ギター バックナンバー

ivory7 chord('10年2月号)

ivory7 chord

元WRONG SCALEの大西俊也、野田剛史を中心としたバンドが満を持して始動!
下北沢シェルターで踏み出す始まりの一歩を前に、その胸中を語る──


 Shibuya O-EASTの解散ライヴから1年。
 あの日に、置いてきてしまったハズの時間。
 時には歩みを止めて、振り返ることも必要だということを知った。
 沈黙と言われてしまう中、葛藤も含めた上で、この1年は様々な想いがあった。だが時を経て、彼らは“ivory7 chord”(アイボリーセブンスコード)として、同じステージを共にし、更なる景色を求めて、また旅を始める。
 あらゆる偶然が必然という絆を生み、歯車となって再び動き出す。
 ようやく踏み出せたとも言える、この一歩。
 踏み出す上で、今まで関わってきた、かけがえのない人たちの後押しがあり、それが力となったことは言うまでもない。
 当たり前のことを当たり前にできなくなってしまった昨今に、情報やメディアの力だけではなく、本当の意味で感じるモノを示してくれるに違いない。
 あのトキ以上に、圧倒的な感動から心躍らされるその一瞬。本当に心待ちにしていた。(interview:平子真由美/下北沢SHELTER)


人選で重要視したのは人間性

──WRONG SCALEのラスト・ライヴは当時在籍していたK-PLANの社長の誕生日を祝う形で、あまり湿った感じにしようとしなかったのがWRONG SCALEらしくて良かった気がしますね。

野田:最初はそういう体の企画だったので、結局それを最後のライヴにしただけの話だったんですよ。まぁ、お客さんの雰囲気はそうでもなかったんですけどね。でも、今思えばああいう形で終わらせて良かったなと思いますね。

──WRONG SCALEの解散後、バンドはまたやりたいと考えていたんですか。

大西:僕はそう思ってましたけど、剛史君は実家に帰ることを匂わせてたんですよ。

野田:確かに、バンドはもうやめてもいいかなって一時はちょっと思ってました。いろんな物事がイヤになってたし、バンドが解散してすべてがフラットになって安心しちゃったと言うか。これでもう何もやらずに済むっていう。

──WRONG SCALEとして10年間活動して、やり切った感も大きかったですか。

野田:やり切ったからやめてもいいやと言うよりは、“ああ、もう!”ってちゃぶ台をドカーン!と引っ繰り返したくなる気持ちのほうが強かったんですよ。やめたいと思ったのは、その衝動だけですね。ホントはやめたくなくてしょうがなかったですよ。まぁ、俺がやめるって最初に言い出したんですけどね。

──やはり、生みの苦しみという重圧に耐えかねていたがゆえの解散だったんでしょうか。

大西:一因としては大きいですね。

野田:でも、曲作りに関して言えば今のほうが大変ですよ。これまで経験してきた中でいい部分はもちろん残すけど、ちょっと生温かったなと感じる部分は極力削ぎ落とすことに腐心したし、今回のレコーディングも自分たちとしてはかなりシビアに取り組んだつもりなんです。WRONG SCALEの時はなぁなぁな部分があったような気がするし、あの時にもうちょっとタイトに詰めることもできたんじゃないかなと思って。曲作りにおける反省がそのまま続いてる感じですね。

──このivory7 chordは、まず野田さんが大西さんに声を掛けたところから始まったんですか。

野田:またトシとバンドをやりたかったので誘ったんですが、“やろうぜ!”っていう話し合いを特にしたわけでもないんですよね。俺の手がちゃぶ台に引っ掛かってるような時はスタジオもうまいこと回ってなくて、「もう帰るわ」みたいになったこともあったんですよ。俺は滅多にそんなことはしないんですけどね。で、トシとふたりで焼鳥屋に行って、そこで呑みながらああだこうだ話したんです。お互いにバンドに対して不満があったし、そこからこのバンドの着想を得た感じですね。

──それはいつ頃の話なんですか。

野田:冗談半分で「別のバンドをやろうか?」なんて話をしていたのは、もうだいぶ前なんですよ。WRONG SCALEを抜けようと思ったのは相当前だし、解散を切り出したのが一昨年の夏でしたね。その半年以上前にやめることを考えていたんですけど、踏み出せない自分もいたし、まだ頑張れそうだと思える瞬間があったりもしたんです。ちょうど自分自身に対しても自信がなかった時期だったし、トシが俺と一緒にまたバンドをやってくれるかどうかは定かじゃなかったんですけどね。

