大抵のミュージシャンやスタッフは原稿を確認したがるものだし、日本のロック界を背負って立つ某リーディング・マガジンを除いては原稿チェックをしてもらうのが原則だ。そのミュージシャンは間違いなく少数派である。
こう見えて僕も過去に何度かインタビューを受けたことがある。普段から話しながら「何つまんないこと言ってんだかなァ…」と激しく自己嫌悪に陥るので、当然の如く送られてきたゲラにはガッツリと朱を入れる。語り手の意を汲んで活字化しているケースは稀なため、そういうことになる。ならば現場でもっと気の利いたことを言えば良いのだが、そこは喋りが絶望的に不得手な悲しき活字人間の性なのだろう。活字なら後で何とでも変更が利く。それに慣れてしまっているのだ。
インタビューを受ける側の気持ちが判れば、インタビューする側の心構えも自ずと判る。毎月毎月、生き方も性格も音楽性もまるで違ういろんな表現者たちと会って話を訊くが、僕がインタビューで心掛けているのはたとえばこんなことだ。
(1)現場では、とにかく相手の話をよく聞くこと。
(2)判らないことは知ったかぶりすることなく、「そんなことも知らねぇのか」とバカにされても訊くこと。
(3)活字にする際には、誰が読んでもある程度読み易い文章にすること。
(4)関心のない人でもふと目を留めるような見出しを考えること。
(5)関心のない人でも面白いと感じる読み物にすること。
こういうことを自分に課すと、「てにをは」の付け足しは元より、相手の意を汲んでこちらが言葉を作ることも多々起こる。その場の口語だけでは文章としてさっぱり成り立たないからだ。そういう行為が、冒頭で紹介した(自分の)「いいように書いちゃう」ことなのかもしれない。それでも、読み応えのあるインタビュー原稿にするためにその作業は必要悪なことであり、納得の行く原稿にすることの難しさをいつも感じる。
活字稼業を始めて12年、本格的にインタビューを始めて8年経つが、未だに天狗になれない。インタビュー前はうまく話せるだろうかと不安が常にあるし、どれだけいい話を引き出せたとしてもそれは鮮度の高い素材に過ぎず、その活きの良いネタを生かすも殺すも自分次第なのだ。
それでも、どうにかこうにかやっている。今月もどうにかこうにか8本のインタビューをまとめた。どれも現時点で持ち得る力を最大限出し切って形にしたつもりである。
たかがインタビュー。されどインタビュー。活字から音は出てこないし、所詮はその良質な音楽の導きにしかならないのだが、ああでもないこうでもないと七転八倒しながら活字にしているバカがいることを時々ほんの頭の片隅に置いて読んでくれるととても嬉しい限りなのだ。(しいな)
先月号の編集後記、時代錯誤でも暑苦しくても私はそういう雑誌を毎月楽しみにしてます。今月号もあと数日で手に入るかなー?
それにしても、坂さんはちゃんとお医者さんの見立てでの食生活なんでしょうか…ちょっと心配(;△;)
今は誰だって「ライター」を名乗りさえすれば取材なんて平気でできちゃいますからねぇ。何のこだわりもなく「お仕事」でやっつけようとすると、クオリティも何もない平々凡々なテキストしか生まれなくなる。それだけは絶対に避けたいですね。
元親方はいつ何時も信じるのは自分だけでしょう(笑)。