ギター バックナンバー

SMILEY HARASHIMA presents SMILEY'S TALK JAM session 3 あがた森魚('09年10月号)

あがた森魚

還暦を迎えた暴走シンガーの(やや)デラックスな生きザマとは!?


 『赤色エレジー』の大ヒットで知られるシンガー・ソングライター、あがた森魚さんが今回のゲスト。昨年鋭意断行された日本全国67ヶ所縦断ツアー『惑星漂流60周年!』の道中を記録したドキュメンタリー映画『あがた森魚ややデラックス』の公開を記念してのご登場です。還暦を過ぎてもなお血気盛ん、この映画の中でも思うに任せて熱く語り、はしゃぎ踊り、酔い潰れ、怒鳴り、自由奔放に旅の道中を往く姿はまるで暴走列車の如し。そんなハチャメチャにブッ飛んだ言動の一方で胸を焦がす旋律の歌々を唄うあがた森魚とは一体何者なのか。スマイリー原島が還暦少年の本質に迫ります。(構成:椎名宗之)


生きていること自体、演技なのかもしれない

原島:今日はよろしくお願い致します。ロフト席亭の平野悠がよろしくお伝え下さいとのことでした。

あがた:彼はドミニカに住んでいたことがあったよね。あれがひとつのターニング・ポイントとなって今日に至るという流れもあるみたいだね。

原島:あがたさんは新宿ロフト以前にも西荻窪、荻窪、下北沢のそれぞれのロフトにもご出演されていますね。

あがた:70年代の初期は今みたいに自由に音を出せる場所がたくさんあったわけじゃないから、自分たちの音楽をやれる場所を探していたんだよね。一番最初にオレと鈴木慶一とその他でライヴをやったのは西新宿にあった柏ホールで、音楽業界の人がリハーサルに使う所だった。あと、阿佐ヶ谷のアルスノーヴァというアングラ系のお芝居やミュージシャンが使うハコがあって、そこでもライヴをやったね。そういう所を転々としているうちにじわじわといろんなライヴハウスが出来てきて、いつの間にか新宿ロフトでもセミ・レギュラーでライヴをやるようになったんだよ。

原島:今回上映される『あがた森魚ややデラックス』なんですが、何でもあがたさんは完成まで作品をご覧にならなかったそうですね。

あがた:うん。見る見ない以前に、余り僕が口を出さない流れで事は進行したんだよね。自分の映画だから客観視できないところがいろいろとあるんだよ。客観的に見て出来のいいライヴのテイクとか、客観的に見て格好良く映っているシーンとかがもっとあるだろう? って言いたいくらいなんだけど(笑)、“人間・あがた森魚”を撮るのが狙いなんだろうし、そうである以上、オレは何も言えない。

原島:北海道の釧路から沖縄の石垣島まで全国67ヶ所をあがたさんがキャンピング・カーで横断するというドキュメンタリーなんですけど、各地でいろんなドラマが巻き起こるから、ノンフィクションのはずがドラマ性の高いフィクションのようにも見えるんですよね。

あがた:無意識の部分で演技をしているという見方もあるのかもしれない。生きていること自体がずっと演技なのかもしれないしね。

原島:「邪魔すんなよ! オレの旅だよ、これは!」とあがたさんが撮影スタッフに激昂するシーンがありますけど、普段からあんなに怒り続けているわけではないですよね?(笑)

