況で頂点まで登り詰めたなと自分でも思うよね。

──今回発表されるベスト・アルバムはもう聴きましたか。

高橋:まだ通しでは聴いていないけど、収録曲は確認したよ。2枚ともなかなかいい流れだと思った。俺のiPodには一応BOφWYの曲が全部入っているんだよ。BOφWYの曲をやるイヴェントに参加したり、ソロの弾き語りライヴなんかで曲を思い出すのに使い勝手がいいからね。BOφWYの曲を日常的に聴くことはないけれど、たまに車の中で一人で聴いたりする。何気なく聴いてみると、“こんなことをやってたんだな”っていう意外な発見が結構あって面白いよ。特に、当時はライヴで再現するのが難しくてやらなかった曲にそう思うことが多い。

──まことさん自身も、BOφWYの音楽にはいつも新たな発見があるんですね。

高橋:うん、面白いもんだよ。まぁ、20年も経てば人間忘れている部分もあるからね(笑)。マニアの人は重箱の隅をつつくようにいろんな曲のヴァージョン違いをよく知ってるみたいだけど、俺にしてみれば「NO. NEW YORK」は「NO. NEW YORK」だからね。ヴァージョンは2つしかない。『MORAL』に入っているヴァージョンと、12インチ・シングルで出したヴァージョンとね。

──ベスト・アルバムの収録曲の中で、当時の記憶が生々しく甦ってくるような曲はありますか。

高橋:「INTRODUCTION」を聴くと、これからライヴが始まるという緊張感が甦ってくるよね。当時はこの曲の後に「IMAGE DOWN」に繋がるっていう、アルバムと同じ流れでしばらくライヴをやっていたからね。『〜DRASTIC』に入っている初期のナンバー…「MASS AGE」とか「IMAGE DOWN」、「TEENAGE EMOTION」から「LONDON GAME」の流れとかは今でも生々しく感じる。「WATCH YOUR BOY」もそんな感じだけど、あの曲の終わりのほうのダブっぽい部分は俺が叩いているわけじゃないんだよ。ああいうダブを付けたヴァージョンって当時は流行っていたなとか、いろんなことを思い出すね。

──当時の楽曲を聴いて、ご自身のプレイについてはどう感じますか。

高橋:そこそこ巧く叩けてるんじゃないかな。『〜DRAMATIC』に入ってる「“16”」とか、我ながら結構いいと思う。ちゃんと2バス踏んでるし、思わず自分で拍手しちゃうほどだよ(笑)。「“16”」はベルリンで録った曲で、今みたいに間違えた所だけを録り直すとかズルいことはしていないんだよね。カウントを入れてからエンディングまで一本で録るのが基本で、ちゃんとできるまでやり続けていたから。BOφWYのレコーディングはほとんどがそんな感じだよ。

──ステージやPVで見受けられたサイバーパンク嗜好とロシアの構成主義的志向が融合したハイブリッド性が強く印象に残っているので、レコーディングも最新のテクノロジーを駆使したように思いがちですが、演奏は意外と人力なんですよね。

高橋:そうだね。「ホンキー・トンキー・クレイジー」はみんなで一緒にパーカッションを叩いたりしているからね。『BEAT EMOTION』以降はマニピュレーターが導入されて、効果音とかのサウンド作りに活用したけど、コンピュータ万能の現代と違って当時はちゃんと血の通った演奏をしていたよ。お客さんの反応次第でライヴの出来も大きく変わったしね、特にフロントの2人はさ(笑)。あれは後ろから見ていて面白かったよ。


希望を見いだしにくい現代にこそ輝きを放つ「DREAMIN'」

──『〜DRASTIC』に収録された曲は、まだ新宿ロフトを活動基盤にしていた頃のものが多いですね。

高橋:『MORAL』と『INSTANT LOVE』に入ってる曲はロフトでよくやっていたね。当時は持ち曲も少なかったのに、よく1時間半のワンマンをやっていた。基本的にロフトの夜の部は、特別なことがない限り対バン形式ではなかったね。ロフト時代の思い出は数限りないけど…ステージの床が腐りかけていたのは参ったよな(笑)。まだステージの床が市松模様になる前、出演者用のトイレがお客さんと同じだった頃だね。俺のドラムの所は特にボロボロで揺れるから、仕方なく敷き詰めた絨毯の上にまた絨毯を敷いていたよ(笑)。

