インタビュー終了後にはいつも、このブログに掲載すべくミュージシャンの皆さんの写真を撮らせて頂いているのですが、それもだいぶ溜まってきたゆえ、ここで一気に大放出!しようかなと数ヶ月遅れでよう やく思い立つという、このズボラ極まりない性格……8月末日から夏休みの宿題をやる性分はきっと死ぬまで治らないんだろうなー。ははは。
で、まずは2月号に掲載されたモノから。って、取材自体は1月に行なったので、早5ヵ月前のブツになりますけどね…。
先週の土曜日に渋谷0-WESTでのツアーファイナル・ワンマンを終えたGOOD 4 NOTHINGは2月号の表紙巻頭を飾って頂いたのですが、TANNYとU-tanの世界基準の活動を見据えた発言の数々は一切ブレがなく、ただただ前向きかつ真摯なものでありました。その潔さは、ひとえに最新作『KISS THE WORLD』という極めて完成度の高い作品を作り上げたことの自負から来るものなのでしょう。
それと、2月号といえば個人的に印象深かったのはこのインタビュー。PANICSMILEの吉田 肇、SLOTH LOVE CHUNKS/SPIRAL CHORDの中尾憲太郎、NUMBER GIRLやZAZEN BOYSのアートワークで知られるデザイナーの三栖一明の三氏を迎えて90年代の福岡シーンを存分に語り合ってもらうという企画。パニスマの『E.F.Y.L.』がめでたく再発されたことをかこつけたインタビューでしたが、かねてから関東圏在住者には不明瞭なことが多い当時の福岡シーンについてこの三者に放談してもらおうと、実は以前から企んできたことなのです。
が、やはり限られた誌面ゆえ泣く泣くカットせざるを得ない部分も多く(また、とても誌面には書けないことも多々あったので・笑)、いつかこの面子を中心に当時の福岡シーンを知る方々の証言を一冊の本にまとめたいと思っています。この取材方法が確立できれば、いずれ取り掛 かりたいのは80年代半ば〜90年代初頭の札幌シーンなんですけどね。
閑話休題。この日の取材後に吉田さんや憲太郎君、SHELTERの西村も呼んで新大久保のとんちゃんで乾杯したのですが、そっちのほうでもテレコを回したい衝動に駆られる発言が多々あったです(笑)。(しいな)