ロックのダイナミズムと幻想的な世界観が同居した純“日本製”の音楽
昨年、FUJI ROCK FESTIVALの“ROOKIE A GO-GO”に堂々の出演を果たし、耳の肥えたロック・ファンから熱い注目を浴びた六畳人間〈ろくじょうひとま〉が放つ渾身の2ndミニ・アルバム『夢の万祝』は、近年稀に見る高いポテンシャルに満ちたロック・アルバムである。ロックが本来持ち得たダイナミズムと幻想的な世界観が同居した彼らの純“日本製”の音楽こそが2007年のインディーズ・シーンにおいて新たな指針を与えるダーク・ホースであると本誌は断言したい。ヘタなギミックは無用、不器用でたどたどしくも力強いメロディと言葉を武器に、どこまでも音楽至上主義を貫く彼らに話を訊いた。(interview:椎名宗之)
六畳人間の音楽を反映したアートワーク
──去年はフジロックの“ROOKIE A GO-GO”に大抜擢されて、一躍注目を浴びて…。
高尾 諭(g, vo):いやいや、特に浴びてないですよ(笑)。音も良くて、凄く気持ち良かったですけど。やっぱり、独特の開放感がありましたね。
──2006年はどんな1年でしたか?
高尾:いつもと変わらない1年と言えば1年でしたね。バンドの合間にアルバイトをして、スタジオに入ってライヴをやって…の繰り返しで。
──今回リリースされたミニ・アルバム『夢の万祝』は、何かコンセプト的なものは事前にあったんですか?
高尾:そういうのはいつも余り考えないんですよ(苦笑)。入れたい曲を考えてパッケージを考える。パッケージを考えてから中身を考えるわけではないんです。最終的に入れたい曲、飽きない並び、後は…(レーベルA&Rのほうをチラッと見て)CDを出してくれるレーベルの制約を守りながら作りました(笑)。
──ははは。時間的にも予算的にも、制限は付きものですからね。
高尾:「6曲のミニ・アルバムで行こう」と決まって、6曲ならこの曲を入れたい、あの曲を入れたら飽きないだろう…と色々考えて、最終的にこういうパッケージで、こういう題名にしよう…っていうのが出てくる感じですね。
──前作『嘘の国』のジャケット同様、本作も上野陽介さんがイラストを手掛けていることもあって、前作との連動性みたいなものを感じたのですが。
高尾:そこまで強く意識はしてないですけど、純粋に上野さんが描く絵のファンなんですよ。間違いなく天才だと思っているので、毎回描いて欲しいと考えているんです。
──幻想的でシュールな部分もあって、とにかくインパクトは強烈ですよね。
高尾:ローマやLA、シアトルなどの海外でも精力的に個展を行なっている方で、歳も僕達と同じくらいなんです。同じ時代を共に成長している…って言うと凄くおこがましいですけど(笑)。音源を持っていって、実際にこのアルバムに入っている6曲を聴いてから絵を描いてもらったんですよ。僕達の音楽を反映した絵を描いてくれるので、出てくるものがいつも楽しみなんです。
伊藤良貴(ds):初めてこの絵を見た時からかなりピンと来ましたからね。オーッ! って確かな手応えも感じたし。
──ほのぼのとした親しみやすさがある反面、どこか毒々しさも滲み出ていて、六畳人間の多面的なサウンドに相通ずるものを感じましたが。
高尾:そうかもしれないですね。六畳人間の世界観をうまく補完してくれた、素晴らしい絵だと思いますよ。
──てっきり“ROOKIE”かと思いきや、バンドの結成から既に6年近くが経つんですね。
高尾:ええ。ただ、メンバーの変動が激しくて。3年くらい前にドラムが変わって活動が本格化して、一昨年ベースが変わって。『嘘の国』をレコーディングして、そのひと月後に前のベースが辞めちゃったんです。それで、身近で一番見た目の恰好いい人を選んだんですよ。プレイよりも見た目重視、佇まいが絵になる人というか。
杉原考祐(b):(照れ笑)
目指すところは“日本製”の音楽
──2001年9月の結成当初は、どんなバンドにしたいと考えていたんですか?
