音楽家自身がインターネットを介して音源を販売する手法は既存の流通システムを淘汰し得るか!?
リスナーが音楽家の活動全般に寄付する未曾有の基金“M.A.F”の設立とその行方──
「12月1日に重大発表あり」というメッセージを発表していたまつきあゆむが、自由で新しい音楽活動の基盤として“M.A.F”(マフ:“Matsuki Ayumu Fund”の略称)の設立と、2010年1月1日に28曲を収録したダブル・アルバム『1億年レコード』の発売を発表した。自身の音楽活動のための寄付金をユーザーから募る未曾有のシステムを確立し、レーベルや流通といった中間マージンを撤廃したデータ配信での音源販売を断行するというのだ。目を覆いたくなるばかりにCDパッケージのセールスが激減している現在の音楽市場において、これはまさに事件だ。まつきのような音楽家が今後増えれば、レーベルや流通会社の存在意義は皆無となるのだから。レーベルの宣伝費から主に制作費をまかなう我々フリー・マガジンとて他人事ではない。ゼロ年代が終焉を迎え、この音楽業界に棲まう誰しもが生き残りを賭けたサヴァイヴァル時代にいよいよ突入したと言っていいだろう。本誌の刊行存続に危機感を募らせつつも、腹を括り画期的なシステムを発明・敢行せんとするまつきにその真意を問うべく、僕は三鷹にあるまつきの自宅を訪ねた。(interview:椎名宗之)
“M.A.F”によっていろんなエンディングが作れる
──海外ではユーザーが一口10ドルで好きなアーティストのアルバムに出資できる“SELL A BAND”というシステムが定着していたり、日本でもグルーヴァーズがアルバム完成を待たずして予約販売を開始する“ADVANCE MEMBERSHIP”というプロジェクトを試みたりしていますが、まつきさんの立ち上げた“M.A.F”が凄いのは、音楽活動全般の資金を集めることなんですよね。
まつき:アルバム単位での寄付はこれまでもありましたよね。僕が音楽活動を始めたのは大学生の時で、この業界のことは右も左も判らない状態だったんですよ。レーベルの人から「こういうことをやれば?」とアドバイスを貰って、「ああ、そんなこともしていいんですか? それじゃ僕はこうやります」みたいな感じで。それから4年が経って26歳になって、メジャーとインディーズの活動展開の違いとか、大体のことは判ってくるじゃないですか。そんな中でMySpaceやTwitterといった効果的なコミュニティ・サイトも出てきたりして、自分が40歳、50歳になった時にどう生きていたいかを改めて考えるようになったんです。僕はずっと音楽を続けていきたいし、そのために“M.A.F”というシステムを作るのが最適だなと思って。要するに、自分が一番やりたいことに対しての一番の近道が“M.A.F”だったり、音楽を直接売ることだったんですよね。
──“M.A.F”のサイトには現時点での投資残額がオンタイムで表示されていて、もの凄くインパクトがありますね。
まつき:残額を明らかにすることで、嘘がつけなくなりますよね。僕があのお金で豪遊したり、適当なことに使っていたら誰も寄付しなくなるだろうし、寄付額と支出履歴をオープンにするのは健全なことだと思うんですよ。まぁ、寄付を募集している所はどこもそうでしょうけどね。
──インターネットを介しているとは言え、自分の音楽活動を応援してくれるファンとダイレクトに結びつくことのできる環境ですよね。
まつき:Twitterに「今“M.A.F”に振り込みしました」っていう@が来て、それは全世界に公表されていて、僕が銀行の残高を確認して、トップ画面の寄付額を更新すると。そういうやり取りが実際にできているし、それさえできれば従来のシステムは少なくとも今の僕には要らないんですよね。
──この4年、既存のレーベルと流通の在り方に不信感を覚えていた部分もあるんですか。
