ギター バックナンバー

藤井裕('07年6月号)

藤井裕

ベテランベーシスト、フジーユー、イマーノキヨシローをプロデューサー&エンジニア&プレイヤーに迎え、初ソロアルバム『フジーユー』をリリース!

「やっぱり、あの〜、歌を唄いたいって感じだと思う、いま、ユーさんは。ソロアルバムといいながら自分は楽器だけで、人が唄ってたりする人もいる。そういう意味ではユーさんのは違うよね。フジーユーという何か言いたい事があるんだよ。大量に。誰かに仕事で頼まれてることでもないし、締め切りもないのに …。それ以前の唄いたいことがあるんだよ」これはプロデューサーのイマーノキヨシローの談だ。フジーユーが30年以上も音楽を楽しみ続けて、初めて作ったソロアルバム『フジーユー』。「余分なアタマは使えない」そしてこれは、フジーユーの談。(Interviewer and editor:K×4、カターカタマキ)


遠藤ミチロウのパンクな客は新鮮だった。

──最初に、新宿ロフトの思い出を。

藤井:昔の新宿ロフトには潜水艦がありましたねぇ、オレが28、9歳のころかな。下北ロフトも、荻窪…いや、西荻ロフトだったかな、GASというバンドの時に演ったね。ボイス&リズムでも新宿で演った。25年くらい前に。歌舞伎町に引っ越してからも清志郎とのラフィータフィーや町田康とのミラクルヤングでも演ってます。

──何か印象的なエピソードはありますか?

藤井:一番びっくりしたのは、ボイス&リズムで遠藤ミチロウと演った時だね。客層がスゴかった。ミチロウの客が。ステージが始まると客席からツバがボンボン飛んでくる(笑)。なんかそれが挨拶みたいで(笑)。そこらじゅうから。なんや? コイツらって思いましたね。でもなんか新鮮で面白かった(笑)。

──思わず返事でツバ返したりして?

藤井:いや、返してない、オレもずいぶん大人になってたから(笑)。あとね、ベースソロとかやっても、拍手のひとつも返ってこない(笑)。シーンとしてるの。ふつうソロの後って拍手とかするでしょ、それがな〜んもリアクションがない。

──パンクでしたからね、ミチロウさんのお客さんは。

藤井:挨拶がツバですから(笑)。


キヨシローは話さなくても、わかってくれる最高のプロデューサー

──初のソロアルバムは忌野清志郎さんのプロデュースだそうですが、そもそも清志郎さんとの出会いは?

藤井:オレが上田正樹&サウス トゥ サウスで、キヨシローが3人のRCサクセションの頃にステージで一緒になってます。その頃はオレもキヨシローも無口だったんで何か話したかって憶えてない。今もお互いにそんなに話さないけど(笑)。

──一緒にバンド活動もしていらっしやいましたよね?

藤井:10年くらい前に、大阪の野音で春一番コンサートがあって、オレは石田長生のユニットで、キヨシローと2、3曲演奏したの。そのあと電話で録音の誘いがあった。デモテープとかで、オレは2日参加して、ドラマーが1日目は東京おとぼけキャッツのそうる透、2日目がグリコ。そしたら何かベースがオレに決まってたみたいで、ホント、知らんかったもん。知らん間にツアーのスケジュールが来て…(笑)。

──それはオーディションだったんじゃないですか?

藤井:そうみたい(笑)。で、当時のマネージャーでUK PROJECTの藤井淳に「どないしよ?」って聞いたら、「とりあえずやっとけ」って(笑)。淳らしいでしょ。それでリトルスクリーミングレビューに参加した。

──その後はラフィータフィーですよね。

藤井:そう、その頃、遊びでキヨシローのプライベートスタジオのロックンロール研究所(通称ロッ研)で録音してんねんな。今回のCDにも入ってる曲で『Be Alrightくちゃくちゃ』と『ウロコ』の2曲入りカセットテープ(笑)。20本だけ売ったんですよ。キヨシローが売ろうって言い出して、ライブ会場の物販に並べて。思いっきりインディーズですよ。あっというまに完売! その様子をビデオに収めたけど、おもろいよ。みるみる間に売れてんのね。

──希少価値ですよ、20本なんて。

藤井:キヨシローが自分でダビングして、ジャケットもウサギの絵を描いてコピーして、1枚ずつ色つけて(笑)。で、その売り上げを2人で山分けして、競馬行ったら当てちゃったんっすよ(爆笑)。10倍くらいになった。しかし、あのテープ持ってる人は貴重ですよ。

──それから?

