
アコースティック・ギターとドラムが織り成す狂気を秘めた詩世界
Sady & Madyが体現するのは安易なカテゴライズを拒否する音楽だ。アコースティック・ギターとドラムという至ってシンプルな編成でありながらも、何ものにもとらわれない奔放な創造性と前衛性から生まれるその詩世界はまさにワン&オンリー。『N2FU』〈エヌ・ツー・エフ・ユー〉と題されたアルバムに収められた13曲の歌に通底しているのは、実直に生きる人間がまるで心地好く生きられない現代社会に対する深い諦念と強い憤りである。洗練された耳触りの良いサウンドに乗せて唄われる歌声は朴訥としていて、発せられるメッセージはまるで剥き出しの神経1本1本をサンドペーパーで擦り付けたかの如き痛みを覚えるものだ。それはまさに、形ばかりの豊かさやその場限りの楽しさばかりが盛り込まれた昨今の音楽に牙を剥かんばかりのレベル・ミュージックであり、脆く崩れやすい価値観に覆われた当世の空気とシンクロした“時代のサウンドトラック”とも言えよう。奇を衒うわけではなく既存のフォーマットを逸脱してしまう異形の才が描く音楽風景は、翠緑の樹海のように広く果てしない。(interview:椎名宗之)
社会を構成する人間に対する憤り
──どんな経緯を経てアコースティック・ギターとドラムという一風変わった編成に辿り着いたんですか。
植田隆広(vo, g):最初はトリオのロック・バンドをやってたんだけど、ギタリストが抜けてその音と世界観が作れなくなったんだよ。で、どうしようかなと思ってた時に哲也が「2人でやればいいじゃん」と。正直、俺は乗り気じゃなかったんだけど(笑)。
上田哲也(ds):そうだったんだ(笑)。
隆広:でも、すでに決まってるライヴがあったからやらないとしょうがない。当時の俺はベースを弾いてたんだけど、ベースとドラムじゃ今いちサマにならないからエレクトリック・ギターを弾くことにしたわけ。その時のライヴで哲也が既存の曲に全然違うリズムのアプローチをしてくれて、それに合わせて弾いたら“いいじゃん”と素直に思えた。ただ、これはエレキじゃなくてアコギのほうが合うなと思って、次にスタジオに入った時からはアコギとドラムという今のスタイルになったんだよね。その時の気分と、欲していたものがアコギの中にあったんじゃないかな。
──哲也さんには2人でもやっていける読みがあったんですか。
哲也:まぁ、単純な思いつきですけどね。
──トリオ時代からレベル・ミュージックという音楽性は不変ですよね。
隆広:その意味ではね。音は全然違うけど。
──トリオ時代には新宿ロフトで無料配布したデモ音源(『91°の坂道』)もありましたよね。
隆広:ロフトで初ライヴをやった時に配布したやつね。それも今とは全然違う音だけどね。
──やはり、今のスタイルのほうがしっくり来ますか。
隆広:まぁ、面白いから続けてるけど。可能性もまだあるし、表現しやすくもあるし。
──アコギの特性を端的に言うとどんなところでしょう。
隆広:やっぱり、リアルだよね。凄く素直。エレキでもガーン!と弾けば感情をダイレクトに表現できるけど、アコギのほうがより生々しい。優しく弾いた時の響き方が全然違うしね。
──繊細なアコギの音を引き立たせるために、ドラムを叩く加減に気を留めることもありますよね。
哲也:お互いが鳴ってる音に引っ張られてるところがあるので、そこはごく自然に繊細な音になりますけどね。
隆広:PAさんや場所によって違うよね。思いきり叩いたほうがいい時もあれば、柔らかく叩いたほうがいい時もあるし。
──今回発表される『N2FU』ですが、現代社会を鋭利に批評した歌と無条件に踊れる躍動感に満ちた歌の2つに大別できますよね。
隆広:どの曲も凄く感覚的なものだね。たとえば1曲目の『Nice 2 Fxxk U』も過激なことを言ってるけど、それを過剰に弾きながら糾弾するよりも優しく“Fxxk U”って囁いたほうがいいかなっていう。
──そのほうが凄味が増す効果はありますね。
隆広:でしょ? いつもギターは携えていて、ある晴れた日にポロロロン…と爪弾いてみたんだよ。ずっと繰り返し弾きながら、クセになる気持ち良さだなぁ…なんて思いながら。でも、そこで優しい言葉を乗せても面白くないなと思って、口についた言葉が“Fxxk U”だったわけ。
