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LIZARD『ROCK'N' ROLL WARRIORS -LIVE '80-』発売記念鼎談 モモヨ(LIZARD)×地引雄一(テレグラフ・ファクトリー代表)×平野 悠(ロフト席亭)

LIZARD『ROCK'N' ROLL WARRIORS -LIVE '80-』発売記念鼎談 モモヨ(LIZARD)×地引雄一(テレグラフ・ファクトリー代表)×平野 悠(ロフト席亭)

一貫して先鋭であり続ける表現者・モモヨの内なる小宇宙

うひ〜! 長げぇ〜なぁ。この小さな文字で超長い対談を最後まで読めた人は偉い。というかパンク好きというか、まぁ私でさえ読むのを途中で投げ出したい衝動を我慢して、最後まで読み続けることに美学があるんだっていうことを感じていた。この対談に立ち会ってくれた椎名編集長が「とても面白い対談だった」と言っていて、彼の意図が「苦痛から学べ」と言っているように見えてくるのが不思議だ。
多分、「そら、今の若い連中はこのひとつの激動の時代を生き抜いてきたおやじ達が今どこにいるのかを我慢して読め! きっとこの長く小難しい対談を読み切れば君もきっと何かを得られるはずだ」というルーフトップ編集部の意志なのだと思った。「ロックはひとつの音楽形態にとどまらず、そこから派生した文化や、もっと言えば政治的態度でもあると思う」という観賞用ロックに挑戦するおやじ対談であったなと思う。(text:平野 悠)


ひねくれているけどポップに聴こえる音楽

平野:今回発売されたDVD『ROCK'N' ROLL WARRIORS -LIVE '80-』の特典映像にあるモモヨへのインタビュー、あれにはブッ飛んだよ。あのインタビュー映像を見て、僕はモモヨが今考えていることやあの時代に何を言いたかったのかが本当によく判った。後追いで東京ロッカーズのムーヴメントに触発された若い世代は絶対に見るべきだと思う。いや、それどころかロックを愛するすべての若者はあのインタビューを見るべきだとすら思った。これはヨイショでも何でもなくね。モモヨのやっているバビロニック・ドットコムというサイトも見たけれど、モモヨはこんなにも哲学者だったんだということに驚いてしまったよ。あのサイトで随筆やら雑文やら、よく書いてるね。

モモヨ:今は話したい言葉を探している最中なので、このところはしばらく書いてないんですけどね。書いても、せいぜい月に1本くらいですよ。結局、書きたいテーマは今も昔もみな同じなんです。

地引:モモヨは東京ロッカーズの頃からそういういろんな主張を折に触れてしていたよね。それがちゃんと届いていたかどうかは判らないけど。当時のリザードの歌詞を読むと、社会性、メッセージ性の強い歌詞だったと思う。高木完も「今の時代にこそ通ずる音楽なんじゃないか」と言っていたけど、確かにその通りなんだよね。その前の時代みたいに反体制の直接的なアジテーションじゃなくて、一旦自分で受け止めた上で発せられたものだから、その時代の表現としては突出したものだったと思う。現実を自分の問題として取り込んだ上での表現だったから。

平野:それこそがパンクの原点でしょう。でも、あの頃はサウンドばかりが先走っちゃって、歌詞カードもろくに読まない時代だった気がするけどな。

モモヨ:今でこそ「リザードはメッセージ性のある歌詞を書いていた」とか言われますけど、初期においては、パッと見にはいわゆるロックンロール・バンドだったんですよ。そう見えるようにもしていたし。ティーンネイジャーがライヴハウスに来て、それなりに遊べるような形を作っていましたから。テクニックもそれなりにあったしね。

平野:モモヨはそう言うけど、僕は単なるロックンロール・バンドとは一味も二味も違うと思った。それまで聴いてきたロック・バンドよりも断然テンションが高かったし、前のめりに突っ込んでいくようなロックだと感じていたよ。

モモヨ:今回のDVDに収録されたライヴよりも前、まだキーボードがいた時は、それほど人の神経を逆撫でするようなアレンジはしてないんです。

平野:ノイズは出してないっていう意味?