高尾:余り深くは考えていなかったですね。オリジナルをやろうというのもなく、ローリング・ストーンズとかのコピーばかりをやってました。ミッシェル・ガン・エレファントとか、日本のバンドの曲もいっぱいやりましたよ。大学の1、2年生くらいの時からやってて、割とサークルのノリに近かったですね。そのうち、ライヴをやりたいと思うようになって、オリジナルを作り始めたりして。
──初期のサウンド志向からはだいぶ変わってきた感じですか?
高尾:基本はSGを掻き鳴らしてギャーッと叫んでいたので、余り変わってないのかも(笑)。でも、当時は今よりもっと悪い意味で荒かったですよ。ただ闇雲に荒い感じ、というか。
──今でもかなりギターがささくれ立った荒い印象を受けますけどね。
高尾:今は僕の中では綺麗な荒さというか、整った荒さなんです。昔は暴力とか怒りの匂いがするような、聴いていて疲れるような感じでしたから。自分でも家で聴けないくらいでしたけど(笑)、それがやってて気持ち良かった。
──伊藤さんと杉原さんが加入して、それが徐々にいい形になってきた、と。
高尾:伊藤さんが入ってからは今に近いニュアンスというか、“日本製”の音楽になっていきましたね。日本人の奏でるロック。
──皆さんの考える日本人の奏でるロックの理想型とは?
伊藤:リズムのことで言うと、シャッフルやジャズを奏でる黒人やハード・ロックをやってる白人、ラテンやサルサを演奏するキューバの人とか、そういった現地の人に僕達は絶対にかなわないと思うんです。お里と言うか、その音楽に特化していますから。逆に、黒人がお里ではないハード・ロックを演奏するケースは稀ですよね。自分がいいなと感じる音楽は血で決まっている、というのがあるんです。日本人の場合は、極限まで一個のものに特化するというのは時間も掛かるし、難しいかもしれないけど、いろんなものを吸収してオリジナリティを出すのがその特性だと思うんですよ。そこを考えてやっていきたいと思ってます。それが僕達の言う“日本製”ってことなんです。
──音楽に限らず、日本人は物事の長所を吟味して巧みに繋ぎ合わせるリミックス感覚に優れていますからね。
伊藤:車にしてもコンピューターの部品にしても、日本の製品は世界でも高く評価されているし、その延長でバランス感覚に長けた日本製の音楽をやれると思うんです。
高尾:“こういう日本人の音楽をやろう”と思ってやってきたというよりは、今こうしてアルバムも作ってみて、振り返ってみるとそんな気がする、という感じですね。今自分達が作ったものを振り返ってみると、悪い言い方をすれば寄せ集めの印象もありますけど、他にはない空気感がちゃんとあるし、それはごった煮の中でこそ生まれてきた気がします。だから、そういう部分を今後伸ばしていきそうなのかな? もうちょっと時間が経ってみないと判らないですけど。
伊藤:少なくとも、今はそう思っている(笑)。
──杉原さんはどうですか?
杉原:自分自身がよく見えてない部分があるので、果たして自分が日本人なのかどうか……いや、日本人なんですけどね(笑)。
「バンザライアクション」は万歳の一個上のレヴェル
──『夢の万祝』というタイトル然り、「バンザライアクション」という造語然り、高尾さん独特のユニークな言語感覚が六畳人間の大きな特徴のひとつだと感じたんですが、影響を受けた詩人や作家はいますか?