あがた:そうだね(笑)。そういう所を絶妙にピックアップはしてるよね。それがいいのか、それでいいのか、いろんな言い方ができるけれども。

原島:あがた森魚というシンガー・ソングライターのイメージが変わる人もいるでしょうね。

あがた:変わったとも言えるし、ブチ壊れたとも言えるし、いろんな見方があるだろうね。ロックのドキュメンタリーだったら、もう一声スタイリッシュな決め方もあるわけじゃない? そういうのとはだいぶズレてるんじゃないかという気がしないでもないし。ただ、4ヶ月を掛けて全国67ヶ所を旅して自分なりの発見はあった。オレは同世代に媚びたり、同世代とノスタルジーに浸りたいという気持ちは毛頭ないけれども、どこへ行ってもオレの音楽を聴いてきた同世代のオヤジたちが集まってくるんだよ。そのオヤジたちの大概ひとりやふたりは演奏が終わった後にオレに何かしら話し掛けてくるんだ。それを確認できることの凄さはあったね。単純に感動する人もいれば、自分の青春時代を語り出す人もいる。大きなホールだったら楽屋に入って楽屋から出て、お客に会うことはほとんどないけれど、今回はライヴが終わったら物販でサインをしたり、握手をしたり、「また来てね」とまで言ってみたり(笑)、それを毎日やるわけだから。そうしてるうちにオレも忘れてた発見があったり、あの時代が何だったのかみたいなものがいろんな形で見え隠れしたと言うかさ。そこがやっぱり面白かったよね。



空想、妄想、迷走、暴走の旅

原島:キャンピング・カーで移動するシーンで、あがたさんはよく妄想をしてらっしゃるじゃないですか。

あがた:うん。空想と妄想と迷走をね(笑)。

原島:僕には空想と妄想と暴走があの場面から見えるんですけど(笑)。

あがた:欲深だから、いつも意識が何かにこだわってるんだよね。このまま打っちゃっちゃいけないなぁ…という思いにいつも駆られてる。たとえば、オレには1972年に出した『赤色エレジー』という歌がある。幸か不幸かデビューにしてその歌がヒットしたわけだけど、貰ったと言えば貰ったし、背負ったと言えば背負った。その両面があるよね。いつまでも背負ってられないよって思っても、避けたくても避けさせてくれないって言うかさ。そこから自分をどう持っていくのかっていう、まさに迷走だよね。61歳になった今に至っても迷走なんだよ。これからもそうかもしれないし、この先どう走ってオレの歌を届けていけばいいのか…そんなことをいつも考えてる。あの旅の中でオレが訳のわからないことをやっているのは、出口が見えたり見えなかったりするいろいろな気流がそこに噴出するみたいな感じなのかもしれないね。

原島:なるほど。あと、時間軸を追うごとにあがたさんの声がどんどん出てくるのも凄いなと思って。最後の九段会館での声の伸びやかさたるや目を見張るものがあるじゃないですか。

あがた:ギター1本で唄う時と、そこにベースとかもう1本ギターが入る時とはグルーヴも違うし、声が音量に呼応するんだよね。いい女を見ると身体が自然と疼いたりするみたいにさ(笑)。ギター1本でも、ストロークするかフィンガリングするかで声の出方が変わるしね。それと単純に、PAも何もないギャラリーみたいな所と九段会館の違いもあるよね。

原島:鈴木慶一さんを始めとする“はちみつぱい”のメンバー、矢野顕子さん、緑魔子さんらが参加した九段会館での『あがた森魚とZIPANG BOYZ 號の一夜』は凄く贅沢なイヴェントでしたね。

あがた:オレとしては、40年くらい前に自分と“はちみつぱい”がデビューした時の再確認をしたかったんだよ。ホントはもっと素朴なことをやりたかったんだけど、あそこまで大掛かりなことになってくると、もう喜び勇んじゃうわけ(笑)。

原島:リハのシーンではジッと考え込んでいらっしゃいましたね。

あがた:選曲に曲順にアレンジと、いろいろあったからね。しかも、67ヶ所の旅から帰って間が空いたこともあったのか、ちょっと体調を崩しちゃったんだよ。2月22日なんて、冬の明ける最後のギリギリのところじゃない? 今みたいに温暖化になる前は2月の終わりと言えば寒さの極みでさ、早く春が来ないかなって子供の頃は毎年思ってた。北海道に住んでいたから余計にね。そんな寒い時期にツアー・ファイナルをやる必要ないのにとか思ってたんだけど、そこしか空いてないって言うから覚悟を決めた(笑)。ツアーの時は万全でやりきったのに、喉が冬のコンディションになっちゃって、それを回復するのに必死だったね。本番で声が出なかったら旅の締め括りにならなかったしさ。

