男性諸兄ならば好みの問題は各々あるだろうし異論反論オブジェクションもあろうが、僕の場合はそうだ。単純に綺麗な人だなとは思うけれど、無闇な妄想をしたりはしない。要するに、仲間由紀恵は僕の欲するエロさが(足り)ないのだと思う。
石原さとみにあって仲間由紀恵にはないものは、底知れぬ耽美な匂いではないだろうか。石原さとみの無駄に厚い唇、凛としたまなこと強靭な意志を感じる眉には何か過剰ななまめかしさがある。
そう、肉厚、過剰というのは大事なポイントである。ただ、ふくよかというのともまた違う。浮浪雲の細君であるおカメさんは包容力のあるよく出来た女性なのだが、やや身体の線が太い。ふくよかな女性も嫌いではないが、それより“ごつさ”のほうが僕には大事だ。如何にも「むかし水泳やってました」というような肩の張った女性にはグッとくるものがある。いわゆる二の腕もしっかりしているに越したことはない。
少し前までは小柄で華奢(でショートカットなら完璧)な女性が好きだった筈なのに、嗜好が変化したのだろうか。以前なら全く興味が持てなかったオリンピックも、今回の北京五輪はごっつい女性アスリートの容姿見たさに中継や雑誌をチェックしている。まぁ、大学で中国語と近代中国史を専攻していたことも多少関係しているのかもしれない。
開会式のチャン・イーモウの演出はとても見応えがあったが、僕が痛感したのは、やっぱり日本人女性が世界で一番綺麗だなという極々当たり前のことである。旗手の福原愛は親戚の姪っ子と数年振りに法事で会ったらエラく成長していたような印象だから女をさっぱり感じないが、全身運動兵器みたいなギスギスした中国人選手よりは愛嬌があって良い。
バレーボールのエース、栗原恵。顔だけ見ると恐ろしく子供なのだが、異常に背丈があってがっちりしているそのアンバランスさがいい。アタックを決める時の男前さもあの童顔とギャップがあって何とも言えない。
余談だが、一昨日のアメリカ戦の3セット目が接戦で、日本に得点が入るたびに「ヨシッ!」と思わず叫んでしまった。アスリートの感動秘話を伝えるドキュメンタリーにもうっかり落涙してしまうし、年々ウチの親父の行動と似てきたのを感じる。よろしくない。
“メグ”の後は“オグ”。“オグシオ”ことバトミントンの小椋久美子と潮田玲子。小椋選手の肉食獣系の顔に何故か惹かれる。デートの待ち合わせに少しでも遅れたら一日中不機嫌でいられそうな感じもするが。
トランポリンの廣田遥。ちょっとマナカナにも似た小動物系だが、つんく♂も注目しているらしい。ただ、憧れの女性が藤原紀香というのが気に喰わない。
走り幅跳びの池田久美子は少々影のあるところが良い。コーチでもあった父親、同僚の森千夏(砲丸投げ)という最愛の人を相次いで亡くし、本人も未曽有のスランプに長い間悩まされ続け、それを何とか克服して手に入れた北京の切符。そんな如何にも日本人好みな浪花節がまたいい。森選手への弔辞(まだ26歳という若さだった)は、この間のタモさんの白紙弔辞ばりに見ていて泣けた。
マラソンは無駄な肉皆無のギスギス系なので、メスの匂いは全く感じない。北京の急造舗装による脚への弊害と酷暑が心配である。野口選手の体調もまた然り。
柔道。最近の試合を見ていると、まるでレスリングみたいで興醒め。特に女子。あと、アテネの時の浜口京子もそうだったが、あの誤審は何とかならないものか。気合いだー!だけじゃダメなのか。谷亮子の容姿は言わずもがなだが、喋り方はどことなく田渕ひさ子嬢を彷彿とさせるので気になる。
とまぁそんなところだろうか。女子アスリートにはいわゆる美人の持つ決定的な美の要素が足りないが、その糊しろ部分が妄想の余地を与えてくれる。そこがいい。足りないがゆえの純朴さがあるし、ド派手メイクのお姉さん(小悪魔ageha系、age嬢って言うの?)には望むべくもない女性の柔和さと凛々しさが同居している。その凛々しさは気高く美しいが、美しいものには必ず棘がある。その棘はチャラチャラした小悪魔なんぞにはとても歯が立たぬ悪魔の如き猛毒が充満しているのだ。(しいな)