ギター レギュラーコラム

SMILEY HARASHIMA presents SMILEY'S TALK JAM session 5 大江慎也('09年12月号)

大江慎也

すべてを“解き放つ”ためのザ・ルースターズ一夜限りのライヴ


 大江慎也、花田裕之、井上富雄、池畑潤二。かつて“雄鶏”と呼ばれた4人の男たちがホームグラウンドである九州は福岡でまさかの復活ライヴを行なうことになった。再現できなかったはずの4片のジグゾウ・パズルが今一度組み合わさり、日本のロック史に今なお燦然と輝く珠玉の名曲が甦る奇跡の一夜だ。11月某日、会場である福岡サンパレスホールに併設したホテルの一室で我々は大江慎也を直撃。長年の親友であり、一連のルースターズ・プロジェクトに深く携わってきたスマイリー原島だからこそ引き出し得た不世出の楽聖の肉声、とくとご堪能あれ。(構成:椎名宗之)


高校生の頃からあった妄想癖

原島:“BREAK LOOSE 2009”まであとひと月ですが、調子の程は如何ですか。

大江:練習は地元の仲間と3人でやってますよ。ただ、歳のせいなのかもしれないけど、若年性認知症なのかなと思ってさ(笑)。歌詞は完全に覚えてるし、曲や構成もほとんど覚えてる。でも、東京で4人でやるのとこっちで3人でやるのとは全然違うから、これから東京でやるリハーサルがどうなるかちょっと気にはなってますね。それと、今まではフジロックにしても8月のリキッドルームにしてもオール・スタンディングでやってきたけど、今回は文芸座ル・ピリエみたいに椅子がズラッと並んだホールじゃないですか。

原島:会場である福岡サンパレスホールは3階席までありますからね。8月のリキッドルームはオール・スタンディングだったからプレッシャーもそれほどなかったんですか。

大江:いや、あったよ。去年の10月に池畑のイヴェント(池畑潤二50thアニバーサリー“BIG BEAT CARNIVAL”)に呼ばれて出て、ステージに立つのは1年弱振りだったし。

原島:体調も良さそうだし、現時点ではリハも順調な感じなのでは?

大江:まぁ、徐々にね。皆さんの助けがあって何とかやってます。パーマネント・バンドと呼んでいる仲間と練習して声も出せるようになったし。リハで一度声が潰れちゃったんだけど、そこから何とか声が出るようになるまで絞らないとダメなんですよ。俺は今までのライヴでも途中で絶対に声が潰れちゃうから、そういう声の出し方をしなくちゃダメなことが判った。そうやって声のコンディションは自分なりに整えてるけど、俺ももう歳だから後はもうPAに任せるしかない。声にブースを掛けるわけには行かないからね(笑)。

原島:でも、喋ってる声のトーンを聞いてるだけでも調子が上がってる気がしますよ。

大江:いや、そんなことないよ。パーマネント・バンドとのリハはだいたい週1でやってて、あとは自分の部屋でアンプを通さずにギターを生音で弾きながら立って練習してるんだけど、ひとりでやってるともの凄く疲れるんだよ。音は出ないし、人はいないしさ。

原島:モチベーションも上がらないだろうし(笑)。

大江:パーマネント・バンドとはもう4回くらい練習したけど、医者からは「一気には無理ですよ」って言われてるんですよ。だから言われた通りにして余り無理をせず、睡眠を多く取るようにしてますね。ただ、眠ってる間は気持ち悪い映画を見てるようなヘンな夢を最近よく見るんです。ノアの箱船みたいなものに乗って誰かを斬り倒していったり、何故かミック・ジャガーとかが出てきたりして、まるで意味不明でさ。半分入ってるからね、若年性認知症が(笑)。

原島:慎ちゃんは若い頃からいろんなものを見るタイプだったけど、一番最初に妄想に走った瞬間はいつ頃なの?

