ギター バックナンバー

SEBASTIAN X('10年8月号)

SEBASTIAN X

次は僕らの時代だ!
闇を抱えつつ愛と希望を高らかに謳う新鋭バンド、彗星の如く現る!


 久々に次世代を担うポテンシャルに満ちた気鋭のバンドと巡り会うことができた。その名はSEBASTIAN X。2008年2月に結成された男女4人編成のギターレス・バンドだ。表層的には明朗快活、誰しもが親しめる大衆性を全面に押し出した彩り豊かな音楽を奏でているが、歌の世界観は闇と病みにどっぷりと浸かった者だけが体現し得る人生讃歌と言うべきものである。ただ闇雲に明るくハッピーに行こうという安直なポップ・ソングではなく、表現の発露がネガティヴな思考や感情なのが信用できる。日常を生きる中でドン詰まりの絶望を感じることもなければ、明日への希望を盲信するわけでもない僕らにとって、彼らの歌はヒリヒリするほどにリアルだ。その生々しさをトロピカルな音色で甘味加工する手腕も見事だ。歌の世界観を構築するヴォーカルの永原真夏、音作りのネゴシエーターであるドラムの沖山良太にSEBASTIAN Xの特異性について大いに語って頂こう。(interview:椎名宗之)


できる限り明るいことを唄い続けたい

──前作から僅か9ヶ月で今回発表となる『僕らのファンタジー』を完成させたということは、今は新曲が湯水の如く生まれている状態なんでしょうか。

永原:いや、全然そんなことないですよ(笑)。発売時期に合わせるように、搾りに搾って作り出した感じです。

──音の抜けがだいぶ良くなったことが前作との大きな相違点のひとつだと思うんですが、やはり音質の改善は今回の課題点でした?

永原:録りに関しては、今まで何も知らずに不慣れだったんですよ。バンド以外のスタッフの方と上手く意思疎通が図れなかったこともあったし。今回のセカンドは、その歯車がちょっとずつ噛み合ってきた気がします。

──『ワンダフル・ワールド』の前に録ったちゃんとした作品は、自主制作盤の『LIFE VS LIFE』だけですか。

沖山:そうですね。まぁ、ちゃんとはしてなかったですけど(笑)。レコーディングからミックスまで、何から何まで全部自分たちでやったので。ノウハウもなく、完全にDIYで作ったんですよ。

──結成から2年でここまでの躍進を続けているのだから、かなり順調な足取りと言えますよね。

永原:でも、この同じ顔触れでもう5年もバンドをやってますから、歩みは遅いほうだと思うんですよね。SEBASTIAN Xを始めてからは2年になるんですけど、それまで3つくらいバンドをやってたんです。ギターがいたりいなかったり、それぞれのパートが違ったりしてたんですよ。

──最初は今と全く異なる音楽性だったんですか。

沖山:全然違いましたね。最初は、今キーボードを弾いてる(工藤)歩里とまなっちゃんがツイン・ヴォーカルのコピー・バンドだったんですよ。

永原:まだピチピチの17歳だった頃で(笑)。

沖山:そのサポートとしてベースの飯田(裕)君と僕が入ったのが発端だったんです。それ以降、激しい感じのバンドになったりして。

──どんな経緯で今のような賑々しい多国籍音楽風情になったんですか。

沖山:ワールド・ミュージックにもの凄く詳しいわけでもないし、狙って多国籍っぽい音楽をやるようになったわけでもないんです。自分たちが面白く感じるヴァリエーションを出していったら自然とこんなふうになった感じですね。一個前にやってたバンドは歌モノの曲もあったんですけど、ちょっとハードコアっぽい感じもあったんですよ。唄わずにシャウトするのみ、みたいな(笑)。

永原:言葉の羅列だけで1曲終わるっていう(笑)。

沖山:マシンガン・トークならぬマシンガン・ヴォーカル(笑)。飯田君もベースを弾かなかったり、歩里もピアノを連打しかしなかったりもあったりで(笑)。

──今からはとても想像できませんけど(笑)。と言うことは、音楽的な視野がだいぶ広がったわけですね。

永原:プレイするという意味ではかなり広がりましたね。

──メッセージ色の強い歌詞が増えたりもして。

永原:メッセージ云々はそんなに意識してないんですけど、説得力があるとはよく言われますね。

──カラフルな音色と相反するように、ネガティヴな感情を出発点とした歌詞が多いじゃないですか。アイリッシュな匂いのする人間讃歌『フェスティバル』は“明日死んだらどうしよう”、ホーンを従えた力強いラヴ・ソングの『世界の果てまで連れてって!』は“今日もなんだか苦しいね”というマイナスなフレーズでいきなり始まりますよね。

