このオムニバス・アルバムの素晴らしさを今更言及するまでもないだろう。取材用に頂いた白盤(我々のような媒体や小売店のバイヤーなどに届けられるCD-R)は、ここ2ヶ月ほど仕事中でもプライベートでも鬼リピートして聴いている。かれこれ14年続いているイースタンの自主企画『極東最前線』、その2000年以降に出演したミュージシャンがずらり28組。イースタンも合わせると全29曲のオリジナリティの塊のような楽曲がぎっちりと詰まっている2枚組コンピレーションである。
僕が貰った白盤にはZAZEN BOYSとDEERHOOF、そしてfOULの音源が収録されていなかったので、この3組は発売日に買ったCDで初めて聴いた。インタビューで吉野さんは「fOULはニノ(ベースの二宮さん)と朋美(イースタンのライブPAの今井朋美さん)がこれから録るよ」と言っていたが、待ち望んで余りある素晴らしい出来だった。
そう、fOULなのである。あのfOULなのだ。“fOULの休憩”から3年の封印を解いての一時的な復活なのだ。彼らの「decade」と題された新曲は、確か結成10周年をテーマに当時の“砂上の楼閣”でも披露されていたように記憶するが、やはり他ならぬfOULの音なのであった。著しく一筋縄では行かない奇天烈さと威風堂々さとが交錯した完全無欠のfOULの歌だった。
fOULに限らず、他のどのミュージシャンたちも誰にも似ていない、似ていようがない、むしろ誰かと似るのを声高に拒否するような佇まいを音とその行間に滲ませているかのようだ。
他の誰とも似ていないことにプライオリティを置くこと。音楽と活字という畑は違えど、Rooftopという活字媒体において僕が重きを置いていることのひとつもまた“他の誰とも似ていないこと”である。それはイースタンやfOULを始め、8年前の『極東最前線』第1弾に参加したバンドたちから無意識のうちに教わったことのような気がする。
流行り廃りとは無縁の場所で彼らの音楽は残響する。付和雷同を良しとせず、人が右と言えば左を向き、大衆が赤を望めば黒を貫く。かと言って、単なる天の邪鬼というわけじゃない。意図せずともそういった表現になってしまうのだ。そもそも意図なんてチョコザイなものは彼らにはハナから存在しやしない。やむにやまれず、いてもたってもいられず表現に向かうのだから。気分や上っ面だけの音楽とは一線を画した表現に命懸けなのだから。そんな彼らの音楽が、他の誰かと似るわけがないのである。iPhoneを買い求めるために徹夜して並ぶような、誰かと横並びでいることに満足できる人には何も響かないのかもしれない。でも、音楽が好きで好きで堪らない人、音楽にドキドキワクワクを求める人はきっとこの『極東最前線2』を気に入る筈だと僕は思う。消耗品には決してなり得ない純度の高い音楽がこれほどまでにギッチリと詰まっているCDもそうそうあるものではない。
それとこのオムニバスが素晴らしいのは、別にあなたがイースタンのファンでなくても十二分に楽しめるポテンシャルに充ち満ちていることだ。何の先入観も持たずに素直に耳を傾ければ、音楽が本来持ち得る底力に心底武者震いすると思う。ま、そんな小難しい話ではなく、純粋にいい曲ばかりだからお得なオムニバスですよ、とだけ言っておけば充分かな。
上の写真は、6月号の“砂の上のダンス”にも掲載したfOULの学さんと大地さん。リハ中に健さんがケータイで撮ったもの。年に数回、ライブハウスで会う学さんに僕はしつこく「何かバンドやらないんですか?」と尋ねる。学さんの答えはいつも同じだ。
「fOUL以外にやりたいバンドはないですよ」
その答えを聞く度に、僕の胸にはグッと熱いものがこみ上げてくるのだ。(しいな)