大江:まだアマチュアだった高校生くらいの頃からあったね。友達と街中を歩いてる時でも考え事をしてるから、いきなりガンッ!と看板に頭をぶつけたりするわけ。違うものが見えてるから看板なんて見えないんだよ。そういうのは昔からあった。

原島:世の高校生ならその辺を歩いてるお姉ちゃんとかに注意が散漫になるものだけど、慎ちゃんの場合は頭の中で抱いてる妄想のほうが強烈だったわけだよね。

大江:まぁ、頭を打った痛みも強烈だったけどね(笑)。

4人が揃うと役割分担が明確になる

原島:遂に今月末、大江慎也、花田裕之、井上富雄、池畑潤二という4人で“ザ・ルースターズ”を名乗るライヴが行なわれますが、やっぱりあの4人というのは不思議なものがあるんですかね。

大江:4人が揃ったら普通のバンドじゃないみたいな気がしますね。何かがあるんだね。それが何なのか、未だによく判らない。

原島:正確に言えば、あの4人きっかりで活動していたのは'79年の11月から'82年の10月くらいまででしょう? そんなに長い期間じゃないですよね。

大江:前にウメズ(井上)が言ってたように、あの4人でやると自分の立場がはっきりしてくるんですよ。自分が何をすべきか、役割分担が明確になると言うか。そこで俺の役割は何だろうと考えたら、勝手なことを言うことなのかなと思って(笑)。

原島:5年前にルースターズのパーフェクト・ボックスを作りましたけど、タイトルをどうしようって話になった時も、それは絶対に慎ちゃんが考えるだろうってみんな暗黙のうちに思ってましたからね。だからやっぱり、ポジショニングは明確なんでしょうね。

大江:役割なんて面白味がない気もするけど、それがあるから一応ちゃんとしたバンドとしての仕事になってるんでしょうね。

原島:ルースターズの4人というのは、元をただせば大江慎也がヘッドハンティングをしたようなものじゃないですか。北九州市という狭いエリアの中でよくぞあれだけの顔触れが集っていたなと思いますね。みんな近所の友達だったわけですから。

大江:近所の仲間同士で音楽をやれる環境にあったのは幸運でしたよね。あと、自分が引っ込んでても、みんなが今も第一線で活躍してるのは嬉しいことですよ。勝手な話ですけどね。

原島:ウメズは最初、ベースじゃなくてギターを弾いてたじゃないですか。それは結構なムチャ振りですよね(笑)。

大江:まぁ、ムチャはこのバンドにはつきものなんですけど(笑)。当時4万円くらいのトーカイのベースを買って、それを「はい」って渡したんですよ。今もホントに巧いベーシストですよね。

原島:今やスキマスイッチから福山雅治、佐野元春に至るまで引っ張りだこの男にベースを弾くきっかけを与えたのは、大江慎也が与えたトーカイの4万円のベースだったという(笑)。

大江:当時の自分には妙な自信が凄くあったんですよ。俺が選ぶ以上は大丈夫、っていうね。

原島:30年の月日を経て、その慧眼は間違っていなかったことが証明されているじゃないですか。

大江:ウメズの場合は、彼ならベースでもやれるだろうと直感的に判ってたんです。

原島:ウメズは最後のヘッドハンティングでしたよね。

大江:花田は早かったね。先に話してたから。池畑と花田、どっちを先に声を掛けたか記憶が定かじゃないけど、池畑とは中学校が一緒だったんですよ。俺が中学2年の時に転入した若松の中学校に池畑がいたんです。全然関係ないけど、卒業文集に同級生が「1年生の終わりに大江というエラくキザなヤツが入ってきた」って書いてたね(笑)。全然キザじゃないのに。

原島:でも、その前は熊本のマリスト学園っていうカトリックの学校だったでしょう? その品行方正な感じがキザに映ったんじゃないですかね。

大江:そうなのかな。当時はみんな安いギターしか持ってなかったのに、池畑はフェンダーとかを持ってたんですよ。

原島:何でしょうね、力でブン取ってきたんでしょうか(笑)。

大江:それだけ音楽にのめり込んでたんじゃないですか? 単純に、子供心に俺よりも高いギターや弦を持ってるのが印象強かったですね。



音楽は子供の目と大人の知恵だ

原島:花田は誘った時に別のバンドにいたんでしたっけ?