沖山:確かに、出だしはどっちも暗いですね(笑)。

──だから、ただ闇雲に明るくハッピーなわけじゃなくて、ちゃんと痛みを知った人間が唱える明るさなんだなと思って。

永原:言葉はできる限り明るく書こうと思ってるんですよね。前身バンドの時は陰の部分を全開にしていて、それに凄く嫌気が差しちゃったんですよ。自分は何でこんなに暗い気持ちになって、暗い歌ばかりを唄ってるんだろう? と思って。当時はそういう負のループが凄くて、しかもそれに他人を巻き込むことはしたくないなと。だから、このバンドでは頑張ってできる限り明るいことを唄い続けようと思ってるんです。

声を大にしてラヴ・ソングを唄う意図

──前のバンドの反動が大きいわけですね。

永原:めっちゃデカいですね(笑)。その反動で今はやってます。

沖山:ヴォーカル以外もその反動はかなりデカいんですよ。当時はギターもいたので、その兼ね合いで歩里も自由に弾きたいスタイルで弾けなかっただろうし。飯田君もちゃんとベースを弾きたかったみたいだし、僕も速いドラムを叩くのが疲れちゃったんです(笑)。

──何だかバンドの黒歴史を聞いているみたいですが(笑)。

永原:ピアノもベースもドラムもちゃんと自由に演奏できて、私も自由に唄いたいことが唄えていれば、激しい音楽で陰の部分が強いままでも良かったんですよ。当時は20000Vでよくライヴをやっていて、あそこにはハードコア系の格好いいバンドがいっぱいいたじゃないですか。そういう人たちを目の当たりにして、同じことは自分たちにできないと思ったんですよね。ハードコアはめっちゃ速いから凄い練習も必要だし、ストイックな人にしかできないと思うし。それで、自分がもっとストイックになれる音楽が違うところにあるんじゃないかな? と思って模索して、辿り着いたのが今の音楽なんですよね。

──ピアノとギターは本来噛み合いづらいものだし、ギターレスになったぶんピアノの自由度が増したのは今回のミニ・アルバムを聴いてもよく判ります。

永原:ギターレスってことをよく言われるんですけど、ギターのいないバンドって意外といるし、割とスタンダードなのかなって思うんですよね。

──ギターがない代わりに、いろんな楽器をアクセントとして組み込みやすいじゃないですか。『フェスティバル』のアコーディオン、『世界の果てまで連れてって!』のホーン、『夏の王様』のヴァイオリン、『GOODMORNING ORCHESTRA』のスティールパンと、今回は多種多様の音が楽曲ごとに導入されていますし。

永原:以前に比べて、音の組み合わせはかなりしやすくなりましたね。

沖山:『GOODMORNING ORCHESTRA』は、最初スティールパンを入れない方向で考えていたんですけど、+αの部分で何か入れたくなったんですよ。それでたまたまスティールパンを思い付いて、パノラマ・スティール・オーケストラの方の協力を仰いだんです。お陰でいい感じに仕上がりました。

──リード・トラックの『世界の果てまで連れてって!』はラヴ・ソングの体裁を取りながらも、“友情と文化とユーモアで 太陽迎えにいこう”という普遍的なメッセージが込められた逸曲ですね。

永原:アンダーグラウンド・シーンはJ-POPに対するアンチテーゼみたいなものが強いじゃないですか。アンダーグラウンドに身を置いているのにラヴ・ソングをテーマにするのは格好悪いことだとされてるし。愛だの恋だの唄ってる場合じゃねぇだろ!? みたいな(笑)。でも、だからこそ声を大にしてラヴ・ソングを唄いたいんですよ。格好悪いことだと思われてることに対するアンチテーゼなんです。

──ノリの良いアッパーな曲ばかりではなく、『ハムレット』や『永遠のラスト・ワルツ』のようなじっくりと聴かせるバラードもまたいい出来ですね。

永原:アッパー系と聴かせる系をいいバランスで入れたかったんですよね。その中間にある曲は排除して、二極化を図ったと言うか。結果的にバンドの特性がよく出せた気がします。

──『サファイアに告ぐ』の中で“次は僕らの時代だ”と上の世代に向けて堂々と闘争宣言をしているのが威勢いいなと思って。久々に新しい時代を切り拓いてくれる若いバンドが出てきたなと感じたんですよ。

永原:旧態然とした世界に新たに斬り込んでいきたい気持ちもあります。いろんな気持ちがありますけど、そういう気持ちもありますね。

敢えて歌モノをやるのが“NEW WAVE”

──歌の中で思いの丈をぶつけている“サファイア”は、『リボンの騎士』の主人公のことなんですか。

永原:ではないです。ある種の偶像なんですよ。

──偶像に対して宣戦布告していると?