──穏やかに晴れ渡った日のほうが曲は生まれやすいものですか。
隆広:いや、そんなこともない。『Kill Me Softly』が出来たのは真夜中だったし。晴れた午前中にあんな狂気に満ちた歌を奏でてたらおかしいよね(笑)。
──『Captain Her Rock』と『One "S" Mile』は、サウンドにも歌詞にも激しい憤りが内包されていますね。
隆広:うん、憤ってるね。社会に対してだけじゃなく、身近な友達に対する憤りもある。でもやっぱり人間だよね。社会を構成してるのは人間だから。
──自由に生きることを脅かす存在に対する憤りが一番大きいですか。
隆広:もちろん自由になりたい気持ちはあるけど、完全に自由になりきるのもかなりしんどい気もする。適度な足枷があったほうが生きやすいと思ったりもするけど、やっぱりそれじゃダメだし、さらに自由を求めてみるわけだよ。そこで気づくのは、ホントに自由になりたければもっと強くならなきゃダメだってことなんだよね。
爆発するならちゃんと爆発しろよ
──『StadiuM』は、森林を切り崩して街を作ろうとする無闇な近代化に警鐘を鳴らす歌ですよね。
隆広:何でも行きすぎはマズイよね。キレイな建物は嫌いじゃないけど、環境を破壊した後のことまで考えてないんじゃないかと思う。高層ビルが乱立すると、朝日が1年中当たらない家もたくさん出てくるんだよ。日の当たらない場所でずっと生活してたら人間どうなる? そこまで考えて森林を切り崩してるとはとても思えないし、建物が過密していくと条件の良い住居を選択する余地もなくなる。これはマズイだろうと本気で思うんだよ。
──『Captain Her Rock』には“月曜の朝を守り続けてるアンタら Fake Far”という歌詞がありますけど、これはいわゆる9時5時で働くサラリーマンに対する揶揄ですか。
隆広:そうとも受け取れるけど、その歌詞の本意としては今のパンクに対して唄ってる。ライヴではたまにそう唄う時もあるんだけど。
──そうなんですか。隆広さんはASSFORTのメンバーと親交があったり、日本のパンク・シーンとは縁が深いと伺っていますが。
隆広:パンクは大好きだね。ただ、今のパンクはちょっと大人しすぎると思う。パンクは現状に限界を覚えて爆発してるはずなのに、今は凄く中途半端。爆発するならちゃんと爆発しろよと思うね。表向きは反抗してるのに、実は凄くお利口さんでしょ? 本気で怒ってる奴が少なくなってる気がするんだよ。まぁ、それは自分自身に対する憤りでもあるんだけどね。
──『One "S" Mile』は本作の中で最も憤りの沸点が高い曲だと思うんですけど、“バレエシューズを履いたまま/痛み堪え笑ってみる”という歌詞から察するに、バレエシューズという抑圧を甘んじて受けていることへの怒りがテーマなんでしょうか。
隆広:ホントはバレエシューズを脱ぎたいけど、結局は履かされている。いろんなルールがあるし、それはしょうがない。そのルールを破ってもいいけど、ここは履いたままで笑ってみるか? っていう感じだね。
──バレエシューズは社会的な抑圧の象徴ですか。
隆広:そうかもしれないね。
──自分のことは棚に上げて糾弾するのではなく、糾弾すべき対象の中にちゃんと自分自身を含めているのがSady
── Madyの歌の大きな特徴のひとつですよね。
隆広:特に意識しなくてもそういう視点になるんだよ。自分のことを顧みずに言いっぱなしになると気持ちいいんだろうけど、余り強く言いすぎるのもどうかと思うんだよね。言いすぎちゃう時もあるんだけど、そこは凄く難しい。
──単にシュプレヒコールを上げるならそういう集会に行けばいいし(笑)、あくまで音楽という範疇なわけですからね。
隆広:音楽は自分が重きを置いて表現する手段のひとつなんだよ。絵を描いたり、詩を書いたり、いろんなことを表現する中のひとつなんだ。
──自分の資質を引き出すには音楽が一番性に合いますか。
隆広:音楽だけに特化してるわけじゃない。絵を描くのも詩を書くのも、あらゆることが同一線上に並んでる。こうやって話をするのも一緒だよ。
──どんな形態にせよ、内なる表現欲求を吐き出さずにはいられないという感じですか。
隆広:そういう時期もあったね。やむにやまれず吐き出すと言うか、自分がすぐにできる手段はそれしかなかった。
──今はもう少し自制心があると?
