マイノリティとして体制に噛みついてきた不撓不屈の表現者が語る“LIVE”と“LIFE”
10月某日、僕は都内のリハーサル・スタジオにいた。60畳の広さを誇る機能性に富んだスタジオの中で、吉川晃司と鉄壁のバンド・メンバーが『KIKKAWA KOJI LIVE 2009-2010 25th Anniversary LIVE GOLDEN YEARS TOUR』に向けて大きな見せ場のひとつであるメドレーのアレンジを固めている。吉川はタオルを頭に巻き、Tシャツにスウェット・パンツというラフな出で立ち。逆さに向けた椅子に座りながら爪を切ったり、鋭い眼光を放ちながら一面ガラス張りの壁に向かってシャドー・ボクシングを決めている姿は臨戦態勢のアスリートのようにも見える。通しの演奏が始まるや、特注のマイク・スタンドを握り締めながら本番さながらの熱唱。バンドの有機的なアンサンブルも本番と見紛うものだ。吉川は時折、腕まくりをしながら譜面台の紙に何かを熱心に書き込んでいる。演奏が終わり、その書き留めが曲の繋がりやテンポの速さといった改善点なのを知る。「ちょっとイタズラをしたいんですけど…」「チョッパー・ベースをやりません?」と、湧き起こるアイディアを矢継ぎ早にメンバーへ伝える吉川。それに素早く対応するバンドのスキルに舌を巻く。そして、「その部分を固めておいて下さい」とメンバーに声を掛けた後、全身黒尽くめの雲つくような身体がジリジリとこちらへ歩み寄ってきた。胸の鼓動が速まる。「じゃあ、始めましょうか」。四半世紀もの間、反体制を貫き疾走し続けてきた出色の表現者と対峙する時だ。かくして、舌戦のゴングは今高らかに打ち鳴らされた。(interview:椎名宗之)
ヴェテラン勢の中に若い血を入れる意図
──リハーサルは今日で何日目なんですか。
KK:メンバーは3日目で、僕は昨日からです。セットリストの大枠を予めスタジオで作っておいて、今はメンバーに入ってもらった上で曲の繋ぎをちょこちょこ直してもらっている最中ですね。
──手応えは如何ですか。
KK:まだ何とも言えませんね。曲が多いもんで、どういう方向に持っていけばいいか悩むところでして。アニヴァーサリー・ツアーだからメドレーがあったほうがいいんじゃないかという意見が多かったので、歴史年表的なパートも入れてみようと思いつつ、それ以外のところをどこへ持っていけばいいのか? っていう。オーディエンスは元より、スタッフやメンバー間でも意見が全然違いますから。そうは言っても、今日、明日のうちには固めないと…っていう感じなんですけどね。
──最新作『Double-edged sword』のお披露目ツアーでありながらデビュー25周年を記念したツアーでもあるわけで、万人を満足させるセットリスト作りはかなり難しいでしょうね。
KK:しんどいですね。ニュー・アルバムからやらない人たちも結構多いって言うけど、そういうことじゃないなとも思うし。
──アッパーな曲ばかりではなく、最新作で言えば『Velvet』みたいにメロウな曲もライヴで聴きたいと個人的には思うんですが。
KK:そういうコアな曲は一番ウケが悪いんですよ(笑)。『Velvet』は僕も大好きな世界ですけど、ニュー・アルバムの中で一番人気がないんじゃないかなぁ、きっと。まぁ、無理矢理やってますけどね(笑)。
──今回のツアー・メンバーは弥吉淳二さん(g)、菊地英昭さん(g)、小池ヒロミチさん(b)、ホッピー神山さん(key)、坂東慧さん(ds)というここ数年不動の布陣ですが、これはやはり吉川さんが全幅の信頼を置いているがゆえの起用なんですよね?