──1981年5月11日、BOφWYが初めて新宿ロフトのステージに立った時、まことさんはまだメンバーではなくオーディエンスの一人だったんですよね。ライヴを観てどう思いましたか。

高橋:よく覚えているよ。ヒムロックは髪の毛が紫に近いブルーで逆立っていて、鋭利な刃物みたいな雰囲気があったね。演奏は荒くて、パンキッシュ。まさか自分がそんなバンドに参加するなんて夢にも思わなかったよ(笑)。

──そのロフト時代の初ステージから初の日本武道館ライヴ(1985年12月6日)まで僅か4年半というスピードの早さにも驚きますよね。

高橋:1年の間にツアーを2回やって、その合間にレコーディングを敢行して…凄まじいスケジュールをこなしていたよね。俺はともかくとして、ヒムロックや布袋の作品作りやライヴに対するプレッシャーは相当なものだったはずだよ。俺は忙しいのも割と楽しめちゃうタイプだったからね。

──そんな過密スケジュールの中で、よくこれだけスタンダード性の高い楽曲を次々と発表し続けることができたなと、この2枚のベスト・アルバムを聴いて改めて感じますね。

高橋:そうだね。時代に固執しない歌詞やメロディだったからだと思うよ。BOφWYの音楽に一貫して普遍性があるのは紛れもない事実だからね。『〜DRASTIC』にも『〜DRAMATIC』にも収められている「DREAMIN'」の歌詞を読むと、希望を見いだしにくい今の時代にこそ輝きを放つ曲だと思うし、ああいうメッセージこそBOφWYが一番訴えかけたかったことなんじゃないかと俺は思う。

──特典DVDに収録された「DREAMIN'」の新編集PVはご覧になりましたか。

高橋:見たよ。『〜DRASTIC』のほうに入っている、いろんなライヴ映像をミックスしたPVは凄く面白かったね。俺の髭があったりなかったりして(笑)。衣装を見れば、大体いつ頃なのかは判るよ。俺だけ片袖になった紫のスパンコールの衣装があるんだけど、あれは1985年の“BOφWY'S BE AMBITIOUS”ツアーの途中なんだ。京都の教育文化会館でライヴをやる直前に、衣装を作ってくれた人がわざわざ新幹線で持って来てくれたんだよ。それでその日のライヴで早速着てみることにした。スパンコールだから洗えなくて、長く使うと匂いがきつかったけどね(笑)。

──初期のT-KIDS、後年のジャン・ポール・ゴルチエとの衣装タイアップなど、ステージでのファッションにもBOφWYは一貫して意識的でしたよね。

高橋:“BOφWY'S BE AMBITIOUS”ツアーの頃のド派手な衣装は、プリンスにインスパイアされたと布袋から聞いたことがある。ちょうどプリンスが『PURPLE RAIN』のサントラを出した頃かな。特典のPVを今見ても、視覚的な古さは不思議と感じないよね。古さを感じないのは楽曲もまた然りで、ベスト・アルバムの収録曲を見るといい曲が多いなと改めて思う。ソロの弾き語りライヴでは「LONGER THAN FOREVER」を唄ったりしているんだけど、「B・E・L・I・E・V・E」とか「CLOUDY HEART」とか他にも唄ってみたい曲はあるんだよ。でも、弾くのが凄く難しくて、俺のテクニックじゃとても弾けない。それこそ布袋に弟子入りしないとダメだね(笑)。

