
最後までマイペースに、「らしさ」を失わずに走り続けた10年
7月5日にロフトで、8日にはシェルターで、大勢のファンに見守られながら解散したショート・サーキット。そこには大袈裟なドラマもお涙頂戴の悲劇性も見当たらなかった。柔らかくて温かくて一見は「幸せそう」に見えるバンドとリスナーの、それでも「複雑で切ない」想いがずっと漂っていただけだ。そういう「らしさ」を最後まで失わなかった彼らは、約10年に及んだバンド活動を今どのように振り返るのだろう。ラスト・ライヴで披露された持ち曲全42曲(うち未発表曲2曲)を完全収録したDVD『my favourite time final』の発売に合わせて、原 直央(vo, b)にゆっくりと話を訊くことができた。(interview:石井恵梨子)
最後のライヴも普段通りを心がけた
──もう何ヶ月越しの質問になるんですけど、まずは、解散という道を選んだ理由について訊かせてもらえますか。
原:そうですね。去年……いや、その前から新しいアルバムに向けて動いてたんですよ。ナッヂ(・エム・オール)とのスプリットを出した後から、次の作品に向けた仕込み的な活動をしていて。その中でちょっと、次のアルバムを出して一回休止しようっていう話がバンドの中で出て。ちょうどそれぞれ別の活動し始めたり、そっちが活発になってきたりして。別にそれが決定的な理由ってわけではないんですけど、とりあえずもう一枚アルバムをバシッと作って、そこで一回休もうかって話になっていて。
──でも、結果的にそのアルバムが世に出ることはなくて。
原:そうなんですよね(苦笑)。それが唯一心残りと言うか。僕けっこうライヴでも「次のアルバム出す」って公言してたから、楽しみにしてくれてた人達には本当に申し訳ないんですけど。ただ……なんて言うのかな、一度バンド内でそういう話が決まると、なかなか制作のスピードが上がってこないし、簡単に言っちゃえば僕自身のテンションもなかなか上がらない。まぁ、自分達で決めて動いたことではあるんですけど、それぞれがショーサキが終わった後の活動までを見据えながら作業を続けるよりは、一度バンドを終わらして、ゼロに戻してから考えたほうが前向きかなって。それでみんなで話し合って、解散という結論に至ったわけなんですが。
──正直、ショーサキとしての行き詰まりのようなものはあったんですか。
原:行き詰まってたって感じはないです。実際次のアルバムに向けて曲も作ってたし、ライヴで音源にしてない新曲をやったりしてたんで。なんとなくアルバムのヴィジョンがうっすら見えてたりした部分もありつつ。だから行き詰まりっていう空気はなくて。
──だったら「絶対やめたくない」「続けよう」という意見は出てこなかった?
原:いや……まぁやっぱり、これだけの時間やってきたバンドだから簡単に「判った」とは言えなかったですよ。そこは本当に話し合ったし、それ以外の方法はないか、それこそ活動休止っていう形にするのか、それとも何事もなかったかのようにそのままやっていくのか、いろいろ考えて。でも選択肢ってどっちにしろそんなになくて。
──あぁ、うん、二つに一つですよね。
原:そう。しかも一度バンドの中でそういう空気が出た以上は、何事もなかったように続けていくのがけっこう難しくて。ただ結論を出すに至るまでも凄く時間がかかったし、結論が出た後も、それこそ終わり方をどうするのか、最後解散ライヴをやるのかツアーもやったほうがいいのかとか、はっきり言ってどうしていいのか判んなくなった部分もあって。今まで応援してくれた人に対して考えるならちゃんと最後にツアーをやるほうがいいんでしょうけど、その反面、終わることを見据えてやるのってどうなんだろうっていう。
──まぁ、気持ちの問題ですよね。
原:そう。周りのバンドとか見てて、最後にドーンと終わるのも全然いいとは思うんですけど、自分のこととして考えた時に……これってどうなんだろうなぁってジレンマがあって。まぁ結局やったんですけどね、最後。あまりにも何もしないで事後報告みたいに発表するのはあんまりかなって思ったから、結局こういう形になったんですけど。
──本当のラスト・ライヴになったシェルターは観られなかったけど、その前のロフトは本当に温かいライヴでしたよね。らしい解散の仕方をするなぁと思ったけど。
原:あー、ロフトは有り難かったですね。あれだけのバンド(注:ビート・クルセイダーズ、トロピカル・ゴリラ、ナッヂ・エム・オール、プーリー、アスパラガス)が出てくれて。あのライヴと最後のシェルターでワンセット、みたいな形は最初から決めてたんで。