KK:このバンド・メンバーのノリや混ざり方が凄くいいんですよ。一度面子が固まると、割と長くやるほうなんですよね。
──吉川さんから見た各人の特性とはどんなところですか。
KK:まず、ホッピーさんは偏屈な天才ですよね。ご自分でも天才だと自負しているのに、世の中が余りそうは思っていないところにストレスを抱えていらっしゃる(笑)。ただ、彼は8ビートのロックものに対するアプローチが凄く上手なんですよね。音量や音圧で歪んだギターと正面からぶつかるような無駄なことはしないと言うか、その間を綺麗に縫いながら、ちゃんと立つ音を理解していらっしゃる。たとえば、自分の耳元で気持ちいい音を表に出すと大概はアウトなんです。むしろ、ペシャペシャな音のほうがギターの間を縫いつつ抜けたものになる。それをよく理解されているし、ホッピーさんは素晴らしいですよ。まぁ、面倒くさがりなところが玉に瑕ですけど(笑)。
──弥吉さんとエマさんのツイン・ギターも強力ですね。『TARZAN』のツアーで披露された『MODERN VISION 2007』は、吉川さんもギターを抱えて“三役揃い踏み”のトリプル・ギターがとにかく圧巻でしたけれど。
KK:3人ともレスポールが結構好きなんでね。でも、エマちゃんは最近また見たことのないギターをいっぱい持ってくるんですよ。“まだ持ってんの!? それ、前回は見てないよね?”みたいなね。
──エマさんがバンドに加わると、マイケル・シェンカー血中濃度がグッと上がりますよね(笑)。
KK:マイケル・シェンカー、好きですねぇ。『Mr.Body & Soul』は『Rock Bottom』(UFO時代の代表曲)みたいなリフですから。『Rock Bottom』的なフレーズを弾きたいというのは、僕の中で一生のテーマなんですよね。あれよりも凄いリフが僕の中にはないんです。あと、『White Lines (Don't Do It)』(ヒップホップの元祖、グランドマスター・フラッシュの名曲)のリフね。あの曲はデュラン・デュランもカヴァーしていたけど、ギター・リフはもともとなかったものですよね。あれも凄いなと思って。話を元に戻すと、厳密に言えば弥吉君とエマちゃんはタイプが違うんですよ。弥吉君は縦ノリのロック系で、エマちゃんはハード・ロック系だからちょっと後ノリなんです。でも、それはそれで混ざり具合が不思議と悪くないんですよね。
──小池さんとはCOMPLEX時代以来の付き合いだし、阿吽の呼吸なのがリハを拝見しても窺えました。コーラスもバッチリで。
KK:小池さんは歌心がありますからね。そういった意味ではフロントのギター2人の歌が心配ですけど(笑)、エマちゃんはこの間ソロでも充分唄ってましたから、もう「唄えない」とは言えないんですよ。結構ちゃんと唄えることを証明しちゃったので、今回のツアーからは積極的にコーラスに参加して頂こうという状況になっております(笑)。
──そして坂東さんは、弱冠26歳ながら恐ろしくピッチが正確でタイトなドラムを叩く俊才ですね。
KK:うん。でも、あいつは最近、褒めるとすぐいい気になるんでね(笑)。T-SQUAREの時と違って、ロックをやる時は意識してちょっと荒く叩いてると思うんですよ。こちらも最初にそういうふうに伝えたんですけど、今はもうちょっと以前のプレイに戻ったほうがいいなという気はしてますね。彼が22歳くらいの時にT-SQUAREで叩いてるのを見て、このドラムは凄いなと思ったんです。歳を聞いて更にびっくりして。当時の彼はロックをやったことがなかったから、バカテクだけれどもグルーヴみたいなものはなかったんですよ。でも、若いから成長が早いんですよね。だから、あいつはいい気にならなければ天才になりますよ(笑)。
──23歳もの年齢差があるホッピーさんと坂東さんが同じバンドに参加しているミクスチャー感覚も凄いですよね。
KK:そうなんです。おじさんたちは超ヴェテランだから、腕はあってもモチベーションが下がりやすいんですよ(笑)。人間、誰しもそうじゃないですか。年を追うごとに情熱が稀薄になってくると言うか。そういう状況に若いのがひとり入ってくるだけで凄く締まるんですよね。ヴェテラン勢も“こいつには負けてらんねぇぞ”と奮起するわけだから。その化学変化を狙う部分もありますね。自分自身も活性化できるし、若い人間は常に入れておきたいんです。