高尾:詩人はいないですけど、宮沢賢治は好きですね。宮沢賢治の言葉使いというよりも、言葉の表記のセンスが好きです。「ガス」を「瓦斯」と書いてみたり、あの時代に入って来たばかりであろう「ラッコ」という言葉を「海獺」と書いてみたり。「ラッコ」なんて、当時の日本人のほとんどは見たことがないですよね。でも、「海獺」と書くことで何となくイメージが膨らむ。宮沢賢治は元々科学者だから合理的なことを良しとするはずのに、インチキな日本語に近い言葉を使ってメルヘンの世界や童話の世界を彩っている。そういうところが好きですね。言葉的にはほとんど呪文に近い聞こえ方がして、そういう言葉にはドキドキしますね。「万祝」という言葉もそれに近いんです。『ドラゴンヘッド』とかを描いてた望月峯太郎の漫画にもありますよね。読んだことはないんですけど(笑)。その言葉も意味はよく判らないけど、何となく美しいというか、どこか日本的で光るものがある。そういう言葉に引っ掛かるんですね。それが脳味噌にインプットされて、ふとした瞬間に出てくるんです。
──直接的な日本語なのに意味が掴みかねる、でも音として発せられた瞬間にイメージが増幅される…そういう言葉を好んで使っていますよね。
高尾:そうかもしれないですね。ただ、“こういうふうに思わせたい”とか狙って考えることもあるんですけど、自分自身でもその言い回しや言葉に飽きてきたり、寒々しく感じたりもするんです。一日でそうなる時もあるし、半年でそうなる時もある。“これ書いた時の俺、ちょっと良く思われようとしてる…”と気づいて、自分で恥ずかしくなってくるんですよ(笑)。そうなると、途端にもう唄えなくなってしまう。
──そこで自己反省が始まるわけですね(笑)。
高尾:ええ。だから自分の中から自然に出てくる言葉しか使いたくないんですよ。極端な話、詞に意味なんてないですし、リズムに乗る言葉で響きが良いものを選んでるんじゃないですかね。自分の中から出てきた言葉だから、後から意味も付けられるんですよ。きっと自分はこういうことを言いたかったんだろうな、と。何となく後付けができれば成功。すべては偶然の産物なんです(笑)。
──「バンザライアクション」という造語も偶然の産物ですか?
高尾:それも後付けで、万歳のもう一個上のレヴェルというか、凄い万歳みたいな(笑)。でも、後付けで意味を言っているだけで、ホントは意味なんてないんです。
──メロディに乗る心地好い言葉、語感を優先させるわけですね。
高尾:そうですね。出てくるまで待つ。急いで付けちゃわない。早く完成させちゃわない。然るべき時を待つ。
伊藤:唄ってるのは判るんですけど、最初は何を言ってるのか判らない。でも、だんだん言葉が聞こえてくるんです。
高尾:言葉に確信を持つまでははっきりと唄えないんです。条件を満たしてからじゃないと。
──最初は適当な日本語で唄って、それが徐々に形になっていく感じですか?
高尾:メロディが出来た段階で形になる時もあるし、ほとんど適当にやってますね。適当っていうのは、自然なことなんです。適当にやると、肩の力も抜けて自然な気持ちになれますから。
──六畳人間の場合、曲はどんなふうに仕上がるんですか? 最初に高尾さんが曲の断片を持って来て…。
伊藤:僕達は映像派なんです。曲の強さとかではなく、映像とか色とか匂いを初めに自分なりに解釈して…っていう時間がまず最初にあるよね?
高尾:いや、知らない(笑)。
伊藤:俺だけかよ(笑)。元々あるイメージとそぐわないところは調整して、物足りないところが出てきたら、そこをみんなで付け足しながら形にしていきますね。
メンバーのルーツ・ミュージック
──例えば「闇雲幻想曲」という曲には、それこそ闇雲で無軌道なエネルギーも感じるんですけど、どこか冷めて突き放した部分も窺える。はっぴいえんどのような日本的な情緒も感じるし、サウンドはヒリヒリするくらい鋭角的な部分もある。基本的にはシンプルなロックなんだけど、とてつもない情報量が詰まった音楽だと思うんですよね。
高尾:コンセプトがないからだと思うんです、良くも悪くも。はっぴいえんどは“風街”という言葉のイメージがまずあって、そこから音楽性の幅を広げていったそうですけど、僕達にはそれすらもない。人間には機嫌の悪い日もあれば、好きな女の子と一緒に居て楽しげな日もある。決してひとつには限定できない、いろんな自分の顔があるんですよね。僕の詞もきっとそういうものなんだ思います。だから1曲1曲の表情が違うんでしょうね。
──そんな一筋縄では行かないサウンドを志向するに至ったバックグラウンドを伺いたいのですが、どんなバンドに影響を受けてきたんですか?