原島:そんなバッド・コンディションである中でも、唄い手としての本能的なものが喉を開かせたり、キレのあるパフォーマンスまで持って行かせてしまうんでしょうね。薬を飲んで回復させるよりも気迫で押し通すと言うか。

あがた:昔から風邪薬とかは得意じゃないから効かないんだよ。最後の2週間は持久戦で、何とか騙し騙し辿り着こうとしたね。



50年後の子供たちがこの映画をどう見るか

原島:そんな話を伺うと、あの九段会館での歌声が余計に凄いなと思いますね。僕はあがたさんの全履歴を網羅していないので、ちゃんと聴いてみたい曲がいくつもあったんですよ。

あがた:九段会館でのライヴは今度単体でライヴ盤が出るんだけど、僕のに限らず、ライヴ盤っていうのはライヴをコピーしたものでさ、その場で聴いた体感とはやっぱり違うものなんだよ。ライヴはやっぱりライヴなんだよね。九段会館のライヴ盤にしても、あの日見た人は自分の記憶を補填したり、あるいはそれをもう一度楽しむというレヴェルでは意味があるんだけれども、それを聴いて気持ちが昂ぶるとかの類のものではないと思う。ただ、あそこに来られなかった人もいるわけだしね。それでもあの時の臨場感を全部吸い取れるかと言えば、そういうものじゃないんだけどさ。もちろん九段会館のライヴ盤はひとつの作品として充分楽しめるものなんだけど、『ややデラックス』のほうが九段会館でのライヴが何だったのかが非常に色濃く出てるとは言えるね。

原島:この映画を見て初めてあがたさんに触れる世代もいるやもしれないし、あがたさんが好むと好まざるとに関わらず、いろんなイメージを持たれるでしょうね。

あがた:そうだと思いますよ。その意味では両刃の剣だろうしね。見せなくてもいい所まで露悪的に見せようとしたわけでもないし、曲がりなりにも60になったわけだから、歳相応の言動をできるような大人になりたいという思いはあったんだよ。それでも映画の最初のほうでギャーギャー騒いじゃうのは、けしかけられちゃうからなんだな。内々で思いの丈を正直に話し合ってもいいなっていう場面で絶妙にけしかけてくる人がいて、それにちゃんと応えてしまうんだよ(笑)。ああ、まだまだ修業が足らんなぁ…って思うよね。

原島:あがたさんと同世代のオーディエンスがあがたさんの歌で共鳴するシーンには感じ入る部分もあるし、そのあがたさんの歌に60歳の概念を壊すくらいのエネルギーがあることにも驚きますよね。

あがた:それがどういうことなのかは、自分で説明すればするほど「オレは気が狂ってない」と言うようなものでね(笑)。だから、この映画に関してオレは自己弁明ができないし、しちゃいけないんだよ。映っていた通り、見てもらった通りのことであるしね。ただ、60年代の中葉から始まったオレたちの音楽は、今この刹那を生きる、あるいは何をどうぶつけ合うのかがまず第一義だと思うんだよね。オレの場合で言えば、「『赤色エレジー』は大正ロマンみたいだ」とか「あがたさんはノスタルジックだね」とか言われるけど、この先の未来に向けて何かを分かち合いたい意識もある。でも、今現在じゃなきゃ始まらないという意識もあって、その両方を満足させなきゃいけない。だから理想論だけに走ってもいけないし、リアリティや刹那性だけで物を言ってもいけないんだよ。映画の最初のほうでオレがギャーギャー言ってる姿が記録されてるのは、不遜な言い方をすれば、50年後の子供たちがそれをどう見るかっていうのをプレゼントとして作っている部分もあるからなんだよね。

