ギター バックナンバー

KEITH from ARB('08年09月号)

rooftop

オリジナル・アルバム紙ジャケット・コレクション一挙発売!
15枚のリマスター盤から辿るARB 30年の軌跡!


1978年10月、ARBがシングル「野良犬」でデビューしてから今年で30周年を迎える。これを記念して、1990年の解散(その後1998年1月に再結成、2006年3月に石橋凌の脱退により活動停止)までの全15枚のオリジナル・アルバムが最新のリマスタリングとオリジナルLPをそのまま再現した紙ジャケットで蘇る。彼らが日本のロック史に残る傑出した存在であることは今更言うまでもないが、30年を経て改めて彼らの音楽を聴いて思うのは、その圧倒的な鮮度の高さである。常に社会的弱者の立場に立ち、人間の自由を踏みにじる存在に向けて檄を飛ばすメッセージ性の高い楽曲は、一縷の希望を抱くことすらできない混沌とした現代にこそ大きな作用をもたらすのではないか。ARBの灯を絶やさぬべく、今回のリマスタリングの監修を務めた唯一のオリジナル・メンバーであるKEITHと、結成以来一貫してマネージャーとしてバンドを支え続けた藤井隆夫(ARB OFFICE代表)の2人にこの不世出のバンドについて語ってもらうことにした。(interview:椎名宗之)


ARBの音楽がとても新鮮に感じた

──今年はARBのデビュー30周年ということなんですが、率直なところどう感じていますか。

KEITH:月並みな言葉になるけど、今思えばあっという間だったね。途中、いろいろとあったけれど、30年っていう長さが感覚として今ひとつよく判らない(笑)。

──その30周年を記念して、デビューから1990年に解散するまでのARBのオリジナル・アルバムが紙ジャケット仕様で15枚一挙に発売されましたが、これはすべてKEITHさんによる監修なんですよね。

KEITH:うん。まぁ、俺だけじゃなく藤井さんやビクターのエンジニアたちと一緒にオリジナル作品を改めて聴いた上でリマスタリングしたんだけどね。オリジナルの音質に忠実であることに努めたから、意図的にいじるようなことはもちろんしなかったよ。

──特に気を留めたのはどんなところですか。

藤井:ジャケット周りをなるべくオリジナルに近づけることと、音に関しては今の技術で最高のレヴェルにまで良くしたことかな。

──ここ数年、CDショップの店頭にARBのオリジナル・アルバムが並ぶことが少なくなってきた気もするし、今回の再発はまさに絶好のタイミングですね。

KEITH:そうだね。(カタログのラインナップを眺めて)考えてみれば、この時期までのオリジナル・アルバムはまだアナログも出ていたんだよね。

──第3期ARBのラスト・アルバム『SYMPATHY』ですら、もう20年近く前のリリースですからね。監修にあたって過去の作品を聴き直す作業は、KEITHさんにとって苦痛ではなかったですか。

KEITH:いや、そんなことはなかった。今回はむしろ、とても新鮮に感じたくらいだよ。もともと余りスタジオ・エディットは好きじゃなかったんだけど、今回は凄く新鮮だった。いつもとはまた違う角度で聴けたって言うのかな。だから、スタジオに入っていて楽しかったね。

──KEITHさんの中でARBを対象化できたと言うか、距離を置いて聴けるようになったということでしょうか。

KEITH:うん、自分でも“当時はこういうことをやってたんだな”って思ったりね。そういうのをもう一度見直せたいい機会だったと思う。ご承知の通り、ARBはずっと同じメンバーでやってきたわけじゃないし、アルバムごとにいろんなメンバーが入れ替わり立ち替わりだったでしょう? 初期は特にアレンジが人によって全然違うから、今聴くと新鮮なんだよ。

──ARBのデビューから1990年の解散までの時期というのは、アンダーグラウンドな存在だった日本のロックが徐々に市民権を得ていく過程と重なりますよね。

KEITH:そうだね。やっぱり時代の為せる業みたいな部分もあったと思う。音楽業界の隆盛に沿いながら俺たちも徐々に変わっていった気がする。レコーディング技術が発展していくにつれて、曲の在り方も変わっていったよね。それは今回改めてオリジナル・アルバムを聴いて強く思ったよ。初期の頃はスタジオでひらめいたアレンジを発展させて曲作りをしていたけど、機械が発達してくるとほぼ完成型に近いデモを自分で作ってきたりするようになったしね。ちょうどアナログからデジタルへと移行する過渡期だったんだね。

