迸る刹那の激情を至高の歌に昇華させた“迷子”たちの詞華集
蝦名啓太が語る、9年間にわたるキウイロールという青の季節
野球における重要な戦術のひとつである“スクイズ”は、自らが犠牲のバントを打つことで走者が生還して得点を“搾り出す”。初のフル・アルバムのタイトルにその戦術名を冠したキウイロールもまた己の資質や感情を際限まで搾り出し、この世にふたつとない無上の歌を紡ぎ出した稀有なるバンドだった。彼らは決してイチローや松井秀喜のようなスター選手ではなく、言ってみれば凡打を繰り返す冴えない万年二軍選手であった。ど真ん中の豪直球だろうと内角をえぐる変化球だろうと、小手先に頼らず常にフル・スウィングで挑む。あらん限りの力で豪快にバットを振りかざすも、三球三振。それでも、彼らの愚直なまでのフル・スウィングは観客の心に響くストライクだった。だからこそ僕たちはキウイロールに対して心の猛打賞を手放しで捧げ、彼らの音楽をこよなく愛したのである。名もなき一兵卒が九回二死満塁で一発逆転サヨナラ・ホームランを放つような痛快さが、彼らの音楽には確かにあったのだ。
彼らが身を削り搾り出した普遍性の高い作品は長らく廃盤の憂き目に遭っていたが、活動中に発表したあらゆる楽曲(現在も入手可能な『その青写真』の収録曲を除く)がほぼ網羅されたコンピレーション・アルバム『キウイロール アンソロジー』が解散から4年の歳月を経て発売されることになった。蝦名啓太(vo)、小倉一啓(g)、本間健太郎(b)、浅間直紀(ds)の4人が織り成す心の琴線と涙腺を突き刺す歌は今なお鋭利さと瑞々しさを失うことなく、人間の本質的な弱さを見据えた上で胸の内を赤裸々に吐露する強さ、迷子のように自分の居場所を彷徨う不安定さの向こうにある純真さを内包している。現在は各自のプロジェクトで活動している4人がキウイロールの一員だった時期は、自身のアイデンティティを確立するために躍起になりつつも理想とする音楽性を具現化できない苦悩と葛藤に苛まれた青の季節だった。それは、4人が大人になるために受けた裁きとも言うべき避けられぬ道だったように思える。だからこそキウイロールの音楽は溌剌としながらも儚く、甘美でありながらもほろ苦い青春の芳香を放っているのだ。(interview:椎名宗之)
徐々にキウイを客観視できるようになった
──まず、この『キウイロール アンソロジー』が発表に至る経緯から聞かせて下さい。
蝦名:ZK recordsの機能が停止して、キウイの音源が市場に出回らなくなってしまったのがすべての発端なんです。キウイがまだ活動を続けていた頃から井手さん(井手宣裕:ZK records主宰者、痛郎)とは何度も話し合いをしたんですけど、どうにも埒が明かなくて。そうこうしてるうちにバンドが解散して、俺も札幌に帰ってディスチャーミング・マンを始めたりして、ずっとうやむやのままだった。そんな折にSECRETA TRADESから「キウイのカタログを再発しないか?」というオファーをもらったんですよ、有り難いことに。こうして2枚のオムニバスとしてキウイの音源をまとめてもらって、今は純粋に嬉しいですよ。自分で言うのも何だけど、改めて聴いてもいい曲が多いし。自分で作った曲だからいいに決まってるんですけど(笑)。やっぱり、自然とツボに入ってくるんですよね。
──そういう聴き方ができるようになったのは、蝦名さんの中でキウイロールというバンドがある程度対象化されたからなんでしょうか。
蝦名:うん、徐々に客観視できるようになった。解散して1、2年は全然聴かなかったんですけどね。今は回り回ってディスチャーミング・マンのライヴでキウイの曲をやることもあるし。基本的に作風は余り変わってない気がしますね、自分では。ディスチャーミング・マンとしてやってる音楽も、キウイにちょっと毛が生えたようなものだから。暗く内向的な感じは今も昔も同じだし(笑)、言葉のチョイスもほとんど変わってない。
──以前、何かのインタビューで「アンビエントな曲に自分の歌が乗って、尚かつテンションの高いのが理想」と蝦名さんが話していましたけど、その志向性は『結晶』の頃から一貫していたように感じるんですが。
蝦名:でも、俺のその発言に一番近づけたと感じるのはディスチャーミング・マンの『いた』という曲で、キウイでは成し遂げられなかったと思うんですよ。『いた』みたいに広がりのある感じの曲をバンドでやりたかったし、実際に今もバンド形態でやってはいるんですけど、キウイではできなかった。何て言うか、聴く人にとって判りやすい曲で、尚かつ自分もいいと思える曲が一番いいんだな、っていうのをここに来て改めて気づいたんですよね。キウイをやってた頃からそうは思いつつも形にできなくて、ずっと悶々としていたんです。やっぱり、バンドにはバンドの流れがありますから。4人でやってたサウンドだから表現に制約もあったし、俺自身も曲に感化されてあらぬ方向に行ってたし。でも、それが良くも悪くもキウイだったし、それで良かったとは思うんですけどね。ただ、自分自身としては理想と現実のギャップにだんだん疲れちゃったと言うか…。
──磨耗してしまった感は否めない?