大西:俺としては、WRONG SCALEをやっている最中に次のバンドのことを考えるのはどうかなと思ったし、一度整理してから剛史君とまたやりたいなとは思ってましたね。

──おふたりの他に、ギターに元L.A.SQUASHの三谷和弘さん、ドラムにUNCHAINの吉田昇吾さんという布陣が少々意外な気もしたんですけど。

野田:UNCHAINとは一緒にツアーも回ってたし、吉田には結構前から誘っていたんですよ。向こうも是非やりたいと言ってくれてたし、腕も確かですからね。ただ、人選に関しては、やっぱり人間性を重要視しましたね。スキルは後から付いてくるものだし、せっかくまたバンドを始めるなら長く続けたいし、いい関係を築きたいですから。

大西:吉田はあれだけバンドをやっているのに、プライヴェートで遊べる人間がこのふたりしかいないんですよ(笑)。そこもいいなと思って。

──ivory7 chordが始動すれば注目も浴びるだろうし、それ相応のプレッシャーも感じていましたか。

野田:いや、ちっちゃな注目だと思いますよ。そこをあまり意識しすぎると伸び伸びとやれなくなるような気がしますね。

惰性でバンドを続けるのは失礼だと思った

──サウンドの方向性としてはどんなものを志向しようと?

大西:そこが一番苦労したんですよね。WRONG SCALEの延長線上にあるものをやっても意味がないけど、WRONG SCALEっぽいものを期待する人もいるだろうし、自分たちとしては何か新しいものを作りたいし…この1年、いろいろと悩みましたね。曲はだいぶ作ったんですけど、10曲以上は捨てたんですよ。

野田:WRONG SCALEの時は捨てる作業をしなかったし、出来たものはとりあえずやることが基本だったんですよ。多分、いろいろと選べるようになったんじゃないですかね。本来やろうとしていることからズレてくると、“これは違うな”とちゃんと判断ができるようになったと言うか。ただ、選ぶことは凄く大変な作業だから、ivory7 chordのほうが生みの苦しみは大きいと思いますよ。目の前のことをただ漫然とやるほうがラクですからね。

──WRONG SCALEは常に難産の末に作品を発表していた印象がありますね。

野田:そう思われがちなんですけど、難産なわけじゃなくて、単純に動き出すのが遅いだけだったんです。

──ivory7 chordというバンド名には詩的な響きもありますね。“セブンス”と読めない人がかなりいそうですけど(笑)。

野田:“セブンコード”って読み違える人はたくさんいますけど、響きがいいなと思って。

大西:もともと僕が“ivory”って言葉を使いたかったんですよ。で、剛史君が“chord”を付けたいと。“7”を付けたのは、僕が曲を作る時に7thコードが多いからなんです。

野田:WRONG SCALEも定着するまでに時間が掛かったんですよ。一番酷かったのは、某CDショップのポップに“ウォーニング・スコール”ってカタカナで書いてあったことですね(笑)。

──ネーミングを考えるところから始まって、新しくバンドを始める昂揚感みたいなものもあったんじゃないですか。

野田:いろいろとモヤモヤしていた時期に比べれば、今はいろいろと考えなきゃいけないことがあるけど楽しいですね。ただ、俺よりもトシは曲作りで大変だったと思いますよ。方向性をいろいろと考えなきゃいけなかっただろうし、寝る間を惜しんで曲を作ってたから途中で体調を崩したりもしたし。でも、やりたいのはこれなんだというのがふたりともモチベーションとしてありましたよね。

──結局のところWRONG SCALEの末期というのは、純粋にバンドを楽しむことができなかったという一言に尽きるんでしょうか。

野田:俺はそうでした。ステージに立ってベースを弾きながら唄うのは楽しかったんですけど、あの形のまま惰性で続けるのはバンドに対して失礼だと思ったんですよね。決して他の3人のせいじゃないし、自分がそう感じてしまった以上はすいませんけどバンドを抜けさせてもらってもいいでしょうか、っていう感じだったんです。こう見えて我慢はできるほうなんですけどね。すぐにちゃぶ台を引っ繰り返しそうに思われがちですけど。