まつき:いや、そこは一番誤解して欲しくないんですけど、不信感みたいなものはないんです。12月1日に“M.A.F”と『一億年レコード』の発表をして、批判的な声ももちろんあったし、それはあらかじめ予想もしていたんですよ。大手のレコード会社が悪だという考えは全くないし、どういう形態で活動していくかは人それぞれでいいと思うんです。ただ、活動の選択肢がより増えているんだったら無理に大手のレコード会社に身を委ねる必要もないって言うか、ゲームで言えばエンディングがひとつじゃなくてもいいわけですよ。大金を注ぎ込んでたくさんの人が携わる音楽もあると思うし、それが好きな人はそういう道を今は目指すしかない。でも、僕が今やっているのはそれと対極のことなんです。“インタラクティヴ”っていうリスナーが編集できるアルバムを作ったり、いろいろと革新的なことをやってきたトッド・ラングレンですら最終的にはアルバムを流通に乗せるしかなかったけど、今の時代はいろんな方法論があって、いろんなエンディングを作ることができますからね。
──一個人のミュージシャンがこれだけ画期的なシステムを打ち出すのも過去に例のないことですよね。
まつき:僕は前例のないことをやるのが好きなんです。それをやって、みんながザワっとする感じが好きって言うか。音楽をやっている人とか、こういう仕事に携わっている人はみんなそういうのが好きなんでしょうけど、それを自分らしくやったのが“M.A.F”だったんですよ。音楽活動をしてきて一番手応えがあったし、正直、初めてCDを出した時よりも“M.A.F”の発表をした時のほうが“来たな!”って感じたんですよね。
──“M.A.F”の方法論はここ数年ずっと温めてきたものなんですか。
まつき:いや、UMAの小寺(修一)さんに伝えたのも発表の1ヶ月前とかだったんですよ。「面白いアイディアが浮かんだから、明日“M.A.F”の発表をしたい」っていきなり小寺さんにメールしたんですけど、ちょっと待てと。もう少し体裁を整えればいい形で発表できるからと。きっかけになったのは、やっぱりTwitterでしょうね。あと、Ustreamかな。
──Twitterの1,000人のつぶやきから歌詞を生み出すのはまつきさんくらいのものでしょうね(笑)。
まつき:でも、みんなこれからやると思いますよ。つぶやきを歌詞にすること自体は新しい発想じゃないし、後はそれをどうやって組み合わせていくかの問題ですから。Ustreamもいろんな使い方がありますよね。ライヴを見せたりとか、僕みたいに録音している過程を見せたりとか。
“MP3でも全然泣ける。”はTwitterから生まれた
──まつきさんの日記のコメント欄に「『一億年レコード』はCDで欲しかった」というファンからの意見が思いのほかありましたよね。CDパッケージがこれだけ売れないこのご時世でも、CDという記録メディアを望む声の多いことがちょっと意外だったんですけど。
まつき:今の時代にはCDがいいのかMP3がいいのかという命題は以前から日記にちょくちょく書いていて、その頃もみんな意外とCDを買っているんだなと思ったんですよ。最近はその人が聴きたいように聴けばいいという境地に達したんですけどね。“CDはパッケージがあるからこそいい”っていう主張も、“MP3でも感動できる”っていう主張も、その人の中ではすべて真実なんです。その主張同士をぶつけて潰し合っても意味がない。今回はデータ配信という形になりましたけど、それを“M.A.F”で広げていくのが僕にとっての選択肢ということなんです。
──ちなみに、まつきさん自身は普段どんな音楽の聴き方をしていますか。
まつき:僕はもうほとんどデータで聴いていますね。iTunesやiPodばかりで、CDで聴くことはほとんどないかな。
──そういった視聴環境であるがゆえに、『一億年レコード』には“MP3でも全然泣ける。”というキャッチコピーが付けられているんですか。
まつき:取り立てて新しいことは言ってないつもりなんですよ。CD以前はテープで音楽を聴いていたわけだから、“アナログ・テープでも全然泣ける。”でも良かったわけだし。“MP3でも全然泣ける。”は“デジタル化、最高!”っていう意味じゃななくて、音楽本来の力が問われてきて、それはいい時代だよね、みたいなことを言いたいだけなんです。
