ギター 編集無頼帖

散る桜、残る桜

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 昨日は某単行本の撮影に立ち会うために江ノ島〜鎌倉を歩いた。土地勘があるので少しは役に立てた気がする。写真は高徳院(長谷大仏のある寺院ですね)の境内に咲いていた桜。開花のピークは今週末と聞いていたが、まだ八分咲きといったところだった。
 日本人は桜が好きだというがご多分に漏れず僕も好きで、満開の桜に狂気を感じたり、川の水面に浮かぶ桜の葉に世の無常を感じたりもする。一番惹かれるのはやはりその儚さだろうか。今この瞬間にしか存在し得ない、同じ姿は二度と見られない儚さに心を奪われる。
 高校の時に習った「散る桜 残る桜も 散る桜」という良寛の辞世の句をふと思い出す。今は燃え盛る満開の桜も、先に散った桜と同じようにやがて散り行く。古文の授業で初めてその句を聞いた時、これってキース・リチャーズがはめているドクロの指輪と同じじゃん、と思った。有名だろうが無名だろうが、裕福だろうが貧困だろうが、人間ひと皮剥けたら皆同じガイコツだという戒めを込めてキースは普段からドクロの指輪をしていると、まだ八曜社から出ていた『ルーディーズ・クラブ』かマイク越谷さんの『ローリング・ストーンズ大百科』か何かで読んだことがあった。
 好きなエピソードなのである。今は青い芝生を横目で気にするような時期でもいずれ好機は巡って来ると思えるし、誰かに対して立腹しても“自分だって人のことは言えないんじゃないか?”と冷静にもなれる。そして遅かれ早かれ、散り行く桜のように人間は皆必ず死ぬのだ。死を意識すると生が燃え盛る。ケチで小心な自分としては、のうのうとしてばかりはいられない、と思うようになる。うまいことできている。
 江ノ電の七里ヶ浜駅を降りると、海に向かって流れ行く小川に目が留まる。どれだけ小さくて短い川でも、最後に行き着くのは深くて広い海原だ。その海原が世界と繋がって地球を形作っていることを考えると、ちっぽけなことにいつまでもウジウジしている自分がアホらしく思えてくる。全く、うまいことできている。(しいな)
posted by Rooftop at 11:25 | Comment(4) | 編集無頼帖
この記事へのコメント
はじめまして。


『散る桜 残る桜も 散る桜』これを読んで・・
私も大好きな桜。でも桜の時期になると何故かもの悲しくなるのです。


桜を見に行った日に「編集無頼帖」を読んで・・
言葉が身にしみて・・・
上手く伝えられないのが歯がゆいのですが嬉しくパワーの補充が出来ました。

ありがとうございます。
Posted by river at 2009年04月05日 22:11
riverさん、書き込みどうも有難う。
あんな稚拙な文章が何らかの力を与えられたなんて聞いて、元気を頂けたのはむしろこっちのほうです。どうも有難う御座います。
eastern youthの『青すぎる空』も“いずれ暮らしの果てに散る”と唄われていますよね。いずれ暮らしの果てに散るのであれば今この瞬間を精一杯生きなくちゃと思います。満開の桜はそんなことをぼんやりと教えてくれるんでしょうね。
Posted by しいな at 2009年04月06日 12:49
このところ通勤の車の中は毎日eastern youthです。


今、この瞬間を精一杯生きていきたいです。


今日はウグイスの鳴き声が聞こえてきましたよ。
なんだかホッとしますね。




Posted by river at 2009年04月06日 17:20
ウグイスの鳴き声…もうそんな季節なんですよね。
eastern youth、いいですよね。僕も心の糧にしているバンドです。
ここ数ヶ月は吉野さんのソロ、bedside yoshino#3を心の友として聴いてます。自分のためにある音楽だと勝手に思ってます(笑)。
Posted by しいな at 2009年04月06日 18:30
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