モモヨ:そういうこともあるし、自分が“これだ!”と思ったものに比べて一般的な嗜好というものをまず頭の中で模索するわけですよ。その一般的な嗜好に近いものを出していたのがファースト・アルバムだったんです。まだ東京ロッカーズの頃ですね。初期のリザードにおいては、ひねくれているけどポップに聴こえる音楽をやるのがひとつのコンセプトだったんです。それはかなり異質に聴こえるはずですけど、アヴァンギャルドではないですよ。東京ロッカーズの中にもいくつかバンドがあって、その頃の私達は下の世代に向けてやっていた。同世代に向けてやっているバンドが結構多かったから、そこはかなり違うと思いますよ。

地引:初期は凄くポップだよね。

平野:僕は地引と違って、はっぴぃえんどが日本語ロックの出発点としてあるんだよ。細野(晴臣)とか大瀧(詠一)とかはっぴぃえんどのメンバーがどんどんメジャーになって、それはユーミンも(山下)達郎もそうなんだけど、「もうロックなんて恰好悪いんだよ」とでも言いたげにみんなロフトを切るわけだよ。そこで戸惑っていた時期に、地引が僕のところにやって来たわけ。「どのライヴハウスもパンクをやらせてくれないから、ロフトでやらせてくれませんか?」と。僕は元々ティン・パン・アレー系だから、当然最初はパンクになんて全く興味がなかったんだけど…今でも覚えてるよ。夏の昼下がり、地引がロフトの事務所にやって来たんだ。

モモヨ:いや、違いますよ。最初は田中(唯士/S-KEN)さんと私が平野さんのところに行ったんです。だって、地引君はその時まだミラーズのマネージャーじゃないから。

地引:そう、その時はまだ単なるカメラマンだった。

モモヨ:平野さんが夏の昼下がりに会ったのは、田中さんと私ですよ。六本木にあったS-KENスタジオがもう終わるので、「こういう企画をやってみませんか?」と話しに行ったんですよ。

平野:そうだっけ? うーん、全然覚えてないや(笑)。でも、当時僕がパンク・シーンを支持するなんて発想はひとつもなかった。毎年夏の終わり頃っていうのは、東京に人が少ないから基本的にライヴハウスには客が入らないんだよ。そこで何かやるしかないと思って、まぁパンクでいいや、と(笑)。自分で店に行かなきゃいいんだからっていう軽い気持ちだったんだよ(笑)。

モモヨ:それは『Drive To 80's』('79年8月28日〜9月2日、東京ロッカーズと呼ばれた一群のバンドからテクノポップの旗手までが一堂に会した新宿ロフトのイヴェント)の前の話ですね。


堀辰雄の人生を参考にしたかった

平野:でも、リザードはその前に下北ロフトとか荻窪ロフトでちょくちょくやっていたんだよね?

地引:いや、新宿ロフトが一番最初ですよ。東京ロッカーズとしてはね。その前の年の9月に新宿ロフトに出ているはずなんだけど、なぜか当時のスケジュールにも名前が載っていないんだよ。

モモヨ:ひとつのバンドが10人、20人と客を呼んで、そんなバンドが5つもあればかなりの人数を呼べるわけじゃないですか。紅蜥蜴(リザードの前身バンド)も多少は名前があったし。東京ロッカーズの始まりは、それで動員できてイヴェントとして成立するかどうかという試みだったわけですよ。今はどこのライヴハウスでも当然の形でやっているライヴの形態がそこで初めて試されたんです。ジャン・ジャック・バーネル(ストラングラーズ)が方法論として私達に言ったのは、例えば数万人の前でライヴをやっても伝わらないだろう、と。だったら、100人規模のパブでもどこでもいいからきちんと伝えてサーキットすればいい、って。1回で50人集まれば、10回やれば500人。それでどんどん増えていくだろう? ってジャン・ジャックが繰り返し言っていたんですよ。