枝葉末節、すべては音符の肥やし
──今年デビュー25周年を迎えて、改めて感じるのはどんなことですか。
KK:やろうと思っていたことが全然間に合ってないですね。その意味ではむかつく25周年ですよ、自分にとってみれば(笑)。“おかしいな、もっと前に進んでいたはずだろ?”みたいなね。この世の中、理想と現実は違うってところで、邪魔が結構入るんですよ。人生が障害物競走だとしたら、アンパンを1回食えば次に行けるかと思いきや、3回くらい食わないとダメだったりとか。飴を探してみても、実はないところがあったりとかね。そうやって面倒なことに遠回りさせられる。でも、その遠回りっていうのが実は近道なのかもしれないと思って。
──“Walk, don't run”、“急がば回れ”という言葉もありますからね。
KK:うん。だから、どういう遠回りをしてきたかが一番重要な部分なのかもしれない。ただ、そうは言っても50周年までは唄わなきゃしょうがねぇなと思ってるんですよね。だって、ミック・ジャガーはもうすぐ50周年でしょう? 還暦を超えてもまだちゃんと唄えることを先人に証明されると、こっちだってやらざるを得ないし、唄い抜きたいんですよ。今が25周年だと考えると、もっと早く上へ行きたいというジレンマもあるし、そうは言っても体力は落ちるわ、ケガしたら治らねぇわ…かなりのマイナス要素が出てくるわけで、それをどうやって延命し、落ちるスピードを緩やかにするかってことを今一番考えていますね。
──とは言え、20周年を迎えた後のこの5年間だけを見ても他の表現者には決して真似のできない進化と深化を遂げたと思うし、それ相応の手応えは感じていらっしゃるのでは?
KK:まぁ、それなりに前へ進んだんじゃないかとは思ってますけどね。20周年の時もそうだったんですけど、“アニヴァーサリー”という言葉がいろいろとカヴァーしてくれるし、助けてくれるんですよ。普段やらないようなことをバンバンやってとっちらかって、「何でそんなことやるの?」と言われても「“アニヴァーサリー”だから」と答えれば済みますから。だから、今年はいろんなことに挑戦してみたわけです。ただ、それもすべては音符の肥やしなんですよ。たとえば、台詞の勉強ばかりしている役者がいい役者になるかと言えば、全く違うと思うんです。それよりも、その役者がこれまでの人生の中で何を経験してきたのかが重要なわけで。それと同じで、音楽とは違うことをやってる時が自分にとっては刺激になるんですよ。まぁ、いろいろと誤解も招くだろうけど、それも大いに結構ですね。もともと誤解されっぱなしみたいなところがあるし、言いたいヤツには言わせておけばいいと思ってるんです。そんな風評なんてどうでもいいという域に達してますからね。
──『Double-edged sword』を見ても、ネイチャリング番組でペルーを旅した経験が『El Dorado』のモチーフになっていたり、ミュージカル『SEMPO』での経験が『Humpty Dumpty』のオペラ的なメロディに活かされていたりと、音楽以外の活動が着実に音楽へと反映されているのが判ります。
KK:そう、『Humpty Dumpty』はベルカントという歌唱法でしたね。オペラ的な唄い方をすることによって声が太くなったし、ミュージカルをやっていた間はキーがどんどん上がったんですよ。ただ、あの歌唱法ばかりを続けていると、リズミックな唄い方ができなくなってしまうんです。そこを自分でどれだけ制御できるかがポイントでしたね。
──大河ドラマ『天地人』で馬術を巧みに交えながら織田信長を演じたり、『金スマSP』の企画で南フィリピンの無人島で10日間生活したことも吉川さんにとって音符の肥やしなんでしょうね。
KK:そうですね。信長に関しては、馬との出会いが凄く良かったです。言葉が喋れないぶんだけ、その馬が今どういう感情でいるのかを想像しながら乗らないとダメなんですよ。乗せて頂いているわけだから、こっちがコントロールしようと思ってできるものじゃないんですよね。そういう経験は音符の肥やし以前にひとりのオスの生き物として感じ入るところがあって、その土台が成長すれば音楽にもいい影響があるだろうなと思ったんですね。無人島も同じですよ。大人になると、自分が知らない自分を知る機会が減るじゃないですか。“エッ、俺ってこういうリアクションするの!?”みたいな驚きがだんだんなくなるし、それが老けるってことだと思う。そうやって石化魔法に掛かったみたいに感性が硬直しないようにするために、自分が知らない自分を知る環境をたくさん作ろうと思って。それで、無人島なんて行ったことも見たこともないし、自分が一体どうなるんだろう? と思ってトライしてみた。まぁ、結果的には何ともなりませんでしたけどね、余りに手強すぎて。
