ギター バックナンバー

FINE LINES('07年3月号)

FINE LINES

晴れやかな青空のように壮大な“亜成層圏”のメロディ

元HUSKING BEEの平林一哉(vo, g)と元SHORT CIRCUITの黒澤譲治(g, vo)によるアコースティック・ユニットとして結成され、元HUSKING BEEの“TEKKIN”こと工藤哲也(WORD、BEYONDS/b)とSLIME BALLの片山豊(ds)が加入してバンド形態での活動にシフト・チェンジしたFINE LINES。日本のメロディック・パンク・シーンを牽引し続けてきた綺羅星の如きメンバーから成る彼らの初のフル・アルバム『substratosphere』が遂に完成した。繊細で情感豊かなそのメロディの高いクオリティはこれまで発表されてきたオムニバス盤参加曲やシングルで既に実証済みだが、本作は胸を締め付けるエモーショナルで彩り豊かな楽曲が更にぎっしりと詰まった、まさに会心の作。まるで少年のように透明感に溢れた清々しい歌声を聴かせるバンドのフロントマン、平林にFINE LINESの結成から今日に至るまでの道程について語ってもらった。(interview:椎名宗之)


“大事なのは歌なんだ”と再認識した

──晴れてファースト・アルバム発表と相成ったわけですが、考えてみると結成('03年6月)からもう4年近く経つんですよね。

平林:ああ、もうそんなに時間が経ってましたか(笑)。始めたばかりの頃は余り気負いもなく、暇な時にチョロッとやるような感じだったんですよね。

──そもそもの始まりはどんな経緯だったんですか?

平林:確かシェルターだったと思うんですけど、誰かのライヴの打ち上げに顔を出して、そこでたまたま譲治と会って話したのが最初ですね。アコースティックの形態でゆるい感じの音楽をやってみたいっていうのはそれ以前からずっと考えていて、そのことを譲治に伝えたら「一緒にやりますか」って話になって。最初は全くの一人でやろうと思っていたんですよ。せいぜいコーラスをやってくれる人がもう一人いればいいかな、くらいで。

──お手本とするユニットは何かあったんですか? 例えば、イアン・マッケイのTHE EVENSとか。

平林:いや、特にはなかったですね。当時、磯部(正文)君がCORNERを始めたり、HUSKING BEEのライヴの中にアコースティック・セットを採り入れてみたりしていて、その影響もあったと思います。それと、その時期によく聴いていた音楽がアコースティックを主体としたものが多かったんですよ。マット・プリオール(ex.THE GET UP KIDS)がやってたTHE NEW AMSTERDAMSとか、FARが解散してジョナ・マトランガが始めた弾き語りユニットのONELINEDRAWINGとか、そういうのを好んで聴いていたんです。特に、ONELINEDRAWINGみたいに宅録っぽい感じで完全に一人でやってる音楽は凄く面白そうだし、単純にいいなと思えたんですよね。

──HUSKING BEEとは異なる、平林一哉にしか表現し得ない音楽性を確立したいという思いは?

平林:今はそういう気持ちもありますけど、最初はそこまで志が高かったわけじゃないんですよ(笑)。もっと軽い気持ちで、純粋に自分が憧れてた音楽をやりたいっていうところから始めたので、時間にゆとりがある時にできればいいなっていう感じだったんです。

──実際に譲治さんと音合わせをしてみて、“これだ!”という手応えは最初から感じましたか?

平林:いや、最初からはなかったですね(笑)。初めの頃は、人のライヴにひょっこり出させてもらって、チョロッと演奏して逃げ帰るみたいな感じだったんですよ(笑)。いざ人前でアコースティックで演奏するとなると、やっぱり凄く緊張しましたからね。シンプルなぶんだけごまかしが利かないから、とにかく一杯一杯だったんです。だから、最初は手応えを感じるまでには至らなかったんですよ。それよりも、どうしたらギターと歌だけで成立させるかを考えることが凄く多かったです。

──と同時に、HUSKING BEEと違ってオーディエンスの注目を一身に集めるプレッシャーもあったでしょうし。

平林:そうですね。そういう場に敢えて自分から身を投じて、精神的に強くなりたいとも思っていたんですよ。2人でも4人でも、ライヴをやる以上臨む姿勢は一緒だと思うんですけど、自分の中でいろんなものを築き上げたかったし、アコースティック・スタイルならではの新しい発見をしたかったんです。

──その“新しい発見”は徐々に掴めてきましたか?