──データ配信ならば、CDのプレス代やパッケージの印刷費も一切掛からないというメリットが一番大きいですよね。
まつき:本当に凄いことだと思いますよ。リスナーは僕が録音している過程をUstreamで見て、同じ日の夜にその曲をフリー・ダウンロードできたりするわけですから。ひとつの夢が叶ったと言うか、ここに来てやっとインターネットの力が人間に寄ってきた気がしますね。それ以前はインターネットが僕はそんなに好きじゃなくて、インターネットを使ったからって楽しいことなんてあまりないと思っていたんです。それがここ2、3ヶ月で凄く変わりましたね。またTwitterの話になっちゃうんですけど、Twitterには天才が何人もいるんですよ。普通のサラリーマンが天才だったり、実際に会って話してもそんなに話が広がっていかない人が天才だったりして。“MP3でも全然泣ける。”っていう発想も、実はTwitter上で仲良くなった人のつぶやきから生まれたんですよ。凄くいいなと思って、いつか何かに使おうと考えていて、『一億年レコード』のキャッチコピーにぴったりだなと。Twitterを使って甦ってきた天才たちの存在が後押しになったところはありますね。
──単純に、『一億年レコード』をCDとしてリリースしたいとは思いませんでしたか。
まつき:アナログで出したいとかCDで出したいとかのこだわりが僕にはなくて、聴きたい人が手軽に聴けるのが一番だと思うんです。それとやっぱり、速効性ですよね。最終的にMP3を選んだ決め手はそこです。『一億年レコード』は、2009年12月31日から2010年1月1日に切り替わった瞬間に配信が始まるんですよ。それは僕がアナログに手作業でやるんですけど、そんなことはCDじゃ絶対にできませんよね。
──ジョン・レノンが『インスタント・カーマ』を1日で録音して、10日後に発売に漕ぎ着けた発想に近いですよね。新聞を発行するようにレコードをリスナーに届けるという。
まつき:まさにそれです。『インスタント・カーマ』は朝に録って、昼にカッティングして、夜にレコード店に並べたいっていうコンセプトだったじゃないですか。そんなことを今自分ができているのが自負としてあるんですよ。
──もし今もジョンが生きていたなら、まつきさんのような試みを絶対にやっていただろうなと僕は思ったんですよね。
まつき:多分やっていたでしょうね。それは僕も思っていました。
──出来たばかりの曲をすぐ聴き手に届けたいのは、まつきさんがジョンに負けず劣らずせっかちな性分だからでしょうか(笑)。
まつき:今この瞬間の空気ってすぐになくなるものだから、それを共有しているのは凄く大事なことなんですよ。時間が経てば経つほど違ったものになっていく感覚もあるし。生放送が楽しいのも同じ理由だと思いますしね。
──コレクターズの加藤ひさしさんや古市コータローさんのように、喋りの立つバンドマンはポッドキャストに取り組んだりしていますよね。
まつき:最近、僕も『ほうかご実験クラブ』っていうインターネット・ラジオを始めたんですよ。それは自分の生活を楽しくしたいからやっているんですけどね。僕がミュージシャンであるとかは関係なしに、面白い友達を6人くらい集めてやっています。もう何でもアリですよ。
──何でもアリだからこそ、表現する側もそれを享受する側も選択する難しさがあると言えませんか。
まつき:やりたいことがなくなったらキツイでしょうね。受け手の反応がダイレクトに返って来るのが僕は楽しいんですよ。つまらない内容なら反応は薄いですから。MySpaceで毎週月曜日に更新している『新曲の嵐』も、いい曲じゃなかったら聴く人は少ないんです。その辺は身につまされますね。自分を映し出す鏡みたいなところがあるし。
僕が鳴らしたCのコードがタマネギになる
──“M.A.F”や『一億年レコード』の発想を受け継ぐミュージシャンは今後増えていくだろうし、レーベルや流通会社は戦々恐々としているんじゃないでしょうか。