原島:理性と野性の両面があってこそモノが生まれ得るわけで、今あがたさんが言われた刹那だけでは表現が成立しない話は凄くよくわかりますね。あらゆる権威的なものに唾を吐くパンク・ムーヴメントは革新的ではあったけれど、唾を吐くばかりじゃ物事の本質は見えてこないわけで。まぁ、映画の中のあがたさんにはある意味パンクを感じましたけど(笑)。

あがた:オレの中にはいろんな要素があるんだよね。パンクな部分もタンゴな部分もね。

原島:もしかするとこの映画は若い人が見たほうが共鳴しやすいのかなと思ったんですよね。

あがた:うん、若い人がどう受け止めるのかは興味があるね。是非見て欲しいよ。

故郷であり原点である北海道への思い入れ

原島:『惑星漂流60周年!』ツアーは、今年に入ってから“PART II”と“PART III”が鋭意断行されているんですよね。

あがた:昨日まで“PART III”として北海道内を10日くらいで7ヶ所回ったんだよ。くだらないけどオレの変わってるポイントは、客が余りに少ないと気分が悪くなること(笑)。まず自分をなだめるのに3曲くらい掛かるね。来てくれた客には何の責任もないんだけど、自分としては気持ちに下駄を履かせて気合いを入れ直さなきゃいけない。あと、たまに客とケンカすることもあるんだけどさ。

原島:エッ、そうなんですか!?(笑)

あがた:うん。四国の香川県でライヴをやった時に、中年のオヤジ2人が前のほうでずっとベラベラ喋ってたんだよ。賑やかな曲ならまだしも、静かに弾き語る曲でも喋ってるからムカッと来て、演奏するのを止めたんだ。で、演奏を再開した途端にまたオヤジどもが喋り出す。それでさらにムカッと来て演奏を止めて、無言のケンカが始まるわけだよ(笑)。終いには「あがたさん、唄って下さいよ」とか言うもんだから、「唄ってるじゃんか! 唄ってるよオイ! オレは唄ってんだよ!」って言い返して、オレは頭に来て楽屋に下がったわけ。そしたら、今度は客同士でケンカが始まっちゃってさ(笑)。「オマエらのせいであがたさんが楽屋に下がっちゃったじゃないか!」「帰れ! 帰れ!」なんて言い合いになって。それが10分、15分ほど続いて、結局そのオヤジ2人は帰って行ったよ(笑)。

原島:凄いですね、その話(笑)。

あがた:押さえてあった音を後から聴いたら、そのオヤジ2人は自分たちほどのあがたファンはいないと自負してるヤツらで、自分たちが如何に熟知しているかを喋りたくてしょうがないわけだよ(笑)。でもやっぱり、そんなのおかしいよね。まずは今聴けと。

原島:あがたさんの生ライヴで勝手に副音声で喋ってるようなものですからね(笑)。

あがた:まぁ、オレからしたら「オマエらふざけんな!」だけど、そういうやり取りもパンキッシュでいいよね。

原島:確かに(笑)。あと、今回の映画を見て感じたのは、あがたさんは今も北海道に対してもの凄く思い入れがあるんだなということなんですよね。

あがた:オレの師匠である稲垣足穂の言葉じゃないけど、表現というものは幼少の完成なんだよ。“三つ子の魂百まで”という言葉もあるし、極論すれば大人になったら後はオマケみたいなものなんだ。赤ん坊の時から成人するまでに体感したものの後は全部残りカスのような気がするよ。自分がデビュー前に作った自主盤の『蓄音盤』とか、2年前に出た70年代のライヴ音源(『あがた森魚コンサート『永遠の遠国』at 渋谷ジァン・ジァン』)とかは今となっては恥ずかしくて聴くに堪えないんだけど、あそこにひとつの源流なり答えがあるんだよね。だから、自分の故郷であり原点である留萌、小樽、函館であったり、ボブ・ディランと出会ったことであったり、稲垣足穂と出会ったことであったりを自分の中で何度も何度も噛み砕いて、味の出なくなった出し汁みたいなものをさらに噛み砕いて、そこで自分が一体何を得たのかをずっと探究しているんだよ。その原点なり源流なりのエキスみたいなものが辛うじて行間から滲み出てくる程度のものだけどね。