永原:何と言うか…ふと思ったんですよね、“次は僕らの時代だ”って。今まではお父さんやお母さんの世代が社会を支えていたけど、これから先は私たちが親になって世間の中心の層になるじゃないですか。単純にそういう意味合いも強いです。音楽的な意味でも、“TOKYO NEW WAVE 2010”みたいに同世代のバンドがたくさん集まっていて、上を見上げると次は私たちの番だなと思うし。そういういろんな感覚が混ざり合って自然と出た言葉ですね。

──SEBASTIAN Xは“TOKYO NEW WAVE 2010”のどんな部分に賛同して参加したんですか。

永原:私自身の中では、“TOKYO NEW WAVE 2010”はもう終わったものなんですよね。オワリカラのタカハシヒョウリ君が“TOKYO NEW WAVE 2010”を立ち上げた時は線が交わる手前で、今は各バンドが交わった後にそれぞれ違うところへ向かっている段階なんです。偶然同じポイントで交わったドキュメントをCDとして発表しただけで、もう終わっていると思うんですよ。

──LOFT、MARZ、Motionの3会場で開催される“TOKYO NEW WAVE 2010”のイヴェントはまだこれからですけど…。

永原:イヴェントは正直、ぶつかった後の余韻でやるだけですね。ただ、イヴェントっていうのはCDが流通された後にやるしかないし、ここから何か新しいことが生まれることはないと私は思ってます。そんなこと言ったら怒られるかもしれませんけど(笑)。

──まぁ、捉え方はバンドそれぞれでしょうからね。でも、新進気鋭のバンドが集まって新しい潮流を生み出そうとする意味でとても有意義なムーヴメントだったように思いますが。

永原:うん、凄く面白かったです。ただ、それ以前からずっと集まってた顔触れなので、得たものが何かあったかと言えば、何とも言えませんけどね。

沖山:“TOKYO NEW WAVE 2010”が始まる前から得たものがあったし、衝撃みたいなものは改めてなかったですね。初めて会うバンドもいましたけど、それ以前から何かしらの繋がりがあったんですよ。前のバンドの時に対バンしたりとか。

永原:ただ、当たり前に“いいよね”って思えるバンドばかりが集まってるし、“何でこの人たちが入ってるの?”っていうバンドは一組もいませんね。

──皆さんなりの“NEW WAVE”の定義というのは?

永原:私は『NO NEW YORK』とかが好きなので、“NEW WAVE”と言うとそっちのイメージのほうが強いですね。“TOKYO NEW WAVE”よりも“関西ノー・ウェイヴ”のほうが鮮烈だったし、自分が“NEW WAVE”と銘打ったところに集約されると不思議な感覚に陥ります。もうちょっとアヴァンギャルドな印象も強いですし。

──確かに、1979年当時の“TOKYO NEW WAVE”は今以上にアヴァンギャルドで刹那的なバンドが多かった気がします。

永原:“TOKYO NEW WAVE 2010”のCDも、割と歌モノが多いじゃないですか。アンダーグラウンド・シーンの中で歌モノをやるのが逆に“NEW WAVE”なのかなと。アヴァンギャルドなことをやり尽くしちゃった世代がアヴァンギャルドだった世代に対するカウンターとして、ポップでキャッチーな音楽性を追求するのが2010年の“NEW WAVE”のような気がします。

──前衛の極みを行くと大衆性に辿り着くし、その繰り返しなんでしょうね。

沖山:そう思います。たまたま僕らがその波の位置にいただけと言うか。

バンドの姿勢を歌詞に出すようにした

──本作は歌モノ好きな層にも充分訴え掛けるものがあるし、歌を際立たせることに腐心した音作りになっていますよね。

沖山:歌を中心に置いて活かすのはSEBASTIAN Xを始めた時からのテーマで、メンバー全員、常に意識しているところなんですよ。

──永原さんは声量もあるし、歌詞カードを読まなくても何を唄っているかが明瞭なのがいいなと思って。

永原:それは嬉しいです。歌詞はちゃんと聴こえるように頑張って唄ったんですよ。

──それも前のバンドの反動ですか?