杉原:僕は、イエローモンキーが一番最初の初期衝動でしたね。親戚のお姉ちゃんの影響で、テレビの音楽番組の録画を見させられて。'94〜'95年くらいだったので、メンバーの化粧がキツかった頃ですね。世の中にはこんな音楽もあるんだな、と衝撃を受けました。それまではチャゲ&飛鳥や米米CLUB、J-WALKとかを母親の影響で聴いていて、そこにギトッとしたものが思春期の僕の目の前に急に現れて(笑)。
高尾:それまで野菜しか食べていなかったのに、突然肉の脂身を食わされたような…(笑)。
杉原:最初は拒絶反応的なものがあったんですけど、観れば観るほど、聴けば聴くほど冒されていく感覚ですね。ああいうバンド的なものに凄く魅かれて…。無条件にヒーローですね。そこから色々あって今に至る感じです。
──イエモンから六畳人間のような音楽に辿り着くというのも、なかなか波瀾万丈な人生ですよね(笑)。
高尾:六畳人間の前は、ポスト・ロックっぽいバンドをやっていたんですよ。そのバンドは、ライヴハウスの人に「レディオヘッドとはっぴいえんどを足して2で割った感じ」って言われましたけど。
──判りづらいですね(笑)。伊藤さんは?
伊藤:レッド・ツェッペリンは凄いと思いますけど、気付くのに時間が掛かりましたね。ツェッペリンを初めて聴いたのは18歳の頃ですけど、本当の意味で凄さを理解したのは25歳の時なんです。
──アルバムで言うとどの辺りが好きですか?
伊藤:『PHYSICAL GRAFFITI』ですね。何を勘違いしたのか、ボンゾ(ジョン・ボーナム/ドラム)が重量挙げのオリンピック選手のイメージだったんです。凄く喧嘩に強いっていう先入観があって。でも、自分がドラムに詳しくなってどうしたらあの音が出るのか研究してみると、音は確かにゴツイんですけど、単なる力任せだけでは絶対に出ないと判ったんですよ。実はタッチが凄く繊細で、チューニングに至っては……。
高尾:『ドラム・マガジン』みたいになってきたよ(笑)。
伊藤:ホントに繊細なんです。そういう部分が聴けるようになるまで、7年くらい掛かりましたね。まだまだこの先新しい発見があると思いますけど。
高尾:伊藤さんはどちらかと言うと不器用なドラマーだけど、強弱は巧いですよ。ダイナミックさとかのメリハリは巧いです。
──高尾さんはどうですか?
高尾:色々あるんですけど、ジミヘンが特に好きですね。何回聴いても凄いと思う。こいつが今の時代にいたら…って思いますね。自分のバンドにいたらイヤですけどね(笑)。日本人だと、やっぱりはっぴいえんどが大好きです。最近は、あの時代の人達のように近くの人に向けて唄うような歌唱法がいいなと感じます。ルー・リードのつぶやくような唄い方とか。
──実際の高尾さんの発声法は、かなり唄い上げる感じですね。
高尾:そうですね。理想とするところとは違いますけど、はっぴいえんどのようなリスナーとの距離感は羨ましいですね。細野晴臣さんの唄い方は凄く好きです。
音楽だけが唯一の拠り所
──今回はミックスとマスタリングを、ゆらゆら帝国やBORISでお馴染みの中村宗一郎さんが手掛けていますね。
高尾:前回はレコーディングからミックスまでお願いしたんですけど、今回はミックスとマスタリングで協力してもらったんです。
──中村さんのミックス独特のキワキワ感というか、メーターが振り切れんばかりのあの音像は、六畳人間には不可欠な要素ですよね。
高尾:そうですね。今回、一番最初にレコーディングしたスタジオは近代的で、分離がしっかりした所だったんです。いわゆる音の良い所で録らせてもらったんですけど、今ひとつバンドに馴染まない音だったんですよ。前作は音も悪いし、ドラムのスナッピーの音とか些細な残響音まで入ってるんです。でも、それは本来そこで鳴っている音なんですよね。それを踏まえてバンドでアンサンブルを作っているんだから、雑音とされる音でもちゃんと残すべきだと思ったんですよ。綺麗に録れたのを聴いて、そのことを痛感しましたね。 ———六畳人間のサウンドにしては、ちょっと小綺麗過ぎてしまった、と。
高尾:中村さんはその辺を理解してミックスしてくれましたけどね。中村さんいわく、「これは悪魔の音楽なんだから、綺麗じゃなくていいんだよ」って(笑)。でもそれも、綺麗に録ってみて初めて判ったことなので。
──ゆらゆら帝国くらいに音を歪ませるのも、志向するところとまたちょっと違いますか?
