『遠藤賢司実況録音大全』発売記念
遠藤賢司 VS 平野悠 新春大放談
「史上最長寿のロックンローラー」「不滅の男」「純音楽家」としておなじみのエンケンこと遠藤賢司は、1月13日にめでたく60歳=還暦を迎える。その還暦の誕生日に、なんと10枚組の未発表CD&DVDボックス『遠藤賢司<実況録音大全>第一巻 1968—1976年』がリリース決定!! 40年近くもの間、休む事無く、いつの時代もまったく変わらない主張で闘い続けているエンケンが、70年代のフォーク・ムーブメントの潮流でもスターダムにいながらにして、最も過激で個性的な存在であったことがよくわかる長編宇宙大絵巻物である。やはりエンケンこそが「元祖パンク」であり「ロックの始祖」であり、世界的にもエンケンのようなロッカーは他にいないのだ。かつては、はっぴいえんどの結成に強い影響を与え、近年では、くるり、サンボマスター、銀杏BOYZ、曽我部恵一、フラワーカンパニーズといった先鋭的なバンドから、さらにはケミストリー、福山雅治などまで、エンケンに敬愛の念を表すアーティストは本当に多く、もし知らない人がいればいち早くエンケンの音楽に触れてくれることを願ってやまない。
この特大ボックスセットの発売を記念して、ルーフトップ正月特別企画、還暦記念の新春放談!? 「西荻ロフト」時代からエンケンを見守る<新人ロック評論家=ロフトグループ会長>平野 悠が「エンケン宇宙力の秘訣」に挑む!
“遠からん者は 音にも聞け 近くばよって 目にも見よ” 天下御免の一番勝負!! さあさ、お立ち会い〜〜〜!!!(進行:サミー前田/本文構成:加藤梅造)
自分の事を歌うことが一番大切
平野:エンケンさんが来月還暦を迎えると聞いて、それじゃあ、一足先に還暦になった俺から還暦の正しい心得を教えてあげようと思って今日は来たんですよ。
エンケン:え〜、そういう対談なの? もっといい話しようよ。
平野:いや、今日はこれを伝えたいんだよ!
エンケン:それは平野さんが一人で書けばいいじゃない(笑) 俺、まだ還暦じゃないし。
平野:そうか、しょうがないなあ。
サミー前田:今日は、話が変な方向に暴走しないようにまとめ役として来たんですが、平野さん、最初からおかしな方向にいかないで下さいよ。
平野:いやいや、還暦っていうのは大変なことなんだよ!
エンケン:でも、俺は歳とることは全然恥ずかしいことだと思わないよ。
平野:そうは言っても、やっぱり若いコから愛されるジジイにならないと。
エンケン:へー、平野さんそうなんだ。なんか今日は勝った気がしてきたな(笑)
平野:いや、でも俺たちみたいに歳食ってくるといろんな問題が出てくるんだよ。で、最初にエンケンさんに問いたいんだけど、例えば、アインシュタインか誰だったかが、ジジイに余生はないと言っている。一方、ニール・ヤングが今年、徹底的なブッシュ政権批判のアルバム『LIVING WITH WAR』を出した時に「9.11以降、若い世代が立ち上がるのを待っていたが、やっぱり俺たち世代もやらないと」みたいなことを言っている。もう一つ。ミック・ジャガーは「ロックなんていうのは、戦争を止めたり貧困をなくしたりなんかできない。聴く者にちょっとした勇気を与えるだけだ」とも言ってます。この3つの考え方に対して、エンケンさんはどのようにお考えですか?
