M.J.Q『unplugged punk』発売記念特別対談 遠藤ミチロウ×平野 悠
ミュージシャンの最後の砦はライヴしかない
ルーフトップ編集長から「今回は遠藤ミチロウさんと対談して欲しい」と突然に言われた。私は「嫌だよ。だって、新人ロック評論家が対談するには大物過ぎるし、自分がロックに無知なところがみんなに判ってしまうのはごめんだ…」と駄々をこねた。私の今の“ロック評論家”としての楽しみは、若く勢いのある表現者(ロッカー)と勝負して、若さが勝つか俺の61年の年輪の老獪さが勝つか、どうやって若い連中の“無知”を曝け出して奴らを狼狽させるかというところで悦に入っているのだから。編集長は実に面白い対談だったって言うけどわたしゃ、「同じ時代を共有してきて、酸いも甘いも理解している偉大な男とは勝負できない」と思って、この対談って“ロックンロール”しているのかな? と疑問符が付いて回った対談だったな(笑)。(interview:平野 悠)
アコースティック・スタイルの可能性を追求したM.J.Q
平野:ミチロウとの関わりで思い出深いのは、やっぱり共同アピールの会('01年3月に上程された『個人情報保護法案』に危機感を覚えたジャーナリスト、作家、フリーライターを中心とする組織で、平野も参加していた)なんだよな。5年前に野音で行なった“個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会”にミチロウにも出てほしかったんだけど、ミチロウは「イヤだ」と言って僕達の依頼を辞退したんだ。でもその立ち位置はよく理解できたし、僕は凄く正しいと思ったわけ。
遠藤:決して政治的な関心がないわけじゃないんですよ。ただ、ああいう共同幻想的な集会の場で歌を持ち出すことは、歌の自殺行為だと僕は思ってるんです。仮に自分がそういう場所へ行く時は、あくまで一市民として参加しますよ。
平野:うん、凄くよく判るよ。僕はイラクの反戦デモや下北沢の再開発問題とかにも首を突っ込んできたから判るけど、歌というものが抗議活動のための歌舞音曲(華美な遊芸)として利用されることに対してミチロウは反発したわけでしょう? 要するに、自分の歌が政治的なメッセージにすり替えられることへの怒りだよね。政治集会で歌舞音曲を途中に入れて如何に集客するかっていうのは、昔から散々やられてきた常套手段だからね。
遠藤:だって、法律を封鎖しようっていう明らかな政治集会なんだから、そこに歌は関係ないでしょう? 次元の違う話なんですよ。人が集まらないから歌を唄うっていうんじゃ単なる客寄せの道具だし、そんなことをしなければ人が集まらない政治集会なんて情けないもんですよ。
平野:今、ミュージシャンの多くはどういうふうに自分の政治的意見を発信すればいいのか、相当迷っていると思うんだ。そんな中でミチロウのように己の政治的姿勢を貫いて臆することなく発言すること、そして歌を唄うってことはどういうことなのかを考え抜き体現することは凄く重要なことだよね。ところで、ミチロウは地球を守る意識を共有しようというアースデイとかにも出演はしないの?
遠藤:そういうのも余り出ないですね。ああいうイヴェントだって一種の政治集会ですよ。極端なことを言えば、本気で地球を守りたいんだったら人間が居なくなるのが一番でしょう? 人間が地球にとって一番の害なんだから。
平野:そりゃ確かにそうだよな(笑)。
遠藤:もっと言えば、そういうイヴェントも地球を守るんじゃなくて、第一に人間の生活を守るためのものですからね。一度だけ、ダブル・ブッキングで出られなくなった三上寛さんの代わりにそういうイヴェントに出たことがありますよ。多摩市日の出町の廃棄物処分場でやった環境イヴェントだったかな。そこは単なる義理人情でね。驚いたのは、ああいうイヴェントって僅かな額だけどギャラがちゃんと出るんですよね。こっちはギャラのことなんて全然考えていなかったのに。そこで問題なのは、ギャラを受け取ることによってその運動を批判することができなくなっちゃうこと。ギャラが発生した時点で仕事になるわけだから。
平野:今から9年前かな、ミチロウがプラスワンに出てくれてその歌声を聴いた時に“あ、ミチロウはもうパンクから完全に脱皮したんだな…”って思ったんだよ。“これからはこうして一人でアコースティック・スタイルでやっていくんだな、いいところに行ったな”って。それが今回、M.J.Qなるユニットで『unplugged punk』というアルバムを発表したわけだけど、“unplugged punk”という言葉の真意は?
