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鈴木邦男('07年7月号)

鈴木邦男

民族派政治団体「一水会」顧問としての活動の他に、作家、評論家としても幅広く活躍する鈴木邦男はロフトプラスワンの開店当初から出演している論客の一人だ。政治、社会問題はもちろん、サブカル、格闘技からニート問題まで、あらゆる分野に旺盛な好奇心を持つ鈴木氏にお話を伺った。(Interview:加藤梅造)


顔の見える場所で日々闘っていた


──鈴木さんはどういった経緯で右翼運動に入っていったんですか?


母親が「生長の家」(註1)の信者だったので、僕も小学生の頃からいろいろな集まりに連れて行かれました。子供の頃は素直だったんでしょうね(笑) 本格的に興味を持ったのは高校生の頃で、キリスト教系の学校だったんですが、生長の家で日本の天皇の話や歴史の話を聞いて、やっぱり学校で教えてくれないことの方に興味を持ったんでしょうね。今、小林よしのりの本が若者に支持されているのも学校で先生が教えてくれないことが書いてあるからで、『戦争論』とかを読んだ学生が、なんだ日本の兵隊はカッコいいじゃないかと思うのと同じでしょう。大学(早稲田大学)に進学してからは生長の家の寮に入り、やはり生長の家のサークルに入って「左翼と闘うぞ!」と、自然に右翼運動を始めていました。

当時、左翼は強かったし、その中にはいい左翼活動家がいっぱいいましたね。左翼と比べると右翼学生は圧倒的に少数派でした。僕の場合は生長の家があったから右翼になったんだけど、他の右派学生は自民党学生部だったり、月刊「丸」を熱心に読んでいるような今で言うオタク的な人だったり、右翼になる動機としてはそういう感じでした。でも今のオタクと何が違ったかというと、当時は闘いの場があったということです。左翼から殴られたり、論破されたりして、チクショーと思いながら日々切磋琢磨していた。そういう顔の見える場所で日々闘っていたことで、次第に運動も実体化していった。あのころ左翼がいなかったら僕らもオタク的な右翼として終わったかもしれないです。また、それまでの右翼活動家は一匹狼的な人が多かったんですが、左翼の活動を見て、組織化だったり、言論闘争や、集会やデモの重要性を学んでいった。左翼に対してコンプレックスがあったんです。

あと僕が右翼になった大きな理由として自由でありたいという気持ちがあった。左翼は授業料値上げ反対だとか、ベトナム戦争反対だとかきれい事をいっているけど、本当は日本に革命を起こして中国、ソ連の衛星国にするためにやっている。そうすれば天皇制もなくなるし、今のような自由もなくなってしまうだろうと。右翼だからといって、戦前のような強権的な国家に回帰しようという思いは全くなかったです。左翼が政権をとったら、それこそソ連のように戦前の日本以上の強権的な国家になってしまう。それはなんとしても回避したいと思っていました。

東大闘争で安田講堂が陥落して1970年の直前に左翼は終わるんです。そして左翼運動が落ち目になるのと同時に右翼運動も勢いがなくなってしまった。僕も運動をやめて産経新聞に就職したんですが、その年に三島事件(註2)が起こるんです。それで、このままじゃいけないと思い、昔の仲間が集まって勉強会を始めた。それが元になって1972年に「一水会」(註3)を結成したんですが、1972年は連合赤軍事件の年でもあるんですね。だから今考えると宿命的なものを感じます。一水会は今年35周年を迎えましたが、25年前に見沢知廉がスパイ粛正事件(註4)を起こし、20年前には赤報隊事件(註5)が起こって容疑者にされたりと、一水会の歴史の半分は血なまぐさい事件の連続でしたね。


自由な言論の場がなくなったらテロは増える


──鈴木さんはロフトプラスワンの開店当初から出演している奇特な方でもありますが。


そのころのロフトプラスワンは政治的なイベントが多かったですよね。僕もいろんなイベントに出させてもらいましたが、個人的に大きかったのは、むかし僕らが憧れていたコアな左翼の人たちと生で会えたことです。そこですごく感動した時もあれば、なんだ左翼なんてこんなものかと失望した時もあった(笑)

先日、粕谷一希さんという元『中央公論』編集長の方にインタビューしたんですが、彼がこんなことを書いているんです。“左翼の人たちは自分たちの中では強いけれど、外に出て考えの違う人と闘うことがない”と。なるほどなと思いました。全共闘の時には強大な敵だと思っていたのが、それは集団としての強さであって、実際一人になってみたらそんなに強くはないんじゃないかと。例えばプロレスラーが自分達のリングではものすごく強いけど、なんでもありの総合格闘技に出たらボコボコにされちゃうみたいな。つまり左翼はプロレスラーなんだと。それがわかったのがロフトプラスワンのステージでした(笑) なんだ意外とたいしたことはないと思ったのと、彼らも案外人間的なんだなと親近感がわいたのと、両面ありますね。