エンケン:まず最初の、ジジイは世の中のために勝手に死んでけばいいんだっていう話ですけど、そういう考え方は大嫌いです。特にアインシュタインは後に後悔したとは言え、原爆開発の推進者だったのに、よく言うよって。俺にとってはジジイも若いも関係ないから。次の、ニール・ヤングの言葉についてだけど、これはミック・ジャガーと言っていることは変わらなくて、ちょっとした勇気をつけるっていうのは、俺はこれでいいんだって思うことじゃないかな。例えば、誰かがある信念を貫いていけば、それはいずれ戦争の抑止力になるかもしれない。俺はこう思うんだっていうことをハッキリ言うことが、音楽の、芸術の基本だと思う。だからニール・ヤングとミック・ジャガーはどっちも正しい。音楽家と名乗るんだったら、自分の身近なことを歌って自分のことをちゃんと言おうと。俺の言論を守ろうという所から出発しなければいい音楽はできない。
平野:俺は、今までエンケンさんは政治的な問題は避けているのかと思っていたんだけど、この『実況録音大全』を聞くと、当時、田中角栄に対して怒ったり、実際に演奏中に日の丸を燃やしたりしてて驚いたんですよ。
エンケン:俺は歌い始めた時から自分の事を歌うことが一番大切だと思っていて、かっこいい言葉で言えば、民主主義の根本だと思ってる。でも今やこの時代「自由民主主義」というよりは、板垣退助の「自由民権主義」の方が正しいと思っている。そこからこの国は出発すべきだと思うし、今の国会をぶっつぶして新たに始めるべきだと思う。俺の歌もそうだし、平野さんが好きな歌や自分で作った歌、それは朝起きて「フンフフーン」って歌う歌も含めて、それがその人の宗教であり、本当の自由民権主義の根っこをささえる叫びだと思う。もしそれができなくなったら、それはもう全体主義だから。
9.11は「ホテルカリフォルニア」
平野:最近、僕は新人ロック評論家と名乗って、いろんなミュージシャンに勝手な事を聞いてるんです。そこで、9.11以降の世界でロックは、音楽はどうあるべきか、僕たちはどう生きるべきかをずっと考え続けていて。僕は9.11直後のNYに行ったり、イラクで人間の盾に参加したりしながら、やっぱり9.11以降のアメリカ一辺倒の世界に対して、日本の表現者は何を為しえたのか? これでいいのか?を問いたいと思うんです。もちろん個人的な日常生活を歌っちゃいけないとは全然思わないけど、ユーミンみたいに、ソーダ水の中に汽車が浮かんで飛んでっちゃうみたいなことを歌われても、全然リアリティを感じないんだよな。
エンケン:僕は音楽家として言うと、音楽がよければそれでいいと思う。ただ歌詞は大事。「君が代」は「我が世」にすべきだし、そういうのは根底にありますけど、音楽さえよければ軍歌でもなんでもいい。ユーミンのソーダ水の歌でも、その一瞬の平和を歌って、聞いた人がその平和を感じられればそれでいいんじゃないか。自分の生活を守ったり、恋人との二人の生活を守ったり、家族の生活を守るのがその国の基本だと思ってますから。そういうことを歌えない国は最低だと思うし、それを歌える日本はまだいいなと。
平野:それはもちろんそうで、僕も軍歌は嫌いじゃないんだけど、ただ、あの軍歌に踊らされて多くの若者が戦争に行ってしまったという現実もある。