地引:最初は六本木のS-KENスタジオでライヴをやっていたんだけど、そこが使えなくなるからっていう時にロフトに行って、関西のツアーをやったりとかした。最初はバンド主体ですべてが動いていたんですよ。僕はただそれを手伝っていただけだから。ごく一定の限られた人達だけで始まったムーヴメントだったけど、それが大きく広がっていったのはロフトとの繋がりができた辺りからなんです。

モモヨ:オムニバス・アルバム『東京ROCKERS』のレコーディングもロフトでやって('79年3月11日『東京ロッカーズ ライヴ・レコーディング』)、リザードのデビューの時もロフトでギグをやらせてくれたしね('79年12月1日『鋼鉄都市破壊指令1201 アルバム発売記念』)。

平野:それは間違いなく、他に出るバンドがいなかったんだよ(笑)。

モモヨ:そんな理由だったんですか(苦笑)。あの頃は、それまで動員力を誇っていたハード・ロック系のバンドが徐々に下火になっていた時期だったんですよね。そんな頃に私達はライヴをやる場所がなくて、ロフトも相手にしてくれて(笑)、ちょうどいいタイミングだったんでしょうね。

平野:そう言えばモモヨは昔、平気で客を蹴っ飛ばしたりしていたよな。

モモヨ:だって、そうしないとマイクを取られたり返してくれなかったり、客も凄かったんですよ。2コーラス目に歌が入るのに手を握って離さないとかね。僕は自分からダイヴしたことはないですよ。足を掴まれて危ないからダイヴして、客が戻してくれる感じなんです。足を引っぱられながら唄えないじゃないですか(笑)。

平野:今日はモモヨが如何に哲学者であるかを紐解いていきたいんだけど、僕が意外と思ったのは、モモヨは堀辰雄が好きなんだよな。あんなメルヘンチックな世界が好きなの?

モモヨ:堀辰雄は'81年くらいからずっと読んでいましたよ。彼は16歳くらいの時に天才と呼ばれて芥川龍之介が面倒を見ていたんですけど、その頃にはもう澁澤龍彦が唱えていたような象徴主義とかモダニズムとかを卒業しちゃってるわけです。戦時下の不安定な時代の日本の中で、安易に時流に迎合しないで生きていこうとするのがその後の話で、そこに凄く興味がある。なんで堀辰雄に興味を持って強烈に深く入り込んだかと言うと、ロック・ミュージシャンには人生の歩き方を提示してくれる前例がない。そうすると、他に似たような人がいないかと前例を探るわけですよ。それで、芥川がぼんやりとした不安を抱えて死んだ頃の文学者に私は一番親近感を覚えたんです。将来が見えないから芥川も死んだんですよ。原稿料も異常に安かったし、定期的に全集が出たわけじゃないし、常にあぶく銭で食い繋いでいく状態。結局、堀辰雄自身は作家として成功できなかったわけです。むしろ立原道造、中村真一郎、福永武彦達の面倒を見たことで名を成した。そんな堀辰雄の人生というものを参考にしたかったというのが大きな理由としてあるんですよ。

平野:福永武彦は僕のライフワークで、彼の作品を読んで僕の文学の歴史は終わったという意識があるんだけど。堀辰雄も、福永武彦も、芥川龍之介も絵が浮かんでくる文章だよね。

モモヨ:私も福永武彦辺りが一番リアルタイムで読んでいましたよ。ただ、人生を探るには堀辰雄が判りやすかった。何事も先駆を付けてはやめていったというところが、凄く性格が似ていると思ったんです。