南フィリピンの孤島での過酷な生活
──人喰いザメや肉食オオトカゲ、猛毒の大蛇が生息する孤島ですからね。
KK:ああいうデカい生き物のほうが恐怖感を煽るからテレビ的には面白いんだろうけど、ホントに怖かったのは雨と虫なんですよ。身の毛がよだつほどアリがいて、そいつに1匹でも刺されると尋常じゃなく腫れ上がるんです。あと、サソリにムカデね。そいつらが夜中にゴソゴソッと入るほうがよっぽど怖い。それに加えて、イヤになるほど夜はずーっと雨なんですよ。雨漏りが酷くてびしゃびしゃになるし、あれは狂いそうになりました。真夜中に「アーッ!」と何度も叫んでみたりね。でも、そんなリアクションをする自分が発見できて面白かった。
──四六時中カメラが回り続けているのも辛いでしょうね。
KK:日の出から日の入りまで延々回しっぱなしですからね。あと、誰も信用しないんだけど、腹が一切減らなかったんです。空腹よりも恐怖や緊張が先に来たし、実際に人間は何も食わなくても1ヶ月くらいは生きていられるらしいんですよ。でも、水を飲まなきゃ1週間も保たずに数日で死ぬと。だから僕も食よりもまず水を求めたんだけど、汗が出すぎて電解質が失われて、手が冬山で凍えているみたいになってしまった。体内の水分がなくなりすぎると血の巡りが悪くなって、身体が動かなくなるんです。その上、夜は夜で生き物がゴソゴソして、絶えずアンテナを張っている状態だから3日間全く眠れなくて。それでも腹は減ってくれないんだけど、別に何ともないわけですよ。もちろん、身体は辛かったですけどね。で、4日目に木の葉っぱで壁を作ったら、やっと安眠できたんですね。今回、日本の冒険家のトップにいらっしゃる方にも参加してもらったんですけど、その方によると、マタギの人たちも猟で野宿する時に葉っぱで壁を1枚だけ作るそうなんです。その壁を背にすると眠れるみたいで。「吉川さん、いいところに気がつきましたね」って5日目に言われたんですけど、最初に言ってくれよって(笑)。だから、いろいろと勉強になりましたよ。この無人島生活で得たものが何なのか、具体的にはまだ判らないけれど、それは今後理解できるんじゃないですかね。
──無人島のようなリスキーな場所に身を置いたり、危うい物事に惹かれてそれに賭ける資質は拭えないものなんでしょうね。
KK:そうでしょうね。動物の気配みたいなものは都会にいると気がつかないけど、無人島にいるとよく判るんですよ。“何かが来た”と思って様子を窺っていると姿を現したり。あと、海ぶどうがブワーッと生えてる浅瀬を見つけたんですよ。ただ、波が荒かったし、他の用事があったから翌日に獲って食糧にしようと思ったんです。それが翌日行ってみたら、大量の海ぶどうが一夜にして影も形もなくなっていた。僕に食わせないためにスタッフがわざと買い占めたのか? とも思ったんだけど(笑)、どうやら違うと。それで冒険家の方に訊いたら、嵐が来て波が荒くなった海ぶどうは自分で根っこごと離して別の場所へ移動するそうなんです。子孫を少しでも遠くへ運ぶために、実だけじゃなく身体ごと全部移動するらしくて。その話を聞いた時はちょっと鳥肌が立ちましたね。ただの海藻だと思っていたのに、身の危険を感知する機能がどこにあるんだろう? と思って。すべてがこの都会じゃ全く関係のないことだけど、毎日が凄く刺激的でしたね。
──とは言え、帰国して乗馬をしたら、筋肉が落ちて馬に身体を引っ張られたそうですが…。
KK:5キロは落ちましたからね。今はまた戻りましたけど。帰国して寿司を食った途端にすぐ下痢になったりもしたし(笑)。
──それと、来月公開となる『仮面ライダー×仮面ライダーW&ディケイド MOVIE大戦2010』で“仮面ライダースカル”役を演じたこともここ最近の大きなトピックのひとつですよね。以前、『ONE WORLD』が『仮面ライダーカブト』の劇場版主題歌に起用されたことはありましたけど、まさか吉川さんご自身が“変身”されるとは思いませんでした(笑)。