ロフトプラスワンに出るようになって交友範囲が広がったし、それまで僕の本もほとんど仲間内だけにしか読まれてなかったのが、もっといろいろな人に読んでもらえるようになりました。『夕刻のコペルニクス』(週刊『SPA!』での連載。後に単行本化。扶桑社刊)とか今読み返してみると、ほとんどロフトでの出来事ばっかりですよ(笑) 戦旗派の襲撃事件とか、太田竜の号泣事件とか。


──あと鈴木さんは政治系のイベントだけじゃなくて、根本敬さんや佐川一政さんといった畑違いの人ともよく一緒に出てますよね。


なんか好奇心があったんでしょうね。せっかくだから普段なかなか出会えない人にあってみようと。ロフトは右にも左にも宗教にも犯罪者にもすべてに門戸を開いてくれるからありがたかったですね。そもそも暴力とかテロのほとんどは自分の発言の場を求めてやっていることが多いですから。言葉を訴えるために暴力をふるっている。自由な言論の場がなくなったらテロが増えるのは当然ですよ。


左翼にはもっと強くなってもらわないと困る


──鈴木さんは予備校や専門学校の講師もされてますが、今の若い人を見てどう思いますか?


やっぱり雰囲気的に右派的な人が多いですね。僕らの頃も右翼になる奴はだいたい落ちこぼれだったけど、昔と違うのはさっきも言ったように、今は闘いの場がないことです。一水会が一番生き生きしていたのは野村秋介さんの選挙の時でした。あのときはびっくりしましたよ。それまでただのオタクだった若い会員が選挙活動で鍛えられて人間的にも大きく成長した。今は監視社会化が進んでいて、デモでちょっと暴れたり、チラシを配っただけですぐ逮捕されて、大学でビラ貼りすらも自由にできない。そのぐらいもっと自由にやらせればいいんですよ。街宣、デモ、チラシ配り、ビラ貼りは無制限に。じゃないと無気力な若者しか育たない。デモやビラまきをしたら逮捕されるから、じゃあネットでうさ晴らしでもしようってことになりますよ。僕が今の若者だったらネット右翼になっちゃうでしょうね。


──斎藤貴男さんが、自分は全然変わってないのに世の中が右傾化したから、いつのまにか左翼に見られるようになったと言ってますが、鈴木さんも最近は左翼的に見られることが多いですよね。


森達也も同じようなこと言ってましたね(笑) 今年の4月にニューヨークで開催された「アトミック・サンシャイン 9条と日本」というシンポジウムに僕がパネラーとして呼ばれたんです。反米右翼の僕がアメリカに入国できるのかどうか不安だったんですが、無事入れた(笑) 他のパネラーは、日本国憲法の14条、24条を書いたベアテ・シロタ・ゴードンさん、映画「日本国憲法」「チョムスキー9.11」などを監督したジャン・ユンカーマンさんなど錚々たる顔ぶれで、なんで僕が呼ばれたのかよくわからないんですが、非常に有意義なディスカッションでした。今回僕は改憲派として呼ばれたんですが、日本では護憲派の集会に呼ばれることはあっても、改憲派の集会に呼ばれることは全然ないです。憲法問題にしても、護憲派が「今の平和を守りたい」と言えば改憲派が「バカヤロー、北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ!」で終わっちゃう。冷静な議論が全くできない。結局、態度のデカい人や声の大きい奴の意見が通っちゃうでしょ。僕ら右翼が組織化して言論の場で勝負するようになったのは元を正せば全共闘でした。だから左翼にはもっと強くなってもらわないと困るんです。ロフトも左翼の人には優先的にライブをやらせてあげたり、左翼のお客さんはタダにしてあげたり、毎年10月は新左翼保護月間にしたりとか、そういうことをやってみたら。左翼だから赤字でもいいでしょ(笑)


(註1)生長の家──昭和5年、谷口雅春によって創始された宗教団体。
(註2)三島事件──1970年11月25日、三島由紀夫は自身で創った民兵組織「盾の会」と共に、市ヶ谷にある陸上自衛隊東部方面総監部に立て籠もり決起を呼びかけ、その場で割腹自殺した。この時、三島と一緒に立て籠もり切腹した森田必勝は、早大で鈴木邦男と共に右翼運動をした仲間だった。
(註3)一水会──1972年に鈴木邦男が創設した民族派政治団体。従来の右翼団体と区別するため新右翼とも呼ばれている。現在の代表は木村三浩(鈴木邦男は顧問)。今年創立35周年を迎えた。
(註4)スパイ粛正事件──一水会の見沢知廉は1982年、仲間とともにスパイを査問して殺害。連合赤軍事件の右翼版とも言われた。見沢は12年間の獄中生活の後、獄中作家としてデビューした。
(註5)赤報隊事件──1987年、朝日新聞社支局などに対して起きたテロ事件。阪神支局で赤報隊と名乗る団体に小尻知博記者が射殺された。鈴木邦男はこの事件との関連性を疑われ家宅捜索を受ける。2002年時効成立。


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