蝦名:うん、それは凄くある。音源を録る段階ではまだ良かったけど、ライヴにおける叫ぶ意味とかを深いところまで考えるようにもなったし。
──ファースト・ミニの『キウイロール』は、転調に次ぐ転調が施された曲や、轟音と静寂が一体となったねじれた曲が多かったせいか、CDの帯には“札幌のあぶらだこ”というキャッチ・コピーが付けられていましたね。
蝦名:その当時は、あぶらだこのことを全然知らなかったんですよ。“札幌のあぶらだこ”なんて言われて初めて聴いたくらいで。あぶらだこ云々は、俺の中ではヴォリューム・ディーラーズからの隔世遺伝みたいなものなんです。
──なるほど。キウイロールはあぶらだこの孫に当たるわけですね。
蝦名:そうなんですよ。スパズマムやメルトバナナ、ライズ・フロム・ザ・デッドやU.Gマンみたいに、速くてヘンなハードコアからはダイレクトに影響を受けてたけど、あぶらだこそのものではないんです。もちろん、あぶらだこは後で聴いてその凄さがよく判りましたけどね。
あらゆる音楽的要素をごちゃ混ぜにした志向性
──ファースト・ミニには余りに暴力的なファスト・コア『You just hate me...』のように極めて殺傷能力の高い曲がある一方で、『記憶の外』のように流麗なメロディの際立った曲が当初からあったことは注目に値すると思いますけど。
蝦名:『結晶』が入ってる『Color Blind』というオムニバスとファースト・ミニの間に、今回は入ってないデモ・テープがあったんですよ。ファースト・ミニの原型みたいな内容で、やってる曲もほとんど被ってて。そのテープを1本だけLess than TVに送ったんです。それが井手さんの手に渡ったことでリリースに漕ぎ着けたんですよ。最初、井手さんからはそのデモ・テープをそのままCDにして出したいと言われたんだけど、俺たちは一度録り直したかった。そのデモ・テープにはもの凄く速い曲の後にゆったりとした『日曜日』が入ってたりしたし、最初からそういう傾向はあったんですよね。何だろう、やっぱりニューキー・パイクスとかブッチャーズからの影響が強かったのかな? 速い曲でもゆったりした曲でもごちゃ混ぜにして、それを敢えて分けないっていう。パンクとレゲエを融合させたバッド・ブレインズもそうだったし。
──スラングを筆頭に、カウパァズ、ボーンスクラッチ、ネクストスタイル、サグスといった当時の札幌パンク・シーンの混沌とした状況も関係していますか。
蝦名:どうだろう。俺たちほど振り幅の大きいバンドは他にいなかったですね。音楽的なジャンルなんて気にしなかったし、ハードコア・パンクはもちろん凄く好きだったけど、音響系やノイズ、ヒップホップとかも好んで聴いてましたから。デモ・テープや『結晶』でドラムを叩いてた阿隅っていうヤツが変わってて、そいつにいろんなCDを半ば強引に借りてたんですよ。札幌でまだ誰もロカストを聴いてない時にひとりだけ聴いてたようなヤツで。カーニヴァル・オブ・ダーク・スピリットの菅野君もまだ聴いてなかったんじゃないかなぁ。ポーティスヘッドも阿隅が教えてくれたし、山塚アイがやってたコンクリート・オクトパスのライヴ・テープを聴かせてくれたりとかして。そのライヴ・テープからは凄く影響を受けて、そのままキウイの曲に反映されたりもしたし。
──山塚さんのステージでの破天荒な動きは、蝦名さんのそれに絶大なる影響を与えていますよね。
蝦名:うん、完全に。当時、ブッチャーズとハウス・オブ・ペインとヘルメットとボアダムズが出るライヴを観に行って、かなり衝撃を受けましたからね。
──その時点で最早、ザ・モッズのコピー・バンドとして始まったバンドとは思えない展開ですよね(笑)。
蝦名:確かに(笑)。でも、モッズやARB、ルースターズといった日本のビート・ロックの匂いは残ってたと思いますよ。日本語で伝えたいことがあるっていうところは同じだし、そこは一貫してた気がする。だからモッズもあながち関係ないこともないって言うか。ただ、そこから何故あんなふうになっていったのかは自分でもよく判らないけど(笑)。今思えば、阿隅が初期のキウイにおけるキーマンだったのかもしれない。阿隅が入る前は俺の中で限界があったけど、あいつが入って何かが解放された感触はあったから。