まつき:凄い大手でもなく、かと言って小さくもないレーベルは大変なんでしょうね。でも、今はレーベルがどうとかは関係がないと思うし、チャートで1位になっているから聴いてみようっていう人もほとんどいないじゃないですか。生き残っていくってことは個性を出すことで、ちゃんと人がやっている感じを出すのが大事だと思うんですよ。“M.A.F”は僕自身がやっていること以外の何物でもないし、みんなそういう方向に行くんじゃないですかね。僕は、この先どうなっていくか判らない感じが楽しくもあるんですよ。過渡期に生まれて良かったなって言うか。前はレコードの時代に生まれれば良かったと思っていたんですけど、かつて憧れだった60年代に生まれなくて良かったと今は思いますね。だって、『インスタント・カーマ』みたいなことをやりたくてもできない環境だったわけですから。実際の『インスタント・カーマ』にしたって、あれはジョンだからこそできた発売方法でしたよね。後日談として、もうちょっと時間があればミックス・ダウンがより良くできたっていうエンジニアのコメントも残っていて、音も凄く粗いじゃないですか。それはジョンみたいな一握りのミュージシャンだから許された行為だと思うんですよ。
──偉大なるビートルズの一員だったジョンだからこそでしょうね。
まつき:僕みたいに知名度の低いミュージシャンがジョンみたいなことをできて、しかもダイレクトに音楽を売れる状況が作れるのは希望が持てるし、魅力的なことなんですよね。今は自分で考えていた以上に寄付が集まっているんですけど(12月19日の時点で残額は88,318円)、CDが売れないっていう現実はあっても、自分が感動した音楽に対してお金を払いたいっていう人間の気持ちは変わらずにあると思うんです。そこの受け皿を僕は変えたいんですよ。
──2年前、レディオヘッドも『In Rainbows』をMP3形式で先行ダウンロード販売をして、ユーザーに価格を決めさせる方式が大きな波紋を呼びました。バンド側の公表によると平均約4ポンド(約1,000円)で購入されたそうですが、まつきさんは利用しましたか?
まつき:友達から貰って聴きましたけど、ひとつの選択肢として僕は対価を払いませんでした。レディオヘッドのあの試みは確かに先駆けでしたけど、僕はちょっと違和感を覚えましたね。あれはレディオヘッドだからこそ成し得たことって言うか。
──世界に名だたるモンスター・バンドによる逆説的なあざといプロモーションであるとか、大物の余興だという揶揄もありましたよね。
まつき:僕は本気ですからね。これでメシが食えなければ音楽が作れないという心意気でやっているし、アルバムの売上とか“M.A.F”以外の対価がそのまま僕の生活費になるんです。たとえば、僕が今日カレーを作って食べたとして、そのタマネギ代になるのか? っていう疑問もあると思うんですけど、実際にそういうことなんですよ。僕が鳴らしたCのコードがタマネギになるんです。それは何らおかしなことじゃないし、そうやって食っていけたらいいなと思うんですよ。
──今後、“M.A.F”の支出項目が徐々に明記されれば、それを面白がって投資するユーザーも増えてくるんじゃないですか。
まつき:そうやって広がっていけばいいですけどね。なにぶん前例のないことなので、この先どうなるかが全く判らないんですよ。年が明けたら誰も寄付をしなくなって早々に破綻するかもしれないし、お金が増えすぎて脱税で捕まることもあるかもしれない(笑)。ホントの個人事業ですから、ちゃんと税金を納めないといけないですしね。そういう形でやっていける可能性があるのなら、僕はそこに賭けてみたいと思っていますけど。
──ライヴ活動に掛かる経費も“M.A.F”から捻出するんですよね。
まつき:ライヴは今のところ一切やっていないんですよ。自分の思うようにライヴができなくて、一度やめてしまったんです。ライヴのやり方もTwitter的な、あるいはUstream的な新しい感じでやっていきたいなとは思っていますけどね。ただ、それも僕らしくなくちゃいけないと考えています。ただ単純にライヴをUstreamで配信するだけじゃ面白くないし、それは誰でもできることですから。僕にとっては、今みたいに録音を配信していることがライヴ活動と同義なんですよ。ライヴも体験にお金を払うわけじゃないですか。凄い大きな会場で僕が録音しているのをみんなで見つめていることに一人2,000円掛かるとか、そんなことをやってみたいですね。