平野:でも、僕には堀辰雄とパンクがどうしても結びつかないんだよ。「サ・カ・ナ」という曲にしたってそうだったと思うけど、社会を斜めに見てブッた斬った最たる人だったじゃないですか、特にモモヨは。

モモヨ:でもね、「サ・カ・ナ」を唄っていた時はひとつの時代がもう済んでいた。水俣病で原告は敗北していたから、「何で今さらそんなことを唄うんだ?」と言われたことも多かった。でも、そんなことを言われる状況だからこそ敢えて唄ったというのが「サ・カ・ナ」にはあるんですよ。


先駆的なネットワーク上での音楽活動

平野:今回のDVDを見て僕が驚いたのは、バンドに毒があるんだよ。毒だらけ。その毒が強烈なんだよ。今モモヨが携わっている新しいバンドにそういう毒を持ち込める要素がある?

モモヨ:最近、リザードと並行して、鮎川(誠)君の娘さんがやっているバンドとか若い人達とも付き合いがあるんですけど、そういう若いバンド達に関しては単純に興味があるというか、自分が忘れていたものの萌芽がそこにあったりするのがまずひとつ。パフォーマンスはパフォーマンスでやりますよ。多分、ロック・ギターを弾かせれば自分が一番巧いと思っているから(笑)、それを若い人達に継いでもらおうかなという感じです。

平野:去年の10月20日に新宿ロフトに出演した時のライヴをビデオで改めて見返したんだけど、ギターはカッティングだけだったような気がするんだけど。

モモヨ:一瞬だけスタジオ・ワークみたいなことをやりましたよ。みんな打ち込みだと思っちゃうんですよ。ライヴで弾いているのに、打ち込みだの何だのと言われてしまう(苦笑)。私も後でビデオを見返しましたけど、指が早すぎて止まって見えるんですよ。

平野:そうですか、それは大変失礼致しました(笑)。

地引:あの時のライヴは、音楽的にも内容的にも、今聴いても凄く面白いんだなと僕は思ったよ。ただ、あの時のライヴも今のすべてを出しているわけじゃないからね。あの中でチラッとギターでサイケな感じをやっていたけど、そういうのをホントは今一番やりたいって話をしているよね。

モモヨ:やりたいじゃなくて、やっている。家で作っている音がああいう感じなんですよ。

平野:'80年代の半ば以降、パンクがハードコアに派生してどんどんジャンルがセグメント化していく過程の中で、モモヨは人の音楽を聴かなかったの? それとも飢えていたの?

モモヨ:飢えてはいない。ただ、インターネットには早くから繋がっていました。ネットワークで音楽をやり始めたのは'95年くらいですかね、バビロニック・ドットコムというサイトを始めて。

平野:ネットワークで音楽を始めるってどういうこと?

モモヨ:mp3.comっていうサイトがあって、当時はMP3ファイルをアップすることが違法だというデマゴーグが日本では流れていたんです。でも、自分の作品をアップするのは違法でも何でもない。それがどう使われようが自由じゃないですか。そんな自由なことも悪だと言われていた。キング・クリムゾンにいたエイドリアン・ブリューも自分で音楽ファイルをアップしていたんです。そういう場所があって、ミュージシャン同士が情報を共有しながら連絡を取り合って、作品を地球規模で作れたら面白いねという動きがあったわけです。

地引:ひとつの曲をネット上で作れたんだよね。

モモヨ:私もmp3.comに匿名で曲をアップしていたら、徐々にいい面子が何人か集まってきたんですよ。正体を明かせばそれがペル・ウブのリーダーだったり、ブライアン・イーノのスタッフだったりした。それで自分も正体を明かして、向こうとやり取りをしてサウンドトラックとか音の実験を10年くらいしていましたね。映画音楽も4、5曲作っていましたし。レコーディングの現場には関わっていなかったけど、今回のDVDでパフォーマンスしていたような表現を音だけで描こうという試みは一通りコンピューターを使ってやってみました。

平野:それでモモヨは何を得た?