──そういうプレイの難しさは、まことさんのドラムにも同じことが言えるんじゃないですか。

高橋:テクニック的にはそんなに難しいことはやっていなかったはずだけど、確固たるオリジナリティはあると思う。俺にしか叩けない音があるからね。でも、今の俺が叩くドラムのほうがずっとパワフルで抜けがいいはずだよ。今もBOφWYの音楽をずっと好きでいてくれる人達が多いのはとても有り難いことだけど、俺は今も現役を貫いてドラムを叩き続けているからね。

──もし『PSYCHOPATH』の後にもう1枚オリジナル・アルバムを作ることがあったとしたら、どんな内容になっていたと思いますか。

高橋:そんなことは考えたこともないね。ただ、解散後に出たヒムロックと布袋のソロ・アルバムの方向性を考えると、きっと収拾がつかなかったんじゃないかな。『PSYCHOPATH』は解散を意識してレコーディングに臨んだし、やっぱりあの時点で終わるべくして終わったんだと俺は思う。BOφWYは俺が参加してきたバンドの中でも最高にスリリングな体験ができたし、日本一にもなった誇らしいバンドなんだ。それでいいじゃないか。


高橋まこと information
■自らの半生を赤裸々に綴った自叙伝『スネア』(マーブルトロン/税込1,680円)、絶賛発売中。
■アコースティック・ライヴ“高橋まことのスネアな仲間達”、9月23日(日)Naked LOFTにて開催(ゲスト:De+LAX、松井常松)。


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EMI Music Japan
初回限定盤(CD+DVD;紙ジャケット仕様)TOCT-26300 3,000yen (tax in)/通常盤(CD+DVD;プラケース仕様)
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2007.9.05 IN STORES
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【CD】1.INTRODUCTION 2.MASS AGE 3.FUNNY-BOY 4.ハイウェイに乗る前に 5.DOWN TOWN SHUFFLE 6.JUSTY 7.PLASTIC BOMB 8.RENDEZ-VOUS 9.IMAGE DOWN 10.TEENAGE EMOTION 11.LONDON GAME 12.SUPER-CALIFRAGILISTIC-EXPIARI-DOCIOUS 13.BEAT SWEET 14.MARIONETTE 15.BLUE VACATION 16.ON MY BEAT 17.WATCH YOUR BOY 18.PLASTIC OCEAN 19.ANGEL PASSED CHILDREN 20.MORAL 21.たった一度のLOVE SONG (デモ音源、『BOφWY COMPLETE』より) 22.B・BLUE 23.DREAMIN'
【DVD】1.PV「DREAMIN' (from THIS BOφWY DRASTIC DRAMATIC)」2.PV「MARIONETTE (Animation)」


THIS BOφWY DRAMATIC

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初回限定盤(CD+DVD;紙ジャケット仕様)TOCT-26302 3,000yen (tax in)/通常盤(CD+DVD;プラケース仕様)
TOCT-26303 2,800yen (tax in)
2007.9.05 IN STORES
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【CD】1.ホンキー・トンキー・クレイジー 2.ONLY YOU 3.わがままジュリエット 4.季節が君だけを変える 5.CLOUDY HEART 6.OH! MY JULLY Part I 7.MY HONEY 8.MEMORY 9.SYMPHONIC 10.WELCOME TO THE TWILIGHT 11.B・E・L・I・E・V・E 12.LONGER THAN FOREVER 13.RAIN IN MY HEART 14."16" 15.RUNAWAY TRAIN 16.NO. NEW YORK (12inch Single Version) 17.DREAMIN' (from LAST GIGS)
【DVD】1.LIVE「DREAMIN' (from LAST GIGS)」2.PV「MARIONETTE (Making)」

BOφWY official website:BOφWY HUNT
http://www.emimusic.jp/boowy/

B to Y Music website
http://www.btoy-music.com/

posted by Rooftop at 23:00 | TrackBack(1) | バックナンバー

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続・松井常松
Excerpt: アメンバー限定公開記事です。
Weblog: THE HINOBORI TIGERS.<島根のBOOWYフリークロックバンド>
Tracked: 2009-01-28 21:16