インターネットを肉体的に使うことがひとつのテーマ
──この自宅があらゆる表現の発信基地になるというのも、男子としてロマンを感じる部分がありますね。
まつき:そうですね。僕が考えていることは小学生レベルで、ドッジボールが好きだからドッジボール選手として食っていきたいみたいなことですからね(笑)。やっていることもそんなに難しいことじゃないし。
──むしろ凄くシンプルなことですよね。野菜の無人販売みたいに、音楽を生み出した本人に対して然るべき対価を直接払うという。表現者が七転八倒しながら生み出した作品なのに、流通会社に託してもそれが広く行き届かなかったり、雑誌に広告を打っても届けたい層には届かなかったり、これまでの流通の在り方には不明瞭な部分がたくさんありましたけど、“M.A.F”はそんな不透明さをすべてクリアにするガラス張りのシステムだと思うんですよね。
まつき:ドキッとする人もいるだろうし、煙たがる人もいるでしょうね。でも、自分自身が食べていけるかが僕にとっては一番重要なことなんですよ。その間で食べていく人のことはあまり考えたくないのが本音なんです。希望と絶望が等比にあるのがいいんですよね。音源が全然売れない場合は全然食べていけないわけだし、白か黒かがすぐにはっきり出ますから。メジャーで1年間活動を続けても契約を切られることが往々にしてあるけど、そんなことは関係なく音楽活動ができるのがいい。小さいながらも一国一城の主となって、やることは全部自分が決めて、誰かに仕事をお願いするのもギャラの設定も全部自分が決断できる。前はアルバム1枚を作るにしても、それを流通に流したりプロモーションするにしても、誰が何をやっているのか全然判らなかったんですよ。僕自身がいいと思える状況でやっているのかどうか、全く把握ができなかったし。それは結構しんどかったですね。全部自分でジャッジできるからこそ、『一億年レコード』はより自分らしさが剥き身になった気がしますね。ある意味、ファースト・アルバムに近い感触があるのかもしれません。
──自分自身で制作、告知、流通までできてしまえばストレスも軽減されますよね。しかも、中間マージンが発生しない利点もある。
まつき:だから『一億年レコード』の価格も安く設定できるんですよ。28曲が入っていて2,000円って、かなり安いと思うんです。でも、僕自身としてはそれくらい貰えれば充分なんですよね。仮に1ヶ月に100枚売れたら20万円の収入があるし、全然暮らしていける。だからライターさんとかも、自分でメチャメチャ面白い文章を書いてブログにアップして、それを課金制にするのもひとつの可能性だと思うんですよ。自分の好きな音楽とか、採り上げたいテーマを自分で決めて、それで食べていけるなら最高じゃないですか。
──身につまされる話ですが(笑)。でも、そういう動きができて初めてインターネットが肉体性を帯びてくる感じはしますね。
まつき:インターネットを肉体的に使うことは“M.A.F”におけるひとつのテーマなんです。使い方は凄くアナログなんですよ。毎週地道に更新したり、自分でやたらと書き込んでみたり、マメに返信してみたり、スクリプト的なことは全然無視してやっているんだけど、インターネットだからこそ成立している。
──メディアの反応はどんな感じなんですか。
まつき:今のところ、普段とあまり変わらないですね。僕が新譜を出してもメディアの反応は少ないので(笑)。今回も音楽ニュースのサイトがすぐに採り上げてくれましたけど、ああいう瞬発力のあるメディアは好きですね。情報伝達の速さも違えば、反応の大きさも違いますから。僕が腹を括っている以上はちゃんと採り上げなければと考えてくれるメディアもあるし、凄く有り難いですよ。