──ファースト・ミニから1年、セカンド・ミニの『ベクトル』で後のキウイに繋がる雛型みたいなものが早くも確立されつつあるのが窺えますね。美しくもうねりのある旋律と叩き付けるような轟音が溶け合った『1から10』からしてその片鱗が読み取れるし、静と動が激しく入り乱れた表題曲はまさにキウイロールそのものと呼んで差し支えのない代表曲のひとつだと思うし。
蝦名:『ベクトル』が一番好きだっていう人は多いですよね。俺の周りのバンド界隈は特に。ファースト・ミニからちょっと重くなったと言うか、コードがAmからAm7になる感じと言うか。あと、単純に音質の違いもありますね。ファースト・ミニを作ってた頃はフォーク・インプロージョンとか、日本で言えばギターウルフやジョン(犬)みたいなMTR音源が凄く好きだったので、わざとああいう劣悪な感じの音にしたんですよ。でも、『ベクトル』の時は井手さんから「もうちょっと綺麗に録ってくれ」と言われて、カウンターアクションで録ることにしたんです。ただ、カウパァズがスウィープ・ザ・レッグ・ジョニーと出したスプリット・シングルもカウンターアクションで録ったものなんだけど、同じ場所で録ったのにこうも違うかと愕然とした記憶がありますね。カウパァズの音源はもの凄く格好いいのに、俺たちのは何でこんなにダメなんだろう? と思って(笑)。
凄くいいメロディを作れるという根拠なき自負
──『ベクトル』の頃までは、アレンジの細かい部分まで蝦名さんが指示を出していたそうですね。
蝦名:うん。まぁ、そんなに偉そうなものじゃなくて、俺がキーボードで作った曲をテープに録って、それをメンバーに配って、各自練習した上でその曲を合わせるっていう、ただそれだけですから。基本的にアレンジを考えるのが好きだし、自分の頭の中で一度セッションみたいなものがあるんですよね。それを済ませた上でメンバーに「こんな感じで」と伝える。あぶらだこの裕倫さんも、全部自分でアレンジを詰めてると聞いたことがありますけど。
──キウイの代表作として挙げられることの多いファースト・フル・アルバム『スクイズ』では、蝦名さんが真正面から“歌”と対峙するようになった印象がありますが。
蝦名:いや、そうでもないんですよね。たまたまそうなっただけなんです。何の根拠もないけど、自分は凄くいいメロディを作れるっていう自負がバンドを始める前からあったんですよ。そういうメロディ・メーカーとしての資質が徐々に出てきただけな気がする。ただ、よりスケールの大きい壮大な楽曲をやりたいという意識がどんどん膨らんでいったのは確かですけどね。『スクイズ』にはその過程が収められていると思う。
──レゲエのリズムを冒頭に導入した『道標』のように8分強の曲があったり、ゆったりとした曲調から激情が徐々に加速していく『心象』でアルバムの最後を締めていたり、大作志向の芽生えは確かに感じられますよね。
蝦名:それはありますね。『道標』はちょっと忘れかけてたんですけど、久し振りに聴いたら凄くいい曲で驚いた(笑)。ああいう長い曲をやるようになったのは、エンヴィとかの影響もあるのかな? 『スクイズ』は、エンヴィのファーストやナートがストレートアップから出した『couple days』、ブッチャーズの『ROOM』とかが生まれたテイク・スタジオで録ったんですよ。そういうところは俺、かなりミーハーなんで(笑)。
──キウイのレパートリーの中では1、2を争うほど人気の高い『バカネジ』は、どんな過程を経て生まれた曲なんですか。
蝦名:何も考えずに出来た曲ですね。ピアノで作った曲なんだけど、頭に浮かんだメロディをそのまま形にしただけです。
──この間、ネイキッドロフトで行なわれたアコースティック・ライヴでも『バカネジ』を披露されていましたが、ごくごくシンプルな歌詞とメロディなのに激しく心を掻きむしられるし、得も言われぬ昂揚感をももたらす掛け値なしの名曲だと思うんですよ。
蝦名:まぁ、取り立てて珍しいメロディでもないし、至って普通のコード進行なんですけどね。俺にもよく判らないんですよ。さっきも言ったように、自分は凄くいいメロディを作れるっていう気持ちの表れなのかもしれない。
──シングル『本当のこと』は、『スクイズ』の続編的な位置付けの作品と言えるのでは?
