Yさんが今年で48歳という話にまずびっくりした。そんな年齢にはとても思えぬ若々しい容姿で、昔と変わらず全身クロムハーツ。肌も艶やかだし、10年前に初めてお会いした頃と寸分の違いもない。
そして何より、あの頃と寸分違わず、Yさんは童貞のままだった。
そう。
48歳にして、未だにDT(笑)。
素晴らしい。実に素晴らしい。ここまで来たら、是非とも墓場まで童貞を持ち込んで頂きたい。
打ち合わせらしい打ち合わせはほんの数分で、後は延々と昔みたいに無駄話。
まるでロック・スターのような佇まいのYさんは機関銃の如く喋りまくる。古今東西最近面白く感じるロックのこと、俺が昔付き合いのあった編集者やデザイナー、ライターのこと、お互いの今の仕事のこと。Yさんの話はとにかく底抜けに明るい。自分の童貞ネタも笑いに昇華してとことん喋り倒す。
近くの喫茶店に場所を移してまた数時間延々と与太話。Yさんの喋りは一向に止まらず、こっちは笑いすぎてお腹が痛い。
喫茶店には今Rooftopを一緒に作っているスタッフも連れてYさんと引き合わせたので、昔の椎名君はこんなだったよねぇ、みたいな話をYさんにされると少々恥ずかしい。あの時の俺はまだ20代半ばのハナタレ小僧もいいとこなのである。
その喫茶店でみんなで食べたランチ代も昔みたいにYさんが奢ってくれて、申し訳なく思った。Yさんはパソコンができないから、未だに印画紙に指定したデザインで仕事をしている。データ入稿の場合は知り合いのデザイナーに頼んで版下のデータを作ってもらっている。
Yさんは小学館や講談社といった大手の出版社とも仕事はしている人だが、ただでさえ出版不況のご時世に版下のデータを作れない人は編集部から使えない烙印を押されるし、かなり大きなハンデとなる。Yさんはもの凄く腰の低い人だが、それなりのキャリアがあるので敬遠もされやすいだろう。
非情な言い方になるが、あの頃に比べて仕事も減っているはずだ(まぁ、俺なんかよりも遙かに喰えてはいると思うが)。
それは会話の端々から痛感した。それなのに、Yさんは気丈にも4人分のランチ代を払おうとする。
7、8年前は、Yさんに会うといつもこんな感じだったなーとちょっぴり感慨に耽ったりもしたが、申し訳ない気持ちのほうが大きかった。
そんなYさんから、今日荷物が届いた。
Yさんが手掛けているホストとヴィジュアル系バンドを融合したヘンテコ雑誌(これもかなり笑えた)と、エロDVDが2本封入されていた。
Yさんは童貞ゆえに昔からAVのソフトを異常な本数買い込んでいて、見なくなったものは俺たちみたいな万年発情期の若僧に横流ししてくれていたのだ。
如何にもYさんが好きそうなハデなメイクのお姉さんが写ったエロDVDの表1を見ながら、「変わんねぇな、Yさん」とほくそ笑んだ。高尚ぶるつもりは微塵もないし、俺はオナニーも好きだが、AVもage嬢系も苦手なのである。
が、そこに添えられたYさん直筆の手紙に気持ちが揺さぶられた。
「この間はどうも有難う。やっぱり椎名君と話すのはムチャクチャ面白いね。こんな不況だから金にはならないかもしれないけど、何か面白いことをまた椎名君と一緒にやりたいと思ったよ(ホントは金になったほうがイイけど!)。美人の○○さん(一緒にRooftopを作っている仲間)にもヨロシク!」
仕事の最中だし周囲の目もあるっていうのに、じんわりと涙腺が緩んで困った。
Yさんはメールもできない。携帯も持ってない。きっと俺のためにせっせと手書きの文章をしたためてくれたのだろう。そう思うと、凄く嬉しかった。
辛うじて雑誌を出し続けている俺に対しての営業的な意味合いも当然あると思うが、薄っぺらい人間関係しか築いてこなかった自分にもこんな人がいてくれたんだなと思うと、有り難くて思わず涙が出た。
速攻でYさんが好きそうな純正ロケンローなCDを詰め込んで送ろうとした。が、お礼の手紙を添えて梱包しているさなか、ヤマト運輸のあんちゃんは非情にも「今日の集荷はこれで失礼しまーす!」と極めて快活に宣言して我が事務所を後にしてくれたのだった。
ここ数日、自分の中で「過去」がキーワードになっているような気がするのは、インタビューに向けてキウイロールを改めて日常的に聴いていたからなのかもしれない。
めでたいことにキウイのアンソロジーが来月発売されることになり、日々しつこく戴いたサンプル盤を聴いている。彼らの音楽は刹那的な内なる青の時代を呼び覚まし、かさぶたを引き剥がす暴力性を孕んでいる(特に初期)。
彼らの初の公式音源はもう10年(!)も前のものだ。10年前ということは俺も20代半ばということになるわけで(当たり前だが)、それはYさんと初めて会った頃であり、何だか気が遠くなる。
「どれだけ頑張ってみても、全然うまくいかないんだけど?」
「じゃあ、うまくいくように頑張ってみれば?」
まるで禅問答のようだが、つまりはそういうことである。
俺はあの頃の自分に対して頑張っていると胸を張って言えるだろうか?
悪いけど30代半ばの今のほうが格段に人生面白いよとあの頃の自分をおちょくれるだろうか?
うまく行くように頑張ることなく、自分の好きなことだけ頑張って、それが当たればラッキーなんていうご都合主義に陥っていやしないか?
Yさんのように自らの苦境を笑いに転化するのもある種の才能だと俺には思える。言うまでもなくそんな才能、こちとら微塵もない。微塵もないが、千鳥足でも自分なりに足を前に踏み出せればいいのだ。
知っていることなんて、ホントに砂で出来た城のようだなーと実感する午前4時である。
帰宅してYさんに貰った『激痴漢地獄 バス・電車・エレベーター・エステ・金庫』を見るだけ見たが、やはり悲しい結果に終わった。こんな光景も昔と何ら変わらないのである。(しいな)