各々が我を張っていたらバンドは続かない

──それと、今の時代と比べてアルバムをリリースするペースがとても早かったようにも感じますね。当時はあれだけ精力的にツアーを敢行していたにも関わらず。

KEITH:うん。アルバムは年に1枚必ず出していたからね。新曲のリハをスタジオでやって、ツアー先で披露しながらまた練り直して…っていう作業を延々やっていた。その都度歌詞や構成も変わっていったし、ライヴで披露しながらボツになった曲も結構ある。初期の頃はそういうやり方が普通だったんだよ。それが後半になると各自で曲を固めるようになったから、バンドの有機的な結びつきが多少薄まったのは否めないよね。

──ライヴでのみ発表された音源というのは、ARBの場合どれくらいあるんですか。

藤井:意外とないよ。一度ボツになった曲でも次のレコーディングで練り直すことが多かったから。

──第1期は田中一郎さん、第2期は斉藤光浩さん、第3期は白浜久さんという歴代のギタリストがメイン・コンポーザーだったわけですが、KEITHさんは曲作りに関してそれほど口を挟まなかったんですか。

KEITH:そうだね。最初の頃は自分でも面白いリズム作りをしていたけど、だんだんと打ち込みが主体になってきたし、それぞれの個性や性格もいろいろあったからね(笑)。やっぱり、一郎のいた時期は実験的なことを試行錯誤していたから面白かったよね。

──白浜さんの加入によって性急なビート・バンドとしての側面が薄れていった時期もありましたが、打ち込みの無機質な音色が当時の流行だった背景もありますよね。

KEITH:うん。ただ、リズムが打ち込みになっても、それはあくまでもバンドだから。俺一人でやってるわけじゃないし、ARBっていうバンド全体で決めた方向性だったからね。

──それにしても、メンバーの変遷だけを見てもつくづくユニークなバンドですよね。KEITHさんと一郎さんが中心となって作ったバンドなのに、一郎さんは結成から6年経って唐突に脱退してしまうし、ストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルが来日した折にはメンバーとして迎えてみたり。そもそもはバンドの顔である凌さんも、甲斐よしひろさんの推薦でヴォーカリストに抜擢されたんですよね?

藤井:いや、そうじゃなくて、岸川均さんっていう九州のラジオ局のディレクターに紹介されたんだよ。

KEITH:それで藤井さんが凌に会いに行ったんだよね。

──ああ、そうだったんですか。KEITHさんは総勢12人にも及ぶARBのメンバーと一緒に音楽活動を続けてきたわけじゃないですか。これだけメンバーの出入りが多いと、よほど柔軟な発想じゃなければバンドは長続きしませんよね。

KEITH:だから、それぞれが我を張っていたら務まらなかっただろうね。そんなことをしたら、もっと早い段階で空中分解していたはずだよ。

──改めてARBの歴史を俯瞰すると、メンバーがずっと固定していたのは、意外なことに1998年の再結成以降の8年間なんですよね。凌さん、KEITHさん、幸也さん、EBIさんという布陣がバンド的には最もまとまりがあったということなんでしょうか。

KEITH:自分自身ではそうでもないけどね、体調の問題とかいろいろとあったから。確かに、再結成してからのメンバーが一番長かったというのは意外だけど。


「魂こがして」が生まれて方向性が絞れた

──せっかくの機会なので、復刻されたオリジナル・アルバムに沿って話を伺います。まず、ファースト・アルバムの『A.R.B』はキーボードやホーンがふんだんに採り入れられていて、その後の作品と比較すると全体的にかなりポップな印象ですね。

KEITH:うん。最初の頃はいろんなことにチャレンジしてたんだなと改めて思ったね。方向性がまだ雑多な時期だったのかもしれないけど、いろんなタイプの曲もあったしね。

──ご自身のドラム・プレイに関してはどうですか。

KEITH:自分のプレイでもいろんなチャレンジをしていたと思う。ファーストの時はまだ3点セット(ハイハット、スネア、バスドラ)じゃなくて、他にもいっぱいセットを付けていろんなことをやってたんだよ。派手なオカズもたくさん入ってるし。それは5人編成の模索期だったこともあるよね。やっぱり、ARBの本当の意味での始まりはエンマと宮城(伸一朗)が抜けて、3人で「魂こがして」を作って方向性が絞れてからじゃないかな。ドラムも3点セットになったしね。バンドとして面白くなっていくのは、サンジ(野中良浩)が入ったセカンドの『BAD NEWS』からだと思うよ。