藤井:3年くらい前に、大阪の知り合いがオレとドラムの正木五郎とのユニット“FUJIMASA”のライブを企画してくれて、それにぜひキヨシローにも出て欲しいって頼まれて。お金は、地方自治体が出してくれるからって (笑)。それで実現したの。オレがキヨシローに電話したら、すぐに「いいよ」って。いつも気ぃ良く返事してくれる(笑)。そのライブの帰りの新幹線の中で、あの頃オレが作ってた『引きこもり』という曲の歌詞が完成してなくて、キヨシローにちょっと手伝って欲しいって話したの。そしたらいまや「ロッ研もカセットじゃなくてパソコンで手軽に本格的にレコーディングが出来るようになったんだよ」って聞いて。えええぇ?それじゃぜひ一回様子を見てみたいって。で、後日ロッ研で『引きこもり』の歌詞を完成させて録音もした。でも、まだこの頃はアルバムを作ろうって話はぜんぜんなかったなぁ。それから月いちくらいでロッ研に集まって録音したんです。あの頃はお互い元気だったので2人とも酒をバンバン呑みながら、酒の肴だ、弁当だって、つまみながら。2人でやってると楽しいねんな。毎回あっという間に朝になって渋谷区から高円寺のウチまで酔って歩いて帰って。イイ感じで、アタマの中はその日録音した余韻でいっぱいや。そのうちにだんだん曲がたまっていって、このままいくといつかアルバムが出来るかもしれないってボンヤリと思い始めました(笑)。

──レコーディングの1曲目が『引きこもり』なんですね。

藤井:はい、そうです。3年も前ですが(笑)。

──いろいろな方がゲストで参加してますね。

藤井:コーラスにLeyona、ギターは石田長生、有山じゅんじ、Char、ドラムは基本はキヨシローだけど、林トン敏明が1曲、『フジマサ(ソウルフード)』(M-11)で正木五郎が1曲、トータス松本くんはツアー先で唄ってくれてます。キヨシローのツアーメンバーでホーンの渡辺隆雄、キーボードは厚見玲衣。三宅伸治とは詞を作ったり。みんないろいろ協力してくれました。ありがたいですよ。

──Char さんはユーさんが呼んだのですか?

藤井:そう。電話して。Char はひとりで来てくれた。ギター持ってきたんだけど、弦の張り方が間違ってる(笑)。外側から巻いちゃってる。どうやら、最近は弦を自分で張ったことないらしい。しかも自分で買ってきたみたい(笑)。キヨシローが「Char さん、巻き方逆ですよ」って言ったら「あっ、ホントだ。できねーよ、オレ。長い間やってないんだもん」って(笑)。そうそう、その話には後日談があって、2、3日前に厚見くんから電話があって「友達とユーさんのアルバム聴いてるんですけど、友達がCharはどのギター使ってるのかなって言うんですけど…」って。「なんやったろね?」って言ったら、「ギブソンのSGじゃないか」と(笑)。「Char のフェンダーは全部上だから間違えようがない、上下に3本3本のメーカーでないと間違えないって友達が言ってます…。」考えてみると、その人の言ってのが正しいのね、だから電話で「そうちゃう」って答えた(笑)。


やっぱり音楽に一番最初に感動した自分を忘れないことが大事

──『フジーユー』は自分の名刺でもあると聞きましたが…

藤井:キヨシローがこれをアルバムにしたらいいじゃないかって持ちかけてくれた時に、あぁ、自分の名刺って必要だよなって考えたのね。自己紹介っていうかな、…名刺代わりが。だって30年以上音楽をやっていて、サウスの頃も曲は作ってても、実はオレのホントの音楽はどんなものなのかって自分でもわからなかったけど、実際にこうして作っていくと、オレってこんなセンスしてんのかってわかったし、色々な発見があって面白い。みんな最初はこうやったんかなって。自分を発見する。だからオレはものすごく遅い(笑)。今55歳になって、当時53、4か。今と若い頃のサウスの時とひとつ明らかに違うのは、メロディに対する歌詞ののせ方と、歌詞そのもの。それはキヨシローの影響がとても大きいと思う。キヨシローの歌詞はダイレクトだし、1曲1曲なにが言いたいのか、ものスゴくハッキリしてる。オレは自分がリズムの人間で、リズムが大好きな人間だから思うのかもしれんけど、日本語って曲にのっけにくいのね。少なくとも昔はそうだった、今でもそうかもしれないけど、昔はもっとそうだった。日本語をのっけるとベターっとして、躍動していかないリズムが多い。それはサウスの頃からわかってたけど出来なかった、その時は。50過ぎて自分のアルバムを作り始めてからは、スゴいスムースにいっている。こういうふうにしようとかは特別何も考えてないねんけど、自分でいろんなこと勉強してんのね、今までの中で。どうしたらいいのか、日本語を。考えてんのね、無意識のうちに。やっぱりキヨシローのライブを近くで観て学んだことが大きい。影響がすごい大きいね、誰よりも大きいかもね。キヨシローの自分のさらけ出し方とかも含めて。

──アルバム『フジーユー』を一言で言うと?