遠藤:'93年にスターリンを活動休止して、僕はいわゆるパンクと呼ばれる音楽とバイバイしたんだけど、アコースティック・ギターを弾いて一人でやってみると「フォークですか?」って周囲から言われるようになって。そうじゃなくて、単純に僕は一人で音楽をやるためにアコースティック・ギターを持ち始めたんですよ。そこで何かいい呼称はないかと考えて、一人でやってもパンクだよってところで“unplugged punk”という言葉を便宜的に使うようになったんです。今やもう、別にパンクじゃなくてもいいんですけどね。
平野:ソロになってからのミチロウのステージを何度か観てきたけど、あなたは一貫して鎮魂歌を唄ってきたと僕は見てるんだ。でも、今回のM.J.Qはまた違う趣きでしょう? このユニットがミチロウの最終的な帰結なのかな?
遠藤:違いますよ。一人でずっとアコースティックをやってきて、アコースティック・スタイルの可能性としてどういうことができるんだろう? っていう試みのひとつなんですよ。今まで何処にもないアコースティック・サウンドを創りたいんです。でも、まず曲がなかったんですね(笑)。だったら自分がやってきた音楽の中で好きな曲をピックアップして、それを素材として今までにないアコースティック・サウンドを創ってみようっていうのがこのM.J.QのアルA荒バムなんですよ。やっぱり、アナログ的なもの…肉体を持った人間というものに凄くこだわりたかったんですよね。だからこそ等身大の音楽をやりたいと思ったんです。
明るい歌を唄ったらそこで終わり
平野:今回、この『unplugged punk』と『ROCK is LOFT』に入ってるスターリンの2曲(「ストップ・ジャップ」「ロマンチスト」)を自分なりに聴き比べてみたわけ。それで僕なんかからすると、スターリンはキラキラして艶があるように感じるんだよ。リズム感も凄くいいしね。『unplugged punk』も決して悪くない作品なんだけれども、ちょっと僕には重過ぎるんだな。今の閉塞した時代の影響もあるんだろうけどね。
遠藤:そうですか。実際は平野さんと逆の反応のほうが多いんですけどね。若い連中に感想を聞くと、「『unplugged punk』は何度でも聴けるけど、スターリンはヘヴィ過ぎる」って。
平野:そうかなぁ…。同じスターリンの曲でも、『unplugged punk』のほうが僕には圧倒的に暗くて重く感じたんだけどな。
遠藤:明るい歌はいずれ滅びる歌ですよ。暗いうちはまだ滅びないんだから(笑)。
平野:はははは。僕はこのアルバムを聴いて、ミチロウの雄叫びだと解釈したわけ。暗いことが悪いというわけじゃないんだけど、その雄叫びをここまで暗くするのはどうかと思ったんだよ。書き下ろしの2曲(「自滅」「結末」)以外はほとんどがスターリン時代の曲ということなんだけれども、僕はかつてのスターリンがなんて凄かったんだろうと逆説的に思ってしまったんだ。気を悪くさせてしまったら申し訳ないけれど。
遠藤:いや、そういう捉え方をする人もいると思いますよ。そりゃ昔のほうがエネルギーはあるし若いから、昔と同じようには唄えないですよ。今回、それでも「負け犬」とか昔のスターリンの曲を選んだのは、一人じゃできない曲をやりたいと思ったからなんです。
平野:だったら尚更、ミチロウはもう一度バンドを組むべきだと僕は思うけどな。
遠藤:うーん。ここまでアコースティックでやってきて、エレキの音が体質的に受け付けなくなっちゃったんですよね。平野さんがM.J.Qのアルバムを聴いて重く感じ取ったのは、僕が初めて日本人の感性に徹底的にこだわったからかもしれないですね。アルバムの半分以上がラヴ・ソングでもあるし。それと、アコースティックでノイズがないぶん、言葉が剥き出しになるんですよ。剥き出しになるぶんだけドロドロしたものにもなる。そういうのがアコースティックの面白いところだと僕は思ってるんです。
平野:なるほどね。あとこれは、いずれも50代で亡くなった高田渡や西岡恭蔵にとっても課題だったと思うんだけど、これだけCDが売れない世の中で、50代になってたった一人でギターを抱えて全国のライヴハウスを隈無く回って生計を立てることは可能なんだろうか? 例えばさ、僕を含めた5人のお客さんの前で唄って下さいとお願いしたら唄う? もちろんギャラはお支払いするし、アゴアシ付きだとして。
遠藤:唄いますよ。でも、「こういう歌を唄ってくれ」という要求には一切応えない。“俺の歌を聴きたくて呼んだんだったら、俺の唄いたい歌を聴け!”って思うからね。
平野:なるほど。芸人じゃないんだから、と。
遠藤:いや、芸人ですよ。芸人だけどこっちにも選ぶ権利があるから、最初から平野さんみたいな人達の前で唄うと判ってたら行かないかもしれないけどね(笑)。
平野:はははは。問題はね、生活を賭けて音楽をやっている今の若い人達が、年月を経て今年56歳になるミチロウのような局面まで音楽をやれるのか? ってことなんだ。そんな覚悟もなく、やれないんだったら今から音楽なんてやめちまえ! っていう思いはない?