大江:いや、花田とは前身バンドの人間クラブから一緒。ルースターズっていうバンド名も、花田に電話して「“ルースターズ”ってどう?」って訊いたら「コースターズみたいで格好いいんやない?」っていうことで決まったんですよ。

原島:コースターズはドゥ・ワップのグループですけど(笑)。確かにあの頃はみんな50年代のR&Bやドゥ・ワップをこぞって聴いてましたよね。

大江:俺もR&Bやブルースのアナログ盤を結構集めてましたからね。他のジャンルに比べて、ブルースのアルバムって安かったんですよ。

原島:ジャケットの端を切り取ったカット盤とか、廉価盤が当時はたくさんありましたよね。ところで、'79年に4人が揃って北九州でやった一番最初のライヴのことは覚えていますか。

大江:俺は確か、黒くて凄い安いギターを持ってましたね。

原島:やっぱりフェンダーのリードIIですか?

大江:いや、リードIIの前なんですよ。友達から3,000円か4,000円で買ったやつで。そのギターで『バンブル・ビー・ツイスト』を弾いたことくらいしか記憶にないですね。ただ、北九州の田舎のスタジオでリハーサルをしていて、どこで聞いたか知らないけど近所でバンドをやってる連中がいっぱい見に来たんですよ。ヘンでしょう?

原島:その時点で、北九州の地元では大変なバンドが出来たぞと話題になっていたってことですよね。

大江:…と、俺は思ってたけどね。周りはどう思ってたかは判らないけど。

原島:いや、多分そう思ってたんでしょう。'79年の終わり頃が初ライヴで、翌年の11月にはもう『ロージー/恋をしようよ』でレコード・デビューするという展開の早さにも驚きますね。

大江:最初、『ロージー』はレゲエ調の曲だったんですよ。それがいざリリースすることになって、レコーディングする時に「スカ調でやらないか?」という話になったんです。その何年か後に『ロージー』のダブ・ヴァージョンがリリースされるんだけど(12インチ・シングル『ニュールンベルグでささやいて』に収録)、それはアマチュアの時にやってた『ロージー』とは違うんです。

原島:もっとオーセンティックなレゲエ・ヴァージョンだったわけだ。

大江:うん。チャカッ、チャカッ…っていう感じ。

原島:それが'78年とか'79年の話でしょう? その時代にレゲエをアレンジに採り入れる発想はまだ一般的にはなかったんじゃないですか。

大江:なかったですね。どこから着想を得たのか忘れたけど、あの歌詞にはレゲエだと思ったんですよ。DマイナーとGの繰り返しで、Eに行ってシックスが入って…これはレゲエでやるのがいいなと。

原島:そんな曲がデビュー前からすでにあったのが凄いよね。

大江:よく練習してたからね。基本は週1で、多い時で週2。ともかく練習だけはいっぱいしてた。プロになってからは練習しなくなったけどさ(笑)。今は休み休み練習してるけど、当時はぶっ通しだったから。体力があったんだろうな。

原島:デビューして加速度を増して世に出て行った時、自分のバンドに対して凄く自信があったと話してましたけど。

大江:その時はデビューできて嬉しいという、単純な子供の喜びみたいなものですよ。…そうだ、これを言おうと思ってたんだ。原島さんが前に何かのインタビューで「音楽は子供の目と大人の知恵だ」と話しているのを読んで、全くその通りだと思ったんですよ。それを自分の言葉みたいにあっちこっちで使わせて頂いてます(笑)。

原島:どうぞどうぞ(笑)。慎ちゃんを見てると余計にそう思うんですよ。もの作りの時は常にピュアな子供の目で向き合って、音楽を生業としてやっていく上で大人の知恵が不可欠と言うか。

大江:でも、最近は曲作りをしていても大人の狡さを自分で感じてイヤだなと思うこともあるんですよ。そういういやらしい部分が夜の焼酎を呼んでるんじゃないか? っていう(笑)。

改めて感じるシンプリファイの大切さ

原島:ただ、曲を作り出したら大人の狡さを考えるなんて余りないでしょう?