隆広:今はね。このアルバムが完成するまでは作品作りにひたすら没頭していたから、制御不能だったけど。でも春が来て暖かくなったし(笑)、ぼんやりと次のことを考えてるよ。自分が今までに作ってきたものを振り返る余裕も生まれたね。ちょっとは賢くなったとも思うし。
──今回のフル・アルバムで思いの丈をすべて吐き出せた感覚はありますか。
隆広:吐き出しちゃったね。最近になってやっと客観視できるようにもなった。レコーディングの最中は客観的になんか見られないからね。
もっと新しい表現がどこかにあるはず
──隆広さんが制作に没頭している時は、哲也さんが全体を俯瞰するような感じですか。
哲也:常にそんな感じですね。演奏してる時はまた別ですけど、反応を窺いながら俺は自分のやるべきことをやるっていう感じです。
──隆広さんが書き上げてきた歌詞に対して意見を言ってみたりとかは?
哲也:いや、意見することは特にないですね。
隆広:勝手に唄っちゃうからね(笑)。
哲也:勝手に変わってもいくし(笑)。嫌いなことは何ひとつ唄ってないし、むしろ凄く共感を覚える好きな歌詞ですから。
──隆広さんが持ってくる歌詞やメロディからインスピレーションを受けてリズム・パターンを決めていくアプローチなんですか。
哲也:作業の8割方はそんな感じですね。
隆広:Aメロ、Bメロなんて考えてない。でも、曲が出来る時は凄く早いよ。
──となると、“作る”というよりも“生まれる”という感覚に近いですよね。
隆広:そうそう。まさにそれ。
──まめにスタジオに入ってリハを重ねるという感じでもなさそうですし。
隆広:スタジオは好きな時に入る。“今日は何か生まれそうだな”っていう時とかにね。スタジオに入ってみたら生まれたケースもあるけど。
──如何にもライヴ映えしそうな『カメレオンダンスカーニバル』や静寂と激情が交錯した『Kill Me Softly』といった曲は、物語性のある歌詞がとてもユニークですね。
隆広:そういうのが得意だし、好きなんだよ。自分で絵本を描いたりもするからね。
──無条件に踊れる感じの曲では痛烈な批評性が鳴りを潜めて、物語性に富んだ作風に寄っている印象を受けたんですよね。
隆広:ああ、なるほど。そうなのかもしれないね。
──最も寓話的なのは鍵盤をフィーチャーした『StadiuM』ですよね。3人の子供達、フクロウやコウモリといった登場人物も賑やかで。
隆広:『StadiuM』は曲より先に絵本が出来たんだよ。その歌詞のまんまの絵本がね。テーマは環境破壊と言うよりも人間の愚かさだね。愚かな人間の姿をフクロウの視線から見ていると言うか。その絵本をスタジオに持っていって哲也に見せて、歌詞で言いたいことや曲の雰囲気を口頭で伝えたわけ。そのニュアンスをイメージして哲也がリズムを叩き出して、“それ!”みたいなね。
──絵本ありきで曲が生まれるなんて、如何にもSady
── Madyらしいエピソードですね。
隆広:曲の作り方に決め事はないんだよ。逆に絵本を作りたいと思ってる曲もあるしね。
哲也:曲が出来るパターンはいろいろあるし、順番もグチャグチャだよね。
隆広:『Nice 2 Fxxk U』は心地好いメロディを先に持っていって、「何か変わったリズムない?」みたいな感じで進めていったしね。で、さっきも言ったけど、心地好いだけじゃつまらないから毒のある言葉を盛り込んで。でも、BGMで掛かっても普通に心地好く聴けちゃうと思うんだよね。
──確かに。カフェで流れていてもおかしくない耳心地の良さがありますからね。
隆広:でしょ? そういうことをしたいんだよ。たとえて言えば、パンク・ロックをパンクスだけに聴かせたいんじゃなくて、パンク・ロックに何の興味もない人の中にも俺と同じ気持ちの人がいるような気がしてさ。
──ありきたりの表現はしたくないという意志が根底にあるんでしょうね。
隆広:ありきたりのものの素晴らしさもちゃんと理解してるけど、もっと新しい表現がどこかにあると思うんだよ。まぁ、無理に新しいことばかりをやろうとは思ってないけど。何と言うか、イタズラが好きなんだよね。レコーディングは慣れてないからイタズラは余りしなかったけど、普段からイタズラをするのが好きなんだ。