蝦名:続編と言うよりも、良くも悪くも『スクイズ』のフィードバックだった気がしますね。最初の2枚のミニ・アルバムは俺が全部取り仕切ってた感じだったけど、『スクイズ』は他のメンバーに委ねた部分が大きかったんですよ。みんなももっと自分の色を出したいっていう雰囲気があったし、それは俺も見たかった。だから他のメンバーの曲をやってみたり、アレンジを全部みんなに任せたりもしたんです。その結果、良い部分と悪い部分が見えたので、次はもう一度俺が主導でやりたいとみんなに伝えたんですよ。
──『スクイズ』収録の『迷子の晩餐』がギターとベースのみのインストだったのは、小倉さんとサンチェ(本間)さんにアレンジを任せたからだったんですね。
蝦名:うん。『迷子の晩餐』は後に歌も付くことになるんですけどね。『上の空』の最初のほうもオグが作ったし、『日常』もサンチェが中心になって作ったし。ちょっと話が逸れますけど、『スクイズ』を作ってた時と、ブッチャーズの吉村さんの手を借りてディスチャーミング・マンの新しいアルバムを作っている今の状況がとてもよく似てるんですよね。『スクイズ』の頃と同じ景色を見てると言うか、似た匂いがする。誰かに任せ始めた途端、いろんな物事が広がっていくんですよ。自分ひとりで意地になってやってるのを緩めると、周りのいろんなものが動き出していく。
とにかく叫ばずにはいられなかった
──蝦名さんは呆れるくらいにマイペースだし、何事もひとりで抱え込んでしまうタイプだから、多少誰かにケツを叩かれたり任せたほうが円滑に事が運ぶのかもしれませんね(笑)。
蝦名:そうかもしれない。まぁ、それはさておき、『本当のこと』は『スクイズ』に対するアンサー的な作品なので、ちょっとキツイんですよ、内容が。凄く内向的だし。でも俺、盤で言ったらこの『本当のこと』が一番好きなんですよね。
──蝦名さんのパーソナリティが他のどの作品よりも色濃く出ていますからね。要するに、ドン詰まりに暗い(笑)。でも、だからこそ素晴らしく良い。
蝦名:それと、『本当のこと』は全編オープン・リールで録ったんです。アナログだから、実は意外とお金が掛かってるんですよ(笑)。1曲もデジタルを通してないから音が余り良くないんだけど、そこがまたいいんですよね。
──歪でささくれ立った音像は、『本当のこと』の後に発表された『KIWIROLL』のほうが際立っている気がしますけどね。
蝦名:でも、『KIWIROLL』はバズーカ・スタジオで録ったから音はいいですよ。ナートが『Narrow Ways』を録ったスタジオだし、ナイン・デイズ・ワンダーやクララ、エンヴィなんかも録ってるし。『本当のこと』は音が籠もってるんですよね。70年代のロックみたいな音になってる。
──6分を超える大作『ノーサイド』で放たれる絶叫は、それまでの絶叫以上に凄味を増した大絶叫で、とにかく圧巻ですね。
蝦名:『ノーサイド』をライヴでやると、次の曲が唄えなくなるんですよ。恐ろしく喉が嗄れてしまうので。だから、ライヴでやりたいんだけどやれないっていう微妙な曲でしたね。
──『本当のこと』の出来映えを考えても、再び蝦名さん主導でレコーディングを敢行して吉と出たんじゃないですか。
蝦名:それは何とも言えないけど、『スクイズ』と『本当のこと』の曲が合わさったライヴはかなり理想的なバランスでやれてた気がしますね。そういう意味では、『本当のこと』は『スクイズ』の続編的な内容だと言えるのかもしれない。
──その時点で、バンドがようやく確固たるオリジナリティを確立できたという手応えはありませんでしたか。
蝦名:いや、そんな驕りは一切なかったですよ。他のバンドは凄く格好良く見えるのに、何で自分たちは理想とする音楽ができないんだろう? っていう気持ちでいっぱいでしたから。まぁ、今思えばそういう不甲斐ない感じがキウイの個性だったと言うか、キウイは絶対的にそうでしかなかったと言うか。オグはそういうダメな感じがバンドの良さだと当時から気づいてたと思うし、俺がレコーディングで唄えてないと感じてた時でも「それがいいんだよ」って言ってましたね。「そうやって苦しみながら唄う感じが歌詞と調和してるし、逆にサラッと唄われても困る」って。それは確かにそうだなと思った。でも、今もそうなんだけど、自分の中では歌の完成度のことを絶えず気にしてしまうんですよ。今でも吉村さんから「お前はそこを全然気にしなくていいから。俺を信じろ」って言われるくらいなんです。
──我々聴き手としては、蝦名さんの歌声がどこまでも不安定でたどたどしいからこそキウイの歌に自分自身を投影できるし、心を深く衝かれるんですけどね。
蝦名:でも、それには気づけないし、気づいても気づかないフリをしてるって言うか。自分の中にある理想と、自分の表現の拙さとのギャップが常にあるんですよ。未だにそれはあるし、キウイの頃は今以上に顕著でしたね。しかも、キウイは唄うのが難しい曲が多かった。大声で叫んだかと思えばすぐさま呟いてみたり、普通じゃない曲が多くて。叫ぶのも本気で叫んでるし、心身ともに凄く疲れるんです。でも、叫びは俺の中でとても重要で、とにかく叫ばずにはいられなかったんですよ。それがちゃんと伝わったから、キウイを聴いてくれてる人が未だに多いのかもしれないけど。
埋もれ続けた上京後の混迷期