──僕らのようなフリー・マガジンは、印刷・製本費、全国への発送費、デザイン費用や原稿料の捻出を主にレコード会社の宣伝費でまかなっているんです。まつきさんのようなミュージシャンが今後確実に増えていけばレコード会社は無用の長物になって、僕らの食い扶持が絶たれる可能性が高い。もちろん僕らは別の方法を考えて断固刊行を続けていくつもりですけど、競合他誌がまつきさんの動向に関心を持たないのが不思議なんですよ。いち音楽ファンとして個人的に言えば“M.A.F”の設立は非常にユニークだし歓迎すべきものだけれど、弱小フリー・マガジンの編集長の立場で言えばもの凄く危機感を募らせていますよ。
まつき:どう言っていいんですかね(笑)。まぁ、僕の動きに関心が持たれないことに対しては鈍感だなって思いますよ。だから音楽メディアはダメなんだとは全然思わないけど、頭が固いなとは思いますね。でも、ちゃんと反応して欲しい人はしてくれているから、そこに不満はありませんけどね。
ゼロ年代の音楽はみんなが嘘をついていた気がする
──ポップ・スター的側面が損なわれると言うか、金銭の授受がダイレクトに行なわれるのは生々しい部分もあるし、あまりにも夢がなさすぎるという批判もあると思いますが、それに対してはどう応えますか。
まつき:別に反論したいとは思わないけど、そういうのは他の人でいいんじゃないですか? っていう感じですね。ポップ・スター像を求めるならミック・ジャガーやポール・マッカートニーみたいな人がいるし、日本にもそういう人はいますからね。そういう人はそういう人で頑張っていて、僕は全然違う見せ方でやっているし、一緒くたに扱わないで欲しいなとは思いますね。この喩えが当てはまるかどうか判らないまま話しますけど、2ちゃんねるの管理人だったひろゆきさんって、全部オープンな感じじゃないですか。それがあの人の魅力だと思うし、いいか悪いかは別として、だからこそ2ちゃんねるみたいなものが出来たと僕は思うんですよ。人間性がそのまま出た匿名掲示板って言うか。それと同じで、僕の音楽と人間性は直結しているんです。ポップ・スターなんて別にいなくていいと僕は思っているし。
──でも、ビートルズはまつきさんにとってポップ・スターではないんですか。
まつき:僕はビートルズの文献を調べるのが好きで、ビートルズがインドに行っていた時にこんなことをしていたとか、そういうのは探せばいくらでも出てくるんですよ。それがアーカイヴできる時代になれば、そりゃポップ・スターなんていなくなるに決まってるじゃんって思うんですよ。他にもっと楽しいことがあるのに、なぜ今さらポップ・スターがいなくなったことを嘆くんだろう? って思いますね。
──僕は前時代的な発想の人間なので、こんな時代だからこそポップ・スター的なものを逆に求めてしまうんですけどね。まつきさんの思春期は、インターネットが台頭してきた頃ですか。
まつき:過渡期でしたね。Windows 95が出たのが12歳の頃で、インターネットはやってましたけど。
──“M.A.F”はそんな世代だからこそ着想し得た発想なんだろうと、30代後半の僕からすると思うんですよね。
まつき:'90年代には印象的な出来事やブームがたくさんあったじゃないですか。『新世紀エヴァンゲリオン』や『ファイナルファンタジー』がブームになったり、全体的に終末感みたいなものがあったんですよ。
──阪神・淡路大震災やオウム真理教による一連の事件、酒鬼薔薇事件が起こったりしましたしね。
まつき:情報量過多な時代が背景としてあったと思うんですよね。酒鬼薔薇から怪文書が送られてきてインターネットに出回るとか、『エヴァンゲリオン』のサブリミナル的で密度の濃いカット割とか、情報量過多なものが社会の仕組みを変えてしまうことに衝撃を覚えてきた世代なので、ジョンの『イマジン』みたいに理想郷を想像していればいいとは思えないんですよね。僕は時代が大きく変わっていくことに対して凄く興味があるし、変化していきたい気持ちが常にあるんですよ。…だから僕はこんな性格なんですかね?(笑)
──バラク・オバマの大統領就任に端を発した“CHANGE”(変革)の風は、鳩山新内閣の発足という国政の在り方を変えるまで影響を及ぼしたし、世界的に新たな潮流が押し寄せているのは間違いないですよね。2009年を象徴する漢字は“新”でしたし。