──あのとき名曲をバンバンやってて驚いたんですよ。普通これアンコールに取っておくだろっていう曲も本編でボンボンやっちゃうし。あのさりげなさが実にショーサキらしかったと言うか。
原:うん、あのロフトに関しては持ち時間もそんなになかったから、ある種オイシイとこ取りじゃないけど、バンバンやっちゃっていいのかなって。正直どんなライヴになるのか想像がつかなかったんですよ。それこそ終始嗚咽してるっていうのも……自分の性格的に想像できなかったし。最後ちょっと泣いちゃいましたけどね(笑)。でもまぁ、普段通り、いつものライヴ通りっていうのは心がけてたし、そういう意味じゃショート・サーキットらしかったかなぁと思うんですけどね。
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職人気質に同じことを続けながら波瀾万丈していく
──パッと見は普段通りで、凄く淡々としてるように見えるんだけど、その内面には複雑な感情が絡まってて。ショート・サーキットってそういうバンドでしたよね。普通と言うと語弊があるけど、特別じゃないんだっていうことを淡々と綴っていた。
原:うん……別にそればっか特化して意識してたつもりはないですけど。ただ、特別じゃない、ほんと日常的なこととか、なんか身近だったり想像力が膨らむようなことってやっぱり自分が聴いてても一番グッと来るものだから。あんま等身大っていう言葉は好きじゃないんですけど、でもショーサキはよくそういうふうに言われてて、そう言われた理由もそこにあるんだと思うし。やっぱりみんな普通の人間だから。3人とも普通以上に普通だったと言うか(笑)。
──初期からそうでしたね。ライヴで客はモッシュだのダイヴだので盛り上がってるんだけど、よーく見たらステージ上の3人はそこまでテンション高くないぞっていう。
原:はははは! それ常に言われてましたね。淡々としてる、とか。
──少なくとも「今日はパーティーです! 楽しんで!」とか言うタイプじゃなくて。
原:うんうん、それはなかったですね。別にそういうバンドがいてもいいし、自分が観に行ったら、いいな、楽しいなって思うんですけど。でもそれができなかったのは……簡単に言うと人間性の問題なのかな。どうしてもそうはならなくて。あと僕はラモーンズが本当に好きで、めちゃくちゃ影響受けてるから、その刷り込みっていうのが大きいかもしれない。ラモーンズのライヴってそれこそ淡々としてるんですよね。余計なことは何もなくて、「曲、曲、曲!」って感じなんですよ。それだけずーっとやっていくみたいな。そういう感覚が自分の中にあるんだろうな、とは思いますけどね。
──下手に波乱万丈なドラマを繰り返すより、ひとつのことを淡々と続けていくことのほうが美しい、という意識ってありますか。
原:うーん……どうなんだろう? 単純に音楽的なことを言えば、僕はやっぱり進化していくもののほうが好きだし、進化して当然だろうとも思ってる。初期と今ではまったく違う音楽になっているバンドも好きだし。ただその一方で、ひとつのことにこだわってずっとやっていくことに憧れもあって。だから、ある種職人気質な感じでずっと同じことを続けながら、その中で波乱万丈していく、みたいなやり方が合ってたのかな。自然にそうなってた部分もあるし。たぶん波乱万丈なものに対する憧れっていうのはあるんですけど、それだけではなかったから。
──私自身、その魅力に気付くのに時間がかかりましたね。最初は刺激があるほう、派手なほうに目が行っちゃうし、ショーサキって安定してるぶん刺激が乏しいと思ってた。
原:はいはいはい(笑)。たぶんね、ショート・サーキットのパブリック・イメージってそれがすべてだったと思いますよ。本当に派手さとは縁遠かったし。ただ、出てきた時期は僕らを取り巻く環境がけっこう派手だったと言うか、周りのバンド、シーン自体に活気があったんですよね。最初の音源とかも手放しで受け入れられたし。そういう意味では凄いラッキーだったのかな。全然違う状況の中であったら見え方も受け止められ方もまったく違ったと思いますし。でも、だからこそ余計僕らみたいなバンドは地味に見えただろうし、そこはもう3人とも判ってた部分なんですよね。判ってたからこそ、そこを強みにできた部分もあったし。基本的に変わらないと言うか。もちろん音楽的に変えようとしてた部分はあるんだけど、バンドのイメージとしては終始一貫してる。それは振り返ってもあると思いますね。
──ただ、その中でも実はけっこうな波乱万丈があって。本当に何もなかったバンドでは全然ないわけで。
原:そうですね、もちろん。たぶん外からは見えにくかったとは思いますけど。
──伝わりづらいことを歯痒く思うことはなかったですか?