大江:うん、考えないですね。いろいろとデコレーションを重ねて作る人もいるんだろうけど、俺は素のままでスーッと行くんですよ。デコレーションしたものがいいと思ってた時期もあったけどね。時代性っていうのは自分たちと交差しているからこそ時代性なんであって、他人や環境から受ける影響を侮ってはいけないんですよ。ただ悲しいかな、人間って大人になるとそれを選べないんだよね。それでもまだ選びたいという子供の気持ちが俺にはあるんだけど。

原島:世の中に余りコミットしすぎると、他人やら環境やらの影響を知らないうちに受けてしまうことがあるよね。

大江:そう、他の選択肢が選べなくなる。

原島:だから、なるだけ影響を受けないようにするのもひとつの手だよね。

大江:手なんですけど、そうすると預金残高がだいぶ減っていくんですよ(笑)。

原島:4人で最後に小倉でやったライヴのテープがあったんですよ。それを聴くと、『GO FUCK』や『SAD SONG』の原型みたいな曲をすでにやってるんですよね。あと、『C.M.C.』も。その時の『C.M.C.』のタイトルが凄くて、『夏休み』ですからね(笑)。

大江:『夏休み』っていいね(笑)。

原島:ピュアにも程がありますよね(笑)。曲は『C.M.C.』なんだけど、MCで「次の曲は『夏休み』!」って演奏が始まるという(笑)。まぁ確かに、“Summer Day, Summer Beach, Summer Sun”という歌詞ですからね。

大江:東京のスタジオで『C.M.C.』のリハーサルをした時は『サマー・サマー・サマー』というタイトルで、当時のプロデューサーから「もうちょっと凝ったタイトルにしてくれない?」って言われたんですよ。それで考えて、“巡航ミサイル爆撃機”を意味する“Cruising Missile Carrier”の略にしたわけです。

原島:それこそまさにデコレーションされていく話ですね。大元は『夏休み』なんだから(笑)。

大江:でも、『夏休み』ってタイトル、いいと思わない?

原島:思いますよ。慎ちゃんから影響を受けたアーティストが言ってたけど、「大江慎也の歌詞の中には自分たちが使っちゃいけないと思っていた言葉が閉じ込められている」と。『C.M.C.』に“海辺で遊ぶ磯ガニは慌てふためいて走り出す”という歌詞がありますが、“磯ガニ”ってロックとは程遠い言葉じゃないですか(笑)。

大江:なんで“磯ガニ”が浮かんだのかなぁ…? 下北沢の部屋で机に向かって歌詞を書いていた時に、頭の中で磯ガニが走り回ってたんだろうね(笑)。その上のほうでミサイルが飛び交って、ワインをかたむけていたのかもしれない(笑)。

原島:まさにそれ、自分たちがロックの歌詞に対して抱いていた概念が外れていった瞬間ですね。

大江:それを外しすぎると止まらなくなって、病気になっちゃうんですよ(笑)。最近はそういう歌詞は書いてないですね。ちょっと前までは新曲を作ってたんだけど、ライヴの話が入ると練習ばかりになっちゃうんです。作曲ができなくなって、ライヴのほうが気になるんですよ。

原島:ちなみに今、曲のストックは結構あるんですか。

大江:そんなにはないけど、だいぶ書いてますよ。ただ、“これは流行るだろうな”と思う感覚が世の中の流れよりも早いんだよね。今くらいの時期に出しておけば良かったなと思う曲が多くて。

原島:その流行りが世間に浸透した時にはもう自分の中で旬が過ぎていたりね。

大江:もともと飽きっぽい性格だと性格判断の本に書いてあって、それはないなと思うんだけどね。ただ、読んだ本にはすぐに影響されるから読む本も選ばないといけないと思って。『すべては「単純に!」でうまくいく』というシンプリファイ(単純化、合理化)を勧める本があって、読んで面白かったから、たまたまツアーで来てた花田に渡したことがあるんですよ。彼は飛行機の中で読んだらしくて、後で「シンプリファイって面白そうやね」ってメールが来たけど、最近はそのシンプリファイが大切なんだなと改めて思う。

原島:ブライアン・イーノも、レコーディングのチャンネル数なんてそんなにたくさん要らないと言ってましたよ。人間ができる選択なんてそんなにないし、闇雲にトラックを入れても最後は判らなくなると。だからまさに、シンプル・イズ・ベストなんだと思いますよ。



「また大江がやってら」と思ってくれたら

原島:ここ数年、ステージに立つ間隔が徐々に短くなってきて、さらに年末のライヴがあるわけじゃないですか。今回のルースターズのライヴをターニング・ポイントとして、この先にまた大江慎也に何かが起こって欲しいと思うんですけど。