まつき:そうですね。こんなことを僕が言うのもおこがましいですけど、ゼロ年代の音楽がピンと来なかったんですよ。よくメディアやレコード会社が「期待の新人、現る!」みたいに煽ったりしますけど、それが繰り返されては消え、繰り返されては消え、まるでピンと来なかった。僕はそれが凄くイヤで、その怒りや不満をバネにして“M.A.F”を立ち上げた部分はありますね。
──グッと来る音楽が少なかったということですか。
まつき:みんなが嘘をついていた気がする。それは仕事だからしょうがないのかもしれないし、誰が悪いわけでもないんですけどね。でも、“信じられないな、そんなの”って感じることが多くて、'90年代はまだ自分が信じられる音楽があったと思うんですよ。だったら自分で信じられることをやるしかない。たとえば有名な人に褒められてメジャーと契約して、よく判らないまま流されて音楽を続けたくはなかったんです。だから、自分で録音して、自分でミックスして、自分でお金を稼ぐっていう境地に辿り着いたんですけど、やっぱり悪くないなと思うんですよ。ちゃんと一本筋が通っているし、楽しんでいる人は楽しんでいるし、その楽しんでいる感じしか僕はやりたくない。
──何から何まで自分一人でやることの苦労は当然あるでしょうけど、充足感が以前とはまるで違うんじゃないですか。
まつき:一人でやっていることの限界とか、他の人を受け入れることで生まれる広がりや希望もあるとか、説教されることもあるんですよ(笑)。でも、僕は別に一人でやりたいからやっているわけじゃなくて、一人でやるのが一番いいからこの形でやっているだけなんです。僕が今できる一番いいやり方がこの形なんですよ。
──完膚無きまでの楽曲至上主義ということですよね。
まつき:そうです。音楽さえ良ければ、後は何でもいいと思っているので。自宅録音と括られることのこだわりも別にないし。
僕の真実は音楽の中だけに在る
──CDパッケージがこれだけ売れないのは何故だと思いますか。
まつき:CDを買うこと自体が流行らなくなったんじゃないですかね。「こんなCDを買ったんだよ」っていうのが話題として成り立たなくなっていると言うか。それは俯瞰した意見で、個人的にはもうCDは要らないと思いますね。CDで欲しいっていう感覚が最早ない人たちが増え始めている。それは音楽に限らず、映画やアニメもそうですね。欲しいDVDも少ないですし。漫画に関してはメディアの特性があるのでページをめくって読みたいですけど、音楽と映像に関してはデータで受け取って、然るべき音質で聴けたり、然るべき画面の大きさで見られれば形は全然要らない人もいるかもしれない。たとえば、小学生の頃にラジオで聴いていた音楽がニコニコ動画にアップしていればアガるし、昔の曲がデジタルになって甦っていることに僕は楽しさを感じるんです。“テクノロジー、最高!”みたいな感じで(笑)。でも、それをずっとテープで持っている人がいたとしても、そこまで関心がないんですよ。
──ビートルズで言えば、アップル時代の丸帯の赤盤レコードが未だに高額で取引されているイヤな風潮があるじゃないですか。レコードは聴くものなのにパッケージだけを有り難がるという。音楽は聴いてナンボのものだし、まつきさんは古今東西の音楽を生ものとして分け隔てなく聴く柔軟性があると思いますよ。
まつき:結局、好きなのは音楽でしょ? ってことですよね。ジャケットが好きで買っているならジャケットだけを買えばいいじゃんって言うか。そういうのも僕がここで改めて言うようなことじゃないし、みんなも薄々気づいていると思うんですよ。でも、そうじゃないと思っている人の考え方もその人の真実だから、否定はしませんけどね。僕の真実は音楽の中だけに在るんです。この間、ビートルズのデジタル・リマスター盤が一挙発売になりましたけど、ある大型CD店でその時に売れてたのが実は最新のリマスター盤だけじゃなくて、10年前に出たベスト盤の『1』も凄く売れてたという話を聞いたんですが、これってリマスターしてどうこうじゃなく、結局は楽曲そのものの力なんですよね。リンゴのハイハットがクリアに聴こえるようになったことを聴きたいというよりは、みんな『シー・ラヴズ・ユー』や『ヘイ・ジュード』を聴きたいっていうことなんです。僕はそのニュースに希望を感じたんです。結局は楽曲でしかないっていう事実に。