高尾:そうかもしれないですね。色々と試したい音もあるんですけど、それよりも今はバンドの基本的な演奏でしっかり録って、しっかり作ったものをやっておいたほうがいいと思ってるんですよ。変に加工とかしちゃわないで、バンドの素のままでいい。
──アルバムの最後を飾る「夢の万祝」のうねりを上げて上昇気流に昇っていく浮遊感などは特に、バンドの意図を汲み取った中村さんのミックスが巧く生かされていますよね。
高尾:ありがとうございます。中村さん、ありがとうございます(笑)。
──「夢の万祝」や「闇雲幻想曲」のようにスケールの壮大な曲もあるし、「おっかなびっくり壊し屋さん」や「バンザライアクション」のように鋭利で直情的な曲もあるし、かなりレンジの広いバンドだと改めて感じましたが。
高尾:本来そういう人間というか…それが僕なんですね。六畳人間はこういうバンドです、というところです。
──やっぱり、狭いスタジオで3人一緒にせーの、で録るやり方が合うんですかね。
高尾:曲によっては綺麗な録り方をしてもいいのかな、とは思いますけど。今はほとんどライヴと同じ感じなんです。それなら、それほどいいスタジオじゃなくてもいいのかな? 勢いが入っていればいいじゃないかと今は思うので。
──そういう勢いや音のざらついた感じを真空パックしたい、というのが今は第一義?
高尾:このやり方ならそれをやらないと、聴いててもお話にならないっていうのはありますね。空気感と勢い。長い時間を掛けて作り込んだモノと比べた時に、まるで相手にならないですからね。
──録りは早いほうなんですか?
伊藤:早いですね。1曲、大体3テイクくらいで録り終えますね。
高尾:こういうやり方なら早いですよ。前作は2日で録って、今回は3日くらいで録り終えて。
──リハの段階で曲の構成もキッチリ決めるほうですか?
伊藤:レコーディングの前は、リズムと構成に関してはカッチリやってますね。
高尾:上モノのギターは遊ばせてもらいますけど、基本のリズムと構成がカッチリしないと上が遊べないので。
──では、レコーディングの現場ではそれほど悩むこともなく…。
高尾:それも結果論なんです。何せ3日しかないですから(笑)。
──でも、ダラダラやればいいというものでもないでしょうし、インディーズには色々と制約もあるし。
高尾:インディーズってそこがいいと思う。僕自身は今回のアルバムに関しても習作だと思ってるんです。そう言うと、「練習の作品を商売に使うな」って怒られそうですけど、バンドとしての完成型は50〜60歳になった時でもいいと思っているので。完成したらそこで終わりじゃないですか? それはまだ先でいい。今はこういうものも作っておかないとなぁ…っていう感覚。これも結果論ですけどね。
──50〜60歳まで音楽を続ける決意が既にあるとは頼もしい!
伊藤:やるしかないでしょ、音楽を。
高尾:他に長続きすることがないので(笑)。絵を描いてもヘタクソだし、こっちから発信できるものは音楽しかないですから。唯一という言い方に近いくらい、これまで飽きずにやってこれてるし。
音楽に対して嘘は絶対につきたくない
──ライヴをやるのは好きなほうですか?
伊藤:好きですね。
高尾:でも、そればかりやっていたいかと訊かれればそうでもない。まとめてやるのもいいですけど、2週間に1回くらいやって、スタジオでリハをして…長いスパンで見ると、そういうやり方が楽しいです。延々ライヴ漬けというのは経験がないですけど、基本は2週間に1回くらいでいいですね。
──今まで自主企画のライヴはやってこなかったんですか?