遠藤:いやいや、そんなことは思わないですよ。5人の前で演奏するのも、1万人の前で演奏するのも、何ら変わりはないんです。自分の中では同じワン・ステージであって、そのワン・ステージに対してどれだけエネルギーを込められるか…そこに来てるお客さんの数は全く関係ないですよ。
平野:そうは言っても客は入ったほうがいいし、表現に向かう根源的な欲求がある一方で、生活を維持することも避けては通れないでしょう? その表現と生活の軋轢みたいなものはないのかな?
遠藤:確かにね。でも、僕はそんなことを若い人に説教したくないし、威張りたくもないですよ(笑)。初めて行く所ならまだしも、何回もやってるようなハコでいつも客が10人くらいだと惨めな気持ちにはなりますよ。“俺の歌ってその程度のものなのか…”と落胆することもあるけど、でも1回のステージは変わらないわけだから。1回のステージで自分が手に入れるものっていうのは確実にあるし、やっぱり手は抜けない。金の問題も確かに避けて通れないけど、僕はスターリンをやり出してから歌以外で金を稼がないって決めたんですよ。AV監督をA荒やって小銭を稼いだことはあったけど(笑)、基本的にバイトをせず、借金をしてでも歌で生活していくんだ、って決めてからもう25年経ちますからね。
平野:それが今日一番のキーワードのような気がするね。四半世紀もの間、唄い続けることが如何に困難だったかという…。まして50代半ばを迎えた今もこうして現役を貫いているわけだから。
遠藤:とにかくライヴが第一。CDが売れなくたって、ライヴが最後の拠り所、砦としてあれば大丈夫なんです。以前、吉本隆明さんと対談した時に聞いたんですけど、今の文学の世界で書き下ろしの原稿料だけで食えてる人はいないんだって。みんな単行本や文庫になったりした時の二次使用で食えてる、と。それをミュージシャンに置き換えると、CDの売り上げは関係なしに、ライヴのギャラだけで食えてるミュージシャンが今どれだけいるか? っていう話なんです。僕はそのライヴのギャラだけで食いたいわけですよ。そういう部分は芸術家じゃなくて芸人だと自分でも思いますけどね。
平野:この先、老いていくことに不安はないの?
遠藤:そりゃありますよ! ここ数年で2回も入院したりしてると、自分の身体がいつまで持つかっていう不安は常に抱いてますからね。保険も何も入ってないし、年金も払ってないしね。
平野:若い世代に向けて何かメッセージはある?
遠藤:やりたいことをやれよ、って言うしかないなぁ…。自由やスリルを享受するには、色々とリスクは背負うでしょうけどね。今の世の中、何でもキッチリとし過ぎていて、曖昧なものを排除する傾向にあるじゃないですか? 昔はもっと牧歌的で、曖昧さが許されていましたよね。だから個人の生活は昔に比べて明らかにキツくなってると思いますよ。そりゃ平野さんが言うように、僕が唄う歌も暗くなるわけだよ(笑)。明るくなんて唄えないですよ。僕が明るい歌を唄っちゃったら、それこそそこで終わりだなと思いますね。
(本文構成:椎名宗之)
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