KK:だって、40過ぎて「“変身”しませんか?」って言われたらするでしょう?(笑) しかも、レイモンド・チャンドラーが生み出した私立探偵、フィリップ・マーロウが“変身”するようなストーリーにしたいと聞けば尚更ですよ。監督は僕と同い年で、スタッフもほぼ同じ世代なんですけど、ハードボイルドな世界観を今の若い子たちに伝えたいという話を聞いて、それは面白いなと思ったんですよね。
──マーロウ的なダンディズムって、沢田研二さんの『カサブランカ・ダンディ』や松田優作さんの『探偵物語』に通ずるものがありますよね。
KK:そうなんですよ。実際、優作さんが『探偵物語』で使っていた事務所の机を今回僕が使わせてもらったんです。制作側がそういう世代なんでしょうね。
──昆虫ではなく骸骨を模した“スカル”というのも、アカレンジャーではなくアオレンジャーやミドレンジャーを好む吉川さんらしいひねた感がありますね。
KK:うん、そういうところも良かったんですよ。キカイダーよりもハカイダーを演じたいほうですから。話によると、石ノ森章太郎さんが仮面ライダーの原型として描いたのがスカルマンというキャラクターなんだそうです。だからこじつけかもしれないけど、ある種の原点回帰という側面もあるみたいなんですよね。撮影の最終日に急にアクションをやらされたりもしたけど、面白かったですよ。気分は千葉真一! みたいな感じで(笑)。
老いに対してムキになって刃向かう
──DVD14枚組という破格の映像作品『LIVE=LIFE』が完全初回生産限定で発売になりますが、ああいった過去のライヴ映像は吉川さんも改めてご覧になったんですか。
KK:いや、チェックはマネージャーに任せました。自分の昔の映像は余り見ないんですよ。へなちょこさ加減も判っちゃうから、余り見たくない(笑)。その逆を感じる時もありますけどね。“ああ、元気だなぁ…”って。今よりもジャンプが高かったりね。
──『FLYING PARACHUTE TOUR』から『DRASTIC MODERN TIME TOUR』くらいまではある種の蒼さと言うか、まだあどけなさが残っていますが、『ZERO』の頃になるともう吉川晃司のスタイルを確立した風格すら感じますね。
KK:そうかもしれないですね。ただ、『ZERO』の時でもまだ21だから、クソガキですよ。今にしてみれば何をエラそうに言ってんだ!? って感じですね(笑)。当時はとにかく、模索しながら藻掻いていた記憶が自分の中で凄く鮮明にありますけど。
──『LIVE=LIFE』とはまた言い得て妙なタイトルですよね。
KK:僕の場合、何が本番かと言えばやっぱりライヴなんですね。あとはすべてが待ち時間なんです。人生で何が一番面白いかって、ステージが最上級の場なんですよ。あそこは自分にとってリングみたいなもので、他はその途中経過に過ぎない。ステージ以上のものはないですね。女の子から「あなたの夢と私とどっちが大事なの?」って問い詰められても、「何バカなこと言ってんの? 自分の夢に決まってんだろ!」って素直に言っちゃいますから。そういうことを言うから未だに独り者なんでしょうね(笑)。
──『LIVE=LIFE』を一通り拝見して感じたのは、ここ数年の吉川さんのステージが過去のステージを凌駕する真に迫るものに益々なってきていることなんですよね。
KK:それは知恵もありますよ。あと、ローソクが消える直前に火が大きくなるって言うか。これで最後かもしれない、っていう(笑)。
──それは困りますよ(笑)。
KK:まぁ、それは冗談だけど、老いに対してムキになって刃向かっている部分はあると思いますね。何やかんや言ってヴォーカリストはブルーカラー、肉体労働者みたいなものなんですよ。それができずに頭でっかちになってもしょうがないと思って。だから、今後も運動量をどんどん増やしていくしかないでしょうね。ただ、同じ日本人で言えば矢沢永吉さんや沢田研二さんは60を超えてもまだ唄い続けているし、やらざるを得ないんです。彼らは偉大なる道標だけど、そろそろ道を空けてくれないかな? と思う時もありますね(笑)。
──25年間疾走し続けてきた吉川さんも、後進にとっては偉大なる道標なのでは?