モモヨ:一番嬉しかったのは、匿名で曲を出していて1位になったこと。日本人、ダメじゃん! って思った(笑)。

平野:にも関わらず、モモヨは「日本人のロックは日本語で唄え」って言っているでしょ。

モモヨ:それはそうですよ。それは現場においてね。自分の音楽に自信がなかったとしますよね。自分としては斬新な音楽を作っているつもりで、それを評価してくれる土壌が日本にはないってこと。言葉とはまた別で。好きな音楽に関して言えば、いくら国際水準になっても日本では認めてもらえないっていう世界がある。今でもそうですよね。若い人達にはリザードをやらなきゃダメなんです。そこが実はネックなんですけど。今はリザードの詞を唄うことを私も受け入れることになったけれど、今までは抵抗していたんですよ。ブランド主義というのはティーンネイジャーにもあるから、それに対して非常に抵抗していました。

平野:未だにリザードのサウンドにこだわっているわけではない?

モモヨ:サウンドではないですね。だってそれは限定性がありますから。リザードは4人でできる音っていうことを考えて作っていたサウンドだから、際限なくコンピューターの前で重ねられる現状とは違うわけじゃないですか。

平野:判った。ということは、去年の10月のロフトでのライヴはお客へのサービスだ。

モモヨ:半分はね。あともうひとつは、自分の曲の確認です。




DVDは特殊な状況を支えてくれた人達と自分の作品

平野:そんな一貫して表現者の姿勢を貫くモモヨが、今回こうしてDVDのプロモーションにまで協力を惜しまないと言い切っているのはどうして?

モモヨ:このDVDは特別なものがあるんですよ。さっき平野さんが言ったように毒があるっていうのはあるけれども、実際にはメジャーのレコード会社と契約してLPを2枚出したバンドの発売記念ツアーのライヴなんですよ。そういう今じゃ考えられないこと…当時としても考えられなかったことだったと思うけど、そういう状況を許してくれた当時の聴き手、リザード・アーミーと呼ばれていた子供達が私達の周りにいたわけですよ。そういう特殊な状況を支えてくれた人達と自分の作品みたいな気持ちが凄くあるんです。うまく説明できないけど、全体的にね。実際にはメジャーからポップなアルバムを出して、ファンもいて、ファンクラブもあって…そういうバンドのステージとしてこういうことがやれたという有様。当時は酷かったみたいなことがよく言われるけれど、逆に言えば当時はこれだけのことが許されていたっていうところがあるんです。

平野:そうだね、それは間違いない。あれ以降、閉塞状態に陥ったっていうのは僕も同感です。あの時代、間違いなく僕達はグレイトな時代にいたんだよ。東京ロッカーズが出てきた頃に僕達は現場にいることができたわけだからね。

地引:音楽雑誌っていうのは、CDとかDVDが出たりした時にそのバンドを取り上げて、CDを出さないとまるで活動をしていないかのような扱いをするじゃない? だけど、音楽を作る人って長い期間ライヴをやっていなくても、レコードを出していなくても、常に自分の生き方の中で何らかの表現をしていると思うんだよね。それは時々ライヴという形になって出たり、作品として世に出たりする。僕が『イーター』という雑誌をやっていた時も、そういう既存の音楽雑誌みたいにしたくなかった。みんな生きている中の一環として音楽をやっているわけだから、生きてる限りはその人の話を聞いてみたいっていうのが『イーター』の基本的なスタンスだったんだよ。

モモヨ:あと、最近よく「新曲をやらないのか?」って言われるんですけど、実際にはリザードは'87年くらいまでアルバムを出しているんです。その先のほうになると詞が錯綜して、西脇淳三郎とかの影響が色濃くなる。そこまでファンが理解できていないのに、新曲も何もないよっていう気持ちが実はあるんですよ。だから、今回出るDVDの頃…'80年くらいのところからもう一度始めようっていう気持ちがあります。だって、唄えば自ずと新曲になっちゃうんですよ。巧い唄い手じゃないし、そのまま繰り返すわけじゃないですからね。