高尾:このメンバーになってからはないですね。昔、僕がまだ悪かった頃というか(笑)、怒鳴っているような音楽をやってた頃にやったことはありますけど。でも、それも友達しか来ないようなイヴェントで、おおっぴらにやってたわけではないので…。ちゃんとした公式のイヴェントは今回が初めてです。
──それが、ジミヘンの曲名から引用された自主企画『If 6 Was 9』ですね。3月にはPANICSMILEと共演しますが、ヴォーカル&ギターの吉田肇さんが秋葉原CLUB GOODMANの店長だった時に衝撃的な一言を言われたそうですね。
高尾:ええ。「六畳人間は初めて観た時が一番良かった」って言われました(笑)。GOODMANで初めてやった頃はまだ怒鳴り系の音楽をやっていて、その頃が一番良かった、と。まぁ要するに、吉田さん好みではなかったみたいです(笑)。吉田さんはもっとアンダーグラウンド寄りで、メジャー志向のある音楽を嫌いな人だから、僕達の歌モノの要素もあるところが気に喰わなかったのかもしれませんね(笑)。
──2月はらぞくとネクラポップ、3月はPANICSMILEとmooolsとの共演ですが、いい面子が揃いましたよね。
高尾:自分達よりも格上のバンドを呼ばせて頂きました。対バンするのがちょっと怖いくらいの人達とやりたかった。生半可な気持ちで臨んだら喰われてしまうくらいのバンドとやってナンボというか。
──身内ノリのイヴェントをやってもしょうがないですからね。
高尾:ええ。単純に“楽しい”で終わっちゃいますから。
──これだけ手応えのある作品を聴くと、ぼちぼちフル・アルバムで1枚聴いてみたくなりますね。
高尾:うーん。レコードの感覚で言うと、片面で25分くらいのミニ・アルバムが僕には丁度いい長さなんですよ。フル・アルバムは、構成もちゃんと考えなければ難しいですし…。
──その時々の感覚を重視するスタンスであれば、この先どんな作品が生まれるかは全くの未知数ですよね。
高尾:そうですね。もっと自分をよく知ることが大事だと思ってます。地に足を着けてしっかり生きていれば、周囲の人の助力もあって、音楽や絵の才能が開花するものじゃないかと。その人の生き方に即した作品が生まれるというか。
──最終的には人間力が左右する、と。
高尾:だと思いますけどね。4〜5年前の自分を振り返ってみても、人間としての魅力は全然ないと思うので。
──小手先の知恵をどれだけ吸収しても、身の程は自ずと出てしまいますからね。
高尾:後で必ず恥ずかしいことになるんですよね。4〜5年経ってから。自分が恥ずかしいことになるので、そういう目には遭いたくないですね。
──そういう発想法で行くと、自分に嘘をつかないことに繋がりますよね。
高尾:少なくとも音楽に関してはそうじゃないと。嘘は絶対につきたくないし、妥協も絶対にしたくないですね。何十年と音楽を続けている人達はみんなそうだと思いますよ。そうじゃないと続かないですもん。一番恥ずかしいのは、己の感情に嘘をつくことなんですよ。特に自分達…六畳人間の音楽をそういう目に遭わせちゃいけない。
聴いた人の中にこそ真実がある
──そうだ。今更ですけど、六畳人間というバンド名の由来というのは?
高尾:いやぁ…初代のベースの人と考えたんですけど、語感とかのレヴェルでもないんですよ(苦笑)。それは後悔してます(笑)。今となっては吹っ切れてますけど、バンドを初めて2〜3年くらいは恥ずかしかったですよ。
──実際に六畳一間に住んでいたんですか?
高尾:はい…。
──見ず知らずの人に名前を覚えさせるにはインパクト充分ですよね。
高尾:ええ。今はそこで自分を納得させてます(笑)。
──でも、バンド名でもイヴェント・タイトルの『If 6 Was 9』でも数字の“6”にこだわっているとか、“6”=ロックであるとか(笑)、これも強引に後付けができそうですけどね。
高尾:そういうのを言っていくしかないですね(笑)。自分の中から出てきたものは意識して出したものと考えているし、人目を気にして自分を大きく見せたい願望もないですから。すべて後付けで意味は付くはずなんです。自分は理解してあげられるはずなので。後付けですよ、何でも。
──高尾さんの生き方もその発想に近いですか?(笑)
高尾:そうかもしれないですね(笑)。でも、考えてみるとニュートンとかもそうですよね。答えがまずあって、そこから理論を辿る。そういうものだと思いますよ、面白いことを考える時は。
──プログレのミュージシャンのように理詰めで考えていく発想とは真逆ですね。
高尾:頭が良くないっていうのがネックにはなってると思いますけどね。
伊藤:色々決め事が多いと覚えきれなくて、一個ミスするとそれが全部ミスになる。ミスは嫌なので、凹んでどんどん楽しくない音楽になっちゃうんです。
高尾:とにかく、自分の身体から自然に出たものなら間違いないので。
──ロックであることのこだわりはさほどないですか?