──結成当初の所属事務所だったシンコー・ミュージックがアイドル路線で売りたかったがゆえに、それに反発してARBの自我が目覚めたわけですよね。

KEITH:そういうことになるね。シンコーにいた時は、ベイ・シティ・ローラーズとかを見に連れて行かされたくらいだったから(笑)。

藤井:ただ、いずれ日本のロックが売れる時代が来るっていう当時のシンコーの読みはそう外れていなかったのかもしれない。後にBOφWYとかが突破口となってロックがチャートを賑わせる時代に結果的にはなったからね。シンコーは60年代末期にグループサウンズで当ててたから、そういう読みができたんだろうね。ただ如何せん、ARBがそういう路線をやるには時期が早すぎた(笑)。

KEITH:今思い出したけど、ファースト・シングルの「野良犬」のカップリングは、「OH! PLEASE」じゃなくて最初は「銀行マン」っていう歌になる予定だったんだよ。でも当時、大阪で銀行強盗殺人事件が起こったせいでタイミングが悪くなってお蔵入りになったんだよね。

藤井:後年、宇崎竜童さんが主演した映画(『TATOO<刺青>あり』)のモデルにもなった事件だね。お蔵入りになったテイクは結局、『RED BOX』っていうライヴ・ベストの初回盤にボーナス・トラックとして収録したんだけど。

──初期の最高傑作と名高いサード『BOYS & GIRLS』の時点で、すでにARBサウンドがひとつの結実を見ていますね。

KEITH:うん。「ダディーズ・シューズ」や「Just a 16」といった人気の高い曲も入ってるしね。

藤井:初期の最高傑作がどれかは、『BAD NEWS』、『BOYS & GIRLS』、『W』の3枚で意見が分かれるところじゃないかな。切羽詰まった感じなら『BAD NEWS』だし、バランスが取れてきてアレンジが落ち着いたのは『BOYS & GIRLS』だし。『W』も人気が高いよね。「ウイスキー&ウォッカ」、「ユニオン・ロッカー」、「LOFT 23時」辺りが入ってるから。

KEITH:だからアルバム単位じゃなくて曲なんだよね。俺もアルバム単位じゃ選べない。曲ごとに思い出があるからね。

バンドに通底するパンク・スピリッツ

──『トラブル中毒』の発表とその前後の“アッパーカット・ツアー”、そのツアーの途中で一郎さんが脱退した1983年までがひとつの区切りですよね。この頃にはホール・クラスのライヴが増えて、着実に支持を受けている手応えが充分あったと思いますが。

KEITH:うん。ツアーを回っているとそれを肌身で感じるね。最初の頃は小さいライヴハウスで数人しか集客がなかったのが、次に行くと倍々に増えていったからね。俺たちの原点は小滝橋通りにあった頃の新宿ロフトだったけど、ライヴハウスの在り方も変わっていったよね。それ以前の西荻や荻窪のロフトは座って呑みながら演奏を聴くスタイルで、新宿ロフトが出来て以降はスタンディングで一体感のあるライヴが主流になった。それはやっぱり、パンクの登場が大きかったんじゃないかな。

──ARB自体は決してパンク・バンドではないのに、当初はそうしたイメージで捉えられていましたよね。

KEITH:初期はそうだったね。セカンドの頃はパンク色みたいなものを意識して打ち出していたし。

藤井:メンバーも好きなジャンルだったからね。KEITHはストラングラーズが好きだったし、凌はニューウェイヴ系が好きだったし。あと、一郎もパンク系のギタリストが好きだった。

KEITH:それと、パブ・ロックだよね(笑)。

──音楽性がパンクではなくても、ARBは揺るぎないパンク・スピリッツを身に宿していましたよね。

KEITH:うん、それは間違いない。ただ、ARBはパンクに偏らずに幅広い音楽性を持っていたからね。バラードもいいのがあるしさ。俺自身、ARBのバラードは凄く好きなんだよ。

藤井:面白いことに、ARBの代表曲である「魂こがして」と「Tokyo Cityは風だらけ」のスタジオ音源は今回の復刻盤のどれにも入っていないんだよ。『BAD NEWS』に入っている「Tokyo Cityは風だらけ」は新宿ロフトでのライヴ・ヴァージョンだしね。

KEITH:ああ、そうか。「魂こがして」と「Tokyo Cityは風だらけ」は3枚目のシングルで、ファーストとセカンドの間なんだ。

藤井:うん。最初は『BAD NEWS』にその2曲をボーナス・トラックで入れようかっていう話もあったんだけど、あくまでオリジナル・アルバムに忠実であろうと思ったんだよ。初期のアルバムは特にね。