藤井:アマチュアリズム。CDのプレス代も全部自分でお金を出した自主制作ということも含めて。オレは86年に上京して東京に住んでから、ある時、見失ったもの…それは本当に音楽を楽しんでやるということだったのね。音楽を楽しむためには努力が必要なんですよ。何十年も音楽をやってると楽しくないときもあんねんね。でもやっぱり音楽に一番最初に感動した自分を忘れないことが大事やね。オレがはじめてビートルズを聴いた時のような感動。そのためにも、ずっとやっていくには努力が必要、と思ってます、オレは。

──楽しくなくなってしまった時の対処って何かありますか?

藤井:ん〜、なんだろうね。答えになっているかどうかわからないけど、少なくともオレは練習をかかさないね。若い頃は1日10時間くらい平気で練習してた。今でもギターを2時間、ベースを2時間はやってる。練習は40年弱やってるね。ただ練習でもテーマが必要。何もなくただ単に練習するのでは身につかないしね。ベースでいえば、覚えたいパターンとか、必ずテーマを決めてやってる。

──今も音楽が大好きなんですね。

藤井:はい。今までにベースを投げ出したいと思ったことは1回もない。音楽を辞めようと思った時もないし、音楽を聴きたくなくなったこともないね。

──それでは最後に、ひとこと。

藤井:ん〜。(しばしの間)そやねぇ。自分が部屋で楽しみたいがために作ったアルバムです。人に聴いてもらおうと思って作ってないって言うとウソになんねんけども、それ以上に自分が部屋で聴いて楽しいアルバム、それを作りたかった。それがこのアルバムです。それから、いろんなことがありましたがキヨシローはじめ、忙しい中参加してくれたゲストの方、手伝ってくれたスタッフのおかげでようやく完成しました。本当に感謝しています。

──たくさんの人に聴いてもらいたいですね。

藤井:聴いて楽しんでもらったらサイコーです。共有してもらえるとうれしいです。

──7月18日には発売記念ライブをやりますね。

藤井:はい、ライブ、いろいろ考えてますよ。少しずつだけど。


プロフィール

1973年、上田正樹&サウス トゥ サウスのベーシストとしてデビュー。若干21歳。大阪ミナミで結成されたサウス トゥ サウスは、当時まだ浸透していなかったR&Bというジャンルを日本に広めた草分け的な存在。観客とのコール&レスポンスを全面に押し出した熱いステージングや圧倒的な演奏は、今まであったライブの形をはるかに覆し話題を呼んだ。しかし全国ツアー展開を目の前にし、昇り坂の途中でおしまれながらも解散。実質2年弱の活動期間だった。まさに伝説のバンドとなる。その後、石田長生、正木五郎らとVOICE&RHYTHMを結成。86年に上京。GAS、坂田明、金子マリとMAMA、忌野清志郎とリトルスクリーミングレビューやラフィータフィー、有山じゅんじらとのTE- CHILI(テッチリ)、など数々のバンドを経て、2002年、朋友・正木五郎とのベース&ドラムのユニットFUJIMASAを結成。リズム隊のみのFUJIMASAは、ボーカルやギター、キーボードなどなど毎回ゲストミュージシャンを呼びライブを行うという、画期的なライブ形式で活動をしている。遠藤ミチロウ、忌野清志郎、仲井戸麗市、三代目魚武濱田成夫など出演ゲストも多様。いつの時代も独自でマイペースなミューシャン歴を歩みつつ、2007年、忌野清志郎をプロデュース、ミュージシャン、エンジニアに迎えて、初のソロアルバムを『フジーユー』をリリースした。


フジーユー

フジーユー

JIYU-001 / 2,500yen(tax in)
JIYU RECORDS
6.08 IN STORES

CDは、ハイラインレコードでも取り扱います。
03-5432-7411 (12:00〜20:00)


Live info.

レコード発売記念パーティ
6.07(Thu)下北沢 風知空知
03-5433-2191

レコード発売記念ライブ
7.18(Wed)下北沢 440
03-3422-9440

藤井裕 OFFICIAL WEB SITE
http://www.ne.jp/asahi/mappy/morochan/yu/fujiiyu.html

posted by Rooftop at 15:00 | TrackBack(0) | バックナンバー

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