平林:個人的にはやっぱり、“大事なのは歌なんだ”ということを改めて気づきましたね。歌の周りで鳴っている音はもちろんあるんですけど、その芯さえしっかりしていれば表現形態はどうにでもできるんだな、と。だから歌の芯となるものをもっともっと強めていきたいと思ったんですよ。

──それと、アコースティック・スタイルになるとヴォーカルのアプローチも自ずと変わってきたと思いますが。

平林:そうですね。家でアコースティック・ギターを弾きながら唄っていて、バンドで唄うこととの違いがよく判りましたね。声の出し方ひとつで聴こえ方も全然違いますから。気持ち良い反面、怖いところもある。ただ、声も楽器のひとつと考えると、もっといろんな試みをしなくちゃいけないと思いましたね。シンプルがゆえに奥が深いんですよ。


アコースティック・ユニットからバンド形態へ

──バイオグラフィを紐解くと、「Small Red Light」が収録された『CARRY THAT WEIGHT』、ジミー・ソウルの「IF YOU WANNA BE HAPPY」のカヴァーが収録された『multiply ur bloodstone』という3P3B設立5周年を記念した2枚のオムニバス・アルバム('04年4月発表)が初の公式音源でしたね。

平林:そろそろ音源を残したいと思ってたし、有り難く声を掛けてもらったので、いい機会かなと思って参加させてもらいました。その頃はもう、漠然としてましたけど長期的な展望でFINE L?たINESをやっていこうと考えてましたね。ゆっくりでいいから続けていきたい、と。

──その後、'04年12月にシェルターで行なわれた『Get ahead of them 〜3P3B忘年会LIVE〜』でベースにHUSKING BEE時代からの盟友であるTEKKINさん、ドラムにSLIME BALLの片山さんを迎えて初めてバンド・スタイルでのライヴを行なうことになったわけですが、リズム隊はやはりこの2人しかいないと考えていたんですか?

平林:そうですね。片山さんのドラムは昔から聴いてきて、僕は凄い好きなタイプのドラムなんです。おっきい音を鳴らしつつ安定もしていて、抜けがいいっていう。だから、いつか一緒にバンドをやれたらいいなとずっと思っていて。TEKKIN君は、まぁ勝手知ったる仲と言うか…(笑)。

──勝手知ったる仲がボトムを支えていれば、ヴォーカルにより集中できますからね。

平林:ええ。一口にベースと言ってもスタイルも十人十色で面白いですけど、TEKKIN君の場合はやり始めやすいっていう部分はありましたよね。プレイの良い部分を引き出すことに専念する必要もないし。

──いずれはバンド形態にしようという構想は当初からあったんですか?

平林:いつかメンバーが増えていけばいいなぁ、という思いは漠然とありましたけどね。今すぐにというわけじゃなく、必要に応じて増やしていきたいとは考えていました。

──磯部さんのCORNERとのコラボレート・シングル『small happiness』('05年10月発表)は、HUSKING BEE解散後初の作品という話題性もあり、注目を集めましたね。

平林:『small happiness』の時はHUSKING BEEがもう終わっていたので、バンドとしてガッツリやっていきたいと考えてましたね。3P3Bのオムニバス用に録った「Small Red Light」をマスタリングし直して、自宅の機材で録音した「I DRIVE」を入れてシングルとして同じタイミングで出したりもして。

──意識してHUSKING BEE時代の曲とは違う方向性で行こうと考えたところはありましたか?

平林:“このバンドだからこんな曲にしよう”とかは、僕自身余り考えたりしないんですよ。自分が関わって好きにやれるバンドであれば、自分の歌として純粋に自分のやりたいことをやってみようと思うんです。だから、HUSKING BEEと違いをつけて曲を作ろうっていう意識は今もないです。

──4曲入りシングル『WRITE TO ME』('06年2月発表)を発表した頃には、アルバム制作を視野に入れた曲作りに勤しんでいた感じですか?