原:うーん……そんなには。結局、見てもらいたいところ、聴いてもらいたいところって全部作品なんですよね。作品がすべてだったし、あとはライヴ。すげぇ当り前のことかもしれないけど、結果がすべてって言うか、作ったものに対するリアクションが得られれば満足だったんですよ。逆に言えば作品の部分での変化みたいなものは受け止めて欲しかったんですけど。ただ、これはどんなバンドでもそうだと思うけど、最初に出てきた時のイメージってやっぱり強烈で、リスナーとしてはどうしてもそこを求めちゃうんですよね。でも作る側としてはやっぱり日々変化していくし、その時その時でやりたいことも変わっていくし。そういう部分での歯痒さっていうのは正直ありましたね。まぁ、作品を作っていくことってこういうことなんだなって次第に判ってきましたけど。
作ったものがすべてだという意識が一貫してあった
──リスナーのイメージからズレていくのって、セカンドくらいからですかね。『Songs like a self-portrait』の頃。
原:その頃からゆっくり変わっていく感じですけど、でも自分の中で大きかったのは、その後の『The letter』からで。ここで一歩大きく変わったのかなぁ。出した時はほんと賛否両論だったし、凄く印象に残ってますね。賛否を受けることで、自分達がどんなイメージを持たれてるのかって判りますし。
──やっぱり最初はパンク的、メロコア的なイメージが強かったですからね。ビートが遅くなるだけでも賛否は起こったりして。
原:うん。でもそれって僕の中でわりとどうでもいいことと言うか。テンポ感とかスピード感とか、音楽を聴く時にそればっかりが先に立っちゃうのはつまんないって、特に当時はよく思ってましたね。今となればそういうふうに考える人がいるのもよく判るんですけど。でもその頃は反発したい部分もどっかにあったし、自分達のイメージを変えようって、ある意味背伸びをしてた部分もあるし。今思えば、ですけどね。
──そっか。でも裏を返せば『The letter』以降はパンク・シーンとか関係なく、自分達の道をゆっくり歩いていけた部分もあるんじゃないですか?
原:そうですね。それまでってやっぱり一括りに見られてた部分があるから。でも周りのことは関係なく、自分達が好きな世界観とか、自分がどうしても惹かれていく琴線っていうのがあって、それは本当に『The letter』ぐらいから明確になってきて。そうなると逆に、新しい曲を提示していくことに怖れもなくなって、自分が本当に最初イメージしてた音、ショート・サーキットを作った時にイメージしていた音楽に近づいていった気がして。うん……そういうふうに思えるようになっていくのは01年以降ですかね。
──その頃から、ギター・ロック、という言葉が当り前に似合うバンドになってきた。
原:あぁ、確かにそういうふうに言われ始めた時期だったかもしれない。
──そこでエモに転ばないっていうのは意識してたことですか? パンクを脱してエモになりました、みたいなバンドが凄く多い中で、ショーサキはあくまでギター・ロックであり続けたという印象があるので。
原:うーん、いや……そこまで深くは考えてないですけどね。ただ、エモっていう言葉自体に嫌悪感があったのは事実だし、エモが凄く流行って、エモ旋風が吹き荒れてる時も僕自身そんなにエモと言われる音を聴いてなかったんですよね。だから、安易にそういうふうに言われちゃうことへの抵抗も凄くあったし。それは最初にメロディック・パンクって言われてたことと同じなんだけど、安易にまとめられちゃうことへの抵抗っていうのが常にあって。音だけを聴けば同じ土俵で聴けるじゃないですか。たとえばパンクの文脈にあるバンドと、エモの文脈にあるバンド、あとパワーポップの文脈にあるバンド、何が違うんだって言われてもよく聴けば大差がなかったりして。もちろんルーツとかアレンジは違うかもしれないけど、音楽としては同じ土俵で聴ける自分がいたんですよね。だからそういう枠に安易に当てはめられちゃうのは嫌だなって常に思ってたのは確かで。