エンケン:いや、軍歌だけじゃなくて、ジャズもクラシックもフォークも、ああ、これはいいリズムだなっていうのがいい音楽っていうことです。「貴様と俺とは〜」って男の根本にあるじゃないですか。それがなくなってしまったことで、日本の音楽は本当の意味でロックの心を無くしてしまった。 9.11について言うと、日本からみたら向こうの話、ブッシュの話ですよ。あれだけひどい事をやってきて、他の国をめちゃめちゃにかき回して、それで自分たちだけのうのうといい生活している。9.11の映像は二度と見たくないほどのショックを受けましたが、も少し他国の事として見ていいかもしれないですよ。それよりも、いざ日本に同じ事が起こったら、ちゃんと対処できるのかっていうことの方が問題だと思う。9.11は、音楽の世界で言うと「ホテルカリフォルニア」なんです。あれはアメリカの終末を歌った歌ですから。でも俺たちにとってアメリカの幻想はどうでもいい話なんです。アメリカが栄えて、衰えていった、勝手にどうぞと。それに俺たちは荷担しない。9.11は自分で引き起こした責任もあるんじゃないですか、と。むしろ日本に原爆を落とされたことの方が重要だと思います。9.11に日本人の人も亡くなっていますが、俺はそっちのほうにもっともっと比重をおくべきだと思います。日本人として素直にね。
「反体制=ロック」じゃない
平野:僕は今回聞いた中で一番好きなのは「歓喜の歌」なんです。
エンケン:「歓喜の歌」は自分で3番まで歌詞を作ったんだけど、それは、なんでみんな今だにドイツ語で歌っているのか? それが不思議だったんです。翻訳じゃなくて自分で作ろうよ、と。シラーの原詞を訳したものじゃなくて、自分の身近なことを歌おうよと思って作ったんです。
平野:クラシックが鑑賞用の音楽になってしまったことの象徴的な例が、年末に意味もなくあちこちでやってるクラシックの「歓喜の歌」だと思う。現実の俺たちは何なんだ? 現実を見ろ!っていうのが俺たちにとってのロックだったと思うんですけど、クラシックが現実を見ないで鑑賞用音楽になってしまった所にクラシック音楽の悲劇があると思うんです。
エンケン:物まねになってしまったからでしょうね。日本はずっと西洋文化翻訳主義できたから。クラシックはもともとはパンクだったと思います。端的に言うと、ベートーベンの「運命」、“ジャジャジャジャーン”って、あれはセックスピストルズですよ。それを今やるなら、もっと自分なりの運命を描かないと。
平野:俺はエンケンさんと同世代なんだけど、あの60年代後半〜70年代を経験して、俺たちは凄い時代にいたんだなあとひとしおに実感するんですよ。めちゃめちゃ乱暴な時代ではあったけど、ものすごい熱を帯びていた。じゃあ、あの時代のロックを越えるものって今の時代に果たしてあるの? あの熱気と汗を凌駕するものってあるのかって、はたと考えこんでしまう。
エンケン:確かに当時の音を聞くと、素直ないい音出しているなと思いますよ。一人一人が「俺はこの音を出すんだ!」と一所懸命やっている。それはストーンズの「サティスファクション」もそうだし、すごくいいメロディーですよ。あの時代の音というのは、もう出てこないかもしれない。あの頃の宇宙と連動した音は。
平野:俺はどうしても昔の音楽に魅せられてしまって、今の若い連中、曽我部恵一やサンボマスターを聞いて、結構いいなと思いながらも、やっぱりあの頃のロックは越えられないと思ってしまう。そういう自分の感覚もヤバイっていうのがあるんだけど。
エンケン:サンボにしても曽我部くんにしても、いつの時代でも一所懸命やってるやつはいいですよ。一所懸命やるしかない。俺もそうだけど、誰に頼まれたわけでもなく、自分で歌ってるわけだから。俺はこれをやるんだって決めたんだから、最終的には責任感の問題で、音楽でも政治でも、自分が言ったことにどこまで責任を持てるかです。言葉を大事にしてほしい。音楽って言葉ですから、いい音楽にはいい言葉があるんです。今、言葉がないものが多すぎる。9.11の問題でもそうです。心の中で「ブッシュこの野郎!」っていう気持ちがあるのに、そいつのギターの音からは「Yeah!」という言葉しか聞こえてこない。言葉が無効になっているんです。俺たちは普段生活している時に「今日は天気がいいなあ」とか「俺はあの娘が好きなんだ」とか「あの政治家は許せない」とか言いながらギターを弾いているはずなんだけど、音からそういう言葉が聞こえない。それがなくなったらものを作る根本がなくなっちゃうよね。あえて言うと、そんな国は滅びます。