平林:そうですね。ライヴでやる曲の数がとにかく少なかったので、アルバムを作るというよりもまず何よりライヴでやれる曲を増やそうとしましたね。それで『WRITE TO ME』に収録した4曲を固めて、それでもライヴの持ち曲が足りないから他にも数曲作ったりして…。正直、当時はアルバムのことまでそれほど深く考えてなかったですね。発表できる機会が来た時にしっかりやろうとは思ってましたけど。そう考えると、結成してから今日までずっとマイペースにやってこれたのはラッキーでしたよね。


長距離を飛行する時に適した空域

──そして遂に完成した初のアルバム『substratosphere』ですが、FINE LINESの名刺代わりに相応しい充実作となりましたね。

平林:ありがとうございます。レコーディング前に考えたのは、“こういう感じの曲でライヴをやってますよ”っていうのをアルバムの中でちゃんと表したいということだったんです。“FINE LINESってこんな音楽なんですよ”っていうように、僕達のことをまだ知らない人に判ってもらえるようなものにしたいな、と。やっぱり、それまでサイド・プロジェクト的な見られ方をずっとされてきたと思うんですけど、もうそろそろそういうのもイヤだなと思って。僕達は本腰を入れてFINE LINESに取り組んでるし、あくまでバンドとしてそこに在るというのを音の面で強く表したいと思ったんですよね。

──タイトルの『substratosphere』ですが、まず“サブストラトスフィア”とスラッと読めないのが逆にインパクトがありますよね(笑)。意味としては、成層圏よりも低い高度約10,000メートル付近の空域=“亜成層圏”とのことですが。

平林:インターネットの英和辞書で言葉を調べてる時にたまたま見つけたんですよ。アルバムのタイトルをどうしようかと考えていて、“s”から始まる単語がいいなと思って関連語をダーッと見ていたら“substratosphere”という単語が目に入ってきたんです。パッと見た感じのアルファベットの並び方がいいなと思って、僕は凄く好きだったんですよね。まぁ、完全に直感で決めたんですけど(笑)。

──“天候の変化もなく常に気流が?た安定し、長距離を飛行する時に適した空域”…バンドがようやくそんな域に達したという意味も込められているんでしょうか?

平林:そういうふうにも取れますよね。いろんな捉え方ができると思うんですよ。すでにその空域に居るのかもしれないし、これからそこへ向かうのかもしれないし。もしくは、一時的にそこに居るだけなのかもしれないし。もうその人の受け止め方次第と言うか。まぁ、不意に見つけた言葉で意味は後で知ったわけだから、すべて後付けなんですけどね(笑)。

──1曲1曲の完成度が高いのは、ライヴで試行錯誤を繰り返した末にレコーディングしたことも大きいですよね。

平林:そうですね。ほとんどが元々あった曲だし、ライヴの後に“ここはもっとこうしたほうがいいかな?”と考えて、練習の時にアレンジを加えていった曲が多いんですよ。

──巧者4人による卓越したアンサンブルは十二分に聴き応えがありますが、透明感のある平林さんの歌声にすべてが集約されている印象を受けますね。

平林:曲はアコースティック・ギターと歌だけで作るんですけど、それを核としていい歌を作ることを念頭に置いているからですかね。ただ、今回はドラムやベースがガッツリ鳴って、歌はちょっと小さくなるくらいでレコーディングの作業を進めたんですよ。ヴォーカルがちょっと埋もれるくらいでいいと思ったし、そういう音が基本的に好きなので。他の楽器が歌を支えきれてないようだったら面白くないし、一個一個の楽器が強く出ていて欲しいと言うか。最終的にミックスの時にはどのパートもよく聴こえるいいバランスになったんですけどね。

──曲の核がしっかりとしていれば、レコーディングでアレンジを煮詰める作業もそれほど時間が掛からないですか?

平林:今のところはそうですね。スタジオに曲を持っていく時点で7〜8割方は固まっているので、そこから先は余り手間が掛からないですね。

──当初は譲治さんとのアコースティック・ユニットとして始まったFINE LINESが、TEKKINさんと片山さんという鉄壁のリズム隊なしでは生み出せないグルーヴを内包した“バンド”であることが本作を聴くとよく判りますね。

平林:ええ。リズムに関してはTEKKIN君と片山さんの2人が事前にかなり練ってきてくれたんです。「こんな感じになったけど、どう?」って聴かせてくれて、進んでアイディアを出してくれたり。