地引:今の若い世代、このライヴが行なわれた頃に生まれた若い人達がDVDを見てどう思うのかは非常に興味深いね。

平野:うん、それは確かに興味深い。

モモヨ:若い人達が何を見るかは、勝手にしてもらったほうがいいかなと思いますね。ロックを好きな人達の中で、今でもいろんな才能のある人がいると思うんですよ。そういう人達が何を感じるかは、自己責任でその中からいろんなものを拾うわけじゃないですか。そうあるべきかな、と。そのためにはいっぱい売りたいですよ。いっぱい売った中で、1万枚売れれば500人くらいは何かを掴んでくれるでしょう。実際にリザードのファーストはのべ27万枚くらい売れているんですよ。その中でちゃんと掴んでくれている人は何万人もいないだろうと思う。何万人もの人がメッセージを掴んでいれば、もうちょっと住み良い世の中になっているはずなので。昔に比べて、今の若い人達のほうがとにかく活動しやすくなっていますからね。

平野:メーカーの顔色を窺うとか、そういうのがなくなってはきているよね。

モモヨ:そうなると、今度は何を唄うのかっていうのが問題になるでしょう。それに気づき始めたバンドが増えてきているんじゃないかと思いますね。そういうことに対してある種のきっかけも与えたい。


9.11があったから現実にライヴを再開した

平野:それでね、これは僕の対談取材でミュージシャンに必ず訊くことなんだけど、9.11以降の変わり果て歪んだこの世界において、ロックはどう在るべきなのか? これを僕は是非モモヨに訊いてみたいんだ。今の時代に一番必要なのはリーダーなんだよ。「言いたいことを言おうぜ」っていう。地引がいつも言ってるよな、「現実を見ろ! 逃げてどうする!?」って。モモヨだったらメッセージ性の高い歌詞を含めて、音楽の新しい地平を切り拓くことができるんじゃないかと僕は思う。

モモヨ:9.11があったから現実にまたライヴを始めたというのはあったんです。精神的なものばかりではなく下世話な話で言えば、世界的なネットワークで集まっていて、それが同じアメリカ人の間でも宗教対立でどんどん分断されていく。その結果、ネットワークの中がボロボロになって、ネットワークのコラボレーションなんて到底できなくなってしまった世界があるんです。そこでコミュニティが壊滅的になって現実でやらなければいけないと思ったから、ライヴをまた始めようとした。ただ、今のところそういう段階だから、池の中の鯉なので客観視はできない。

平野:そんな発言を聞くと、これからのモモヨの音楽活動には注目しなくちゃいけないね。応援するよ。

モモヨ:基本的にはジョン・レノンでいいんですよ(笑)。はっきり言って「イマジン」ひとつあればいいと思う。あとは表現の仕方だから。9.11の直前からアメリカはどんどん右傾化していって、9.11以降、全米のラジオ局が「イマジン」の放送を自粛しましたけど、「レボリューション」という言葉をネットから追い出そうという動きすらあったんです。あの頃のアメリカでは「革命」っていう言葉ひとつ使っちゃいけない世界ができつつあった。異常ですよ。

平野:今の若いミュージシャンは、現実の身の回りのことしか唄わないんだよ。自分にとってはイラクなんて遠い話で、まるでリアリティがない、と。モモヨは「サ・カ・ナ」で水俣病のことを唄った。それはモモヨにとって身の回りで起こるリアリティだったわけじゃない? 僕達の時代の身の回りと今の若い人達の身の回りがなんでこうも違うんだろうと思うんだ。今の若い人達は四畳半の部屋から出てこないんだよ。だからこそ今、モモヨが発するメッセージが必要だと思う。

モモヨ:でも、今のほうがリアルに近いんじゃないですか? 実際に自衛隊に参加してイラクに行っちゃうわけだし。あと、大人が敵にするに値しない。政治家の答弁を見ていても笑っちゃうだけじゃないですか。

平野:そうなんだよな。でも、彼らはそういうことに対してリアリティを持たないんだよ。だから僕は9.11以降の世界でロックにそのことを問い詰めているという意識があるんだけど、モモヨなら今どんな詞を作る?