哲也:でも、歌録りのテイクの時にカギの音をジャラジャラ鳴らしてみたり、わざを息を入れてみたり、イタズラはありましたよ。まぁ、それも歌詞の流れで何かしらの意図があるんでしょうね。俺は面白がって見てましたけど(笑)。
自らが触媒となって降りてくる言葉
──『SODA』の冒頭で子供達の声が入っていたり、浮遊感のある歌から一転、唐突に激情モードになったりするのもそんなイタズラ心の表れのように感じますけどね。
隆広:でも、別に狙ってるわけじゃないんだよ。感覚の赴くままにやってるだけだから。
──『SODA』の歌詞の中で、誰の心にも天使と悪魔が居るっていうのはデタラメなんだと言及しているのが興味深かったんですよね。
隆広:何と言うか、素直な気持ちというのを突き詰めていくと、誰しもが認める正解には辿り着かない時があるんだ。誤解を恐れずに言うと、作詞のクレジットは俺になってるけど、俺が書いてるんじゃない。もちろん俺自身がフィルターにはなってるんだけど、日常の身の回りで起こってることが歌詞を書かせる。会って話した人、遊びに行った場所、見聞きしたもの、食べたものによって出てくる言葉は変わってくるんだよ。俺が書いてると言えば書いてるけど、身の回りの事象も一緒になって歌詞を書いてるんだ。そういうことを言いたかった。
──ひとりの人間を触媒として様々な事象が交錯しているから、天使と悪魔という単純な二分化はできないということですね。
隆広:うん、できない。たとえば俺が何らかの罪を犯したとして、非難されるべきは俺だけじゃないということ。罪を犯すだけの複合的な要因があって、本当はそれも非難されるべきなんだよ。
──まるでイタコのように自らが触媒となって言葉を降ろしている感じですね。
隆広:そのつもり。だから、歌詞を書く時も絵を描く時も何ひとつ狙ってないんだよ。降りてきたものをそのまま形にするだけ。
──ギターのコード進行も同じ感じなんでしょうね。
隆広:全く同じだね。ずっとギターを触ってると、いつの間にか曲が出来ていたりするから。コードのことはよくわからないから、哲也に「このコード、何?」って訊いたりするんだけど。
哲也:それがかなりデタラメなんですけど、感覚的で面白いんですよ。
──型にハマったコード進行じゃないから、コピーするのは難しそうですね。
隆広:難しいだろうね。簡単には弾けないと思うよ。3弦ないほうが良い音が鳴るとか、そんな感覚で弾いてるし。奇を衒ってやってるわけじゃなくて、そういうのはインスピレーションだからね。だから凄く説明がしづらい。すべて俺の感性の話だから。
──『こころ』の歌詞で描かれている脳みそと心臓の関係は、僕も常々同じことを考えていたので凄く共感できたんですよね。実際に思考するのは脳みそなのに、こころと言えば心臓のことを指したりするわけで。
隆広:面白いよね。当然脳みそは通すんだけど、ドキッとしたり苦しいと感じるのは心臓なんだよ。脳みそがドキッとしたことや痛みを“落ち着け!”って指令を出して処理するんだけど、心臓はその処理を見てるわけ。“ごまかすところを俺は見てたぞ”ってね(笑)。そんなことをいつも考えてるんだよ。常に何かが降りてくる。
──それだけいろんなものが降りてくると、アウトプットする機会が間に合わなくて大変なことになったりしませんか。
隆広:追い付かなくなって大変なことになる時もあるよ。だからノートとペンをいつも持ち歩いてる(と、実物を差し出す)。こういうノートがもう40冊くらい溜まってるね。凄いスピードで溜まっていくんだよ。
──スウィング・ジャズ調の『Touch Up』は英詞で唄われていますけど、これも感覚的なものなんでしょうか。もしくは言いづらいことを言及する時には英詞にするとか。
隆広:『Touch Up』は英語じゃない部分もいっぱいあるんだよ。歌詞カードにはイントロの部分しか書いてないでしょ?