永原:前のバンドでも歌詞がちゃんと聴こえるようにシャウトしてたんです(笑)。ただ、あの頃は歌詞よりも姿勢を強く打ち出していたんですよ。ハードコアが格好いいのは、姿勢が音楽と直結してるところじゃないですか。当時はライヴでのパフォーマンスやシャウトに姿勢を込めていたんですけど、このバンドではその姿勢を歌詞に出すようにしました。今は曲作りも姿勢も凄くバランスがいいんですけど、そのバランスもいつかは崩れると思うんですよ。その時にどうなるのかが楽しみなんですよね。

──前身バンドのようにダークな世界に舞い戻ることもあると?

永原:あり得ますね(笑)。そんないつまでも明るいことばかり唄っていられないですから。

──他のメンバーが歌詞を書いたりは?

永原:ないですね。私が書くものに口出しされることもないですし。

沖山:そこは信頼を置いていますし、口を出したところでどうにもならないので(笑)。その代わり、音作りは4人で民主的にやっていますけどね。

永原:ホントに民主的ですよ。「これがいいと思う人は?」って多数決を取ったりしますから。

──音作りの現場監督は沖山さんなんですか。

沖山:いや、僕はむしろ仲介人ですね。まなっちゃんが持ってきたメロディと歌詞を飯田君か歩里に渡して一緒にアレンジを詰めることが多いんですけど、そこで意見が分かれた時に僕が間を取る感じです。まぁ、こだわる部分は最後まで主張した人の勝ち、みたいなところもあるんですけどね。絶対にイヤな部分はみんな最後まで引かないんですよ(笑)。

永原:その結果、今回は結構生々しい音を録れた気がしますね。

沖山:エンジニアさんがそういう志向で取り組んでくれましたからね。音の質感は『ワンダフル・ワールド』とだいぶ違う感じで録れたと思います。

──『TOKYO NEW WAVE 2010』に収録された『LIFE PLEATS』の質感とも違って奥行きもあるし、音の粒が際立ったように感じますね。

永原:そうなんですけど、録ってくれた人は今回と同じなんですよ。

沖山:今回のアルバムを録る前に一度お願いしたのが『LIFE PLEATS』で、それを踏まえたからこそ今回は抜けのいい音になったんじゃないですかね。

永原:レコーディングをすると楽器の音が変わるのがずっと疑問だったんですけど、今回はスタジオでいつも聴いてる音に近い感じで録れたんですよ。私は声が高いので、そこに主眼を置いて録ることが多かったんですけど、今回は中域の音や倍音もちゃんと拾いたかったんです。それでたくさんマイクを用意してもらって、その中から気に入ったものを使ったんです。曲によってマイクを替えたりもしましたし。

沖山:メンバー全員、まなっちゃんの声をひとつの楽器として捉えているところもあるんですよ。凄く特徴のある強い声だし、曲作りもそれに合わせるところがありますね。

──記名性の高い声だからこそ、メッセージ性の高い歌詞が聴き手の感受性に余計深く響くんでしょうね。『GOODMORNING ORCHESTRA』の“言葉をまるでボールのようにそちらに投げても/受け取る人がいなければ/手を取る人がいなければ/言葉は死んでしまう”という歌詞は至言だなと思いました。ウチも読者がいなければ廃刊ですから。

永原:そうですよね。私がどれだけ一生懸命唄っても、耳を開かない人には届かないんですよ。もちろん聴き手に選ぶ権利はあるし、100人中100人に聴いて欲しいとは思いません。みんな好きなように好きな音楽を聴けばいいと思います。ただ、そこで耳を開かない人を目の当たりにすると、自分がいくら喉元を振り絞って唄っても、その人には何の意味もない。それはバンドを5、6年続けてきて思ったことのひとつですね。

音楽とはいつも純粋に一緒にいられる

──バンドにとって名刺代わりの1枚も出来たことだし、これからが楽しみですね。

永原:今後どう転がっていくかは私生活によるんじゃないですかね。私生活が充実していれば、暗いことなんて唄わないと思うし(笑)。ただ、仮に暗い気持ちでも明るい歌を唄いたいのが今のありのままの感情なんですよ。ありのままの自分を出すのは一貫していて、それができないとストレスが溜まって“もうやりたくない”と思ってしまうので、ありのままでいることは重要視しています。

──『フェスティバル』はまさに“ありのまま”の歌ですよね。酷く落ち込んでいるわけでもないし、やたらとハッピーな面持ちでもない。でも、人間の日常はそういうフラットなものだと思うし。

永原:そうですよね。落ちてるんだかアガッてるんだかよく判らないっていう、どっちつかずな感じがありのままなんじゃないかなと。何も暗い人ばかりが精神的に不安定なわけじゃなくて、過剰に明るい人も不安定だと思うんですよ。私はむしろ過剰に明るい人から病みを感じるし、ポジティヴに対応できない出来事に直面した時にガラッと崩れ落ちる姿を想像してしまうんですよね。そういうことが起きないように自分では心懸けていますけど。

──歌を通じてオーディエンスに伝えていきたいことは?