──echoとの共作『APOSTROPHE split』には、『スクイズ』と『本当のこと』を経て焦点の絞れたキウイ節が存分に堪能できる名曲『間違う』と、凄まじくテンションの高い『ベクトル』のライヴ・ヴァージョンが収録されていますが、この2曲だけを聴いてもキウイが如何に特異な存在だったかが如実に伝わる気がします。
蝦名:『間違う』も素直にいい曲だなと思いますね。あの曲は最初、キーが1音半高くて、唄うのが難しかったんですよ。確か名古屋のライヴで初めて唄ったんだけど、全然上手く行かなくて。それで、同じライヴで最後にもう一度やることにしたらサンチェに怒られたっていう逸話がありますね(笑)。『ベクトル』のライヴ・ヴァージョンもよく録れてると思う。あれは確か、ナートの企画に出演した時のシェルターでのライブだったかな。あの時のライヴは自分でも恍惚感があったし、何かが突き抜けた感じはありましたね。
──以前、「頭が真っ白になった時ほど最高にキレイな表現になる」と本誌のインタビューで語っていたこともありましたよね。
蝦名:今でもそうですよ。無心になれるのが一番だし、頭で考えてるうちはダメなんです。何事もそうだと思うけど。
──『間違う』は後年、『その青写真』にも新たに収録されましたけど、やはりオリジナルの切迫感は格段に違いますね。
蝦名:録りたてのほうがいいんですよ、絶対に。録り直して原型をなぞったものは、余り良くない気がする。
──じゃあ、『4count』のようなセルフ・カヴァー・アルバムは…。
蝦名:複雑な心境ではありますね。あれは解散が決まってから録ったものだし、俺の気持ちも最初に形にした時から変わってしまったこともあったし。俺個人としては、オリジナルの録音を聴いてくれたほうが嬉しいんですよね。
──『APOSTROPHE split』を発表した後の2002年、バンドは遂に意を決して上京するわけですが、活動拠点を移すまでにだいぶ時間が掛かりましたよね。
蝦名:上京する1年以上前からそんな話はあったんですよね。ブッチャーズの『未完成』のディレクターだった人が、吉村さんから俺たちのことを教えてもらったみたいで、凄く気に入ってくれてたんですよ。その人がちょくちょく札幌まで来るようになって、「東京で活動してみないか?」と言ってくれたんです。自分としてももっと大きな舞台で活動していきたいと思ったし、井手さんも凄く乗り気だったんですよ。ただ、サンチェがカーニヴァル・オブ・ダーク・スピリットをキウイと並行してやってたから、ちょっとネックにはなってたんですよね。それでなかなか動けないまま、1年が過ぎてしまった。ようやく上京したら上京したで、何だか埋もれちゃって…。
──埋もれた?
蝦名:もっと器用にやっていくはずだったんですよね。東京には知り合いのバンドや関係者も多かったから、彼らのツテを辿ってもっと活発にやれると思ってたのに、何だかこぢんまりとした普通の活動になってしまって(笑)。とにかく冴えなかったんですよ。そんな冴えない時期に作ったのが5B recordsからの最初の作品(『KIWIROLL』)なんですけど。
──上京して以降、リハが週1から週2になったというマイペース振りだったように記憶していますが(笑)。
蝦名:ライヴ前に週2になる程度で、それでも俺たちとしてはかなりやってるほうだったんですよ。他のバンドに比べたら全然でしょうけど。まぁ、俺自身、練習するのが余り好きじゃないし、練習の時も本気で唄うから疲れちゃうんですよね。唄ってると普通にトンだりもするし、長くはできないんです。
──『KIWIROLL』も、上京してから発表されるまでに割と時間が掛かりましたよね。
蝦名:それも埋もれてたからなんですよ。あの頃は混迷期で、わざわざ東京まで出てくる必要がなかったんじゃないかと思ったくらいだったし、水面下ではいろいろとゴタゴタがありましたからね。井手さんは俺たちのマネージメントも含めて手掛けたかったみたいなんだけど、俺たちはあくまでバンド主導で活動していきたかった。それで、井手さんと袂を分かつことにして、5B recordsという自分たちのレーベルを立ち上げることにしたんです。
──でも、その混迷の渦中にあったからこそ『マイナースレット』のように強靱で躍動感に溢れた楽曲も生まれ得たわけで。『KIWIROLL』に収録された4曲はどれも本当に素晴らしいと思います。
蝦名:うん、あの4曲はいいですね。5B recordsの最初の1枚として相応しい作品だと思う。
音楽性の相違が如実に表れた『その青写真』
──現在は蝦名さんが個人で引き継いでいる5B recordsですが、“5B”にはどんな意味が込められているんですか。
蝦名:くだらない意味ですよ。自分たちの音楽を鉛筆になぞらえて、濃いけど折れやすいっていう。あと、ZKみたいに覚えやすいのがいいなと思って。
──上京2年目に発表したセカンド・フル・アルバム『その青写真』はStiffen recordsからのリリースでしたが、蝦名さんの歌の比重がグッと高まった集大成的な作品ですね。『記憶の外』から『記憶の果て』までの軌跡が凝縮されていると言うか。
蝦名:そうですね。ただ、『その青写真』を作ったことによってメンバー間の音楽性の違いが埋めがたいものだと実感するわけですけど。あのアルバムに入ってる『紡いだカーテン』や『消し去った流星群』はオグが全部作った曲なんですよ。オグはああいうテンポの速いストレートな感じの曲が好きで、俺は『ジュライアー』とか『your way』みたいな長尺の曲をやりたかった。