大西:ただ、そのちゃぶ台がかなり重たいわけですよ(笑)。鉄板でも差し込んであるんじゃないかっていうほどに(笑)。

──後からWRONG SCALEに加入した大西さんから見て、バンド内に緊張感みたいなものは絶えずあったんですか。

大西:それが意外となくて、いつも3人が和やかな空気を作ってくれてたんですよ。

野田:友達が入ってきたみたいな感覚だったし、むしろありがとうを言いたいくらいでしたよ。トシも活動期間の半分はバンドにいたわけだし、しっかりとしたバンドの形を作ってくれた要因でもあるわけで。そういう意味では、引きの強いバンドでしたよね。

──ivory7 chordではどんな形で曲作りを進めていっているんですか。各々がパーツを持ち寄って、大西さんが中心となって構築していったりとか?

野田:今回は、トシがある程度の形までカチッと作って仕上げた感じですね。時間も限られていましたから。

大西:最終的にはそうなりましたね。最初はどういう方向がいいのか判らなかったから、ふたりで話し合いながら進めてましたけど、方向性が見えてからは早かったです。

野田:最近になってようやく、吉田からも「ドラム、こっちのほうが良くないですか?」っていう提案が出てきましたね。今は提案してくる奴もいれば、弾くのにいっぱいいっぱいな奴もいれば、弾きながら唄うのが大変だって言ってる奴もいる段階ですね(笑)。スタジオにも年末にやっと入り始めたんですよ。ライヴまであと少ししかないのに。

──夏休みの宿題を8月31日から取り掛かる姿勢は相変わらずなんですね(笑)。

野田:そこは相変わらずですね。実際、俺は始業式の日にちょっと早めに学校へ行って、頭のいい奴のノートを丸写ししてましたから(笑)。


金がなければいい作品は生み出せないのか?

──そこまでのベタ踏みをしているとは到底思えぬ出来のファースト・シングル『Light a tree』なんですが、英詞で“そろそろ踏み出してみようかな”と唄われる『fallen glance』辺りに現在の心境が綴られているように感じましたけど。

野田:アップ・テンポの曲だったし、そういう意味合いも込めてみようかなと思って。

──収録された4曲はどれも、憂いを帯びた流麗なメロディと激情に溢れた疾走感が一体となって得も言われぬ昂揚感をもたらすのが大きな特徴だと思うんですが、WRONG SCALEとの大きな違いはリズム隊が繰り出すグルーヴィーなボトムラインにある気がしたんですよ。

野田:リズム隊って言うか、ちゃんとしてるのはドラムだけですよ。ただ、相手が吉田だけにやりやすくてしょうがないですね。あいつがだいぶレヴェルの高いドラマーだってことが音を合わせてみてよく判りました。ライヴを見て“上手いな”とは思っていたけど、スタジオに入って“こんなにやりやすかったんだ”っていうのが最初の驚きでしたね。吉田はストイックな男なので、まだまだだと謙遜してますけどね。

──ギターの絡み具合も、より真に迫った野太さと歯切れの良さを感じますね。

野田:ドラムのリズムがだいぶ変わったし、それに合わせるフレーズもあるでしょうからね。

──OCEANLANEの直江 慶さんが英詞訳をしている『dry your tears』には、英詞の中に「どこまで進めば、消え去るの?/嘘でもいいから笑ってよ。」という日本語詞が部分的に混じっているのがユニークですね。

大西:日本語詞を慶に送って英詞にして広げてくれたんです。完全な直訳ではないんですけどね。ホントは全部日本語詞にしたかったんですけど、慶が英詞で唄っているのが凄く良くて、それなら基本的に英詞で行こうと。ただ、「どこまで進めば〜」の部分だけは日本語で残したくて、そこだけ日本語なのも面白いのかなと思ったんです。

野田:不思議なもんで、慶が唄うとOCEANLANEそのものになるんですよね。

大西:そう、そのまま出したいくらいの出来だったんですよ。

野田:こうしてひとまずの4曲が出揃いましたけど、楽曲を噛み砕いていくのはこれからだから、まだまだ変わっていくはずなんですよ。今年の夏前くらいにはアルバムを出したいと考えているんですけど、恐らくそれも夏休みの宿題的な感じでやると思うんですよ(笑)。こうして今の段階から公言しておけば、自分たちに発破を掛けることになるんじゃないかなと。