響きのある日本語詞にこだわりたい

──アルバムは印象的な鐘の音から始まりますが、これは何か意味が込められているんですか? 「風鳴る夜」にも“あんなに鳴ったはずの鐘の音も…”という歌詞がありますけど。

平林:ぶっちゃけ、意味は全然ないんですよ(笑)。2曲目の「Unbounded」を1曲目にしようと思ってたんですけど、その前に何かイントロ的なものを入れたほうがいいんじゃないかという話になって。他のみんなが録りの作業をしている時に、休憩室でMTRにギターの音を重ねて入れて、その場で作ったんですよ。そこに鐘の音を入れてみたら意外とハマったんですよね。「風鳴る夜」の後に入る7曲目の「Bronze Miscanthus」も、良いアクセントになるかなと思って挿入してあるんです。決して曲稼ぎのつもりじゃないんですよ(笑)。仕切り直しってわけじゃないですけど、レコードのA面、B面のような区切りの意味合いなんです。

──譲治さんの手掛けた曲(「Spin Into Love」「Almost There」)はSHORT CIRCUITを彷彿とさせる英語詞で、ソングライターの個性の違いが表れていてバランスが絶妙ですね。

平林:譲治の曲はあと2曲あったんですけど、録りの段階で本人としては煮え切らない部分があったらしくて(笑)、次の機会に回そうってことになったんですよ。僕が譲治に求めているところは、まずギタリストとしてのしっかりとしたプレイと存在感、それとコーラスなんです。それによって自分は歌により徹することができるので。

──平林さんが書いた曲では「Small Red Light」のみが英語詞で後は全部日本語ですが、曲によって書き分けているんでしょうか?

平林:「Small Red Light」は一番古い曲で、その時は日本語詞でやろうとは思わなかったですね。単純に英語詞の響きが気持ち良かったので、自然な流れとして英語で作ったんです。それ以降に作った曲も詞を英語で書いてみようと思ったんですけど、なんか回りくどくて。時間も凄く掛かるし、日本語でいい聴こえ方をする言葉を探したほうが面白いと思ったんですよ。

──意味に比重を置くよりも、言葉の響きを優先して歌詞を書いている、と?

平林:やっぱり響きが僕は一番好きだし、唄っていて気持ち良いんですよね。かと言って意味を成さない歌詞になるのもダメだと思ったし、そのバランスは凄く難しいですね。普段から響きのある言葉をノートに書き留めたりはしているんですけ?たど、言葉の選び方には慎重になるし、凄く神経を使いますよね。

──絵画に喩えるなら、歌詞の世界は透明度の高い水彩画のようですね。色の濃淡が繊細な筆圧で描かれているような。

平林:その辺は意識しましたね。自分の内面を吐露したり、ある特定の事柄について唄うというよりは、いろんな人が聴いて自由な情景が浮かぶような抽象性の高い歌詞にしたいと思ったんですよ。どうにでも染まってくれ、って言うか。歌詞を書く時に思い浮かぶのは、ストーリーやメッセージというよりも風景や映像なんですよね。もちろん多少メッセージは織り込んであるんですけど、あくまで僕の場合、一番大事なのは情景描写だと思ってます。今のところは。

──英語詞を唄っていたHUSKING BEEが中期から後期にかけて「海の原」や「欠けボタンの浜」といった日本語詞の名曲を数多く発表したのも、極々自然な流れでしたよね。

平林:そうですね。磯部君も日本語で唄った時に気持ち良かったんだと思うし、そこで新たな発見があったんじゃないですかね。FINE LINESでも情感と響きのある日本語詞にこだわった音楽をこれからもやっていきたいし、譲治も次は日本語詞の曲をやりたいと言ってますから。今回譲治が書いた2曲はどちらもラヴ・ソングっぽいので、彼が日本語のラヴ・ソングを持ってくるのが今から楽しみですね(笑)。


どの曲に対しても思い入れがあります

──ジャケットはDEATH CAB FOR CUTIEの一連の作品を手掛けてきたAdde Russell氏によるもので、アルバムの世界観を補完した素晴らしいイラストですね。

平林:個人的にDEATH CAB〜はよく聴いていて、ここ何作かのアートワークが特に好きだったんですよ。彼らのインディー時代の音源はトイズ・ファクトリーから日本盤が出ていたので、ダメもとでトイズ経由で頼んだら快諾してくれて。録った音源と詞の内容を英語にした資料を送って、音を聴いてもらった上で描き上げてくれたんです。何パターンも描いてくれて、有り難かったですよ。