──なるほど。楽曲さえ良ければMP3でも構わないという発想がそこでリンクしてきますね。
まつき:別にCDでもいいけど、MP3には速効性があるし、それが一番面白くない? っていう僕からの提案なんですよ、『一億年レコード』は。
──誰しもが音楽を自由に、ダイレクトに発信していけることは、後進のミュージシャンにとって大きな希望でしょうね。僕らにとってはのっぴきならない窮地ですけど(笑)。
まつき:でも、音楽家にとってもシビアな時代だと思いますよ。宣伝力は一切関係なく、純粋に楽曲だけで評価されるわけですから。ただ、それが本来在るべき姿なんですよね。僕は録音するのがホントに好きで、『新曲の嵐』も全く苦じゃないんですよ。心底楽しいことだし、楽しくなくなったらいつでもやめます。“M.A.F”も何とか帆を挙げましたけど、そんなに大きな船にしなくてもいいんですよ。僕が食べていけて、働いてくれたスタッフにそれだけの対価が払えればいい。いろいろとできることが増えてきたから、これからインターネットの世界も変わっていくと思うんですよ。たとえば、このインタビューだってUstreamを介して生中継することもできるし、そういうことが増えるといろんな価値観が逆転していくでしょうね。ライヴ会場で生でライヴを見るよりも、Ustreamで生で見るほうが逆にリアルタイム感があったりとかね。新しいことをどんどん見つけてやっていかないと、雑誌もなくなっていくと思いますよ。小説や漫画はそれ自体に揺るぎない個性があって、モノとしての価値観が半端じゃないから残っていくと思うけど、雑誌は読み捨てていくものじゃないですか。文章情報をインターネットよりも速く出せない雑誌っていうのはかなりやばいでしょうね。
──肝に銘じておきますよ。
まつき:レコード会社も雑誌の人もみんなそうなんですけど、やりたくない仕事をやりすぎていると思うんですよ。お金を稼ぐためにはしょうがないんでしょうけど、僕の音楽を好きじゃない人が記事を書いたり、CDの販促をして欲しくないですね。凄く不毛なことだと思いますよ。でも、こうして“M.A.F”を立ち上げて2010年を迎えるのは凄く意義深いことだと感じています。いわゆるゼロ年代が終わって、2010年になるのは凄く未来的な感じがするし。ぶっちゃけて言うと、僕は音楽の将来を背負って立つつもりもないし、自分のやりたいことを自由にやりながら暮らしていきたいだけなんです。自分のやりたいことに対しての自信は凄くあるし、今は自分で好き勝手なことをやってそれが食い扶持になっているから、胸が躍りますね。
一億年レコード
28曲入り/MP3 160kbps/価格:2,000円(税込)
まつきあゆむの約1年半振りの新譜(ダブル・アルバム)。2010年1月1日発売、配信開始。専用サイトからのダウンロードのみの販売。まつきあゆむ本人が発売元であり、まつきあゆむからリスナーにダイレクトに届く。ジャケットやクレジット等と28枚の歌詞がデザインされた大きな画像ファイル(jpg)付き。
“M.A.F”とは──
“Matsuki Ayumu Fund”の略称で、まつきあゆむの音楽活動に対する寄付からなる基金。2010年1月1日に発足。残額は随時ウェブサイトやTwitterでオープンに公開され、楽器機材の購入等、具体的な支出も随時明記される。寄付額に規定はなく、寄付する人間が好きな額を寄付できる。支払い方法は銀行口座振込、もしくはPaypalクレジットカード決済。
M.A.F 専用銀行振込先:三菱東京UFJ銀行 三鷹支店(店番222)/口座番号 普通1674851/口座名 まつきあゆむ
まつきあゆむ ヘッドフォンリスナーズサイクリングクラブ
http://matsukiayumu.com/