──80年代は12インチ・シングル全盛の時代で、ARBも「Deep Inside」、「Blue Color Dancer」、「God Bless The Ring」といった楽曲を12インチのフォーマットで発表しましたよね。

藤井:その3枚の収録曲はそれぞれ『YELLOW BLOOD』、『砂丘1945年』、『WORK SONGS』のボーナス・トラックとして入れた。そういうアルバム未収録のシングル曲は『BLACK X'mas〜ARB SECRET SINGLES〜』というアルバムにまとめたことがあるんだけど。

──当時はロック・バンドでもシングルというフォーマットを重視していた時代でしたね。

藤井:歌謡曲がそうだったんだけど、当時は3ヶ月に1枚シングルを出すのがレコード会社と事務所のスタンスとしてあったからね。

『SYMPATHY』で取り戻したARBらしさ

──まだ歌謡曲が主流だった時代、旧態依然としたレコード会社の仕組みに歯痒い思いをすることも多々あったんじゃないですか。ライヴにおけるイヴェンターの在り方も然りですが。

KEITH:葛藤はいろいろとあったよね。ロックの活動ペースが何も確立されていない時代だったから、何をやるにも自分たちの手で畑を耕すしかなかったんだよ。

藤井:フォークやニューミュージックは当時すでに市民権を得ていたから、レコード会社もそのやり方をロックに当てはめてみようとしたんだよね。ただ、ビクターはディレクターに恵まれたのかとてもやりやすい環境だったよ。いろいろと軋轢があったのは、やっぱり最初にシンコーにいた時だよね。

──ちなみに、デビュー当初はコミック・バンドと思われていたサザンオールスターズもビクターではARBと同期でしたよね。

KEITH:そうそう。向こうが数ヶ月先輩なんだよ(笑)。アナーキーが1年くらい後輩なのかな。

──『YELLOW BLOOD』以降の第2期、第3期ARBにおける代表作は、やはり『砂丘1945年』ということになるでしょうか。

KEITH:まぁ、「AFTER '45」のイメージが相当大きいからね。ジャケットも画期的だったと思うし。ざっくりと音楽的に言うと、光浩のいた頃はギター・バンドだったけど、久のいた時期になるとギター・バンドじゃなくなるんだね。本人はギタリストなんだけど。

──どちらかと言えば、白浜さんの時代はキーボードが主体の印象が強いくらいですからね。

KEITH:個人的に好きな曲もあったけれど、自分のやりたい音楽性と違う面が多いと、どうしてもプレッシャーは強くなるよね(笑)。いくら同じバンドと言えどもさ。

藤井:久が加入した『ONE and ONLY DREAMs』と『ROCK OVER JAPAN』はかなりデジタル色が強まったよね。それが『PAPERS BED』でバンド本来の持ち味が戻っているんだよ。解散までの最後の2作、『PAPERS BED』と『SYMPATHY』はね。

KEITH:うん。最後の『SYMPATHY』は特に自分らしさがよく出ていると思う。打ち込みに関しては『ROCK OVER JAPAN』で行き着くところまで行ったからね。面白いことに、ストラングラーズも80年代に入るとパンク色が薄まって、打ち込みが主体のメロディアスな曲が増えていったんだよ。ただ、ジャン・ジャックもライヴではたまに速くプレイしたくなる時があったみたいなんだけど、打ち込みを使っていると速く行けないんだよね。それで打ち込みをやめたって言ってたよ。どうしても打ち込みに束縛されてしまうから、機械の使い方は難しいよね。

──デビュー10周年にして初の日本武道館ライヴを成功させて、『SYMPATHY』というファンが求めていたARBらしさを取り戻した作品を発表した矢先の解散は、まさに青天の霹靂だったのでは?