──やっぱり。『ジュライアー』も『your way』も、完全にディスチャーミング・マンの世界観に彩られた楽曲ですもんね。
蝦名:全く同じですよ。今と何の狂いもない。そういう俺の志向の反動で、オグは『ベクトル』みたいなビートの効いた曲をやりたがってた。その部分で俺も絶えず葛藤があったんです。バンドをやめるのか、やめないのか。曲作りは自分のためなのか、人のためなのか、っていう。その葛藤で思い悩んだ結果、これ以上キウイはできないと考えるに至ったんですよ。
──キウイ時代、歌詞に関しては4人を代表して書いているという発言もありましたよね。
蝦名:そうですね。自分の中だけのことが出発点ではあるんだけど、みんなが唄いたくないことは俺も唄いたくなかったし。そこはやっぱり、バンドという共同体だったから。ただ、キウイの後期はただ激しいだけの曲はもうやりたくなかった。今はそれがぶり返して『プラスティックマン』みたいな曲もやってるけど、それもだいぶ時間が掛かったんですよ。
──小倉さんとの方向性の違いが決定的なものになった時、サンチェさんと浅間さんはどんな立場だったんですか。
蝦名:サンチェは困ってたんじゃないかな。俺の方向にもオグの方向にも行けねぇな、っていう(笑)。サンチェはやりたくないことはやらないから、俺のやりたいことに合わせてもらえない時は辛かったし、ストレスも溜まったけど、後々サンチェの言ってたことが正解だったこともあるんですよ。直紀は、バンドの活動自体に関しては特に何も言わなかったですね。ただ彼は職人肌だから、プレイに関しては俺の言うことを聞かないことが多かったけど(笑)。
──はははは。そうだったんですか。
蝦名:直紀はすぐにヘンなことをやろうとするんですよ。それはいいんだけど、頭で叩かずに自分がノレるリズムを叩いて欲しいんだよね、みたいなことは常々言ってたんです。でも、そのヘンな感じは俺も好きな部分だったし、特徴があって凄くいいドラムでしたね。今も彼のプレイは好きだし。
──『その青写真』を発表して、2004年の夏に解散を表明するまでにタイム・ラグがあるのは?
蝦名:ホントはすぐにでも解散して、すでに決まってたライヴを全部キャンセルする話もあったんだけど、俺はそれがイヤだったんですよ。
──蝦名さんがキウイロールをやめようと決断した時は、具体的にいつ頃だったんですか。
蝦名:2003年の7月くらいかな。高井戸のバーミヤンでみんなで話をしていた時ですね。一番のきっかけは、『white』という曲を練習していた時にみんなが辛そうなのを見たからなんですよ。それでも、『white』はライヴで2回くらいやれたんです。シェルターでやった東京で最後のライヴ(2004年11月7日、『迷子の晩餐 vol.11』)と、ベッシーでやった正真正銘最後のライヴ(同年12月3日、『迷子の晩餐 vol.12』)と。やっぱり、気持ちが付いていかないとバンドを一緒にできないじゃないですか。他の3人は俺とは違う音楽をやりたそうな感じだったし。まぁ、それは俺の思い過ごしだったのかもしれないけど。その彼らとのギャップと、それまでに積み重なったものが相俟って、解散を決めたんです。
『white』を形にするモチベーションはなかった
──解散ではなく、活動休止という選択肢はなかったんですか。
蝦名:それはいろんな人にも言われたんですけど、当時はメンバー間でもお互いに意地を張ってた部分があったんですよ。「もう一緒にはできないな」っていう気持ちのほうが強かった。まぁ、今はそうやってヘンに突っぱねることもないんだけど。当時はまだ28くらいだったし、そういう人間的に未熟な部分も作用してたんだと思いますね。俺が「こんな感じの曲をやりたい」と言ったら、サンチェと直紀は割と「やってみようか」みたいな感じだったけど、オグは「もっとノリの良い曲がやりたい」って言ってて。実際、彼はもっと初期のような曲をやりたかったんでしょうね。
──元カウパァズ/スパイラル・コードの竹林現動さんが主宰するink-driveから発表されたセルフ・カヴァー集『4count』は、最後にもう1枚作ろうとして立ち上げた企画なんですか。
蝦名:いや、解散が決まる前から作ることは決まってたんですよ。現動君に「そろそろ録ってもいいんじゃないの?」と言われてて。ZKから出ていた音源がその当時から全部廃盤だったから、過去の音源を録り直すアイディアを現動君にもらったんです。本来こういう録り直しは余り好まないんだけど、音源が世に出回らないのもどうかと思って。どれも胸を張れるいい曲ばかりなのに。
──ビートルズの『Abbey Road』のように、4人とも解散を念頭に置いて演奏しているんですよね。
蝦名:完全にそうですね。現動君もずっと怒りながらエンジニアをやってましたから(笑)。
──過去の楽曲を改めて作品として残すにしても解散は不可避なわけで、複雑な心境はどうしても拭えなかったんじゃないですか。
蝦名:全然ダメでしたよ。仮に解散が決まってなくてもオリジナルとはちょっと違ったものになっていただろうし、それに輪を掛けて解散なわけですからね。15曲を僅か2日間で唄い切るのも結構キツかったし。だからあのアルバムは声が凄く嗄れてるんですよ。
