今も色褪せることなく数多くの人間を惹きつけるヒーロー、“ショーケン”こと萩原健一!
ショーケンが最もギラギラしていた70年代に出演した映画&TVドラマのサウンドトラックが一挙初CD化!
text:馬場敏裕(タワーレコード渋谷店 サウンドトラック担当)
「どうしてこの邦画サントラが簡単に聴けないんだ! 名盤だろ、名盤!」という日本のサントラに焦点を当てて取り組む(僕の勝手な解釈ですが)〈富士キネマ〉は、まず“廃盤になっているのが不思議でたまらない”『マルサの女』を世に復活させた。これで、急に「“マルサ”が聴きたい!」と思っても困ることはなくなった。その〈富士キネマ〉が、次に一大プロジェクト的に敢行し、一気に3タイトルも出すのが、萩原健一主演3作品のサントラだ。僕は、常日頃から思っていた。ユーサクのサントラはほぼ完璧の如く出ているのに、ショーケンのサントラはどうしてほとんどCD化されていないんだ!? と。その小さな叫びと共鳴するかのように現れた企画が今回の3枚だ。
知っている人は知っているが、今、海外は、60年代・70年代のサントラのCD化がもの凄いラッシュだ。ほとんどブームと言ってもいい。僕は東海道新幹線と同じ年齢だが、そんな年代が多感な時期を何で暮らしたかと言うと、その多くが“映画音楽”“フュージョン”“イージーリスニング”なのだ。そしてその波はその後、さまざまに昇華されて行くが、名曲を湯水のように送り出していた最後の時代が70年代後半〜80年代初頭ぐらいなのではないかと思っている。現に、商店街のBGMなどでうっすらと聴こえるナンバーのほとんどがその年代であり、90年代以降のメロディであることはほとんどあり得ない。そして、僕自身がそのリアルタイムであるため、その後の人間が70年代の音をどういう感覚で受け止めているのか、客観的に受けることができない。“いいものはいつ聴いてもいい”というのはウソだ。昔いいと思わなかった曲が今美しく聴こえ、少年期にすげぇと思った曲がそうでもない失望を味わったことはたくさんあるだろう。が、確証がある。それは、まだ誰も知らないだろうと思っていたサントラを僕が推しまくった時には、共感者(初めて聴く人も含む)が多い時は最低でも数百人はいたという感動だ。ゴキブリは一匹見つけると、30匹はいるという。自分と同じ顔を持つ人は30人いるという。一人、大ファンがいるということは、必ずファンが多数いるのだという確証。これだけが、僕を勇気づける。ショーケン・サントラ、つまりは井上堯之、大野克夫といった元スパイダースのサウンド・クリエイターが紡いだ楽曲たちだ。そして、そのいずれもがショーケンの作品だから…といった思い入れから恐らく作られている。しかし、時代を築いた人間たちの作った音だからという意味合い以外の、音として格好いい、その単純な理由も大きくそこには横たわっているのだ。
井上堯之 映画音楽の世界
雨のアムステルダム 〜青春の蹉跌・蔵王絶唱〜
FJCM-002/初CD化/紙ジャケット仕様
1975年の『雨のアムステルダム』のサントラをA面に、そして『青春の蹉跌』と『蔵王絶唱』からの選曲をB面に入れたLP音源と同マスターのCD化。75年当時と言えば、アラン・ドロンやカトリーヌ・ドヌーヴなど、アメリカよりもフランス、イタリア映画で映画ファンはうっとりしていた時代。その頃のヒット・メイカーと言えば、フランシス・レイ。また、当時は“イージーリスニング”ジャンルがほぼブーム最盛期継続中で、その頃のスーパースターはポール・モーリアやカラベリなどのフランス勢。そのレイやモーリアの香りがすると言っても恐らく失礼には当たらないと思われる、この『雨のアムステルダム』。このサントラが興味深いのは、当時のLP同様のマスターを再現できている、つまり“セリフ入り”であるということだ。ショーケンや岸恵子の声が聴ける。フランシス・レイ(アレンジはクリスチャン・ゴベール当時の)っぽい井上堯之のサウンドに、このセリフかよ、というショーケンのセリフ。ショーケンは“ダサ格好いい”で時代のヒーローとなった。女性には“頼りない格好いい”かもしれない。頼りないのに、格好つけようとするショーケン。これが70年代ならではのデカダンスなのだ。そして、元となったLPが“井上堯之の世界”のため、ショーケンは出ていない『蔵王絶唱』も収録されているこのアルバムだが、一枚通して聴いて全く違和感がない。『蔵王絶唱』も、堕ちていく愛の物語と取れなくもなく、とすると、70年代的デカダンスと井上堯之の音楽はマッチするのか! といった疑問めいた結論に達するが、その時代の要求に正確に応えたというのが正確な解説だろう。いずれも劇伴としては歌心と言うかサービス精神に溢れた井上映画音楽には驚愕する。アルバムのタイトルは“井上堯之 映画音楽の世界”なんてさらっと書き流しているが、この隙のない歌心は、ドラマ音楽に携わるミュージシャンは絶対忘れてはならないものだと思う…なんて聴き手のエゴで書いてしまうが、それだけこのアルバムが実は凄いものなのだということを実感した次第だからなのである。
それにしても、超絶のアレンジというわけでも、個人的に強烈なノスタルジーがあるというわけでもないのに、ほころびを感じさせない完璧なポップ・イージーリスニング。すでに何度も繰り返し聴いているが、やはり最近聴くことのなかった匂いのするサウンドであることが惹きつける第一の理由だろう。70年代の日本のサントラにはまだまだ聴き直したい音源が山ほどあることを実感する、モダンなサウンドの一枚と言える。