──そうですね。辛うじて“Lost Child”や“Lost World”といった言葉は聴こえましたけど、わざと聴き取りづらいヴォーカルの処理をしていますよね。
隆広:うん、わざとね(笑)。要するに、これは歌声をちゃんと伝えない曲なんだね(笑)。イントロの英詞はデタラメだけど、語感の響きを大事にしつつ、その語感にどの言葉を当てはめるかをちゃんと考えてるんだよ。これも凄く感覚的な言葉のチョイスだね。絵に色を付けるような感じに近いと思う。
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癒しの歌なんて唄ってる場合じゃない
──ジャズは以前からお好きだったんですか。
隆広:凄く好きな音楽のジャンルだけど、唄うのはヘタだね(笑)。哲也に教わりながら何となくやれちゃってはいるけど。
──ジャズにもSady
── Madyの世界観と合致するような辛辣で捻りの効いた歌が多いですよね。
隆広:みんな一緒だと思うよ。ブルースやフォークにもかなりキツイことを唄ってるのがあるからね。
──口当たりの良い音楽はつまらないという意識はありますか。癒し系とは真逆を行くような音楽にこそ魅力を感じると言うか。
隆広:聴いて癒されるような音楽も好んで聴くし、いつか癒し系の歌も唄えたらいいなとは思うけど、正直に発言してたらそんな表現になるはずもないよね。人を癒すような歌を唄ってる場合じゃないでしょ、って言うか。
──こんなご時世に癒し系の歌を唄えるのは、『MiSS KiSS』の歌詞に出てくる“狂った時代(トケイ)を信じて”いる人なんでしょうね。
隆広:そうだね。狂った時代の行き着く先に未来はないと思うし、俺は信じたくはないけど。
──日々生きていれば某かの憤りは感じるものだし、癒し系の歌で癒されるくらいの憤りは大したことじゃないと思いますけどね。
隆広:よっぽどいい加減な性格じゃなければ、幸せを全開にアピールした歌なんてとても唄えないよね(笑)。
──ただ、さっきも話に出てきましたけど、ある程度の足枷や適度な摩擦があったほうが自由を実感できるのもまた真理ですよね。
哲也:そういうイメージは余りないけど…憤りがどうしても出てきちゃうんですよ。
隆広:そう、“出てきちゃう”っていう言い方になるよね。社会がうまく立ち回ってくれてるなら言うことも聞くんだけど、そうじゃないからね。自分なりに居心地の良い場所を求めて仕事に励んでみたりもしてみたけど、やっぱりどうしてもしっくり来ない。自分で自分のことをストイックなんて言うと笑われそうだけど、ストイックであればあるほど憤りは感じるものだと思う。だから、もっと突き詰めなきゃいけないんだよね。ホントの自由を実感したければもっと苦しまなければいけないと思うし。安直に生きてちゃダメだし、もっとしっかりしないとね。
──皆さんと同じように自由を追求し続けている人にとって、Sady
── Madyの音楽がカタルシス的な役割を果たして欲しいという思いはありますか。
哲也:俺はありますよ。それが自分の役目だと思ってるところもあるし。
隆広:俺は次にやるべきことをやるだけかな(笑)。
──ははは。Sady
── Madyがとても良いバランスで成り立っているのが窺えますね。隆広さんが受けたインスピレーションを哲也さんがうまくアウトプットしていくと言うか。
哲也:ライヴならライヴで、迸る感情をどうやって言葉と音に乗せてフロアへ送り出していくかを俺はいつも考えてますね。ライヴは生モノだから、調子の悪い時はつつがなく終わってしまいますけど(笑)。
──自分の感情に対して従順と言うか、体調が悪ければ悪いままで行くと?
隆広:ライヴは常にベストな状態で臨みたいと思ってるけど、嘘をつくのがイヤなんだよ。落ち込んでるくせに「元気かい?」なんて張り切って言えるわけがない。それじゃ伝わるものも伝わらないよね。だから、ライヴの前までに自分が気持ち良くなるコンディションに持っていくことにしてる。
──Sady
── Madyとしての表現形態は別に音楽じゃなくても構わないという意識はありますか。
隆広:いや、Sady
── Madyは音楽だよ。だけど…いいっちゃいいかな、何でも。映像を採り入れてみてもいいと思うしね。
哲也:いいっちゃいいだよね、ホントに。
──この2人が揃いさえすればそれでいいと言うか。
哲也:まぁ、必要な存在ではありますね。
隆広:何かあるよね、Sady
── Madyには。とりあえず、俺はここで唄っていたい。
──お2人が感じる“Sady
── Madyらしさ”とはどんなところですか。
隆広:わかんないなぁ…。音もカテゴライズできないしね。
哲也:それも、この2人でやるとそうなるってだけだからね。
──敢えて言うなら、既存の表現にはないことをするのが一番の“らしさ”といったところでしょうか。
隆広:そうなるんだろうね。ありきたりの表現はどうしても飽きちゃうんだよ。新しい発見があったほうが絶対に楽しいからね。

N2FU
01. Nice 2 Fxxk U
02. Captain Her Rock
03. One "S" Mile
04. No.5
05. カメレオンダンスカーニバル
06. チエノワ
07. Kill Me Softly
08. StadiuM
09. こころ
10. SODA
11. Touch Up
12. MiSS KiSS
13. Sleep Melody
music mine IDCA-1038
2,625yen (tax in)
2009.5.13 IN STORES
Live info.
5月2日(土)中野MOON STEP
6月6日(土)渋谷LUSH(レコ発ワンマン・ライヴ)
Sady & Mady official website
http://sadymady.net/