──でも、唯一の新曲だった『yes means no』は、それまで『日本のロック名鑑2』というDVDでしか聴けなかったから、正式な音源になって良かったと思いますけどね。
蝦名:そうですね。『yes means no』は解散を決める前からあった曲で、オグはああいう曲をやりたかったんだと思う。『yes means no』みたいな曲をみんなで作ろうかっていう流れだったんですよ。『white』も同時進行でやってはいたんですけどね。
──『white』は現在のディスチャーミング・マンにも通じる壮大で心に響く楽曲だし、正式な音源にならなかったのが本当に悔やまれますね。
蝦名:時間的な問題もありましたからね。本格的に曲を固める時がバンドの終わりかけだったし。最後に録ろうと思えば録れたけど、みんなにそんなモチベーションもなかった。最後の2回のライヴを観てくれた人はみんな、「音源で聴きたい」って言ってくれましたけどね。
──今回の『キウイロール アンソロジー』には、そんな『white』のように荘厳な楽曲からはとても想像がつかない、恐ろしく凶暴なデモ音源(1996年)が収録されていますけど(笑)。
蝦名:あのデモは、八畳くらいの大学の部室で一遍に録った音源なんですよ。ホントに酷い音質なんだけど、あのデモこそキウイの最高傑作だと言う人が周囲のハードコア界隈には多いんです。サグスとかいろんなバンドと一緒に入ってる『NORTH MAN』っていうオムニバスCDには、このデモ音源がそのまま使われてるんですよ。
──『ジョギング マニアック』って、タイトルだけでも笑えますよね(笑)。
蝦名:ああいうバカな部分は元からあるんですよね。U.Gマンとか凄く好きだったし。やっぱりLess than TVのバンド特有のバカなことをやりつつの格好良さみたいなものは衝撃的だったし、そこからの影響は計り知れないですよ。あと、それに加えて俺は『夜ヒット』世代だから、昭和50年代の歌謡曲やニュー・ミュージックとかの要素もあると思うし、そういうのを全部ゴッタ煮にしたらこうなったと言うか。要するに、自分の好きなものを全部吐き出した結果なんですよ。
“替えが利かない音楽”だったキウイロール
──自身の嗜好と志向をそのままぶつけるのは今も変わらないし、キウイロールとディスチャーミング・マンの音楽性は地続きですよね。至って平易な言葉で綴られている歌詞も何ら変わらないし。
蝦名:そこは昔から意識してますね。難しい言葉をまず知らないし、そういうのは書きたくないんです。むしろ、ごくごく普通の言葉で判らなくさせたいと言うか。だからやっぱり、何も変わってないんですよ。自分でもびっくりするくらいに。
──ただ、キウイの頃のような轟音の中での叫びと、今のように深い静寂の中での叫びとでは声の発し方も変わるだろうし、表現の幅は格段に増したと思うんですよ。オリジナルの『バカネジ』はもちろん素晴らしいけれど、今の蝦名さんにしか唄えない『バカネジ』も確かにあると思うし。
蝦名:まぁ、より大衆的でありたいと今は昔以上に思いますよね。もっと人目に触れないとダメだなと思うし。
──ディスチャーミング・マンでもバンド形態で演奏されることがありますけど、やはりキウイの時とはだいぶメンタリティも違うんでしょうね。
蝦名:キウイはメンバーとの距離が近すぎたのもあったと思いますよ。直紀を除いて、オグもサンチェも高1の同級生ですからね。キウイの活動中はみんなそれぞれ音楽的な自我が芽生えていった頃だったし、自分のやりたくない音楽はやっぱりやれなかった時期なんですよ。たとえば、俺は吉村さんの10歳くらい下だから吉村さんには結構かわいがってもらえるんだけど、2、3歳しか違わないナートのセイキさんとかネモをやってたナカノさんに対しては吉村さんも照れくさいのか、その反動でいじめたがるんですよね(笑)。それに似た感覚はキウイのメンバーに対してあったような気がする。
──過去のバンドに対して否定的なミュージシャンもいますけど、蝦名さんの場合はキウイロールを“替えが利かない音楽”と明言して、堂々と胸を張っている感がありますね。
蝦名:今やってることの延長線上にある音楽ですからね。でもやっぱり、解散直後は自分では触れたくなかったですよ。誰かに触れられたらしょうがないけど、それでもそっとしておいて欲しい感じはあった。でも今は、スーさん(SECRETA TRADES担当者)とセイキさんにキウイの良さを気づかされたところはありますね。今作ってるディスチャーミング・マンのアルバムと同時期に自分の足跡を確認できたし、こうしてキウイの音源を聴いたのは凄くいい機会だったと思います。
──これまで発表してきたディスチャーミング・マンの全作品を手掛けた松井勝也さんによるアートワークも、如何にもキウイロールらしくていいですよね。身も心も張り裂けんばかりの音楽なのに、どこかフニャッとしたかわいらしさやおかしみのあるイラストで(笑)。