KK:でも、今年は“RISING SUN”とかロック・フェスにも出てみたんだけど、楽屋口の出演者同士が妙に社交的で、ヘンに仲がいいのが不思議だったなぁ…。僕らが一番下っ端の頃に出たロック・フェスなんて怖かったですよ。実際にケンカしてる連中もいたし、ナイフの香りって言うか緊張感が凄くあったんだけど、今のロック・フェスはとにかく皆さん爽やかでいらっしゃる。あれは正直、違和感がありましたね。
──昔のロフトも対バン同士は楽屋で一切口を利かず、同じステージに立つ以上はライヴァルだというヒリヒリした緊張感がありましたけど、今の若いバンドには和気藹々とした雰囲気がありますね。あれも没個性を強要するゆとり教育の弊害なんでしょうか。
KK:判らないですね。若い連中に聞くと、ツッパッたヤツや尖ったヤツはロックじゃなくヒップホップへ行くらしいですね。ロックをやってるヤツはマジメなヤツが多いと。マジメなのはいいんだけど、勤勉な感じが出るのはやめたほうがいいと思うね。どうしてそんなふうになっちゃったんですかね? 「ロックって難しい音楽だから」って言うんですよ、若い連中は。昔のロックは僕らにとって一番簡単なものだったじゃないですか。3コードだけでも格好つけられるんだぜ! っていう。
──和やかな雰囲気でロックをやっている今の若い世代よりも、吉川さんのほうが心のナイフの研ぎ澄まされ方が鋭利なのは確かでしょうね。
KK:何かツルッとしてるんですよね。僕のナイフの刃はボロボロだけど、そのぶん殺傷能力は逆に上がっているのかもしれない。切られるほうは痛いでしょうね。こじんまりとした感じっていうのがどうも頂けないので、このボロボロのナイフのままでいいかなと思ってますけど。
──シングルにもなった『傷だらけのダイヤモンド』は傷の深さと角度によって未曾有の輝きを放つんだという歌でしたよね。そして、“こんな時代だからこそ格好つけて行こうぜ”という武骨なメッセージがそこには込められていました。
KK:自分がバカだと思われたいところがどこかにあるんですよ。風車を巨人と思い込んで突進するドン・キホーテみたいに思われると格好いいって言うか。
──それこそ、素手で百獣を従えるターザンもちょっと滑稽な部分がありますよね。
KK:そうですよ。『TARZAN』なんてバカなタイトルを付けるヤツも他にいないでしょう?(笑)
──この四半世紀、音楽を発信する表現者とそれを伝えるメディア、音楽を享受するリスナーやオーディエンスを取り巻く環境が激変しましたが、ドン・キホーテやターザンっぽい要素は吉川さんの中に一貫してあると思うんですよ。
KK:背景が凄いスピードで変化した四半世紀でしたね。その中で僕がずっと心懸けているのは、100年前に生まれても100年後に生まれても、もちろん今でも、周りと同じことは一切しないで価値観が変わらない男でありたいということ。“勝手に背景が変われよ、俺には関係がないから”って言うか、己が美しいと感じるもの、正しいと信じるものをただひたすらに追求するのみ。それにあたっては時に妥協したり、頭を下げなきゃいけないこともきっとあるんですよ。その妥協の度合いがどこまでかっていうのがミソになってくるんでしょうね。あの劉備玄徳ですら、砂に頭を着けて命乞いをしてきたわけです。まだ先にある己の目標を手に掴むためには、時にはそれも致し方ないんですよね。
──でも、骨までは決して断たせない。
KK:そう。肉を切らして骨を断つ、ですよ。
小さい掃海艇でいいから自分で操縦したい
──“勝手に背景が変われよ”という信念があるからこそ、吉川さんはメイン・カルチャーとカウンター・カルチャーの境界線を自由に行き来できるとも言えませんか。
KK:自由って言うか、どっちにも入れてもらえなくなっただけですよ。もともとはメインのところにいたんだけど、中身のないハリボテみたいで面白くないなと思って。そこを出たら出たで、隣の芝が青く見えるっていうことがよく判った。確かに本物もいるけど、そうじゃない連中もいる。種類が違うだけで、メインと余り変わらないなと思って。
──そうやってどこにも属せない、いや、属さないからこそ吉川さんの存在は一層際立つんでしょうね。
KK:居場所なんてどこでもいいんですよ。若い頃は“どっかに入れてくれよ!”って確かに思ってたけど、今更どうでもいいって言うか。
──居場所がないなら自分で作ってしまえ、と?
