ギター バックナンバー

高橋まこと('07年4月号)

高橋まこと

挫折・失敗に胸を張れ!
生涯現役ドラマーを貫く“Mr. 8 BEAT”が全力で綴った自叙伝『スネア』、遂に刊行!

日本のロック史に数々の金字塔を打ち立てたBOφWYのメンバーとしてその名を馳せ、De+LAX、GEENA、BLUE CADILLAC ORCHESTRA、DAMNDOGと数々の名バンドを渡り歩いてきた世界に誇るアトミック・ドラマー、高橋まこと。常に現役のバンドマンであることにこだわり続けてきた彼が自らの半生を振り返り、“自分にしかできないこと”に打ち込んでいるすべての人達に熱きメッセージを託した自叙伝『スネア』を上梓した(発売は4月4日、あのBOφWYの“LAST GIGS”から実に19年!)。スティックをペンに持ち替えて、全力を振り絞って書き上げたこの本を通じて高橋まことが伝えたかったことは何なのか。新宿ロフトをライヴハウスならぬ“ライフハウス”と親しみを込めて呼ぶ彼にじっくりと話を訊いた。(interview:椎名宗之)


何度失敗したって、また立ち上がればいい

──今回、こうして自叙伝を執筆しようと思い立ったきっかけから聞かせて下さい。

高橋:数年前にBOφWY時代から盟友関係にある土屋(土屋 浩/現・EARTH ROOF FACTORY代表取締役)から「本を書いてみないか?」と提案を受けたのが最初かな。俺は今53歳なんだけど、やっぱり自分が50代を迎えたことは節目として大きいよね。俺を応援し続けてくれるファンはもちろん、DAMNDOGが所属するBEATSORECORDSの後輩バンドであるURCHIN FARMやwash?のような若いバンドマン、社会の中枢を担っている同世代の仲間達に向けてエールを贈りたかったというかさ。

──原稿の執筆に勤しむのは、今回が初めてのことだったんですか?

高橋:いや、その昔、De+LAX時代に『月刊カドカワ』っていう雑誌でコラムを書いていたことがあるんだよ。毎月200字程度の原稿で、自分の好きな音楽を語る内容だったんだけどね。でも、わずか200字くらいで物事を伝えるっていうのは結構大変なことなんだよな。

──確かに、ダラダラと長文を書くよりも限られた文字数で簡潔に伝えることのほうが難しいですからね。

高橋:そうだよね。あと、『ドラムマガジン』で2年くらい1ページのコラムをやっていたこともある。そこでは日々の身辺雑記や音楽のことを中心に書き綴っていたね。

──そういったコラムと違って、ご自身の半生を振り返りながら一冊の本を書き上げるのは至難の業だったと思いますが。

高橋:うん。自分の記憶を掘り起こして「高校時代の学園祭で演奏した曲は○○だった」とか、ただ記録を羅列するのとは訳が違うからね。それを文章にして人に伝えるのはやっぱり凄く難しかったし、何度も何度も推敲したよね。でも、こうして自分の人生を思い返してみると、なかなか面白い道程を歩いてきたんだなと書きながら思ったよ。たとえば高校受験の失敗や、上京してHEROというバンドをクビになったこと。当時はどちらもネガティヴなイメージにとらわれていたけれど、あの挫折の経験があったからこそ「ナニクソ!」と負けん気が芽生えて俺は強くなれたし、深く傷ついたぶんだけ人にやさしくなれたと思ってる。むしろかけがえのない良い経験ができたと思うよ。受験に失敗して浪人したことだって、人と違うことを1年間やることができて良かったと考えてる。それに、長い人生の中の1年なんて大した時間じゃないしね。

──この『スネア』を読むと、そういうポジティヴな姿勢がまことさんの人生には一本の太い芯として貫かれているのがよく判りますね。

高橋:そうだね。物事をあまり悪いほうへ考えないのは生まれ持った性格なのかもしれないけどね。そんな俺でも挫折や失敗の連続だったし、へこたれることだって多々あった。でも、“自分にできること、自分にしかできないこと”をただ愚直なまでにやり続けていれば、道は必ず開けるものなんだよ。失敗なんて誰だってする。何回もするよ。でも、また何度でも立ち上がればいいだけの話だ。落ち込んだ時にはヘンに屈折することなく、毅然とした態度でいればいいんだよ。