大西:でも、きっとまたハンパじゃないベタ踏みをするんだろうけどね(笑)。

野田:ベッタベタに踏みまくるんだろうね(笑)。

──WRONG SCALEの歩みを振り返れば、解散ライヴから1年で新曲が4曲も聴けていいんですか? って感じですけどね。

野田:いや、各方面からは「おせぇよ! この1年間、何をやってたんだよ!?」って言われてますよ。ただ、この1年の間に重い腰がやっと上がったし、シェルターに無理を言って2月2日を空けてもらって以降、まるで運命の歯車のようにいろんな物事や人と人との繋がりが上手く噛み合ってきたんですよ。だから、このタイミングでバンドをやれってことなのかなと思って。もともとは自分たちでCDを作って、自主と通販だけでやっていこうと考えてたんです。でもそれも、昔から仲良くしてた人が流通の仕事に移ることになって、それなら流通をお願いしてみようかなと。

──かつて在籍していたレーベルに世話になる発想は最初からなかったですか。

野田:毛頭なかったですね。あくまでも自分たちの手で発信したかった。バンドの立脚点を見つめ直した時に、改めてD.I.Y.精神の大切さを痛感したんですよ。周りから見れば、自費でCDを作って流通させるなんてアホらしいと思うかもしれないですけど。

大西:結構言われましたね。「自主!? 何でそんなことするの?」って。

──おふたりのキャリアを考えれば、手を差し伸べるレーベルも多々あるでしょうしね。

野田:だからこそ余計に自主でやりたかったんです。どこかのレーベルから出せて当たり前だという風潮が今はあるし、自主で出すことをバカにしたところがあるんですよ。「自主でやっていいものが作れるの?」って言われるくらいだし。え!? それは何、金がなければいいものが作れないってことを言ってんの? って言ってやりたいですよ、こちらからすれば。

──メジャー資本に毒されることなく、何物からも自由で独立性の高い活動をするのが本来のインディーズの意義だったはずなのに、いつの間にか本末転倒になってしまった感はありますね。

野田:どっかの会社に所属して、会社の金でレコーディングも宣伝もしてもらっているくせに、さも自分たちの手柄のような顔をしているバンドが多いじゃないですか。俺たちがやりたいのはそんなことじゃないし、それも前のバンドで学んだことのひとつなんですよ。ivory7 chordとしてやろうとしていることは、“こういう形が本来の姿なんじゃないですか?”っていう提示ですね。それを体現していくことで、俺たちを舐めてる奴らをごぼう抜きにしたいと思ってます。“自主だと何もできない”という腑抜けた発想をブチ壊してやりたいんですよ。

初ライヴを決めて運命の歯車が噛み合った

──それにしても、ivory7 chordの初ライヴがWRONG SCALEの解散ライヴからちょうど1年経った2月2日に行われるというのが何ともドラマティックですよね。

野田:それもさっき言ったように、運命の歯車が噛み合った結果なんですよ。2月2日に初ライヴをしようと決めてから、バンドを取り巻くいろんなものが転がり始めたんです。

──O-EASTという1,300人を収容する大きいライヴハウスで終焉した物語を、下北沢シェルターという僅か250人収容のライヴハウスから再生させるのは新たにバンドを始める上で醍醐味のひとつなのでは?

野田:ずっとお世話になりっぱなしのままWRONG SCALEが終わってしまったので、新しいバンドでまた迷惑を掛けてやろうかなと思って(笑)。チケットが即完して期待の大きさももちろん感じましたけど、こっちとしては喜びと言うよりも震えですよね。知らぬ間に凄いことになっちゃってるな、っていう。そういうふうに動かしてもらってたんだなっていうのが実感ですかね。初ライヴとファースト・シングルよりも、肝心なのはその先のことだと思っているんです。初ライヴが即完して「凄いね、さすがだね」って周りは言ってくれるんですけど、みんな曲も知らないわけじゃないですか。要するに、ただの期待値ですよね。それは餞別じゃないけど、「お前ら、やれんのかよ!?」っていうオーディエンスの意思表示のようにも思えるんです。

──シングルの4曲はいいとして…ぶっちゃけ、ライヴができるほど曲があるんですか?