原島:あがたさんの生まれ故郷である留萌には僕も何回か行ったことがあるんですけど、町の佇まいがレトロで味わい深いですよね。

あがた:隣の増毛町には行った?

原島:いや、行ったことないですね。

あがた:増毛も留萌と似た町なんだけど、留萌をさらにクラシックにした良い町なんだよ。

原島:北海道の小さな町って、今も昭和の雰囲気が共存してる感じがありますよね。

あがた:よくわかるね。嬉しいな。オレも今回日記に同じことを書いたんだよ。

原島:昭和を飛び越えて、大正の匂いすら感じますね。

あがた:それだけ栄えてたんだよ、あの頃は。北前船で京都のほうからいろんな物資が運ばれてきたり、北海道へ一攫千金を狙って来るヤツがいたり、北海道にロマンを感じて来るヤツがいたり…そういうものの名残だね。北のゴールド・ラッシュだよ。

原島:そんな風土が大らかさや奔放さを生み出したんでしょうね。

あがた:そうだね。北海道のみならず、地方都市って虐げられてるじゃないですか。20世紀の名残みたいな港町は全国にいっぱいあるんだけど、それでもドッコイ図太くやってるよね。

やるべきことがある時は死なないと思う

原島:あがたさんがご自身のアイデンティティを北海道に求めていく感じが今回の映画からも窺えますよね。

あがた:オレはね、リアルタイムじゃなきゃいけないっていう気持ちとリアルタイムを唾棄したい気持ちが表裏一体となってあるわけ。リアリズムなんて表現じゃないよっていう意識もあるしさ。だから、オレの新しい歌を聴いてくれよっていう気持ちは常にあるけど、今の自分は20世紀の化石だからもう用はないっていう気持ちもある。これは居直りじゃなくて、今さら若ぶって21世紀に迎合しても始まらないという意識があるんだ。居直りでもノスタルジーでもなく、「オマエら、20世紀ってこんなに凄かったんだぞ!? 戦争が終わった時の日本が置かれた状況がどんなものだったかわかるか?」っていう冷たい突き付け方じゃなくて、20世紀が如何に素晴らしい時代だったかを伝えたいわけ。オレは北の港町で育って、戦後は何もなかったし、あるのは戦争の傷跡だけだった。でも、何が凄かったかって、人々がリアリティを持って連帯していたってこと。あの時代にあんなにもいじましく、あんなにもヒューニズムを求めて、あんなにも明日に向かって生きていこうとしていたアイツらがオレは愛おしいんだよ。それが留萌、小樽、函館といった港町には特に色濃く残ってるんだよね。

原島:67ヶ所を巡る全国縦断の旅の中で、そういった人と人の繋がりや連帯意識を感じられたんじゃないですか。

あがた:良かれ悪しかれ因習が残っている所もあったし、名残程度の所もあったね。今の時代じゃ古いしきたりも通用しなくなって、オレたち世代も順次消えていくみたいなさ(笑)。

原島:いやいや、まだまだ消えないで下さいよ。今回の映画を見る限り、消える気配などまるで皆無な血気盛ん振りじゃないですか(笑)。

あがた:オレたちミュージシャンは死ぬまでやらなきゃけないし、やめられないし、用がなくなった時は死ぬ時だな。まだやるべきことがある時は死なないと思うんだよ。何かの弾みで死ぬようなことがあったら、もう用がなかったんだなっていうことだよね。そういうふうに解釈するしかない。