KEITH:そうだね。まぁ、口惜しかったよね。

ARBの灯を絶やしたくない

──こうしてファーストから『SYMPATHY』までのオリジナル作品を振り返ると、メンバーの変遷と共に時代と呼応したサウンド作りをその都度していたことがよく判りますね。

KEITH:うん。あとやっぱり、ARBにしかできないブレない核みたいなものがあったんだろうね。

──それはひとえに、KEITHさんのドラムと凌さんの歌なんだと思いますが。

KEITH:そうなのかな。あと、飽くなきチャレンジ精神も重要な要素だった気がするね。

──アルバムを聴き直して、今ライヴでプレイしてみたい曲もたくさんあるんじゃないですか。

KEITH:たくさんあるね。プレイは決して完璧じゃないけど、飽きない何かがあるんだよ。「魂こがして」や「LOFT 23時」、「ファクトリー」とかは今でも叩いてみたいと思うね。やっぱり、自分にとって身近なことを唄った歌が好きだな。「Heavy Days」とかさ。反戦をテーマにした歌よりも、俺は日々の生活を歌詞にした歌のほうが好きなんだよ。

──ARBは結成以来“WORK SONGS”を一貫して唄い続けてきた稀有なバンドだと思うんです。劣悪な状況下で額に汗して働く人たちにとってその歌はまるで労働後の一献のような存在でしたが、景気はどこまでも後退するばかりで未来に対して閉塞感しか見い出し得ない今の時代こそ、ARBの歌が聴き継がれて然るべきだと思うんですよね。小林多喜二の『蟹工船』が現代の若者から圧倒的な支持を受けるような昨今なんですから。

KEITH:俺もそう思うね。今の時代のほうがよっぽど強烈なリアリティを持って響くと思う。今回のリマスタリング作業で聴き直してみて、自分でもちっとも古さを感じなかったくらいだから。音質がクリアになったから余計にそう思ったよ。

──ただ面白いのが、ARBの“WORK SONGS”が生まれた時代というのは、日本がバブルに向かって一直線の時期だったことなんですよね。株と土地への投機が過剰だった好景気を背景に生まれているという。

KEITH:うん。今でも当てはまることをたくさん唄っていると思う。それだけ普遍性の高い歌だったってことじゃないかな。自分でも残していきたいと思うよ、ARBの歌を。絶対に古くはならないと思うし、逆に時代が経つにつれて却って新鮮に響くのかもしれない。歌詞にしても、サウンドにしてもね。今のバンドの音楽は、仮に30年経ったら古く感じるのかもしれないよ。何故かと言うと、その時々の流行り廃りを真似しようとするから。ARBは誰の真似もしなかったし、オリジナリティの塊だったからね。だからいつ聴いても飽きないんだと思う。

──やっぱり、ARBの灯を絶やすわけにいきませんね。

KEITH:そうだね。俺も今回のマスタリング作業で一番強く思ったのはそこなんだよ。自分で言うのも何だけど、貴重なバンドだと思うし。だから、全国のARB KIDSにもARBの音楽を次の世代に伝えて欲しいよね。


ARB オリジナル・アルバム紙ジャケット・コレクション

全15タイトル/最新RE-MASTERING(KEITH監修)/各¥2,500(税込)/すべてビクターエンタテインメント株式会社より発売
画像をクリックすると、Amazonのページにリンクします。


A.R.B

VICL-62878
1979年6月21日発表


BAD NEWS

VICL-62879
1980年5月21日発表


BOYS & GIRLS

VICL-62880
1981年3月21日発表



指を鳴らせ!〜Snap Your Fingers〜

VICL-62881
1981年11月21日発表


W

VICL-62882
1982年6月21日発表


トラブル中毒

VICL-62883
1983年4月21日発表



ARB LIVE〜魂こがして〜

VICL-62884
1983年12月5日発表


YELLOW BLOOD

VICL-62929
1984年9月21日発表


砂丘1945年

VICL-62930
1985年10月3日発表



WORK SONGS

VICL-62931
1986年4月21日発表


ONE and ONLY DREAMs

VICL-62932
1986年11月21日発表


ROCK OVER JAPAN

VICL-62933
1987年6月21日発表



PAPERS BED

VICL-62934
1988年6月21日発表


LOVE THE LIVE

VICL-62935
1989年1月21日発表


SYMPATHY

VICL-62936
1989年11月8日発表



*対象15タイトル(上記作品)中、5枚以上ご購入の方にARBレア・ツアー・グッズをプレゼント(抽選で合計40名様)。
写真は(A)'90年の“THE LONGEST TOUR”パンフレット(5名様)、(B)'89年の“LOVE THE LIVE TOUR”パンフレット(25名様)、(C)'99年の“EL DORADO TOUR”皮製CDケース(10名様)。詳しくはARBオフィシャル・サイトまで。

Live info.

10月30日(木)下北沢440
KEITH Presents“GROOVIN' NIGHT at 440”
出演:Groovin'、 EBI£TARO、内藤幸也
info:four forty 03-5481-4143(14:00〜20:00)

ARB official website
http://www.arb-tamashii.com/



posted by Rooftop at 07:08 | バックナンバー
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