──その“自分にしかできないこと”というのが、まことさんの場合ドラムだったわけですね。

高橋:そういうこと。ドラムを叩くことが自分自身を叩き上げることにつながったんだよ。スネアという相棒が傍らにいてくれればどんな困難な場面にも立ち向かえたし、ピンチが訪れた時でも俺は“なんとかなる、なるようになる”という楽観的な性分だから、あまり深刻になりすぎないんだ。かと言って、のんべんだらりと過ごしていいわけじゃない。自分の懐刀を常に磨いておくことは怠っちゃいけないんだよ。

──与えられた役割をきっちりとやり抜くことの大切さは、この本の中で幾度となく語られていますね。

高橋:それが俺の基本姿勢だからね。みんながみんな同じようにそうできるかは難しい部分もあるかもしれないけど、そういうふうに考えてみるのも悪くないぜ、っていうさ。まぁ、俺からの贈る言葉みたいなものだよ。

──まことさんにとってのドラムのように、一心不乱に打ち込めるものと出会うコツはありますか?

高橋:その対象を一途に好きになれなくちゃダメだよね。最初はフォルムの美しさに惹かれるでも何でもいいけど、それを好きにならなくちゃ何も始まらない。そういうものと出会うには、何事にも自分の好奇心を常に全開にしておくことが大切なんじゃないかな。俺は子供の頃から面白そうなことに対してはじっとしていられない性格なんだよ。それは“何か面白いことはないか?”って常にアンテナを張り巡らせて行動しているからだと思う。俺の場合は、とにかくドラムを叩くことが何より好きだった。中学2年の夏に当時3万5,000円だったドラム・セットを買ってもらってから今日に至るまで、俺は寝食を忘れてとにかくドラムに全身全霊を注ぎ込んできたんだよ。

──まことさんがそれほどまでにドラムに打ち込めたのは何故なんでしょうか?

高橋:なんでなのかなぁ…時代背景もあるのかもしれないよね。空前のエレキ・ブームの後にビートルズに入れ込んで、タイガースやテンプターズなんかのGSブームがあったり、誰もが楽器を弾くことに憧れた時代に一番多感な思春期を迎えていたからね。最初は俺もノーキー・エドワーズ(ヴェンチャーズ)に憧れてギタリスト志望だったんだけど、技量がなくて、一緒にバンドをやってた友達から「おまえ、ドラムやれよ」って言われてなし崩し的にドラムを叩くことになったんだけどね。

──友達のその一言がなければ今日のまことさんはなかったかもしれないし、つくづく人生って面白いですよね。

高橋:ホントだね。コードを覚えなくちゃいけないギターと違って、ドラムはとりあえず叩けば音が鳴るじゃない? その間口の広さというか取っつきやすさもあったし、スティックの握り方ひとつで音色が変わる楽器としての奥深さにも徐々に魅せられていったんだよ。あと、ギターはそれ単体でも演奏が完結するけど、ドラムはギターやベース、ヴォーカルとか他のパートがいないと成立しない。アンサンブルのひとつでしかないわけだからさ。そうなると、必然的に俺以外の力が必要になってくる。俺はそうやって人とのつながりを求めながらみんなでワイワイやるのが好きなんだろうね。


氷室と布袋は刀の「刃」、俺と松井は「柄」の部分

──『スネア』の読みどころをあえて挙げるとするならば、どんな部分でしょうか?

高橋:山あり谷ありではなく、谷あり谷ありの道程かな?(笑)

──いやいや、BOφWYに加入してからロック・シーンの頂点に登り詰めるまでの過程を綴った章は、読んでいてとてもスリリングでしたよ。

高橋:でも、山頂に近づくと自分の足元を見失うんだよ、霧に閉ざされて周りが見えないから。気がつくと随分と上のほうまで来たんだなとは時折思うけどね。谷にいる時は周りは壁だらけで、“どうにかしてこの山を這い上がってやる!”と意気込むからハングリー精神に満ち溢れているし、何より生きている実感があると思う。やっぱり、苦境に置かれた時や失敗を重ねたことから学べることのほうが大きいんだよ。山頂まで登り詰めたら、後は降りるだけなんだからさ。上に登ってばかりもいられないしね。ジェットコースターだって、一度谷まで降りていかないとまた登れないじゃないか。自分の置かれた立場というか、今の自分が山の何合目あたりを登っているのかを知るのは大事なことだよ。そういう自分の立ち位置、己の身の程を判っていない奴がろくでもない事件を引き起こしたりするんだから。

──BOφWYの解散前後のことを振り返って文章にすることは、苦痛ではなかったですか?