アフリカの光/愛・青春・海
オリジナル・サウンドトラック(音楽:井上堯之)
FJCM-003/初CD化/紙ジャケット仕様
1975年の神代辰巳監督作のショーケンと田中邦衛の奇妙な友情を描く作品のサントラで、音楽は井上堯之。絶賛された前作『青春の蹉跌』を受けてのショーケン+神代+井上堯之の作品で、男同士の友情でデカダン気分はちょっと緩むが、このどうしようもなさはさらに研ぎ澄まされる。このサントラもセリフ入りで、つまりは当時の気分がそのまま蘇る。ショーケンはグループ・サウンズ最盛期後の自分のサウンドとしてブルース・ロックを選んでいたと思うが、そのブルース・ロックの世界に最も通じていた世界がこの『アフリカの光』ではなかったかと思う。原作は何しろ、無頼派の丸山健二だ。男くさく、格好悪いけれど、その格好悪さこそが格好いいという逆説的な緩さを、そのまま神代辰巳はフィルムに焼き付ける。しかも、そんなルーズな映画がちゃんと認められ、全国公開されたというのが1975年の日本だ。あまりにも楽天的な音楽であればあるほど物悲しさを漂わせてしまうと言わんばかりの井上堯之の映画音楽。70年代後半に差し掛かるこの時、主人公ふたりの世界はすでに理想の生き方になっていたのかも知れず、もちろん今となっては、それはほとんどファンタジーと同義語だ。東北の漁港から理由なくアフリカを目指す、野郎ふたり。そう、井上サウンドについて語れば、そんなルーズで物語として追う必要もなさそうなふたりのBGMが、優しく、メロディアスで、時にブルージーなのだ。考えてみれば、このメロディアスさは70年代ならではと言えるのかもしれないし、もっと言えば、音楽が井上堯之だったからこそここまで音楽が“歌った”のだ。音楽は時折、ドラマの男ふたりの格好悪さをさらに際立たせる。が、格好悪ければ格好悪いほど格好いいという、まさにショーケンの定義に当てはまる法則で、今で言う“ダサく”演出する音楽であったりする。もちろん、それはすべてがショーケンに対する井上堯之の友情であり、応援の最終形であったりしているのであろうと思う。
今回のサントラ復刻で珍しいのは、当時のLP音源がそのままCD化されたということで、セリフまでもがちゃんとCD化されることだ。お気に入りの曲だけで編集CDを作ろうと思う人にはマイナス材料かもしれないが、このサントラはもともとがこういうサントラなのだ。主人公ふたりをブッチ&サンダンスと被らせるのか、というイメージのバート・バカラック『明日に向って撃て』調のトランペットが、理想に向ってルーズなふたりに対するどうしようもない愛着感をさらに駆り立てるのであった。
祭ばやしが聞こえる
オリジナル・サウンドトラック(音楽:大野克夫)
FJCM-004/初CD化/紙ジャケット仕様
今回のタイトルの中で、最も年代的には後となる1977年のTVドラマのサントラ。知る人は知っているが、これは『傷だらけの天使』『前略おふくろ様』でTVでも名役者としての地位を確立したショーケンが、自身の会社を立ち上げ、製作したTVドラマである。紆余曲折後のストーリーは、挫折後の自転車選手であるが、当初の設定はレーサーであったいきさつなどを聞くと、『レーサー』や『ボビー・デアフィールド』を思わせる大野克夫のサウンドトラックが説得力を持ってくる。77年と言えば、クロスオーバーから名称をほぼ変えていた“フュージョン”の最盛期当初だ。フュージョンのアルバムとして聴いてみてもらっても面白いが、かなり完璧だ。72年からの超名作『太陽にほえろ』でもキャッチーなファンク・インストのサントラで、その後のフュージョンをいち早く理解していた大野克夫の、ちょっと緩くしてみました的サウンド…それが祭ばやしだが、緩くしてちょうどピッタリ合ってしまった感じである。そしてこのサントラは、ファンにとって忘れてはならないもうひとつの側面がある。それは、柳ジョージの実質的なデビュー曲がこれだということ。大野のブルージー・フュージョン・サウンドをバックに、レイニーウッド結成前にショーケンにピックアップされ、主題歌のヴォーカルに抜擢された柳ジョージ。柳ジョージとショーケンは、その後にツアーなど音楽活動を数多く共にすることになるが、その原点がこの“祭ばやしが聞こえるのテーマ”であり、ドラマ音楽、日本のフュージョン・ファン、大野克夫ファンの間だけの騒ぎでは済まされないことが判るだろう。そして、この作品(金銭的に言うと、決して成功作ではなかったのだ)が、ショーケンらしいルーズさとギラギラさを“楽しめる”最後の作品であることも忘れられない側面のひとつ。『雨のアムステルダム』も『アフリカの光』もそうなのだが、この『祭ばやしが聞こえる』もまだDVD化はされていない。
さて、この『祭ばやしが聞こえる』のサントラはDJ諸氏の間でも人気を獲ていた盤としても知られるが、つまりは70年代和モノ・サントラのCD化はようやく手を付け始められたばかりだということだ。ハリウッドのサントラは、復刻系の熱心なレーベル・オーナーたちによって毎週のように新しいタイトルが発表されるようになって熱を帯びているが、日本における70年代サントラの発掘は、図らずも〈富士キネマ〉が先駆、ということになるのであろうか。そもそも70年代の日本映画/TVサントラの名盤と言えば? と問われて、即答できる状態でないことに気づいた時、自らの無知にムチ打つのであった──。
制作・販売元:富士キネマ/DIW PRODUCTIONS(ディスクユニオン)
各税込2,500円/2009年3月6日同時発売