2001年の創刊以来、裏社会、アウトローから芸能スキャンダル、事件、オカルト、サブカルチャーまで大手マスコミでは報じられない真相記事を次々掲載し、ネオ実話誌ブームを作り上げた雑誌『実話ナックルズ』(ミリオン出版)が遂に創刊100号を迎えた。3月11日にはロフトプラスワンで記念イベントを開催するが、その前に編集長の久田将義氏にROOFTOPに登場してもらい100号の歴史を振り返ってもらった。数々のトラブルでも有名なナックルズの歴史とは如何なるものだったのか? (TEXT:加藤梅造)
初心忘るべからず
──『実話ナックルズ』が遂に創刊100号を迎えたということで、今日はこれまでの歴史を振り返ってもらいたいと思います。そもそも実話ナックルズは、『ティーンズロード』や『GON!』などを作った名編集者・比嘉健二さん(現ミリオン出版社長)が立ち上げたんですよね。
久田 当初、比嘉さんは男性向けの『GON!』を作ろうとしたんですね。それで創刊号には渡辺克巳さんの撮った歌舞伎町の写真を巻頭に載せたり、安藤昇さんや加納貢さんといった伝説のアウトロー達の記事を載せたりしていますね。
──久田さんはいつから編集長になったんですか?
久田 4号目からです。比嘉さんの作ったテイストは残しつつ、それまで編集長を務めた『ダークサイドJAPAN』で一緒に仕事をしていたライターやカメラマンやデザイナーを起用して、より間口を広げていきました。裏社会やアウトローだけでなく、芸能スキャンダルからシビアな事件もの、妖しい都市伝説まで。当時、誰かに言われたんですが、実話ナックルズは家を建てたのが比嘉さんで、内装をやったのが久田だと。結果的にいいバランスになったんじゃないでしょうか。
──実話ナックルズ以降、類似誌が沢山出ましたよね。
久田 最初に出たのがコアマガジンの『実話ダイナマイト』でしたが、あまりにもそっくりなんで唖然としました。最初はさすがにムカッときましたが、その後他社からも類似誌がたくさん出たので、もうどうでもよくなりましたね。結局、ほとんどは消えていきましたが。
──従来の実話誌と区別するため、ネオ実話誌とも呼ばれてました。
久田 吉田司さんは「現代のカストリ雑誌」と言ってましたが、グラフ実話誌とか、鬼畜系雑誌とかいろいろ言われました。ただ、僕は鬼畜系はあまり好きじゃなかったんです。だから死体写真とかはあんまり出したくないし、本物のヤクザも出したくなかった。それは自分の中で決めてましたね。
──ブームが去って、結局、実話ナックルズが残ったのは、硬派なノンフィクションからサブカルまでをきっちり押さえていたからだと思います。あと、やはり『ティーンズロード』や『GON!』に脈打つ「比嘉イズム」が継承されてますよね。
久田 そうですね。やはり比嘉さんは編集者として独特の世界がありますからね。僕は9年前に比嘉さんから渡された編集メモを今でも取っていて、(机の引き出しから古いメモ用紙を取り出し)迷った時はこれを見るんです。初心忘るべからず、じゃないですが。
ああ、俺、埋められるのか…
──実話ナックルズと言えば、以前には巻頭に謝罪文がでかでかと載ったこともありましたが、やはり記事に対する抗議は多いんですか?
久田 確かに、抗議はヤクザから政治家、大手プロダクションまで数え切れない程受けてます。僕もほとんど忘れちゃってますが。
──憶えているものであげてもらうと。
久田 政治家では、平沢勝栄が息子を帝京大学に裏口入学させたんじゃないかということを書いたんですが、すぐに抗議がきましたね。今は仲いいんですが(笑) 芸能系では、ジャニーズからもバーニングからも抗議は受けてますね。両方とも丁寧に手紙を書いて送ったら収まりましたが。
──えっ、手紙で収まるものなんですか?
久田 これは『噂の眞相』の(副編集長)川端さんからアドバイスをもらったんですが、その時は収まりましたね。
──やっぱり面倒なのはヤクザや右翼なんでしょうか。
久田 不況のせいか小遣い稼ぎのヤクザは多いです。そういう時は先方に出向いて話し合うんですが、向こうは金目当てだからまず話にはならないので「じゃあ、帰ります」と言って一旦帰るんです。その後は電話で話して、それでも終わらなかったらもう一回会って話します。絶対に3回以内に終わらせるようにしてますね。
──それでも収まらないことってありますよね?
久田 最悪な場合、やっぱり「殺すぞ!!」ってことになりますね。一度、山奥に連れていかれたこともあって、それは最初、歌舞伎町に呼び出されて「今から迷惑かけた人の所に謝罪に行くから」ってことで車に乗せられたんです。車で走っているうちにどんどん日が暮れていって、それで隣に乗っていたヤクザが「あれが●●山や」と言うんです。その時は「ああ、俺、埋められるのか…」と思いました。あれほど楽しくないドライブは人生で初めてでしたよ(笑)
──その後どうなったんですか?