永原:お客さんに伝えたいことはこれと言ってないんですよ。歌詞は自分自身に対するメッセージでもあるし、身近な人に伝えたいことだったりするんです。ただ、これも数ある音楽の中のひとつなんだよ、と言うか。今回のCDを作って、その数ある中の音楽のひとつとして参加できたことが凄く嬉しいなと思いました。長い歴史があって、その中で細分化された音楽の中のひとつとして存在できることが。

──ライヴに重きを置いている点はどんなところですか。

永原:やっぱりライヴが楽しいってことに尽きますね。SEBASTIAN Xを始めた頃は、ライヴをやらないバンドになろうと話してたんですよ。

沖山:最初の半年は1、2本しかやらなかったですからね。それが次第にライヴに誘われることが多くなって。

永原:それでいっぱいライヴをやるようになって、“やっぱりライヴは楽しい!”と思うようになったんです。

沖山:ライヴをやってる時は、何かを伝えようとか考えてないかもしれないですね。こういうテーマでやろうとか。

永原:ウチのバンドは精神統一性が強い気がします。

──精神統一性!?(笑)

永原:三位一体と言うか、心と身体がちゃんとイコールになる瞬間を自分たちで作りたいと思ってるんです。心と身体で楽器を奏でて、頭がからっぽの状況でも歌が唄えるようでありたい。心と身体の動きが一緒なのがいいんですよ。何かしらのテーマや考えをライヴに持ってくると、それに身体が付いていくことになっちゃうし。

──と言うことは、ライヴをやっている瞬間が一番自然体でいられるのかもしれませんね。

永原:そうかもしれません。最近はスタジオにいる時のほうが不自然に感じることが多いので。

沖山:レコーディングは小難しく考えてしまうし、ライヴはあまり考えずに臨めますからね。

永原:ライヴのほうがメンバー全員の“らしさ”が出るし、解放してる感じがありますね。スタジオは頭で考えちゃう場所でもありますから。

──音楽は皆さんにとって“ファンタジー”ですか?

永原:ファンタジーでもあり、厳しいものでもありますね。音楽を精神鍛錬のように捉える人もいるし、スポーツみたいに捉える人もいるし、人それぞれでしょうけど。私はファンタジックな部分が好きです。夢のあるものだと強く思っているし、音楽に対する希望を捨てたことはまだないんです。それを捨てちゃったらオシマイですから。

──音楽に裏切られることだけはなかった、と?

永原:なかったです。ただ、いつか裏切られることがこの先絶対にあると思うんですよ。何故かと言えば、音楽が少しずつ商売になっているから。商売になる以上、音楽を続ける姿勢と矛盾する部分が必ず出てくるじゃないですか。でも、音楽業界をイヤだなと思うことはあっても、音楽自体に絶望することはないと思います。どれだけイヤな環境に置かれても音楽にだけは夢があったし、音楽とだけはずっと純粋なまま今も一緒にいますから。これからも音楽とは誠実に向き合っていきたいですね。



僕らのファンタジー

01. フェスティバル
02. 世界の果てまで連れてって!
03. 夏の王様
04. DUB湯
05. サファイアに告ぐ
06. ハムレット
07. 永遠のラスト・ワルツ
08. GOODMORNING ORCHESTRA
*さらにCDのみボーナストラック1曲収録
we are / HIP LAND MUSIC RDCA-1017
1,700yen (tax in)
2010.8.04 IN STORES

★amazonで購入する

Live info.

寄り添って! ユニコーン ツアー
10月1日(金)大阪十三FANDANGO
10月2日(土)京都MOJO
10月10日(日)水戸SONIC
10月11日(月・祝)横浜club Lizard
10月15日(金)新潟CLUB RIVERST
10月22日(金)静岡 Freakyshow

SEBASTIAN X presents「タンタララン」
11月14日(日)仙台PARK SQUARE
11月19日(金)名古屋K.Dハポン
11月21日(日)大阪十三FANDANGO
11月27日(土)新宿MARZ

SEBASTIAN X official website
http://sebastianx.info/

posted by Rooftop at 15:00 | バックナンバー
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。