平野:例えば、ニール・ヤングが9.11の直後、「イマジン」が放送自粛になっているさ中で「イマジン」を歌う、あるいは忌野清志郎が生放送で「あこがれの北朝鮮」なんて曲を歌うわけじゃないですか。こういう確実に問題になることを承知でやっちゃうような勇気、それが今の若いミュージシャンからは見えない。エンケンさんも昔は、このCDにも入っているように平気でロッキード事件に怒っていたりしたのが、「東京ワッショイ」ぐらいからだと思うんですが、あんまりそういう事を言わなくなった。もっと音そのものにこだわっていくようになったと、僕は感じているんですが。
エンケン:あえて言わなくても昔からその怒りを音楽の源力としてますよ。俺はね、いわゆる言葉として「反体制=ロック」だとは思っていない。さっきも言ったように、ロックでもフォークでも演歌でも、自分のことをきちっと歌うのが反体制だと思っている。自分のことを歌えなかったら本当におしまいだから。それは最後の砦だと思う。清志郎君のその歌は聴いてないんだけど、俺は「イマジン」という曲のとらえ方が嫌いなんです。国の境界線もないとか、夢としては、気持ちはわかりますよ。でもそれは音楽に対する逃げだと思うんです。俺はそれはやりたくない。俺は自分で決めて歌をやってる以上、自分の音と言葉に対してきちっと責任をとりたい。人のために歌っていないから、全く。人のために歌うことがそもそもおこがましい。それは説教になっちゃう。俺は「創造魂に描く絵柄」と言っているんだけど、その絵柄をどこまで再現できるかが音楽家としての勝負だと思っている。それに対して聴いている人が、「あ、この人はこういう絵柄を出そうとしてるんだな」って思ってくれたら、そこには拍手がおきる。バロメーターは拍手だけ。あとはいらない。でも、反体制を標榜すると、背中に別のものがついちゃう。組織を背負っちゃうんです。「あの人は平和を歌ってるね、いいこと歌ってるね」って。俺はそういうのが嫌いなんです。「俺はこう思っている!」って素裸の魂で歌うのが音楽家として一番正しいと思う。反体制、平和という言葉を並べることで、音楽が初めからちょっといいものに思われることが嫌なんです。ゼロから聴いて欲しい。
たった一人で戦っている奴が好き
平野:僕は4年前に長渕剛が出した「静かなるアフガン」という曲をすごく気に入って、彼にインタビューを申し込んだことがあるんです。その時、長渕剛が「この曲はNHKが放送してくれない」と言うから、「じゃあ、NHKにデモかけちゃえばいいじゃない」と提案したんだけど、やっぱりやらない。もちろんそんなことしたらレコード会社は困るでしょう。そういう自主規制の嵐の中で、やはり表現者は言いたいことも言えないっていう状況はあるんじゃないですか?
エンケン:これは俺と平野さんとの違いなんだけど、俺はそこからやりたくないんです。俺は長渕君のその歌をちゃんと聴いてなくて、TVのCMで見た程度ですけど、俺はやらないと思った。なぜなら、そこまで言うと最後まで加担しなくちゃいけないでしょ。俺はその責任はとれないですから。もう一つ言えば、聴いた人が歌い手に責任を求めるのもおかしな話だと思う。例えば、平野さんがその歌を聴いて、いい歌だと思ったなら、「じゃあ、俺も何かやってみるか」と平野さんが自分でやればいいと思う。
平野:でも、表現者としては作品を出した以上、多くの人に聴いてもらいたいはずですよね。もしエンケンさんが、自分の出した曲を放送禁止とか自主規制の対象にされたらどうします?