高橋:言うまでもなく解散の理由はひとつじゃないわけで、俺は俺の見た視点でしか書けない。その通りに書いたつもりだよ。それよりも、De+LAXが解散してソロ・アルバム『楽しき人生』を発表するまでの時期を綴ることのほうが辛かった。俺が30代最後の年で、何もやる気が起こらずに放心状態の日々が続いていた時期だったからね。風船が割れて、徐々に空気が抜けてしぼんでいくような閉塞感しかなかった。あの時は結構しぼんだなぁ…(苦笑)。世の一般男性にしても、30代後半から40代の入口というのは大きな病気を患ったり、会社ではリストラに遭ったり、何かと大変な時期に当たるんじゃないかな。42歳は大厄だしね。今みたいに五十路を超えると暗雲も立ち退いて、うまい具合に開き直ることができるんだけどさ(笑)。

──僕がこの本の中で感銘を受けたのは、氷室京介さんと布袋寅泰さんは刀の「刃」、まことさんと松井常松さんは「柄」の部分であると喩えた話なんです。光り輝いて注目を浴びるのは「刃」だけれども、それを支える「柄」がなければ一本の刀として成立しないんだよという。

高橋:バンドマンに限らず、世のサラリーマン、学校の先生、お医者さん、タクシーの運転手、ウェイトレス…平凡かもしれないけど、皆それぞれに替えの利かない役割というものがあって、その役割を全うすれば誰だって輝くことができるということを伝えたかったんだよ。仮に自分に光が当たらなくたって、卑屈になる必要は全くないんだ。自分こそがその光の当たる土台を支えているんだと考えればいい。そのことに誇りを持てと俺は言いたいんだよ。BOφWYが解散を発表する年になって、氷室は『PSYCHOPATH』の曲作りのためにプライベートを兼ねてロンドンへ行って、布袋は久美ちゃん(山下久美子)のプロデュースやツアー・メンバーとして活動して、松井もそのツアーに同行していたことがあったんだ。みんながBOφWYという大きな家を留守にしていたから、俺はただ一人、BOφWYのフィルム・コンサートで全国を駆け回った。他の3人が不在の時に自分のできることは何かを考えたわけだよ。その時に「刃」と「柄」の喩えが頭に浮かんだ。それは俺独自の人生哲学かもしれないね。

──サラリーマンでも、教師でも、医者でも、バンドと同じく各々の職場で替えの利かない役割があるという意味において、バンドは社会の縮図であると言えますよね。

高橋:そうだね。己の責務を全うするという意味では、バンドと一般の仕事に何の隔たりもない。だからこの本は、地道に仕事に打ち込んで日本経済の底辺を支えている人達に是非読んで欲しいんだよ。俺の半生を通じて、人生を楽しむコツみたいなものがそこから読み取れるはずだから。今バンドをやりながら夢を追い続けている若い人達には良き指南書としても読めると思うし、まだ10代の若い人達には人生の先輩からのメッセージとして読めるんじゃないかな。谷あり谷ありだけど俺の“楽しき人生”、自分で言うのもなんだけどまんざらでもないと思うよ。


スネア

スネア

高橋まこと・著
発行:マーブルトロン/発売:中央公論新社
四六判/258頁
定価:本体1,600円+税
2007年4月4日発売
★amazonで購入する

Live info.

高橋まこと『スネア』出版記念トーク&ライブ+DJ
4月28日(土)新宿百人町NAKED LOFT
【出演】高橋まこと(ex.BOφWY, De+LAX, DAMNDOG)/LEE(DAMNDOG, Revolver)/椎名宗之(Rooftop編集長)
【DJ】NORI
OPEN 18:30 / START 19:30
TICKETS: advance-2,000yen (+1DRINK) / door-2,500yen (+1DRINK)
*当日、単行本『スネア』と『奥の松酒造』特製・高橋まことオリジナル・ケース入り日本酒を販売
*前売チケットはNAKED LOFT店頭、チケットぴあ(Pコード:256-629)、ローソンチケット(Lコード:34927)で発売中
【info.】NAKED LOFT:03-3205-1556

高橋まこと公式サイト:ATOMIC*DRUM
http://www.makotomic-drs.com/

高橋まことのぼちぼちblog
http://blog.livedoor.jp/atomic_drum/

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