KK:椅子は要らないですね。座らなくていい。自分にしかできないことをやっていけばいいんですよ。ロックって何かと言えば、やっぱり反体制なものなんです。体制になると腐敗を始める。常にマイノリティの立場として体制や権力に噛みついていられるかどうかがロックなんですよ。そうは言いつつも、大手のレコード会社と契約したら噛みついてねぇじゃん、って思う人もいるかもしれない。でも、契約はしてるけどちゃんと噛みついてるんですよ。そこが見る人によってはウソっぽく映るのかもしれないけど、契約はしてもそこに取り込まれなければ僕はロックだと思うんです。僕は僕なりに反体制の姿勢をこれからも守り抜いていくつもりだし、相手が何であろうが噛みつく時は容赦なく噛みつきますよ。
──その姿勢、たまにしんどくなったりしませんか。
KK:しんどいですよ。昔からしんどい。でも、真っ直ぐ行かずにここで曲がったほうがいいんだろうなと頭では思ってるのに真っ直ぐ行ってしまったり、この場では何も言わないほうがいいなと頭で思ってる時にはもう「バカ!」ってどっかのエラい人に対して言ってたりする(笑)。これはもうしょうがない。性分なんでしょうね。
──幼少時のどんな出来事が反体制の人格を形成したんでしょうか。
KK:大きいものに虐げられた経験が何度かあるんですよ。それが自分の中で絶対に従わない反骨精神となってきたんでしょうね。
──敵に抗う武器として最初に手にしたのが水球だったんですか。
KK:水球の世界でも、権力という振り落とされた鉈にびっくりしたんです。“大人だからってそんなことをしていいのか!?”っていう。いくら抵抗してもムリなんで、バカらしくなってやめました。まぁ、自分の限界を知ったこともあるんですけどね。自分の根幹を形成する時にそういうことの積み重ねがあったからこそ、朱に交わっても赤にだけはならない性分になったんでしょうね。
──朱に交わって赤になることに居心地の良さを感じる若いバンドが昨今は多いように個人的には感じますが。
KK:でも、うまく取り込まれたフリをして内側から壊していく連中も中にはいるでしょう。それが最も頭のいいやり方なのかもしれないし。
──それはまさに、デビュー当時の吉川さんの戦闘スタイルじゃないですか。
KK:ホントはもっといろんなものを内部から壊していきたかったんですよ。テレビというメディアに対してもね。ただ、渡辺プロダクションという巨大戦艦の砲台を1個もらうよりは、小さくてもいいから駆逐艦でいい、何なら掃海艇でもいいから自分で操縦させてくれないかと思ってましたね。砲台をもらったって球しか打てないんだから。「お前みたいなガキが荒波に出たらすぐに沈没するぞ」と忠告されても、「じゃあ、沈まないように潜水艦くれます? 小さくていいですから」なんて答えてた。昔からそういう志向性だったんですね。
──その志向性、パンクのDIY精神そのものですね。
KK:スピリッツの部分ではパンクですよ。竹槍で戦車をいつか薙ぎ倒してやろうと本気で思ってますから。倒せずに朽ち果てたとしても、それもドン・キホーテみたいでいいじゃないかと思うし。人がどう思おうと、それが生き甲斐なんでしょうね。
──表現者・吉川晃司は27年目にどこへ向かうのでしょうか。
KK:余りいい気にならないほうがいいなと思ってますね。有り難いことに映画やドラマのオファーをたくさん頂いているんですけど、それは別に実力を認めてもらったわけじゃなくて、ちょっと目新しかった程度のことですから。自分が凄く興味のあるものならそれに集中するのもいいけど、来年以降は基本的に音楽をビッチリやりたいですね。
──以前、遠藤ミチロウさんが「40代は気力・体力共に充実していて一番面白かった」と話していたことがあるんですが、吉川さんにもそうした実感はありますか。
KK:そうだと思います。体力の低下は知恵で補えるし、戦闘能力は40代が一番高いのかもしれない。自分の30代を振り返っても、“何であんなことが判らなかったんだろう?”と思うことがありますからね。まぁ、まだ50代になってないから断言はできませんけど。北方謙三さんは60になった時に死を意識したと仰ってましたね。死を意識すると、そこでもう一度モチベーションが上がると。