エンケン:ああ、そりゃ怒りますよ。その怒りは直接番組担当者に言いますね。あとはその怒りをライブでの源力にしますね。うーん、ちょっと考えさせて…… アフガンの戦争は、俺の怒りの源泉であることは確かなんだけど、直接的ではなく、自分の個人的なこととして取り入れて歌うでしょう。俺はそういう利用の仕方をしますね。アフガンという言葉を使う時には、どこかその人なりの計算があると思うんです。俺にはやっぱりその言葉は出てこない、アフガンの民衆の立場に立つという言葉は。加担するということは、責任をとらなければいけなくなるから。長渕君だってその問題だけをやることはできないわけだし、俺もそうですよ。食わなきゃやっていけないから。それは大事なことなんです。だから、平野さんがもし長渕君にもっとやれと言うんだったら、俺が金出すから、アフガンでもNHKでも行って来いって言うしかないですよ。
平野:もちろんそうなんですが、僕が言いたかったのは、今の時代、表現者にとって、知らないうちにどんどん自由がなくなってきているよということなんです。今問題になっている共謀罪もそうだし、国歌国旗法もそうですよ。国歌を歌わないと処分されるなんて最初の頃は言ってなかったんだから。どんどん社会が個人の自由を制限してきている状況で、長渕ほどの売れてるミュージシャンの曲が放送されない。そんな中でミュージシャンはどう生きるべきかってことなんです。
エンケン:それは国民全体の問題だと思うから、ミュージシャンだけに言うことじゃないと思う。でも、前田君もよく知ってると思うけど、俺はステージでそういう問題は今でも言ってますよ。君が代日の丸についても。でも言ったから偉いってものではないと思うし、歌というのは個人個人の宗教だから絶対に押しつけたらダメなんです。それを押しつけるような社会は全体主義ですから。
平野:確かに芸術が政治に従属したら終わりですよね。もちろん僕もエンケンさんと同じで、すべての表現は何ものにも従属しない自由なもので、それが素晴らしいと思っているんですよ。ただ、これだけ社会が息苦しい世の中になっていくにつれて、今の表現者たちがそこを突破できていないのが現実だと思う。そうすると、やっぱりかつての60年代70年代の表現の方がすごく面白かったと思うし、今それに代わるものが出てきてないんじゃないかと。
エンケン:いや、でも俺は自分でずっとやってきているから、代わるものはない。俺自身に勝つか負けるかが問題で、俺はずっと俺に勝ってきていると思ってる。そういう意味で反体制は貫いていると思うし、もしかしたら一番貫いているかもしれない。そのかわり一人だから、弱い所もありますよね。貫いているからこそブレないから、あいつは扱いづらいと思っている人もいると思いますよ。でも俺はいつも、たった一人で戦っている奴が好きなんです。
平野:つまり、自分が作りたい歌を作るという切実さの衝動がリアリティをもたらす、というのがエンケンさんのスタンスなんですよね。
エンケン:ああ、そうですね。ちょっと絵を描いていいですか(下図)。
これは「現全(げんぜ)の法則」というもので、過去も未来もぐるっと回って現在に戻ってくるんです。ここに集約される。その集約力が音楽の基本なんです。だから、今をちゃんと歌うことは、何億年たっても、いい曲なんです。俺の中で音楽は、歴史とか過去とか新しいとか古いとかいう概念はない。それを「現全の法則」と勝手に言っているんですね。
俺は何かを残そうとは思わない
エンケン:ところで平野さんにとってのロックはどういうものなんですか?
平野:なんだろうねえ。やっぱりどっかでクソったれっていう意識があるというか、ふざけるんじゃないよというね。俺は他になりようがないからロックやってるんだよという感じなのかな。エンケンさんもそうでしょ?
エンケン:まあそうだけど、でもたぶんロックがアメリカとかヨーロッパで生まれたとしたら、向こうの人はそれほどそうは思ってないでしょうね。ロックを反体制という言葉で捉えてる人は日本の半分以下じゃないかな。俺はロックっていえば、小さい頃は三橋美智也とかプレスリーだったけど、いい歌はすべてロックだと思っている。いい歌とは、信念が俺の魂を揺さぶる歌、例えば俺の「カレーライス」でも何でも、その人の心を揺さぶらせたらそれはロックだと思う。それは力になりますから。俺はそれを「言音一致の純音楽」と言っているんですが、昔、エンケンはフォークだとかロックだとかパンクだとかいろんなこと言われて、でも俺は自分の事しかやっていない。政治も宇宙も全部ひっくるめた純粋な音楽をやりたいから、純音楽家だと言ってきたんです。
平野:いろんな奴にエンケンさんのことを聞くと、エンケンはいつも真剣勝負の人だって言うんです。確かにフラカンとか曽我部とかの若い奴らともガチンコで勝負していると思いますけど、その結果、エンケンさんにとって何が生まれたんですか? だって何かを残していかなければ続けていけないでしょう。
エンケン:俺は何かを残そうとは思わない。例えば、毎月どこかでライブをやるとすると、それは一回一回が自分との戦争ですから。今日は自分自身に勝ったかどうかという。そういう思いだけでやってきたから、自分を偽ってまで残そうという意識はないですね。
平野:エンケンさんのライブには今だに若いコがたくさん来るけど、それはなんでなの?