久田 結局埋められはしなかったんですが、その迷惑をかけたというヤクザの所に行って謝罪したんです。その人はそれで許してくれたんですけど、仲介したヤクザの方が収まらなくて、その後もずっと恐喝してくるんです。それで会社には迷惑かけたくなかったから一人でまた歌舞伎町の某店に会いに行って、その時もすごい勢いで脅されましたね。相手は恐喝のプロですから。なんとか金は払わずに済みましたが。
──想像しただけでチビリそうです。あと、エセ同和からの恫喝についてブログに書いてましたよね。
久田 本誌で、被差別部落出身のジャーナリスト、上原善広さんに全国の同和地区を取材する連載(「JDT 日本の路地を歩く」)をしてもらっていて、僕もある部落に同行したことがあるんです。その後、僕の携帯に電話がかかってきて「おう、コラ、なめとったらあかんぞ! ワシャ全国●●会●●支部の●●っちゅうもんやけどなあっ。何やあの記事。これ置いたコンビニに圧力かけたるぞ!!」って言うから、さすがにそれは勘弁してくださいと謝りました。
──そういえば何年か前に『別冊BUBKA』(コアマガジン)が部落記事を載せて廃刊になったことがありましたね。
久田 あんな記事載せちゃだめでしょう。タイトルが「そうだ、京都へ行こう」でしたっけ? 小学生の写真まで載せていて、あれじゃあ差別を助長すると言われても仕方ないですよ。雑誌を作ってるんだからそこはきちんと筋を通さないと。あれは言論の自由というレベルじゃない。編集長とは顔見知りだからあえて言うけど。
──載せる以上は、細心の注意を怠ってはいけない、と。
久田 そこは絶対に気をつけてます。ナックルズも最初の頃は抗議も多かったんですが、だんだん来なくなりました。やっぱり8年もやってきて世の中にだんだん浸透してきたんだと思うんです。
生まれて初めての挫折
──久田さんは一度ミリオン出版を辞めて選択出版に移り、その後『週刊朝日』を経て、またミリオン出版に戻ってきたんですが、出戻った理由はなんだったんですか?
久田 ミリオンをやめた後も比嘉さんとは時々会っていて、ある時、こんな雑誌を作りたいんだけどって話をしたら、じゃあやってみようという話になったんです。それが『ナックルズRARE』なんですが。
──2008年に『ナックルズRARE』が出た時はあの『噂の眞相』の後継誌とも評されて話題になりましたが、創刊号のみで休刊してしまいましたよね。
久田 残念ながら雑誌としては大失敗しました。全て僕の責任です。才能ないですね。それは僕にとっては生まれて初めての挫折と言えるもので。その時、この挫折を忘れちゃいけないと思い、頭を坊主にして左肩に「乾坤一擲(けんこんいってき)」と刺青を入れました。
──でも内容面での評価は高かったと思うんですが、もうちょっと続けようとは思わなかったんですか?
久田 僕も会社員ですから赤字で続けるつもりはなかった。ただ、自分で言うのも変ですが『ナックルズRARE』は今読んでも面白いですから、今だに続けたいとは思ってます。
──時代の変化も大きいですよね。2008年は歴史のある『月刊現代』や『論座』も休刊した年ですし。
久田 確かに今、ノンフィクション系の雑誌がどんどんなくなっている。僕は今42歳で雑誌の編集長としてはちょうどいい年齢になったと思うんです。だから今こそやりたいという気持ちはありますね。『ダークサイドJAPAN』をやっていた時は31歳だったから、今思えばガキだった。現在もまだまだ未熟ですが。
──『ダークサイドJAPAN』の頃だったと思いますが、久田さんは雑誌をやるにはやっぱり編集人と発行人が同じじゃないとダメだみたいなことを言ってましたよね。今、久田さんは編集発行人ですから、自分のやりたい雑誌をやりやすい状況にはありますよね。
久田 編集者としてやることはどこの会社も同じだと思いますが、やっぱり自分のやりたいことをするには動きやすい方がいいに越したことはない。自分に合う、合わないはあると思いますが、僕としては今の状況はやりやすいです。
──今後、久田さんが作る新しいノンフィクション雑誌の創刊も期待しています!
EVENT
3月11日(木)
実話ナックルズ100号記念!!
「ナックルズナイト Vol.2」
『実話ナックルズ』100号の歴史を振り返りながら、事件、タブー、ジャーナリズムの本質に迫る必見のトークライブ。
(予定内容)歌舞伎町10大事件簿、都市伝説の謎、芸能スキャンダルの真相、スクープ記事ベスト10、謝罪ワースト3、掲載できない話、他
【出演】久田将義(実話ナックルズ編集長)、実話ナックルズ編集部、ゲスト多数
OPEN18:30 / START19:30
前売¥1,200 / 当日¥1,500(共に飲食代別)
※前売券はローソンチケットで発売 【Lコード:35386】
会場:ロフトプラスワン