モモヨ:今? リザードの頃よりも唄う内容はもっとシンプルですよ。キリストやマホメットが砂漠をパレードしていく歌とか、そんなものですよ。それで砂漠でロックフェスを開く。それが最近作っている歌。

平野:今またモモヨが出てきたのは、時代が要求しているからなのかな?

モモヨ:そういうわけじゃないでしょう。ロックはずっと続けてきているけど、多分ある種のサブカルなんですよ。今、ロックの源流みたいなものが消毒されて残っていってるんです。そのルーツにあるコアみたいなものはちゃんと再検討しないとダメかもしれない。今バンドをやっている若い人達は恵まれていると思うけれど、いろんなものをアジテートできたり伝えることができる特権をバンドが持っているという意識をもうちょっとみんな持ってくれないと困るかな、とは思いますね。


これから決着つけるので見ていて下さい

平野:今回のDVDに続いて、今後『リザード全集』なる10枚組のボックスを出すという壮大な計画があるらしいね。

モモヨ:10枚組っていうのは、リザードの古い音源をまとめるだけじゃないんです。私が15、16歳の頃からネットワークでやっている今に至るまでの作品をひとつの流れにまとめて、俯瞰してみようと思っているんです。そうやって自分というものを提示しないことには、ファンを掴みにくい。そうしないと、「こいつ何者なんだ?」ってことになるでしょう。新作を作っている状況はもう5年くらい続いていて、とりあえず今はそれをまとめたいと思っています。

平野:いいね。凄く精力的じゃないですか。これが自分にとって最後の仕事くらいに考えている?

モモヨ:あと5年くらいかな。

地引:その新しい曲はライヴでもできるような形?

モモヨ:もちろん。ライヴでもやれるし、どこにでも行きますよっていう感じですね。

平野:今のモモヨは目が据わっているもんな。オロオロしていないよね。やるしかないというオーラが漲っている。

モモヨ:ギターが一本もあれば充分。何ものせることだけが音楽じゃないですからね。やっぱり、平野さんみたいに下北沢で一人でも座り込みするくらいの気合いがないと(笑)。あれは私もいいと思った。平野さん、ホントに音楽評論家やるの?

平野:もうやってるんだよ。自称“新人ロック評論家”として今日も話を訊いているんだから(笑)。ここから先、モモヨがどういう音楽を発信していくのか凄く興味があるな、一音楽ファンとしては。その前にまずこのDVDだよね。何度も言うけど、あのモモヨのインタビュー映像はプロを目指すミュージシャンには是非見て欲しい。なぜならばやはりあのモモヨ独特の毒だよな。今の若い人達には毒がない。明るく楽しくヨイショの話ばかりだからね。とにかくこのルーフトップの読者を含めて、音楽を愛するすべての人達にこのDVDを見て欲しいんだけど、モモヨから何かメッセージはありますか。

モモヨ:これから決着つけるので見ていて下さい。音楽だけじゃなくて、こうやって話していることも含めて全部。平野さんだってトークとか色々とやっているでしょ。それと同じですよ。もちろん、音楽がキーになっているのかもしれないけれど。子供の時にバンドをやろうと思ったのは、寺山修司さんや唐十郎さんとかのハプニング・ショーの時代に家出をしてフラフラしていたのが始まりですから。そういうすべてのものに決着をつけたいですね。

平野:これだけ多様化してしまった日本のロックに勝とうという意識はない?