大江:起こらないけど起きるかもしれないね。眠ってる夢では見てたんですよ、4人でライヴをやってる姿を。フジロックのだいぶ後だけど、それが一度現実になったんです。自分が本当にやりたいと考えてる夢は現実になることがあるんですよね。

原島:潜在的な願望があったんだね。今回のライヴは結成30周年を記念したものだし、ルースターズの始まりと終わりが福岡で結びつくのが面白いなと思って。

大江:そこまで期待していいのかな? と言っておきたいけどね(笑)。

原島:“期待”じゃなくて“確認”じゃないですか? 見る側はいろんな思いを抱いてライヴに来るだろうけど、昔のままでいて欲しいなんて、そんなことはあり得ないことですからね。見る人だって30年歳を取っているわけだから。

大江:うん、全くそう思います。

原島:今の4人が醸し出すものがどんなふうに変わっているのか、それもまた見所だと思うんですよ。

大江:即興演奏であるとかね。そういうのを含ませながら今自分が考えてることを出すしかない。

原島:普段は出ないけど、ステージに上がった時だけに開く瞬間的な引き出しが多々あるじゃないですか。それが俺は楽しみなんですよ。今回は特にワンマンでもあるし。

大江:3年前に出したソロ・アルバムの中に1曲だけ雰囲気の違う曲を入れたんだけど、その1曲のことばかりが後でエラく気になってくるんですよ。良きにせよ悪しきにせよ。今度はそういう曲ばかりを集めたアルバムを出すのも面白いなと思ったりもするけど、聴く人の中にはそういう状態を求めてる人もいる。ステージに立つと支離滅裂なことを言っても許されるところがあるじゃないですか。それが普段の生活に反映されると混乱を来すんです。どうすればステージ上の自分と普段の自分を分ければいいか判らないんですよね。

原島:俺は今の慎ちゃんとステージ上の慎ちゃんに大きな落差があるとは思えないけどね。

大江:ただ、これがまた緊張すると思うんだ。俺はいつももの凄く緊張するから。ライヴをずっと続けていた時はそんなことも気にせずにやってたと思うけど、やっぱり歳を取ると要らんもんが入ってくるやない?

原島:考えすぎてしまうこととかね。でも、福岡でのライヴならやりやすいんじゃない?

大江:ある意味やりやすいですね。それで緊張の糸が途切れるのも困るけど。俺としては、見る人が癒されたり、元気づけられたり、解放されたり、そういうライヴができればいいなと思って“BREAK LOOSE 2009”というタイトルを付けたんですよ。

原島:“BREAK LOOSE”という言葉はどこから来たものなんですか。

大江:まだ発表していない曲のタイトルです。ライヴの練習があるから今は全然手をつけてない曲なんですけど。

原島:どういう意味なんですか。

大江:“解き放たれる”という意味ですね。“ブレイク・ルーズ”って呼ばれることが多いけど、“ブレイク・ルース”が正しいんですよ。年末ということもあるし、解放されすぎてムチャクチャになるのも困るんだけど(笑)。

原島:座りの席でダイヴが巻き起こったりね(笑)。でも、ルースターズにとっても30年間分の“解放”ですよね。

大江:もともと音楽にはそういうところがないとね。まぁ、年の瀬に何でこんなもんを見に行かなきゃいけないんだ!? っていう人もいるかもしれないけど(笑)、俺自身も解き放たれればいいなと思うね。俺にはこの先の30年もあるしさ。まぁ、今度のライヴは「また大江がやってら」みたいな感じで見てくれたら、それが一番嬉しいんだけどね(笑)。


after talk jam...
message to SHIN-CHAN

 相変わらずのインテリジェンスはさすがですな〜。12月29日は様々な思いが解き放たれるのでは? 楽しみです!(スマイリー原島)


Live info.

THE 30th ANNIVERSARY
『BREAK LOOSE 2009』
“ONE NIGHT THE ROOSTERS”

2009年12月29日(火)福岡サンパレス ホテル&ホール
ACT:THE ROOSTERS(大江慎也/花田裕之/井上富雄/池畑潤二)
OPEN 18:30 / START 19:00
ADV ¥5,250 / DOOR ¥6,300 全席指定(約2,200席)
INFO. MUSIC COMPLEX 2009事務局(福岡サンパレス内)092-272-1128

posted by Rooftop at 12:00 | レギュラーコラム