原作に極々忠実に、ドロンジョの熟れた果実的なニュアンスを出すのなら夏木マリとか杉本彩あたりがやはり適任なんだろうし、フカキョンは如何にもまだ皮の青い蜜柑のようである。だが、あの童顔と素っ頓狂な声とナチュラルボーンな立ち振る舞いの向こうにどこか悪意や狂気みたいなものを俺は感じるのだ。要するに、悪党っぽいのである。ルーシー・リューのドスの利いた「やっちまいな!」よりも、フカキョンの甲高い「やーっておしまい!」のほうが断然怖い。可憐に微笑みながら鋭利な刃物で斬りつけてくるようなふてぶてしさと腹黒さがフカキョンにはあるのだ。
天然なのに腹黒い(と思わせる)部分をひとつの売りとするグラビアアイドルが最近は多いが、総じて艶やかさと凄みが足りないのではないか。言うまでもなく、何もスタイルが抜群だったり顔立ちが整っていることが艶やかさに通じるわけではない。むしろ上腕二頭筋が異常に発達していたり、顔のパーツのバランスが崩れていたりするほうが色気を感じる。「美人は三日で飽きる」ことは絶対にないと思うが(男だって顔はいいに越したことはないだろう)、いわゆる正統的美人ではない女子のほうにそこはかとない色香を感じてしまうことが個人的に多々ある。つまりは愛嬌ってことなんだろうか。ちょっと歪でキッチュな部分を欲する性分なのかもしれない。「膝頭がかわいい」という理由だけで結婚を決めた文豪がいたけれど、何となくその気持ちが判らなくもない。
なーんてことを、日曜昼取材の帰り、キオスクでフカキョンが表紙を飾る『an・an』を買いながら考えてしまった。こんなことなら未来永劫、いくらでも考えていられるなー。ははは。(しいな)
実写の完璧な世界観がスクリーンの中で動くとどうなのか。。。気になるところです。
周囲の男性陣はフカキョンの起用は概ね好評、女性陣は「ま、イイんじゃないの?」ってな感じすかね。
ちなみに『an・an』をジュリエットさんに差し上げたら、「このフカキョンのグラビア、レタッチしまくってますよ!」と俺には到底見抜けない“発見”をしてましたぜ!(笑)