モモヨ:いいものはやっぱりいいし、私は趣味のレンジが凄く広いんですよ。クラシックも聴くし、邦楽も民族音楽も聴く。その中で自分で勝手にロックを感じるものは「これはロックだ」と言うし、自分が生きていればロックだと昔から思っていますからね。これからはかなり下世話に何でもやるんじゃないですか。このDVDの中で唄っていたことを軸にして、それを更に展開していく感じになると思いますよ。でも、最近はロックをやっているのが単純に楽しいんですけど、本当は。

地引:僕が紅蜥蜴を最初に見て一番惹かれたのは、単にロック・バンドとして面白いっていうんじゃなくて、他とは違う存在感の強さを感じたからなんですよ。ロックという枠の中での面白さ以上の、その時代に突出した表現だったんじゃないかな。'70年代のアングラ・カルチャーとか反体制とか、そういう流れが完全に途絶えた時代。モモヨとは歳が少し離れているけど、世代的には同じことを経験しているんじゃないかと思う。

平野:今の若い世代で音楽をやっている人達に向けて、音楽でメシを喰うというのはこういうことなんだよっていうのはある?

モモヨ:私は途中でやめてしまったけど、やめないで続けていれば、年金よりはましな印税も入るでしょうね。それがまともな作品ならば。20歳からきちんといい作品を残して年に1回以上アルバムを出していれば、40枚以上ストックがあるわけですよ。その作品が本当に価値のあるものだったら、年金くらいは入るでしょうね。喰える喰えないって、若い連中が生半可な気持ちで音楽でメシを喰おうと思うのが間違い。それだけの音楽を作ろうとする気概がなければダメですよ。

平野:そうだよね。人様からお金を頂くっていうのはそんな簡単なことじゃないよね。いい作品を残したからこそ30年近く経ってもこうしてDVDを出せるんだから。でも、モモヨが最前線に復帰するのは単純に嬉しいな。

モモヨ:ライヴ自体は何年も前からたまにやってきたけど、肩慣らしに近かった。今回は本気です。腹筋も始めたし、声もだんだん戻ってきている。今のロフトのステージは立っているだけで熱いですよ。昔は裸電球みたいなものだけだったからね。でもやっぱり、若さには勝てないな(笑)。

平野:モモヨは今いくつ?

モモヨ:53ですね。

平野:僕は今、62なんだよ。

モモヨ:元気ですね。いつも刺激を求めて歩いていれば元気になるでしょう。

平野:そう。一歩足を踏み出すと、また違う世界があるんだよ。踏み出さないでウジウジしていると単なる繰り返しの日常になるから。大体、62になって“新人ロック評論家”なんて突然言い出すんだからメチャクチャだよな(笑)。

(本文構成:椎名宗之+山田智子)




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収録曲:【STAGE-1】ニューキッズ・イン・ザ・シティ/モダン・ビート/まっぷたつ/エイシャ/サ・カ・ナ/王国
【STAGE-2】ロボットラブ/マーケット・リサーチ/リザード・ソング/ニューキッズ・イン・ザ・シティ/モダン・ビート/エイシャ/サ・カ・ナ/王国/ガイアナ/T.V.マジック/ゴム/レクイエム
パーソナル:Momoyo(Vox)/Waka(Bass)/Bell(Drums)/Kitagawa(Guitar)
特典映像:ロンドンでのライヴ、1stアルバム・レコーディング風景などの写真を元に作成されたミュージック・クリップ/ヴォーカル、モモヨへのインタビュー(2006年撮影)/2007年発売予定『リザード全集』予告編
封入特典:『リザード写真集』復刻版
発売・販売:株式会社トランスフォーマー
品番:TMSS-039/価格:¥4,935(税込)

菅原保雄(モモヨ/リザード)責任編集:Babylonic.com
http://www.babylonic.com/

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