蝦名:ラフを最初に見た時、思わずSECRETA TRADESと勝也君に確認の電話を入れちゃいましたもん。「これでホントに大丈夫ですか?」って(笑)。でも、送ってもらったデータをよく見たら、ちゃんと作り込まれていたので安心しました。思いの丈をぶつけた絶叫を轟かせる一方で、どこか間の抜けた感じもある…そういうバンドの本質がよく出てるなと思って。でも、俺自身はそういうダメな感じが当時はちょっとイヤだったんですよ(笑)。自分としてはもっとちゃんとしたかったんだけど、どうしてもしょぼくれた感じになってしまう。ただ、キウイロールはそれでこそ良かったんだろうし、それでこそみんなから愛されていたんだなと今なら思えますね。
キウイロール アンソロジー I/II
SECRETA TRADES STD-04 / STD-05
各 ¥2,500 (tax in)
2008年12月19日、2タイトル同時リリース
track list
kiwiroll anthology I (STD-04)
01. 結晶('96年:V.A.『Color Blind』収録)
02. etc('98年:『キウイロール』収録)
03. You just hate me...('98年:『キウイロール』収録)
04. 記憶の外('98年:『キウイロール』収録)
05. 曲がりくねった('98年:『キウイロール』収録)
06. ヘルペス('98年:『キウイロール』収録)
07. 希望ゲージ半分('98年:『キウイロール』収録)
08. 1から10('99年:『ベクトル』収録)
09. 止まった瞬間('99年:『ベクトル』収録)
10. 無くならないように('99年:『ベクトル』収録)
11. キス イン ザ レバー('99年:『ベクトル』収録)
12. 夕焼け禁止('99年:『ベクトル』収録)
13. ベクトル('99年:『ベクトル』収録)
14. 僕の中('99年:V.A.『cycle of the moon 2』収録)
15. 間違う('01年:『APOSTROPHE split』収録)
16. ベクトル[Live]('01年:『APOSTROPHE split』収録)
17. 永遠('02年:『KIWIROLL』収録)
18. マイナースレット('02年:『KIWIROLL』収録)
19. 月のまぶた('02年:『KIWIROLL』収録)
20. 冷たい感触('02年:『KIWIROLL』収録)
21. yes means no('04年:『4count』収録)
22. レモン('04年:『4count』収録)
23. 失望症[DEMO]('96年:『1st DEMO TAPE』収録)
24. ジョギング マニアック('96年:『1st DEMO TAPE』収録)
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kiwiroll anthology II (STD-05)
01. 小さな部屋('00年:『スクイズ』収録)
02. 上の空('00年:『スクイズ』収録)
03. バカネジ('00年:『スクイズ』、'00年:『バカネジ』収録)
04. スクイズ('00年:『スクイズ』収録)
05. 希望ゲージ半分('00年:『スクイズ』収録)
06. 道標('00年:『スクイズ』収録)
07. 迷子の晩餐('00年:『スクイズ』収録)
08. etc('00年:『スクイズ』収録)
09. さよならさ('00年:『スクイズ』収録)
10. 日常('00年:『スクイズ』収録)
11. 失望症('00年:『スクイズ』収録)
12. 心象('00年:『スクイズ』収録)
13. うたたね('00年:『バカネジ』収録)
14. 日曜日('00年:『バカネジ』収録)
15. 本当のこと('01年:『本当のこと』収録)
16. 存在('01年:『本当のこと』収録)
17. ノーサイド('01年:『本当のこと』収録)
18. もの('01年:『本当のこと』収録)
19. 結晶[DEMO]('96年:『1st DEMO TAPE』収録)
20. レモン[DEMO]('96年:『1st DEMO TAPE』収録)
21. WONDER FUL WORLD('96年:『1st DEMO TAPE』収録)
★amazonで購入する
Live info.
5B records presents“Dream Violence vol.13〜最後の晩餐〜”
2008年12月19日(金)下北沢ERA
出演:Thymo(小倉一啓 在籍)、Winda(浅間直紀 在籍)、Capofteka(本間健太郎 在籍)、Discharming man(蝦名啓太 在籍)
OPEN 18:30 / START 19:00
adv. 2,000yen (+1drink) / door. 2,500yen (+1drink)
info.:ERA 03-5465-6568
more info.
蝦名啓太によるソロ・プロジェクト“Discharming man”のニュー・アルバム『dis is the oar of me』(Traffic TRCP-48/税込\2,800)が来年1月21日に発売決定。また、小倉一啓 率いる“Thymo”のニュー・シングル『レキゥイエム』(DISPARATES RECORDS dp-02/税込\840)が『キウイロール アンソロジー』と同じく12月19日に発売されます。
5B Records official website
http://www.5brecords.com/