エンケン:それはわからないけど。俺はクサイことは言わないようにしてるんです。でも言おうとする時もあるんですよ。それはどっか自信がない時なんです。背中に冠を背負いたくなるような。でもそれはやりたくない。その日の演奏全てを自身の責任でやってることは確かです。
平野:具体的には、MCをやらないってこと。
エンケン:いや、おもしろければいいんですよ。お説教にならなければ。時々自分で注意しないとお説教になる時もあるよね。でもMCの部分を含めて音楽で勝負しなければ卑怯だとずっと思っている。MCで「これは個人の尊厳を歌ってます」とか「民主主義の根源は」という曲説明は絶対やりたくないし、歌だけで最終的にそう思わしてやろうとずっと思って歌って来ました。その信念が37年間歌って来た源力となってます。まあこれからも僕自身が一番聞きたい音楽、自身の創造魂に恥ずかしくない音楽を、僕自身の為に歌い続けていこうと思ってます。また誰もがそうあるべきだと思います。それが一番正しく大変なのですけどね。
平野:そうかもしれないよね。今日はどうもありがとう。
エンケン:こちらこそありがとう。楽しかった。
遠藤賢司実況録音大全 [第一巻] 1968-1976
[富士/disk union FJ-005〜014]
2007年 1月13日(土)・エンケン還暦60歳誕生日発売
CD 9枚+DVD 1枚=10枚組 定価 ¥15,750(税込)
★amazonで購入する
LPサイズの大型箱に、28ページのブックレット付。
●遠賢宅の押入れに眠っていた膨大な未発表音源より、レコードデビュー前の1968年から、『東京ワッショイ』誕生前夜の1976年までのライブ、デモ、秘蔵映像などを詰め込んだ全10枚組集大成BOX。
Live info.
2007年 1月16日(火)
「『遠藤賢司実況録音大全 [第一巻] 1968〜1976』発売記念&還暦記念パーティー」
東京:ロフトプラスワン(TEL.03-3205-6864)
【司会と解説】湯浅学、根本敬、サミー前田 他
※遠藤賢司本人の出演はありません。
Open 18:30/Start 19:30
【料金】¥1,500 / 遠賢保存会会員 ¥1,000 (税込/共に+オーダー)
2007年 1月20日(土)
「『遠藤賢司実況録音大全 [第一巻] 1968〜1976』発売記念ミニライブ (アコースティック編)&サイン会」
東京:タワーレコード新宿店 (TEL.03-5360-7811)
【出演】遠藤賢司 【開演】14:00
●タワーレコード新宿店で2007年1月13日発売の『遠藤賢司実況録音大全[第一巻]1968〜1976』(FJ-005〜014)をお買い上げのお客様に先着で「入場整理券&サイン会参加券」を差し上げます。(予約者優先とさせて頂きます)
●入場整理券&サイン会参加券は1月20日のイベントの際に忘れずお持ちください。ライブ終了後、サイン会を行います。
●売り場フロアの一角にて開催されますので、ご購入されない方でもイベントはご覧になることができます。
2007年 1月28日(日)
『遠藤賢司実況録音大全 第一巻 1968〜1976』
エンケンタワー渋谷
インストアライブ (エレキ編)
東京:タワーレコード渋谷店B1
"STAGE ONE"(TEL.03-3496-3661)
【出演】遠藤賢司+森信行(Dr)【開演】19:00
●タワーレコード渋谷店・秋葉原店・吉祥寺店・池袋店・横浜モアーズ店で2007年1月13日発売の『遠藤賢司実況録音大全[第一巻]1968〜1976』(FJ-005〜014)をお買い上げのお客様に先着で入場券を配布致します(ご予約者優先となります)。
●当日、イベントご来場者の方にはスペシャルグッズを差し上げます!!
※1枚の入場券で2名様までご入場できます。
2007年 2月24日(土)
「ひとりぼっちの純音楽」
東京:渋谷「B・Y・G」 (TEL.03-3461-8574)
●1年ぶりの弾き語りライブ
遠藤賢司 OFFICIAL WEB SITE
http://enken.com/