原島:あがたさんは生涯現役だろうし、ギター・ケースを抱えて電車に乗って、その移動中に天に召されたりするんじゃないですかね(笑)。

あがた:ああ、それは一番理想的な死に方だね(笑)。最近、介護疲れの問題が深刻化しているじゃない? 昔もそういうのはあったんだろうけど、昔は大家族制だからみんなで騙し騙しやっていたと思うんだよ。どちらがいいか悪いかは一概には言えないけどね。オレは因習にまみれた男尊女卑的な家父長制がとてもイヤでさ。でも、三世代が一緒になった新しい家族の組み立てがそのうち始まるんじゃないかって気もする。そのほうがオーガニックで人間らしくていいと思うしね。

原島:昔の人はぽっくり逝く感じでしたよね。今みたいに延命治療も盛んじゃなかったと思うし。

あがた:延命されることがいいのか悪いのかっていう話もあるけどね。ただ、畳の上で死ねないっていうのは悲しいね。旅先の電車の中で死ぬのは畳の上みたいなもんだから、それはいいんだよ。オレは1948年に生まれたから、約50年生きた20世紀後半と21世紀とを分けて考えてるんだ。紀元前と現在みたいにね。今のオレは見栄を張ったって歳相応なわけだし、「20世紀ってこんな時代だったんだよ」っていうのをずっと見せ続けなくちゃいけないと思うし、そういう唄い手でありたいね。

原島:この調子だと、80歳くらいまではまだまだ唄い続けていけるんじゃないですか?

あがた:うん。オレも漠然とあと20年かなと思ってる。岡山にカフェ・ド萌っていうライヴハウスがあって、そこのオーナーも「あがたさん、あと20年はやろうよ」って言うしさ。ただ、20年なんて早いからね。まだ充分時間がありそうだけど。でも、早かろうが遅かろうが、自分なりの等身大の歌を唄っていくしかないよね。

原島:80歳になったら、『惑星漂流80周年!』と銘打って全国80ヶ所を回ってみたりして(笑)。

あがた:面白いだろうね。別に驕る気もないし、蔑む気もないけれども、1日1日を過不足なく、思うに任せながら生きていきたいね。ついこの間、道内のツアー中に61になっちゃったしさ。

原島:ボブ・ディランで言えば“HIGHWAY 61”ですね(笑)。

あがた:そうだよ。ここからの人生、“高速”だけに速くなりそうだね(笑)。


after talk jam...
message to TOMORROW

 なにやら年齢というものに対して恐怖感がなくなり、ある種の憧憬すら覚える対談でした。次回は80で見える風景を語りましょう!(スマイリー原島)



映画『あがた森魚ややデラックス』

監修:森 達也/撮影・編集・監督:竹藤佳世 出演:あがた森魚/鈴木慶一/矢野顕子/久保田麻琴/緑 魔子 製作・配給・宣伝:トランスフォーマー/宣伝協力:太秦 (c) Transformer, Inc. 10月10日(土)シアターN渋谷にてモーニング&レイトショー *映画の中でハイライトとなっている九段会館でのライヴの模様を収めた3枚組CD『あがた森魚とZIPANG BOYZ 號の一夜』(FJSP-78〜80/¥5,250)も10月10日(土)に発売となります。

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Live info.

あがた森魚式、全国縦断ウルトラ爆裂ドキュメンタリー映画
『あがた森魚ややデラックス』公開直前プレミアトーク&ライブ

2009年10月5日(月)Asagaya / Loft A
第1部[トーク]:林 海象+森 達也+竹藤佳世監督
第2部[ライブ]:あがた森魚 and 武川雅寛(バイオリン)
OPEN 19:00 / START 19:30
前売¥2,800 / 当日¥3,000円(共に御飲食代別途必要、映画特別鑑賞券付)
info. Asagaya / Loft A:03-5929-3445

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