──音楽配信隆盛の時代に、こうした秀逸なアートワークこそがCDのパッケージとしての魅力を増幅させるのだと思いますね。

平林:そうですよね。こちらとしては、ブックレットの紙質とか細部に至るまでとことんこだわって作りますからね。アートワークもアルバムの重要な表現形態だと思うし、トータルで作品を堪能して欲しいですね。

──「Small Red Light」のPVは、HUSKING BEEの数々のPVやラスト・ライヴを収めた『050306』でお馴染みの川口潤さんがディレクターを務めた秀作ですね。曲の持つ情緒の深さを見事に映像化した美しい夕暮れの景色が印象的で。

平林:川口さんが曲を聴いてイメージを膨らませて下さった感じですね。夕暮れ時に八王子の街の外れで撮影したんですけど、TEKKIN君が悪い意味で絵になる男として最後に映ってます(笑)。

──『substratosphere』のリリースと同じ日に、豪華アーティストが一堂に会したHUSKING BEEのトリビュート・アルバムが発表されますね。FINE LINESは「A SINGLE WORD」('97年9月にシングルとして発表、セカンド・アルバム『PUT ON FRESH PAINT』にも収録)をカヴァーしていますが、この曲を選んだ理由は?

平林:個人的には「PUT ON FRESH PAINT」をやりたいと最初に思ってたんですよ。磯部君が唄っていた曲なんですけど、僕が入ってから自分で唄うようになって。でも、みんなで「何にしようか?」と決めていく過程で「A SINGLE WORD」がいいんじゃないかという話になったんです。歌詞の内容が今の自分にフィットしてる部分もあり、唄いたい言葉もあったりするので。メロディが凄く好きな曲でもあるし。…まぁ、どれを選ぶかは本当に難しかったですね。どの曲に対しても思い入れがありますからね。

──それにしても、ASIAN KUNG-FU GENERATION、BEAT CRUSADERS、BRAHMAN、Ken Yokoyama、ハナレグミ…と、豪華すぎるにも程がある面子が揃いましたね。

平林:本当に有り難いことです。あれだけの顔触れの方々に参加して頂けるなんて。

──解散から2年が経過して、平林さんの中でHUSKING BEEというバンドはどのように対象化されていますか?

平林:何も知らずに飛び込んでいって、みんなでひとつのことを真剣にやる場だったし、物づくりに対する考え方、表現する側の在り方とか、自分なりにありとあらゆる事柄を学ばせてもらえましたよね。急激なスピードで自分の中のいろんなものが変わっていった時期だったとも思うし。今振り返ると、本当に良いバンドなんだなと思うし、間違いなく自分のすべてでもあったし、いろんな思いがやっぱりありますよね。対象化できていると?たころもあるし、まだできていないところもあるというのが本音ですね。

──FINE LINESのツアーは、ホームグラウンドであるシェルターから始まりますね。

平林:シェルターは客として通っていた時代から思い入れのあるライヴハウスだし、やっぱり特別な場所だから楽しみですね。気持ち的にも凄くやりやすい所ですし。ツアーの本数は少ないですけど、今年はライヴをもっとやりたいんです。新曲ももっと増やしたいし。この4人ならもっともっといろんなことができる可能性があると思ってますからね。


substratosphere

FINE LINES first album
substratosphere

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2,520yen (tax in)
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HUSKING BEE tribute album
HUSKING BEE

TOY'S FACTORY TFCC-86216
3,150yen (tax in)
3.21 IN STORES
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Live info.

substratosphere TOUR
4月8日(日)下北沢SHELTER
4月21日(土)水戸LIGHT HOUSE
5月18日(金)心斎橋PIPE69
5月19日(土)京都WHOOPEE'S
5月20日(日)今池HUCK FINN
5月25日(金)熊谷VJ-1
5月26日(土)千葉LOOK
5月31日(木)仙台LIVE HOUSE enn
6月1日(金)いわきSONIC
6月2日(土)宇都宮VJ-2
6月20日(水)渋谷CLUB QUATTRO

FINE LINES OFFICIAL WEB SITE
http://www.finelines.jp/

LIMITED OFFICIAL WEB SITE
http://www.toysfactory.co.jp/huskingbee/tribute/

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