──凄く硬派な意見だと思います。出すのは音楽だけで、その後には言い訳も理由づけもしない、みたいな。
原:あー、それはそうかもしれないです。なんか、作ったものがすべてだ、っていう意識は常にあったんで。それで判断しやがれ的な(笑)。そこは一貫してたかなと思いますね。
──逆に言うと直央さんって、「僕はこんな人間です、判ってほしいんです」みたいな話を全然しなかったですよね。過去のインタビューでも。
原:うん。なんか……作ったものを説明するのって凄く野暮だなっていう価値観が僕の中にあって。果たしてそれをみんな求めてるのかなっていう疑問もあるし。曲の内容とか、ほんとそれぞれの解釈でいいんですよね。もちろん僕の中で思い入れのあるフレーズや歌詞ってあるんですけど、それは曲にした段階で、もう聴く人に委ねるしかないと言うか。「これはこういうことで…」って説明する必要性をあんまり感じなかったですね。
──そう思うことができたのは、届いてる実感がどこかにあったから、という言い方もできるでしょうか?
原:……そうですね。結局僕が届けたかったのって、空気感だったり漠然とした世界観だったり、イメージ的な部分が大きいから。何がどうこうって説明するんじゃなくて、「この人のこの感じが好きだな」とか「これってこの人っぽいよな」とか。そういうショート・サーキットっぽさっていうのは確実に受け止めてもらえたと思ってるから。
──そうですね。最後に、一言で表せないのは承知ですけど、10年を振り返って今はどんなふうに感じていますか。
原:うーん…………まぁいろいろあったな、と。たぶん外から見てたらいろいろあった感じしないだろうなって思いますけど(苦笑)、なんか、本当にバンドやったなぁ、っていう一言に尽きるかな。このバンドになって、初めて本格的にアルバム作ったりツアーしたりっていう活動を始めて、それを10年近く、しかも極めてマイペースにやってこれて。それができたのが本当にありがたいし、自分が最初にイメージしてた以上のものを作れてきたなって思うし、本当にいろんな人との出会いがあったし。うん、だから……長かったような、短かったような。月並みですが。
──いえいえ。
原:でもほんと、経験として凄くたくさんのことを見て感じてきたし、バンド活動としても本当に充実してたと思います。
──判りました。ちなみに今、譲治さんはファイン・ラインズやってて、守康くんはフリーキー・フロッグやってて。
原:フリーキーと、あとグーフィー(ズ・ホリデイ)にも加入したんですね。
──あ、そうなんだ。そこで直央さんは?
原:僕は今、あの、虎視眈々と(笑)。まぁ、全然具体的に動き出したりはしてないんですけど、ベースでサポートをちょいちょいやったり、あとは曲作ってまたバンドをやりたいなっていう意識もあるんで、今はそれに向かって仕込みをしております。
──次もやっぱり、バンドですか。
原:……に、なるかなぁ? やっぱり。漠然としたヴィジョンはあるんですけど、たぶん、さらにマイペースに行くかなぁって思ってるから、気長に待っててほしいですね(笑)。

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DVD 2枚組・TOTAL 205分【MFTF DISC=42曲・142分/BONUS DISC=19曲・63分】
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2006年7月8日(土)、下北沢シェルターにて行なわれたSHORT CIRCUIT LAST LIVE“my favourite time final”の模様を完全DVD化。【MFTF DISC】には当日シェルターで演奏されたSHORT CIRCUITの持ち曲全42曲(未発表曲2曲を含む)を完全収録。【BONUS DISC】にはファイナル3日前に行なわれた“3P3B MEETING CAPRICE FINAL”でASPARAGUSとpuliが演奏したSHORT CIRCUITのカヴァー曲とSHORT CIRCUITメンバーのライヴ前のオフショットやライヴ映像を収録。