──“死ねない男”も死は常に意識していますか。
KK:周りにいろいろとあったから、意識せざるを得ないですね。でも、今ここで死んだとしたら、まだまだ無念で化けて出ると思うんですよ。こうして25年経っても、まだ何も成し遂げちゃいませんから。“吉川晃司って器用だよね”と思われているでしょうが、何でもそこそこできるヤツっていうのは格好悪いよね。ひとつの物事を貫くために枝葉末節やってはいるけど、“根幹はひとつだけなんだぜ”っていうのをどこかでちゃんと見せつけなくちゃいけない。その根幹が僕にとってはロックであり、ライヴであると。まさに“LIVE=LIFE”なんですよ。
KOJI KIKKAWA 25th ANNIVERSARY
LIVE FILM COLLECTION『LIVE=LIFE』
ユニバーサルミュージック UMBF-9501/14 34,800yen (tax in)
DVD 14枚組/ブックレット付/豪華スペシャルBOX仕様/シリアル・ナンバー入り/完全初回生産限定盤
2009.12.23 RELEASE
初DVD化作品(計10作品):『KIKKAWA KOJI '84 FLYING PARACHUTE TOUR』('84年8月発売)/『'85 吉川晃司 LIVE For Rockfeeling Kids in BUDOKAN』('85年3月発売)/『'85 JAPAN TOUR FINAL IN 東京昭和記念公園』('85年12月発売)/『DRASTIC MODERN TIME Tour Tokyo 8Days Live』('87年3月発売)/『ZERO〜KIKKAWA KOJI HI VISION WORLD '88』('88年9月発売)/『LUNATIC LUNACY TOUR 1991』('91年10月発売)/『SHYNESS OVERDRIVE 1992』('93年4月発売)/『CONCERT TOUR 1994 My Dear Cloudy Heart』('94年9月発売)/『LIVE GOLDEN YEARS EXPANDED 0015 GIGANTIC 2DAYS LIVE Vol.1+Vol.2』('98年6月発売)/『HOT ROD MAN LIVE』('00年4月発
売)
初商品化/初DVD化作品(計4作品):『仮設!吉川晃司 '86』('85年12月27日、大阪城ホール)/『'87 BIG ONE NIGHT』('87年8月9日、昭和記念公園)/『1991 LAST SPECIAL EVENT ROLLING VOICE』('91年12月、日本武道館)/『CONCERT TOUR '96〜'97 BEAT∞SPEED』('96年12月〜'97年1月、日本武道館)
Live info.
KIKKAWA KOJI LIVE 2009-2010
25th Anniversary
LIVE GOLDEN YEARS TOUR
TOUR MEMBERS:弥吉淳二(g)/菊地英昭(g)/小池ヒロミチ(b)/ホッピー神山(key)/坂東 慧(ds)
料金:全席指定 7,350yen (tax in)
10月29日(木)戸田市文化会館
11月6日(金)NHKホール
11月14日(土)大宮ソニックシティ・大ホール
11月20日(金)札幌市教育文化会館
11月29日(日)栃木県教育会館
12月6日(日)浦安市文化会館
12月12日(土)大阪厚生年金会館・大ホール
12月19日(土)広島アステールプラザ・大ホール
12月25日(金)新潟県民会館
12月26日(土)仙台サンプラザホール
1月10日(日)金沢市文化ホール
1月11日(月・祝)中京大学文化市民会館(旧 名古屋市民会館)
1月16日(土)福岡市民会館
2月6日(土)日本武道館
吉川晃司 OFFICIAL WEB SITE:K2 NET CAST
http://www.kikkawa.com/
吉川晃司 OFFICIAL MOBILE SITE:K2 MOBILE CAST
http://k2m.jp/