高尾:ないですね。ジャンルの線引きは聴いた人がすればいいと思ってますから。サイケデリックとも言われますし、ゆらゆら帝国とくるりを足した感じとも言われますし。聴いた人がそう言うならそれが正しいと思うんです。その人なりの感じ方でいいんですよ。
──『ロッキン・オン・ジャパン』には「本物のロック・バンドだ」との評価を受けたそうですね。
高尾:「本物の匂いのするバンド」って僕達が言ったんですよ。
伊藤:でも、「時代との接点は皆無」って言われましたけど(笑)。ニューカマーなのに「時代との接点がない」と(笑)。
──逆に言うと、先鋭的なロックを愛聴する若い世代にも、長きにわたってロックを聴き込んできた年輩の世代にも分け隔てなく受け容れられる普遍的な音楽だという言い方もできますよね。
伊藤:でも、演奏が巧くないと上の世代の方に納得してもらえないので、そこが今の課題ですね。
高尾:時代と接点を持つとキツイかもしれないですね。その時代の代表するものになると何年後かには古くなる宿命にありますから。音楽はずっと続けていきたいですし。自分の作った音楽を誰かに聴いて欲しい欲求は常にあるし、ずっと聴ける音楽を作りたいですね。
──「判るヤツだけ判ればいい」みたいに、独り善がりに陥ることなく。
高尾:そういう発想は好きじゃないですね。一人でも多くの人に聴いてもらいたいですから。どういう反応でもいいので、僕達の音楽をどう捉えたか聞かせて欲しいですね。
──一度聴いて判らなくても、伊藤さんがツェッペリンの凄さを何年か経過して理解したように、数年後に判ってもらえるかもしれないし。
高尾:そうですね。発信する側から門戸を閉ざしたりはしません。選べるほどの立場じゃないですから(笑)。
──何はともあれ、『夢の万祝』を聴いてもらって、今月、来月と渋谷屋根裏で行なわれる自主企画に足を運んで欲しいですね。
高尾:来たかったら来るだろうし、来ないものは来ないでしょうからね。名前を見たら気に留めて欲しいですけどね。ライヴハウスで見かけたらライヴを観て欲しいし、試聴機で見かけたら聴いて欲しいし、ホームページでも試聴できますから。
──PANICSMILEの吉田さんの評価も覆したいですよね(笑)。
高尾:いずれ判ってもらえる日は来ると思います(笑)。まだまだ技術的には未熟なので、手を抜かずに練習しないと。自分達の出したいイメージの音をまだ出せていないですから。闇雲に高い演奏能力が欲しいわけではないんです。ただ単純に、自分達が弾きたいものを具現化するだけの最低限の演奏力を身に付けたい。その上で自分達の音楽を精一杯奏でる。そこから先はもう、聴いてくれた人の判断ですから。聴いた人の思ったこと、感じたことが正解なんです。いや、そもそも正しい解釈すらもないはず。誰が何と言おうが、聴いた人の中にこそ真実があると思います。自分が好きな音楽もそうだし、自分は自分なりの捉え方があって、同じようにみんながそう思うべき、っていうのはないし。音楽は杓子定規に数値がはじき出されるわけではない、とても自由なものですからね。
夢の万祝
Upper Deck UDCE-1004
1,700yen (tax in)
IN STORES NOW
★amazonで購入する
Live info.
2nd mini album「夢の万祝」レコ発企画『If 6 Was 9 Vol.1』
2月17日(土)渋谷屋根裏
w/ らぞく / ネクラポップ
OPEN 18:30 / START 19:00
TICKETS: advance-2,000yen (+1DRINK) / door-2,300yen (+1DRINK)
六畳人間 企画第2弾『If 6 Was 9 Vol.2』
3月18日(日)渋谷屋根裏
w/ PANICSMILE / moools
OPEN 18:30 / START 19:00
TICKETS: advance-2,300yen (+1DRINK) / door-2,500yen (+1DRINK)
六畳人間 OFFICIAL WEB SITE
http://www.rokujouhitoma.jp/