野田:はい?(笑)

大西:現時点で、全部で7曲くらいはありますね。2日のライヴが念頭にあるので、馴染みやすい構成やメロディを意識してます。

野田:昨日(1月22日)、シングルの4曲以外の5曲目、6曲目を初めてスタジオで合わせたんですよ。まさに今、ライヴに向けてベッタベタに踏んでいるところなんです(笑)。余裕でやっているわけじゃないんですけど、どうしてもベタになっちゃうんですね。

──極限まで追い込まれないと、本気汁が出てこない性分なんでしょうか?

野田:そうなんでしょうね。でも、今後は変えていきますよ。今回は作品作りに時間を取られて、ライヴの準備がなかなかできなかったんです。

──綿密にリハをやるよりも、むしろ音楽活動から離れて友達と呑みに行ったりすることが歌詞やメロディの行間ににじみ出たり、曲作りに反映されることが多かったりするじゃないですか。それを踏まえての1年という時間だった気もしますよね。

大西:僕にはそれだけの時間が必要でしたね。剛史君も僕もソロ・アーティストのバンドで楽器を弾いたりして、そこでスキルなり考え方なりがだいぶ変わったと思うし、そこでの経験は今のバンドにちゃんと反映されていると思うんですよ。WRONG SCALEをやっていた時よりもギターを弾くのが面白いですからね。

野田:自分たちの力だけで何か面白いことができそうだと思わせてくれた1年だったかもしれませんね。もっと早い時期に踏み出していたら、他の誰かの力を頼っていたのかもしれないし。その意味では、自主だってちゃんとやれるはずだという確信を育んだ1年だったとも言えますね。まぁ、一生懸命何かに打ち込んだ1年だったわけじゃないけど、チャンスがあれば貪欲に掴んできたようにも思います。ソロ・アーティストのバックで弾いたのも、新しいバンドに繋がると思ってのことだったし。

──今は改めてバンドの楽しさを噛み締めているところですか。

野田:(しみじみと)楽しいですねぇ…ホントに堪らないですよ。

──一度はちゃぶ台を引っ繰り返した人からまたそんな言葉を聞けて、嬉しくなりますね。

野田:ちゃんと再確認できましたよ。どれだけ歳を取っても、たとえ田舎に帰っても、バンドだけは何としてでも続けたいってことを。

大西:他の何物にも代え難いですよ、バンドは。新しいバンドで曲を作る時も、ちゃぶ台に手を引っ掛けてた男をまた興奮させてやろうと最初に思ったんです。ちゃんと興奮してくれて良かったですけど(笑)。

野田:トシの才能がハンパじゃないことも再確認できましたね。WRONG SCALEの時よりも焦点がブレてないし、デモを最初に聴いた時は本気で凄いなと思いましたから。5年一緒にやってきたのに、まだこんな引き出しがあったのか!? という驚きがあったんですよ。

──シェルターで始まりの一歩を踏み出して以降、ライヴは定期的にやっていく予定なんですか。

野田:そうですね。春先にはワンマンもやりたいと思っています。曲はどうなるか判らないですけどね(笑)。その頃には10曲以上はあるであろう…っていう。と言うか、あるといいな…ですかね(笑)。

──WRONG SCALE時代から脈々と受け継ぐ牛歩戦術ですね(笑)。

野田:まぁ、その辺はこれから徐々に改善していきますよ。

大西:それ、WRONG SCALEの頃からずっと言ってますけどね(笑)。



first single
Light a tree

01. distance
02. dark gray color
03. fallen glance
04. dry your tears
IV7C-0001 1,050yen (tax in)
2010.2.10 RELEASE
*2月2日(火)、下北沢SHELTEにて先行発売

★amazonで購入する

Live info.

ivory7 chord presents“c:hord 1”
2月2日(火)下北沢SHELTER
時間:OPEN 19:00/START 19:30
料金:前売り¥2,000/当日券¥2,500
出演:ivory7 chord/guest band有り

橋本 塁 presents LIVE EVENT“SOUND SHOOTER Vol.5”
3月7日(日)大阪BIG CAT
時間:開場16:00/開演16:45
料金:前売り¥3,500/当日券¥4,000
出演:ivory7 chord/cinema staff/FRONTIER BACKYARD/locofrank/MEANINGONE OK ROCK

ivory7 chord official website
http://www.ivory7chord.com/

posted by Rooftop at 12:00 | バックナンバー